2008年3月アーカイブ
「正しいこと」ってなんとなくウサンクサイ ( smell fishy )、より正確に言うなら「正しいこと
について語ること」が、かな。
サリンジャーの「ライ麦畑」で、ホールデン・コールフィールドが連発する「インチキ(phony)」
という感覚に近いかもしれない。
風呂では文庫本を読む。
もちろん濡れてもいいように、というのがいちばんの理由だけれど、ペーパーバックならではの
カジュアルな雰囲気が、風呂場での20分に良く似合っているような気がしている。
文庫本はほとんどの場合100円もしくは50円の均一棚でというのが基本だから、その選び方は
単行本を買う場合とは自ずと違ってくる。
単行本を買う場合は、その本を自分の本棚に並べるだけの価値があるかとか、その本にそれだけ
(表記されている価格)の値打ちがあるかとか、けっこう真面目に考えて、ときにはすごく迷って
買ったりするんだけれど、文庫本の場合は躊躇がない。
とにかくその時その場の気分で、何かを感じたら、迷いなくただ買うだけだ。
そしてそれは読む本を選ぶときも同じで、風呂で読む本を選ぶときは無造作に積んである未読の
棚から、その場その時の気分で、適当にピックアップしている。
そんな中にこの本があった、たぶん3ヶ月くらい前に買ったものだ。
□ お金じゃ買えない 藤原和博 ちくま文庫 20010904 初版
「『よのなか』の歩き方」なんていうそれこそ smell fishy な副題のついた本を普段なら買うわけは
ないし、単行本ならたとえ100円の均一棚にあったとしても手がのびているはずがない本だけれど、
データベースを見ると同じ著者の「給料だけじゃわからない」なんていう本もその時合わせて買って
いるから、文庫本ならではの「軽さ」のようなものが、そのときそうさせたとしか思えない。
書かれていることはそれほど悪くない、それはたとえばこんな風だ。
「物欲はもはや消えたなどと、枯れたようなセリフを言うつもりはない。自由な時間に対する欲を
満たすために、どうでもいいものについて、1つずつ止めてみただけだ。それが限りある資源の中で
見えない資産(invisible assets)を豊かに持つ "マインド・リッチ" を目指す近道だと考えているから。」
あるいはこんな感じ。
「現代日本人のライフデザイン観の中心的な価値を問われたら、いったいどうこたえればいいの
だろうか。ホンネのところでは結局 "うまく生きること" あらゆる変化にうまく対応してオイシイ思い
をすることだといえるのではないか。日本の近代史が示してきた典型的な日本人の人生観は、
そのように悲しいくらい合理的な商売感覚の強いものだったように思う。」
外国で生活をした経験のある人らしい合理的視点からなかなか鋭いところを衝いていて、同世代と
いう個人的な興味もあって最初は面白く読んでいたんだけれど、ずっと同じような口調で「正しい
(と彼が思う)こと」を、滔々と語られてしまうと、だんだん辟易としてきてしまって、とうとう最後まで
読みきれなかった。
なんとなく、最近の「自分大好き」な歌詞だらけの日本のポップソングを聴かされているような気分。
そしてふと、この前のエントリーで記した村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」を
読んだときにも同じような気分を味わったことに気がついた。
そういえば斉藤茂太先生の「豆腐の如く」っていうのもよく似た感触だったし。
すごく口当たりはよくて、オイシイもののような感じはあるんだけれど、何かほんとうにリアルな
ものを見聞きしたときに胃のあたりに残るザラリとした感覚がないんだ。
「不良感」とでもいうような気配。
その前に同じように風呂で読んだ田中小実昌さんのエッセイ集にも、同じように「よのなか(この
ひらがな表記も相当クサイよね)」のあれやこれやがたくさん語られていたけれど、この人自身は
「正しいこと」なんてちっとも言ってなくて、でもそのちょっとわかりにくいあれやこれやの中から、
それを読んでいるぼくたちが「正しいと思うこと」を勝手に心に落としていくという感じがあって、
何かしら伝わるもののニュアンスの違いを感じる。
そしてそのニュアンスの違いこそが、実は本として、あるいは芸術としての価値の決定的な要素
じゃないかという気が、だんだんしてきた。
「芸術は、美しくあってはならない」というのは岡本太郎の有名なコトバだけれど、いわゆる「美しさ」
や「正しさ」というのはやはりもともと少しウサンクサイもので、だからこそそれを語ることや描くこと
には(プロとして)細心の注意を払わなければならないし、そもそもリアリティのある真実っていうやつは、
「正しさ」も「美しさ」も関係なく、小実昌さんのエッセイのように、ただただ「 as it is (それがそのように
在る)」なものなんじゃないだろうか。
現在の風呂本は奥田英朗の「東京物語」、小説は面白すぎるのが問題だ。
*
少ないながらもけっこう充実したセレクション(だと思っている)、ただの自己満足かな。
□ 横浜的 平岡正明 青土社 19931214 初版
いつも通ってるT書店で、偶然にもこの前のエントリーで取りあげたこの人の本の大量放出があった
らしく、いろんなジャンルにズラリとならんだこの人の本のなかから、かなり熟考してこれを選んだ。
「横浜的」というタイトルが秀逸。
美空ひばりとジャズを軸に据えて、ホームグラウンド横浜そして野毛を縦横無尽に駆け巡る。
□ 写真ノ話 荒木経惟 白水社 20060130 2刷
荒木経惟の写真は、優れて知的なものだと思う。
この本は比較的新しいもので、書いたというよりは語ったと呼ぶのがふさわしいような口述筆記仕様。
自らの写真についてあまり語ることは多くない人だから、この本の江戸弁の口語体での作品解説なん
かを読んでいると、これはこれでけっこう貴重なものじゃないかという気がしてきた。
□ 数と建築 溝口明則 鹿島出版会 20071230 初版
ずっと迷っていた本で、売れてしまったら諦めようと思っていたけれど、ずっと同じ本棚の同じ場所に
あるその佇まいに耐えきれなくなって、ついに買ってしまった。
やはり一度気になると、手に入れるまでその気持ちは収まらない。
新聞書評にも取りあげられていた本で、黄金律はもちろん、建築にまつわる古代からの「比(=幾何学)」
のストーリーが書かれている。
やはりなんといっても様々なピラミッドの比率的解析が焦点でしょう。
□ 100米の観光 田名網敬一+稲田雅子 筑摩書房 19960920 初版
北白川にある京都造形芸術大学の情報デザインコースの講義録。
「見立て」という知的ゲームの概念を、「観光」というコトバでくくって、いろいろな方向からアプローチ
しているのはとても面白そうな趣向だけど、ガキンチョたちにホントにちゃんと伝わっていたんだろうか。
この人のアートワークそのものは、横尾(同い年だけれど)亜流のような気がしてなりません。
□ 穴が開いちゃったりして 隅田川乱一 石風社 20030131 初版
1998年に45歳で亡くなった、サブカル系ライターの遺文集。
自分は美沢さん(=著者の本名)の文章が好きだった、という町田康の序文が泣かせる。
カンで買った本だけれど、出版社も含めて、全体にアングラな感じが濃厚に漂っていて、稀少書になって
いく気配をヒシヒシと感じてしまうのだ。
偉そうに語れるほど聴きこんでいるわけじゃないけれど、マイルスが好きだ。
□ ウイ・ウォント・マイルス 平岡正明 河出書房新社 20021230 初版
平岡正明は一刀両断の人だ。
その方法論は、直感的な、そして一見場違いと思えるようなテーゼをまず炸裂させ(たとえば
それは「山口百恵は菩薩である」といった調子だ)、それを読むものの気持ちを揺さぶりながら、
その強引な断定へと至る放物線の軌跡を描写するといったスタイルで、それは評論というものの
本質である「事実性ではなく真実性を提示することで精神を活性化させること」へのジャズ的な
アプローチのように思える。
そして力まかせに(あるいは緻密に計算され)投げだされたそのテーゼは、それが異境的であれ
ばあるほど、ぼくたちの妄想を誘引する地雷となるわけで、平岡正明はそれを得意とするアジテー
ター(扇動者)といってもいい。
「俺は断言しはじめているが、マイルスが考えたことならだいたいわかるつもりなので、このまま
押す。 ジャズマンにおける北アフリカ感覚は、マイルスにあっては『スケッチス・オブ・スペイン』
の『ソレア』がフラメンコの底をモロッコに抜いたかのように感じさせ 、コルトレーン『オーレ!』
の『アイシャ』という曲が、スペイン回教国最後の教主ボアブディルの母の名であり、そのラスト・
エンペラーの母が、敗れてアフリカに帰る息子の船を城壁に立って見送る嘆きのジャズである。
そんなことがなんでジャズと関係するのかって? グラナダ回教国陥落が1492年1月、コロンブス
のアメリカ到着が同年10月である。1960年代初めに、すでにアメリカ黒人のジャズメンは『スパニ
ッシュ』という語の中に、ヨーロッパの勝利とその後のアフリカ黒人の命運を見ていた。複合リズム
とは複眼の世界観のことである。」
文章そのものがほとんどジャズだよ。
そして「ジャズより他に神はなし」と嘯いたその平岡正明が、「帝王」マイルス・デヴィスを書いた。
(平岡正明は、この本から「デイビス」という表記に改めたとあとがきに記している。それまでは
「デヴィス」と表記していたわけだけれど、昔からのジャズ通は、あたまのデ」ではなく、「ヴィ」
にアクセントをつけて「デヴィス」と呼んでいた。正しくは「デイビス」かもしれないけれど、
「デヴィス」のほうがなんとなく気分だ。)
表題の「 We Want Miles 」は、マイルスのアルバム(1981)のタイトルでもある。
ブラックでファンキーな「On The Corner」やクールでスタイリッシュな「Kind of Blue」も素敵だ
けれど、このアルバムのマイルスは最高だ。
「自堕落に過ごした」と自らがいう5年間の沈黙を破って、マーカス・ミラーを含む新しいバンドで
展開された1981年のツアーから Tokyo, New York, Boston でのライブ・レコーディングを、テオ・
マセロがプロデュースしたこのアルバムは、マイルス的カリプソ「JEAN PIERRE 」で密やかにス
タートし、マーカスのベースリードではじまる2曲目「BACK SEAT BETTY」では、3分04秒のとこ
ろでのマイルスの鋭いハイトーンのブロウにいつも、必ず、鳥肌が立つ。
このファンファーレからはじまる5分きっかりのマイルスのソロとそのバンドが造りだすグルーブは、
ジャズという音楽でしか表現できない緊張感とスリルに満ち溢れている。
バックのミュージシャンたちが、マイルスのアドリブが泡立つにつれてどんどんハイになっていき、
マイルスが導くグルーブの虜となっていく様子が手に取るようにわかるし、おそらく客席のオーディ
エンスもその波に巻き込まれ、ある種のカタルシスを感じているはずだ。
そして、マイルスはまるで司教のように、その祝祭のすべてをコントロールしている。
アルバムは、ビル・エバンスのジャジィーなソプラノサックスとマイク・スターンのほとんどロック
といってもいいようなへヴィなギター(なにしろストラトですから)をフィーチャーしたガーシュウ
ィンの歌劇「ポーギーとベス」からのバラード 「MY MAN'S GONE NOW」 を経て、この当時とし
ては最新のリズムだったレゲエビートのテーマをベースに、 4ビートのブルース - ダブルビートの
バップへと、フリーなリズム展開を見せる「KIX」でフィナーレ。
「In a Silent Way(1969)」にはじまるエレクトリック・マイルスといわれる晩年期 のマイルスの
音楽は、ブラックミュージック全体を包括しているようなスケールの大きいビート感を持っていて、
村上春樹的なニュアンスでいうと jazz ではないかもしれないけれど、「groove」という感覚が
コアだと考えると、あきらかにそれは jazz としかいいようがないものだ。
そしてなによりも、平岡正明がいうように「マイルスがやるのだから、それは jazz 」なんだ。
*
奈良公園の近くで、週末にしか開けていないという古本屋に入り、何冊か買った。
ちょっとした旅先で知らない古本屋に立ち寄るのはとても愉しい。
□ 行動主義 レム・コールハース ドキュメント 瀧口典子 TOTO出版 20040315初版1刷
コールハースは脚本家としてのキャリアのあとに建築を学んだという異色の経歴をもったオランダ
人の建築家だけれど、どちらかというと理論家あるいは思想家としての印象のほうが強い人だ。
独自の論理の構築というのは、ていねいにチョイスしたコトバをひとつひとつ重ねていくことだし、
リアリティのあるコトバは、確信的なモチベーションをもった行動からしかでてこないということが、
この本を眺めているとよくわかる。
なんといっても顔の迫力が尋常じゃない、OMAのプロジェクト・ブックレットってやつを見てみたい。
□ 走ることについて語るときに僕の語ること 村上春樹 文藝春秋 20071015初版
あれば買ってしまうのが口惜しいけれど、だんだんこの人が好きじゃなくなってきた。
「アンダー・グラウンド」以降のハルキは、あきらかにポテンシャルが落ちているような気がする。
この本も、イントロをジョークで始めるところに「テレ」のようなものが入っているのはわかるけれど、
真の紳士の条件に「健康法を語らない」ということをあげておいて、「僕は紳士ではないので」と捻り、
さらに「どんな髭剃りにも哲学がある」とモームを惹くのは、正直というよりずるいよっていう感じだし、
本文最初の章で、タイトルにミック・ジャガーというキャッチーな固有名詞をつかい、「45歳になって
『サティスファクション』をまだ歌っているくらいなら死んだほうがましだ。」というミックのコトバを引き
合いにして、柔らかい語り口でこんな風になることを「想像もできなかった」というところに強引に
持っていってしまうのも、タチが悪いとしか言いようがない。
いくら長く続けているといったって健康や自分がやってるジョギングのことを、したり顔で語るのは
やっぱり HIP じゃないよ。
小説を書きなさい、作家なんだから。
本文中に一ヶ所だけ書き込みを見つけてショック。
なんで「過客(ルビはゲスト)」なんていう陳腐なコトバに黒々とボールペンで丸をつけるかなあ。
□ 独白するユニバーサル横メルカトル 平山夢明 光文社 20061210 4刷
奇をてらったような衒学的なタイトルがちょっと「青くさい」気がしたので迷ったんだけれど、「この
ミス」一位/日本推理作家協会賞受賞という帯で買ってしまった。
でも怖すぎてまだ読めない。
怪談実話のスーパースターということだけれど、奇妙な個性である。
それにしてもミステリーというジャンルが、スプラッターやスカトロまで拡がってしまうと収拾が
つかなくなるんじゃないだろうか。
□ I,etcetera SusanSontag VINTAGE BOOKS 1979
□ THE DOORS OF PERCEPTION Aldous Huxley PENGUIN BOOKS 1967
60年代の硬派知識人の代表格であるソンタグと、50年代のビートニク世代のアシッド/メスカリン
作家ハクスレーのペーパーバック、どちらもヒッピーのある種の教祖的存在だから、原書が均一
棚にあると読めないくせに買ってしまう。
WIKI によると、ソンタグはその著書「隠喩としての病い」でも明らかなように、30年間進行性乳癌
と稀な形の子宮癌を患っていて、2004年にその化学療法と放射線療法のために生じたものと思
われる骨髄異形成症候群で亡くなり、ハクスレーは、その死の床で、話すことが出来なかったため
妻ローラに対して「LSD, 100 μg, i.m」(LSDを100マイクログラム筋肉注射して欲しい。)と書いて
渡し、1963年11月22日ケネディ大統領暗殺の日の朝、そのトリップの中で旅立ったそうだ。
どちらもその生き方にふさわしい死に様といわざるを得ない。
□ 坂口安吾選集 第一巻 文明評論集 坂口安吾 銀座出版 19471220初版
奈良で出合った本のうちの一冊。
戦後2年目という時期にすでに選集がでていた安吾のすさまじい人気ぶりにあらためて感服。
時期が時期だけに紙や造本は粗末なものだけれど、書かれていることはこのドサクサでヤケクソ
な(たぶん)時代の熱気に溢れている。
リアルタイムだったらさぞやエキサイティングな本だったに違いない。
