2007年9月アーカイブ
承前
写真集のような少し大きい本はなんとなくウレシイものだけれど、厚い本というのはちょっと感じが違う。
もちろん中身がたくさん詰まっているということだから、それはそれで悪くはないし、アカデミックな気分に
なったりもする。
でもどうもウキウキという感じにはならないのだ。
「ことばコンセプト事典」という厚い本を買ってしまった。
厚いといってもこの本は、thick というより、massive といってもいいくらい並外れて分厚い。
まあ事典(辞典にあらず)というものは持ち歩くことを想定していないので、中身が濃くなればなるほど厚く
なるのは仕方がないし、たとえば広辞苑やブリタニカだったら、版型も独特の大きさがあるので、なんとなく
それも納得できるんだけれど、この本はちょっと規格外で、平面の サイズは普通(188 x 212mm )なのに厚み
だけがスゴイ。
これだけの「チビデブ感」のある本は、いかに事典といえどもそうそうないんじゃないだろうか。
この事典を編んだ渡部昇一という人は、歴史教科書問題や皇国史観で右翼(保守派)のイデオローグとして
有名で、賭博師・森巣博に「英語教師のくせに 英語がしゃべれない」と暴露されちゃったちょっと恥ずか
しい人なんだけれど、その膨大な著書からすると「希代の碩学」と いうファンからの敬称も、あながち外れ
たものではないようにも思える(「知の巨人」っていうのは明らかに too muchですが)。
いずれにしても、要はその右系碩学の人が編集したこの本から何を掬いとるかというのがいちばんのポイント
で、できれば上澄みのところだけをうまく濾せないものかと思う。
掲載されているコンセプト(=言葉)は186タイトル。
「愛」や「自由」といった哲学的な概念から、「入浴」や「独身」なんていう身近な所作までが独自の判断で
選ばれていて、それぞれが簡潔な短文で、コンセプトとして表記されている。
たとえばこんな感じ
欲望 - 浮き沈み、輪廻消長の誘因
美 - 絶対と相対の間で揺れ動く妖しきものの価値
批評 - 創造的行為への参加を表明した「判断」の闘い
もちろんその言葉の定義や語源はきっちりと記されているし、そのコンセプトに関連する文献・映画・美術
音楽のリストや、その言葉に関わることわざ・慣用句・引用句なども掲載されていて、いろいろなシーンで
便利に使えそうだ。
そもそも「概念(concept)」なるものは、モノとしては存在しないわけだから、まずは言葉でしか表現され
得ない。だからひょっとしたら、世の中に無数に存在する「概念(=言葉)」をこれだけの容量におさえられ
たことを、むしろ快哉とすべきかもしれない。
それにしても、1992年12月1日に初版第1刷が発行された定価2万円の本が、5ヶ月後ですでに第4刷である。
何部ずつ増刷するのかはわからないが、おそらく図書館だけで消化できる数字ではないだろう。
だとすると、世の中には2万円払ってもこういうことを探ってみたいと思う人が、このバブル崩壊直後にも
けっこういたということで、それはそれでちょっとした驚きである。
古本だからこそ買えるっていう本だと思いたい。
-------------------------------------------------------------------------------------------
□ ことばコンセプト事典 - concepticon 渡部昇一編 第一法規出版 19930420 4刷 ¥2,800 ORDER from here
ご覧のとおりきれいな布張りの表紙ですが、体裁からするとカバーや函があったのかもしれません。
--------------------------------------------------------------------------------------------
おかしな話だけれど、自分の書いたものに触発されてしまうということが、たまにある。
この前にエントリーした「少し大きな本」の余韻がどこかにまだ残っていたようで、写真集を買ってしまった。
「Screen Tests / Portraits / Nudes 1964-1996」 by Gerard Malanga
NYCの地下鉄68丁目の駅でシャープにキメているパティ・スミスのポートレイトに惹かれておもわず衝動買いしてしまったモノクロームの写真集だけれど、解説を読んでみると、このマランガという人、なんとあのウォーホールのアトリエ " the factory " のメイン・フォトグラファーで、ニューヨーク・タイムズによれば、" Andy Warhol's most important associates(右腕) " だったそうだ。
そう、60年代後半から70年代初めにかけてのポップ・アート華やかなりしころの NEW YORK CITY !
" Screen Tests " は、ウォーホールの " the factory " を訪れた人々を、モノクロで撮ったポートレート映画のプロジェクト。 このサイレント・ムーヴィーで、1秒間に16フレームというゆっくりとした速度のBOLEXを回していたのが彼だ。
圧巻は " Portraits " で、アンディ・ウォーホールはもちろん、アビー・ホフマン、ロバート・メイプルソープ、アレン・ギンズバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、ジョン・ケージやテネシー・ウィリアムスといった当時のニューヨークのHIPなセレブリティたちの、ほんとうにリラックスした姿が残されていて、このブロンクス生まれの若いアーティストが彼らに愛されていたことがよくわかる。
写真というメディアの大きな特性のひとつは、静止した時間の中で、そのディティールが克明に記録されるということだけれど、ちょっと平凡な印象の " Nudes " も含めてこの写真集を眺めていると、真を写すっていうことの楽しさ、そして怖さをおもい知らされる。
それにしても28才の彼が、25才のメイプルソープやパティ・スミスを撮っていた1971年のニューヨーク、みんなこんなに若かったんだ。
*
「Twelve」 by Patti Smith
パティ・スミスは生き残ったアーティストだ。
パンクの時代を疾走し、打ちのめされ、そして劇的な復活(Gone Again)。
1967年、21才の誕生日に、メイプルソープ(彼女のファーストアルバム " Horses " のアルバムジャケットの写真を撮ったのはこの人だった)からプレゼントされたという山羊の革のタンバリンをジャケットにしたこのアルバムは、彼女の「ロック」へのオマージュに相違なく、ジミ・ヘンドリクス、二―ル・ヤング、ボブ・ディラン、ドアーズといったアーティストやその楽曲のセレクションは、使い捨ての商品としてではなく、同時代を生き残った人だけに語れる " narrative(物語) " に満ちている。
60才のロッカーが造った魂のアルバム 「Twelve」 は、間違いなく2007年のベスト・アルバムのひとつだと思う。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
□ Screen tests / Portraits / nudes Gerard Malanga Steidl 2000 ¥2,800 ORDER from here
□ ポッピズム アンディ・ウォーホール リブロポート 19920405 初版 ¥3,000 ORDER from here
□ ぼくの哲学 アンディ・ウォーホール 新潮社 19980830 初版 ¥1,800 ORDER from here
□ Twelve (CD) Patti Smith COLUMBIA 2007 ¥1,500 ORDER from here
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
-------------------------------------------------------------------------------------------------------
□ HOCKNEY in Califonia デヴィッド・ホックニー展図録 1994 ¥2,400 FOR SALE from here
□ 紙のプールで泳ぐ 片岡義男 19851215 ISBN4-10-349003-9 ¥600 FOR SALE from here
-------------------------------------------------------------------------------------------------------
建築家石井修さんが逝去された。
昼なお昏い目神山のご自邸で、一瞬ではあったがお会いできたのがわが身の光栄。
矍鑠としたその姿の残像に、孤高であることの悦楽と、そして孤独を想う。
合掌
小説が少ないのがコトバノイエの本棚のひとつの特徴ではないかと思う。
小説は面白すぎるのだ。
もちろんつまらない小説だっていっぱいあるし、アンチ・ロマンなんていうなかなか読み進めない小説もあったりするけれど、とにかく筋書きのある物語なんていうのは、面白そうなやつを選んで買ってきてるんだから、たいていの場合読み始めると止まらないからやっかいだ。
その止まらなさ加減の濃淡が、小説書きのひとつのモノサシであったりもする。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
□ 離婚 色川武大 文藝春秋 19781130 初版 0093-305140-7384 ¥750 (たぶん絶版)
さて問題はキャラクター設定である。
まあ文体といいかえてもいいんだけれど、この "WEBLOG" というメディア、日記風とはいうものの、それは DIARYではなくLOGなわけだから、まず公開を前提としたものと考えるべきだろうし、まして会社やショップの名前で発信されるメッセージであれば、いかにそれが個人的独白に満ちたものであろうと、純然たるプライベート・マターということはあり得ず、世の中のほかのことと同じように虚実の皮膜に包まれていると認識すべきで、だとすればやはりそれを書く人のキャラクターというものは、「ある」ものではなく、「つくられる」と考えたほうがいいんだろう。
こう書いてしまうとなんかいかにも理屈っぽい感じだけれど、要はぼくがどういうスタンスでこの "LOG" に向かうかという「フォーム」の問題で、どんなことであれまずは同じフォームで続けていかないと、何も見えてこないんじゃないかと思っている。
オッサンなのかオヤジなのかニイサンなのかはたまたオネエなのか、
私なのか俺なのかぼくなのか僕なのかボクなのかワシなのかワイなのか I なのか、
ですなのかであるなのかますなのかだなのかなんだなのかでおますなのか、
またひとつの事象やモノを、アッチカラみるのかコッチカラみるのか横目で見るのか見てみないフリをするのか、
でもどんなメッセージでもそうだけど、たぶんいちばん大事なのは、誰に向かって発信するかっていうことで、いっそそのキャラクターを設定してしまえば、ナチュラルにおさまっていくかもしれない。
もうすでに書き始めて、しかもそれをこうやってアップロードしてしまっているわけだから、フォームも何もないもんだけれど、いちおうβ版ということで。
