2008年2月アーカイブ

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建築家と設計士の違いは、その作品に批評性があるかどうかということじゃないかと思う。

批評性とはつまり、 something new に対するクリエイティブな欲求であり、 いままでのあり方を
変えようとする明確な意志であり、さらにもっと抽象的に表現するなら、人間のつくるもの、そして
人間のつくれないものへの「愛」のことだ。


フランク・ゲイリーの、刺激的な 新刊本(新古)を買った。


□ gehry talks :  architecture + process     鹿島出版会  20080125 初版


ビルバオ・グッゲンハイム美術館(映画 「007 The World Is Not Enough」のオープニングにつか
われたのが印象的だった)であまりにも有名になってしまった建築界の「鬼才」のこれまでの軌跡
をたどる作品集といってもいい本だけれど、それぞれの作品に付記された建築家自らの独白が、
とても興味深い。

知名度からすると断片的な情報しかなかった人だけに、この建築家のこれまでの代表的な仕事
が網羅され、しかも自らのコメントが入ったこの本は、決定版といってもいい一冊だろう。


彼の「脱構築(deconstruction)」といわれる自由なフォルムへのこだわりは、年を経るごとに深化
をみせ、ポップともアバンギャルドともつかない近年の作品のその様相は、「建築のかたちをした彫刻」
と呼ぶにふさわしい爆発ぶりだ。

あきらかにコルビュジェ的なモダニズムから一線を画した建築。

stay foolish な魂だけに視えるタカラモノ。


「私も、もともとはシンメトリーとグリッドに熱中していた人間なんです。グリッドの上で設計していま
したが、それを疑うようになって、結局はデザインを縛りつける鎖であることに気づきました。
フランク・ロイド・ライトも30°-60°のグリッドに縛られていたのであり、彼には自由がなかったのです。
グリッドは強迫観念、足かせにすぎません。そして、空間や形態をつくる力があれば、そんなものは
必要ないのです。アーティストはそれを実践しています。彼らはグリッドを使わず、ただつくるのです」


昨年公開されたシドニー・ポラックの「 Sketch Of Frank Gehry 」という映画で、クシャクシャの紙で
できた奇妙なカタチの建築模型を前にして、

that is so stupid looking and it's great !

と叫んでいた彼の姿が眼に浮かぶ。


なんといっても、ロサンゼルスに住んでいることが大きいんじゃないかと思う。
あのあっけらかんとしたカリフォルニアの青い空の下で暮らしていると、頭の中がヌけてくるんだ。

イギリスからきたホックニーが南カリフォルニアに点在するスイミング・プールをポップに描いた
ように、18才でトロントからL.A.に移住した彼は、パリを放浪したあと、自らの住む家を「脱構築」
的にリノベーションした。

いまはもう改築されてしまったようだけれど、彼の原点とされているサンタモニカのこの自邸は凄い、
ほとんどヤケクソのようである。


神戸の港にはゲーリーの造った魚が踊っている。

錆びを止めるためにピンクに塗ってゲーリーにひどく叱られたというこの「 fish dance 」や、雨漏
りで訴えられたという MIT の stata center  も素敵だけれど、個人的には「フレッド&ジンジャー」
とか「the dancing house 」とかいわれているプラハのナショナル・ネーデルランデン・ビルのお茶目
な佇まいが大好きです。

ユーモアこそがもっとも知的なセンスだから。


*

ひさしぶりにいくつかのいい本が見つかった、僥倖なり。 

□ 空間へ    磯崎新    美術出版社   19730410 4刷

都市破壊業KK
あなたはこの奇妙なビジネスを笑ってはいけない。この会社は大真面目で存在している。この東京
のどまんなかに、そう空中にただよいながら、この都市にいきるあなたのせいかつの裂け目にしのび
こもうとしているのだ。


□ センチメンタルな旅  冬の旅    荒木経惟    新潮社   19910410 3刷

前略
もう我慢できません。私が慢性ゲリバラ中耳炎だからではありません。たまたまファッション写真が
氾濫しているのにすぎないのですが、こうでてくる顔、でてくる裸、でてくる私生活、でてくる風景が
嘘っぱちじゃ我慢できません。これはそこいらの嘘写真とはちがいます。この「センチメンタルな旅」
は私の愛であり写真家決心なのです。自分の新婚旅行を撮影したから真実写真だぞ!といってる
のではありません。写真家としての出発を愛にし、たまたま私小説からはじまったにすぎないのです。


□ コミマサ・シネノート    田中小実昌    晶文社   19781110 2刷

木曜日、いなり寿司(五コ六十三円)を買って蒲田駅西口のパレス座に行く。どんな計算で六十三円
になり、いったい、一コいくらなのか、だいぶ考えたがわからない。
キップ売り場には、大人割り引き百五十円と書いてあった。「いま割り引き時間?」と、テケツの女のコ
にきいたら「いいえ」という返事。とにかく百円玉を二つ出すと十円玉が五つかえってきた。こいつも、
よくわからない。


□ 古道具  中野商店    川上弘美    新潮社   20050425 2刷

だからさあ、というのが中野さんの口癖である。
「だからさあ、そこの醤油さし取ってくれる」と、ついさきほども突然言われて、驚いた。

 

書きだしに、そのひとのすべてが表われているような。


 

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そういえばコミューンっていうのがあったよな、とふと思った。

寺山修司と天井桟敷のことを調べていて、その創立時のメンバーに横尾忠則や萩原朔美の名前が
記されているのを見つけたときだった。

アングラといわれた小劇団が全国を巡っていた時代があったと、この前のエントリーに書いたけれど、
単純な演劇集団なら横尾忠則が参加することなんて考えられないし、劇団として旅公演(海外も含
めて)をすることを日常にしていたっていうことは、みんなで生活を共にするっていうことだから、その
ころ(1960年代後半)の流行だった「コミューン」というヒッピー的なライフスタイルへの憧れのような
ものがその根底にあったんじゃないかと思ったからだ。

そう思ったとたんに、映画「easy rider」で、ピーター・フォンダ(キャプテン・アメリカ)とデニス・ホッパー
(ビリー)が、ニュー・オーリンズに行く旅の途中で立ち寄った山の中のコミューンのこと、コンサート
スライ&ファミリーストーンの歌詞から 「We got to live together」 というメッセージを引用したジャ
クソン・ブラウンのこと、細野晴臣がインタビューで、最初のソロアルバム「hosono house」を録音した
狭山の米軍ハウスがあった通称アメリカ村には、その頃(1973)ミュージシャンやアーティストが集ま
っていて、コミューンのような幻想があったといってたこと、三重の山の中で自給自足をし、鶏卵を売
り歩いていたヤマギシ会とヤマギシズムのこと、スティーブ・ジョブスがスタンフォード大学の卒業式
(2005)に招かれた時のスピーチ(原文訳文)で引用した「The Whole Earth Catalog(グーグルの
ペーパーバック版とでも言うべきもの、と彼はそこでいっている)」のこと、そしてたぶん今でもオレゴン
や北カリフォルニアの山の中で緩やかに「back to nature」な生活をしているオールド・ヒッピーたち
のことなんかが、溢れ出るように頭を駆け巡った。


いわゆるヒッピー的な「コミューン(自給自足の共同体)」なんていかにもアメリカらしい脳天気な概念
で、とっくに死語になってしまったコトバだけれど、今もてはやされているサスティナビリティ(持続可
能性)やオーガニック(有機農業)やエコロジー(生態学)なんていう環境にまつわるさまざまなことが、
この無邪気な理想主義からはじまったことは間違いないし、昨今いわれる「共生」や「スローライフ」
や「エコ」なんていうコトバが、最初からコマーシャリズムやマーケティングに塗れてしまっていること
を考えると、無邪気なほうがまだしも救われるんじゃないかという気がしてくる。

少なくとも彼らは、コマーシャリズムに対してはっきりと No ! と宣言し、システム(メイン・フレーム)に
依存しない自立した生き方というものを本気で考えたんだから。

ジョブスが、件のスピーチで引用したWhole Earth Calalog のメッセージはとても素敵なものだった。

Stay hungry. Stay foolish.

このスピーチをあらためて読んでみると、apple が造り出したパーソナル・コンピュータという概念
そのものが、「コミューン(=カウンターカルチャー)」への道しるべであろうとした Whole Earth Catalog
の「access to tools」というコンセプトの今日的表現であることがよくわかるし、サンフランシスコの
南の小さな町のとあるガレージで、LSDやマリファナをキメて、「Far out ! , men 」なんていいながら、
Jefferson Airplane や Grateful Dead のアルバムを聴いているスティーブとウォズの foolish な姿が
目に浮かんでくるようだ。

うまく日本語にすることはできないけれど、いつまでも foolish であること、それが hip なんだよと、
いっているような気がするんだ。


そしてこの国で、コミューンの思想の行き着いたところが、オウム(宗教)とロハス(コマーシャリズム)
だけだったかもしれないと考えると、ちょっと悲しい。


*

 

買う本の数より売れる本の数が多いのは、喜ぶべきことなのかそれとも憂うべきことなのか。

 
□ JONVELLE ZWEI     Jean-Francois Jonvelle    SWAN    1989

フランスのファッション写真家のモノクロ写真集(独版)、オリジナルタイトルは「JONVELLE BIS」。

ヌードを中心とした女性の写真ばかりなんだけれど、カメラアイも女性にコンプレックスや支配欲を
感じない優しいものだし、モデルの視線がどれもすごくナチュラル。
エロかわいいって、決してあんなのじゃなく、こんなのをいうんだろうなあと思います。

まずなによりも、女の人が大好きじゃないとこういう写真はとれません。


□ 自分を語るアメリカ   片岡義男エッセイコレクション  太田出版  19950904 初版

「自分たちのさまざまなことについていろんなふうに語ることを、アメリカの人たちほどに好いている
人々を、僕はほかに知らない。」

片岡義男がピックアップした本の中のアメリカ。

この人独特の乾いた文体は、麻薬的なところがあって、文章への引き込まれ方がとても気持ちいい。

アメリカの本や雑誌やカタログについて語ったこのエッセイは、彼の独断場といってもいいステージで、
他の誰にもまねのできないリアリティにみちた語り口は、このエッセイが載せられていた当時の「ポパ
イ」でもっとも楽しみな記事のひとつでした。


□ 雪が降る    藤原伊織    講談社   19980722 2刷

昨年亡くなったイオリンの江戸川乱歩賞・直木賞のダブル受賞後の短編集。

たしか読んだことがあるはずだし、だとしたら本ももっているはずだけど、ストーリーがまったく思い出せ
なかったのでまた買ってしまった。

「ドロップアウトした男」を描かせたら、この人の右に出るものはない。

無頼派とよばれる人たちが、実は大ロマンチストであるというのは、もはや定説といってもいいくらいの
真実で、この人ももちろん例外ではなく、ハードボイルドなテイストに溢れる長編よりも、佳作が集まる
短篇集にそのことが顕著に現れているように思います。

なかでも表題作「雪が降る」は、この作者の切ない短篇NO.1じゃないかというもっぱらの噂。

                      
□ 闇を打つ鍬      河野信子    深夜業書社   19700701 初版

□ 厭芸術浮世草紙     富岡多恵子    中央公論社   19700530 初版

ジャケ買い。

どちらも1970年の赤瀬川原平装幀の本なのだ。

年譜を見ると、「贋千円札事件」が最高裁判決により有罪確定・美学校・美術演習講師となる・朝日ジャー
ナルに「野次馬画報」を連載開始、著書でいうと「オブジェを持った無産者」のころで、その後の芥川賞
やトマソンの前の、もっとも激動の時代の作品。本棚で背表紙を向けていてもすぐにわかる独特のタッチ
は、原平さんが前衛アーティストの気配を残していたこの時代ならではのものです。

「闇を打つ鍬」のほうは、著者も出版社もまったくの初見で、ひょっとしたらお宝かもしれません。



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名刺のデザインをお願いしていたYさんが、その友人たちを連れて本買ツアーにやってきてくれた。

このプロジェクトを始めるときに、できればネットでの売り買いだけじゃなく、本を通しての「出会い」の
ようなものがないと面白くないんじゃないかと考えて、ブックショップという看板を揚げたわけだけれど、
オープンしてから70余日、まったく会ったことのない人たちを、それも本買のお客様として迎えるのは、
初めてのことだ。

そう簡単にショップとしては訪れていただけないだろうなあというのは、けっしてカスタマー・フレンドリー
とはいえないwebsiteの体裁や by appointment なんていうスタイルから考えても、当然といえば当然
のことで、あらかじめ予想はしていたことなんだけれど、それでもやはりちょっとした期待感はもっていて、
来ていただいたときの「おもてなし」のことなどを少し考えたりもしていた。


ご一行はYさんを含めて4人、グラフィック・デザイナーと若手の雑誌編集者という構成。

「美味礼賛」のサヴァランじゃないけれど、その人がどんな本が好きかってことがわかれば、なんとなく
感じとれるニュアンスがあるので、それぞれの人がどんな本に興味を持って、何を買っていくのか興味
津々だったけれど、自分の本棚から誰かが本を選んで、そしてそれを買っていくのを眺めるというのは、
想像以上にスリリングな体験だった。


たとえば、気鋭の女性エディターSさんのセレクション。

□ 沖縄の人文   柳宗悦   春秋社  19720520 新装版1刷

□ 民窯の旅   水尾比呂志   芸艸堂  19720720 1刷

□ 美と宗教の発見    梅原猛   筑摩書房   19670510 2刷

□ 消費のなかの芸    吉本隆明   ロッキング・オン   19960710 初版

そして極めつけが、

□ 日本文化私觀   坂口安吾   文體社   19431205 1刷 1圓90銭

なだらかな統一感、ひねりのきいたスパイス(吉本隆明)、一皿の料理といった趣のある彼女の
セレクションは、marvelous としかいいようがありません。  


お気に入りの本が本棚から消えていくのはちょっと淋しいけれど、ああいうホワッとした雰囲気の中で、
顔の見える人たちの手に渡っていくのであれば、それはその本が right place を見つけたっていうこと
なんだろうし、まあ本棚が変わっただけだと考えれば、それはそれで悪くない。


BOOKS+コトバノイエが、この日過去最高の売り上げを記録したのは言うまでもありません。


*


本買は、一時の不作を少し脱した感じ。

思わぬ売上に調子づいてやや買い過ぎたきらいもなくはないけれど、けっこう面白そうな本も見つかっ
ていて、買えるときに買っておくというのが本買の鉄則だから、この気配が続いてくれることを祈りつつ。


□ 信長   坂口安吾   筑摩書房   19550315 初版

当店の本尊ともいえる無頼派安吾の没年発行、それも初版本なんて買わずにおれるか。
司馬史観とはまったくちがう視点ですが、信長に関してはこの一冊で充分でしょう。

信長と安吾は、「合理性」という価値観で通底しています。


□ 伊丹十三の本   「考える人」編集部編   新潮社   2005042 初版

中村好文設計の「伊丹十三記念館」がきっかけになったのかもしれないが、なんとなく再評価の気配。

晩年の映画監督としての仕事もこの人らしいウィットに溢れたものだったけれど、なんといってもエッセイ
の面白さが群を抜いていてる。
「アルデンテ」を日常のコトバにしたのはこの人なんじゃないだろうか。

ディレッタントという言葉がいちばん似合う人だったんじゃないかと思います。


□ 私への帰還ー横尾忠則美術館   横尾忠則   1997   

1997年に神戸と鎌倉を巡回した回顧展「TADANORI YOKOO PAINTING 1966-1997」の図録。

厚紙とモノクロ写真を使った装丁が美しい。

画家としてももちろんだけれど、イラストレーションの作品を見ていると、時代をリードした感性の存在を
はっきりと、そしてリアルに感じます。

デザインもアートも魂(=愛)がすべてなんだと思い知らされる。原寸で見てみたい。

□ 豹(ジャガー)の眼   唐十郎   毎日新聞社   19801025 初版

唐十郎と紅テントは70年代のカルトのひとつだ。

今では考えられないけれど、唐十郎/李麗仙の「状況劇場」、寺山修司の「天井桟敷」、佐藤信の「黒
テント」、アングラと呼ばれたアバンギャルドな小劇団が旅公演で全国を巡っていた時代があったんだ。

この人が横浜国大の教授をしていたというのは驚き、そして紫綬褒章を辞退したのはさすが。


□ 稲垣足穂全集 4 少年愛の美学   稲垣足穂   20010115 初版

この前書いた「ちょっと変わったサブカルじいさん」のひとり。

書いていることはイマイチよくわからないけれど、ただならぬ気配だけはひしひしと感じるのだ。

この「少年愛の美学」は第1回日本文学大賞の受賞作だそうです。


□ 忘れられた日本 沖縄文化論   岡本太郎   中央公論社   19610225 再版

なんといってもこの人の撮った沖縄の写真が圧倒的に素晴らしい。

「沖縄・日本をひっくるめて、この文化は東洋文化ではないということだ。地理的にはアジアだが、アジア
大陸の運命はしょっていない。むしろ太平洋の島興文化と考えるべきである。」という視点は、今日の
状況においても何かを示唆している気がします。

 

 

 

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