2008年4月アーカイブ

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時間っていうやつもひょっとしたら切り取られた四角形じゃないのかなんて思ったり。

□ 四角形の歴史   赤瀬川原平   毎日新聞社   20060225 初版

「こどもの哲学・大人の絵本」という、まさに言い得て妙な書き下ろしの画文集シリーズの一冊。
「不思議なお金」「自分の謎」というタイトルが既刊だが、あとがきによれば、そもそもはこの
「四角形の歴史」がシリーズの発端だったらしい。

まず赤瀬川さんありきということなんだろうけれど、テーマのたて方、本のスタイル、アートディ
レクションなど、いささか「ゆるめ」ながら、well-made な本になったのは、編集者の手腕という
べきだろう。

アマゾンのカスタマーレビューには、「ぎゅっと詰めれば30ページくらいになってしまう」とか、
「コストパフォーマンス的にもいかがなものか」なんていう安直な書評がでているけれど、しっかり
と読み込めば、この本がこのカタチでしかあり得なかったことはすぐわかるし、凝縮された(だから
こそ短いのだ)内容からすると1200円というCDシングル1枚分の価格が、きわめてリーズナブルな
ものであることは明白じゃないか。

それにしても70を越えて(この本執筆時は68歳)、シュール・リアリストの片鱗を残しながら、
ますます冴える「ゆるシブ」とでもいえそうな赤瀬川さんのこのしなやかな存在感。

どんどん力が抜けていくと同時に思考回路が研ぎ澄まされていくという、この中身の濃いスカスカ
感は、一幅の水墨画を眺めているような気にさえさせる(まるで等伯の松林図でも見ているようだ)。


赤瀬川原平は、「眼」の人である。

世の中のいろいろを、オリジナルな観察眼で俯瞰し、凝視する。
そしてその不可思議な眼差しから生まれるパフォーマンスのひとつひとつは、そこにしかない宇宙を
孕んでいる、しかも脱力系。

この本でも、よく推敲されたシンプルな文章と自筆の鉛筆画で、「風景を見ること」から「目の余白
(フレーム)」へと流れ、そして「2列目の発見」から一気に「四角形のはじまり」までたどりつき、
さらにそれを「犬が見ている無意味」 ―  たぶんそれは「悦楽」ということじゃないかと思うんだ
けれど ― というところになだらかに着地させるその鮮やかな手際は、この仙人の真骨頂だろう。

「アバンギャルドなのに、救済的」とは、赤瀬川邸の設計者で、路上観察のパートナーだった藤森
照信さんが赤瀬川さんを評したコトバだけれど、救済的であることがそれほど簡単なことではない
のは、「癒し」というコトバが、ライフスタイルのひとつのテーマとなり、マーケティングのキーワード
になっていることでもよくわかる。

さすがに前衛芸術家「赤瀬川克彦」の頃のことはよく知らないけれど、70年代の朝日ジャーナル/
ガロの「櫻画報」から、80年代の尾辻名義による純文学(『父が消えた』で第84回芥川賞を受賞) 、
そして「見立て」の超芸術トマソンの発見を経て、90年代の「老人力」でのブレイク、しかもその間
にライカ同盟で写真を発表し、前衛派勅使河原宏監督による映画「利休」の脚本まで書いてしまう。
このとらえどころのない軟体動物のような変幻自在は、文芸や美術をはるかに通り越したもので
そのありさまをあえて名づけるとしたら、「脳内リゾート(1995年に催された『赤瀬川原平の冒険』
展のサブタイトルですが)」というコトバしか思いつかない。

でもまったく分野の違うこれらの創作活動も、この人にとってはひとつのことなんだろうな、とも思う。
それはすべて「物の見方」「ものごとの捉えかた」にまつわることだからだ。
そして「物の見方」から哲学までの距離はそれほど遠くない。

貨幣が経済の本質であるように、視点は哲学の本質だ。

そして「原平」という名前こそが、その骨太(radical)な本質を象徴しているように思える。

実はこの人自身がトマソンだったりして。


*


幅允孝の「The lobby」にちょっと刺激を受けた。
本屋はやはりストックが勝負、いい本をもっと買わねば。

□ 「不思議の国、エルメスへの旅」展    エルメスジャポン   1997

本のケースを覆うエルメス・オレンジに魅かれてつい買ってしまった。

来場者に抽選で限定販売のビニールケリー(の購入権)が当たるということで話題になった、
エルメスの展覧会の図録。

この上品で微妙な中間色はフランス人にしかだせないものだと思います。

中身はたいしたことはありませんが、エルメス・フリークだけでなく、「老舗」というものの
秘密を知りたい人には格好の素材かも。

□ 考えるヒント/考えるヒント2    小林秀雄   文藝春秋新社  19640520 初版

「物を考えるとは、物を掴んだら離さぬという事だ。画家が、モデルを掴んだら得心のゆくまで
離さぬというのと同じ事だ。だから、考えれば考えるほどわからなくなるというのも、物を合理
的に究めようとする人には、極めて正常な事である。だが、これは、能率的に考えている人には
異常な事だろう。」

批評というよりは思索の軌跡、文体そのものが自立して歩きだしそうだ。

□ ヒッチコック映画術    フランソワ・トリュフォー   晶文社   19820330 6刷

読まないうちに売れてしまったので、もういちど買い直した。
ヒッチコック・フリークの間ではバイブルといわれている本、らしい。

なんといっても、トリュフォーがヒッチコックにインタビューするという企画の勝利。

「ヒッチコックの作品はすべてセクシャルなのだ。」とトリュフォーは日本語版のためのあとがき
で語っている。基本的にサスペンスに登場する女優はセクシーなものだけれど、確かに「サイコ」
や「めまい」や「裏窓」の女優たちは際立って美しいです。

□ Warhol    Klaus Honnef   TASCHEN   1993

ウォーホルの作品集としては破格に安い、それだけでも価値がある。

ウォーホルのもっとも大きな功績は、デザイン表現がそのまま芸術表現になるということを発見
したことだろう。 そしてそれは「ポップ・アート」と名付けられ、ゲージツの神聖な法則だった
「オリジナル」という概念を破壊してしまったのだった。

でもこの本に載せられた彼の様々な作品を眺めていると、もっといい本が欲しくなってしまった。

□ 東京のロビンソン・クルーソー    小林信彦   晶文社   19740630  初版

小林信彦の著書の中でもかなり稀少な本が(完本なら Amazon でも2万円は下らない)手に入った。
カバーが欠品しているのが残念だけれど。

晶文社のヴァラエティ・ブックの代表作といってもいい本だ。

「編集とデザインが一体になったこの本は、津野海太郎、平野甲賀両氏によってつくられた。私には、
まだできあがった形がわからないのだが、どんなものになるか、たのしみでもある。校正刷りをみて
いるうちに、頭が痛くなり、目がチカチカした。私もまた、われながら<シャレがキツい>と思わざるを
えないのである。」

カバーだけなんて出てこないよな、いくらなんでも。

□ 文士の逸品    矢島裕紀彦   文春ネスコ   20010904  第1刷

月刊「文藝春秋」連載「文士の逸品」の単行本化。

いまは亡き文士たち116人の愛用品が写真とエピソードで紹介されていて、モノフェチにはたまらない。

面白そうなモノはたくさんあるけれど、「坂口安吾のストップウォッチには『走り続けて、行きつく
ゴールというものがなく、どこかしらでバッタリ倒れてそれが終わり』という彼の覚悟がそのままに
ある。」という帯の文にシビレました。

南方熊楠の鞄もいいな。 
 

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「美とは、それを観たものの発見である。創作である。」と嘯いたのは青山二郎。
それを小林秀雄が「美しい花がある、花の美しさというものはない。」と受けた。

「見立て」のことである。


□ ひとりよがりのものさし   坂田和實   新潮社   200611255刷


芸術新潮の白眉ともいえる同名の連載エッセイ(1999/01~2003/05)をまとめた美しい本だ。
内容・体裁・装幀・写真・組版・印刷どれをとっても完成度が高く素晴らしい。


50の美しいモノたちの話。


東京・目白「古道具坂田」の店主坂田和實さんが収集し、彼のアンテナに反応したものだけが
選ばれ、そして語られている。

李朝の平瓦、ドゴン族の木の扉、ブリキのヒコーキ、韓国のうなぎ取り、ダンボールの家、虫籠・・・。

それは けっして junk art なんかじゃなく、まさに「見立て」の美としかいいようのないものだ。


この本に載せられた様々なモノたちを眺めていると、千利休が朝鮮の田舎の丼鉢を「井戸茶碗」に
変身させたように、赤瀬川原平がただの階段や窓の痕跡を「トマソン」と名づけ、超芸術(自己表現
が消滅したところに作品性を感じとるところが「超」たる所以ですが)作品に仕立ててしまったように、
この人の眼がまっすぐに古道具とよばれるオブジェクトに注がれ、どこにもない美しさを発見している
ことがよくわかる。


見立て、そして目利き、骨董・古美術の世界はその概念を中心に周っている。

それはひどく日本的な美のありかただと思うけれど、何らかのメタフィジカルなプログラムなしに、
たとえば階段の手すりやブリキの茶缶やパチンコ台などを美しいものとして愛でることはできない。

 「見立て」というのは、まさにそのプログラムのひとつで、目利きなるものが存在するのは、その
プログラムが決して一般化されるものではなく、きわめて個人的な感覚(ひとりよがり)の中にしか
ないことを物語っている。

もちろん知識や経験がそのベースだけれど、最後はやはり感性の勝負、自分の眼が信じきれるか
どうかということなんだろう。

そして目利きによって見立てられたものは、利休が見立てたさまざまな茶道具たちが、茶室という
空間でこそその輝きを放ったように、彼が「しつらい」を施した空間(たとえそれがイメージの中だけ
だったとしても)に置かれてはじめて普遍的な美へと昇華する。

だからモノにたいしてこれだけの「見立て」力をもった人が、それを入れる器、私設美術館の建築へ
と向かったのは、とても自然なことのように思える。

行ったことはないけれど、「 美術館 as it is 」は、ひょっとしたら茶室そのものじゃないのかとさえ思う。


この前「手元に残したい本」をセレクトしているとき、この「見立て」ということが頭をよぎっていた。

選んだ本の中に、たぶんその本(オブジェクト)でなければ、同じタイトルの本があったとしても、
リストに残していなかっただろうと思われるものが、けっこうあることに気づいていたからだ。

もちろんそれぞれの本にまつわる個人的な記憶がそうさせたのかもしれないけれど、それよりも
やはり、その本のもっている佇まいや読まれた本(古書)としての存在感のようなものを、
セレクションのもうひとつのものさしにしたいという想いが強かった。

商売から離れ、「ひとりよがりのものさし」で見立てられた「 美術館 as it is 」の古道具のように、
「kotobanoie permanent collection」 が、もうひとつの別の棚に収まったとき、なにかしら美しい
景色になっていればいいな、なんて考えていたんだ。

できればずっと、 as it is (唯そのまま)でありたいけれど。


*

見立てのこと気にしていたら、それにまつわる本が集まってきた。

新刊本なら探して買うから当たり前のことかもしれないけれど、古本の本買は出会いだから、
こんな風にそのときの自分の興味とうまくクロスオーバーすることってそれほど多くない。

やっぱり旗を揚げてしまうことが、まず大切なんだな。

 
□ 見立ての手法 日本的空間の読解   磯崎新   鹿島出版会  19900810 初版

言語的建築というコトバがあるなら、おそらく磯崎新はその第一人者だろう。

ま・かつら・にわ・ゆか・や・かげろひ、といういかにもの6部構成のなかで、「見立て」を庭園論の
文脈で語っている。

 「『見立て』が日本の芸術のみならず、更に広範な自然認識に共通した姿勢であり、自然を観照し、
それを言語化する過程にメタフォアの作用として深く入り込んでいることも指摘可能と思われた。
それをとりあえず庭園論において語ろうとしたもので、本来は更に広範囲の作業へ展開できるとも
思われるし、数々の日本の空間の特性について論じてきた私自身の視点に深くしみこんでいる。」

まあこの人のデザインとは別の話だけどね。

□ 見立て狂い   草森紳一   フィルム・アート社   19821201 初版

まずタイトルが秀逸。

レコードもそうだけど、タイトルのセンスや体裁の良いものは、中身も濃いことが多いのは経験則。 

「見立ては、対立の関係であり、ないしは前提を条件とするが、独立したときは、前提や対立の
関係の喜びをはるかに超えた輝きをもち、見立てのノイローゼの空間を脱出している。もっとも、
めったにそうなることはない。」

 面白そうなコラムがたくさんあって、あちこちに慧眼が光っています。

調べてみるまで知らなかったんだけれど、この3月29日に亡くなられたそうだ、享年70、合掌。


□ 井戸茶碗の謎   申翰均   バジリコ   20080330 初版

新古本、これも見立てがらみである。

利休が見立てた大名物「井戸茶碗」は、果たしてほんとうに朝鮮の雑器だったのか?

 「朝鮮の雑器から美を発見し天下の名物に昇華させたのは、日本の茶人の審美眼(見立て)だ」
という定説(by 柳宗悦)に対し、この韓国の陶工は、「無為のように見えて無為ではなく、人為を
通じて無為的美しさ、すなわち自然美を素直に表現した創造的匠の精神の結果である。」と、
目利きたちの見立て論を真っ向から否定している。

日本のやきもののプロたちが、ただただ大名物と崇め、あまり触れてこなかった「井戸茶碗の正体」
に真正面から取り組んだことだけでもそうとう意義があることなんじゃないかと思う。

 歴史/文化ミステリーといってもいい快作。

□ イラスト・ルポの時代   小林泰彦   文藝春秋   20040915 初版

ひとつの60年代考現学。

 60年代後半のサンフランシスコやロンドン、パリ、そしてニューヨークで、ヒッピーと呼ばれた当時の
若者たちはどんなシャツやジャケットを着て、どんな靴で街を歩いていたのか、コンサート会場では、
マリファナはいったい何ドルで、観客にどのように売られていたのか、ややこしい文章じゃなく、
イラスト・ルポという軽妙なスタイルだからこそ伝わるリアリティが、この本の中に横溢している。

まさに、メディアはメーセージである。

取材するほうもされるほうも、なんか不思議な高揚感に満ちていたことが紙面から伝わってくる。

この泰彦さん(小林信彦さんの弟)を発見したのは、POPEYE・TARZAN・GULLIVER・BRUTUS の
名編集長石川次郎さんです。


□ ディランが街にやってきた ローリングサンダー航海日誌  サム・シェパード サンリオ 1978

昨年11月のディランのエントリーで欲しいと呟いていた希少書を、新刊古書をテーマ別に取り混ぜて
並べる "The robby" という新しいブックショップで入手できた。

これで原書と翻訳がそろったことになる。
こんな本をそんなそろえかたしているモノ好きなんて、まああまりいないだろうと思うと、なんだか少し
ウレシくて、おもわず微笑んでしまった。

けっこう高かったけれど、ただのコレクターアイテムかも。


□ THE REAL FRANK ZAPPA BOOK   FRANK ZAPPA   POSEIDON PRESS  1989

ロック界最大の怪人、FRANK ZAPPA氏の自伝、マニア必携の1冊であることは間違いありません。

ZAPPA のステージは確か2回見ているはずだ。

大阪での最初にして最後となった1976年の来日コンサートと、たぶん1978年のL.A. The Forum。

どちらのコンサートも、最初から最後まで音がずっと途切れることがなく、どこからどこまでが一曲で、
どこからどこまでがアドリブでやってるのかということさえもわからない凄いものだったけれど、
とにかくZAPPAがピョンとジャンプするたびにリズム(それも複雑な変拍子)が変わったのが、強烈に
記憶に残っている。 今から思うと、歴代ドラマーに超絶技巧の人が必要だった理由がよくわかる。

とにかく超真面目な人だったようで、才能あるオタクといってもいいかもしれない。

曰く、「宇宙には普遍的なものが2つある。水素と愚かさである」

 THIS IS FRANK ZAPPA!

 

 

 

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本棚のレイアウトを変えてみた。

ウェブサイト上のブックリストに "not for sale" というアイテムを置くことは、ひとつの表現(まあ
愛嬌のようなものですが)と考えてやっていることだけれど、ショップの本棚に「売らない本」が
混在しているのは、やや不見識じゃないかという気がしてきたからだ。 

private と public が渾然一体となったショップ・スペースというのも、それはそれで悪くはないと
は思うが、その本を欲しい人を前にして、それは売り物ではないのだと伝えるのは、かなり心苦
しくて、やはりもう少しわかり易くディスプレイするのがショップとしての矜持だと考え直した。


建物の構造体を兼ねたコトバノイエの12面の棚のうち7面を書架としてつかっている。

これまでもジャンルや著者といったきっちり分類された並べ方ではなく、背表紙の景色やその本
が持って いる気配のようなもので括ってきたし、本棚のそういうちょっと foot-loose な雰囲気が
気に入っているから、これからもそれは変えることはたぶんないと思うけれど、その中に異分子
が混ざっていることで淀みのようなものがでるなら、どうしても手元に残しておきたい本のための
プライベートな場所を用意してやってもいいんじゃないかと考えたわけだ。


でもそこからが、ちょっと大変だった。

そもそもこの本棚にある本は、その時々の自分のアンテナにひっかかる本を野放図に買ってきた
ものばかりで、ブックストアの看板を上げたあとも、商品として仕入れた本は一冊もなく、だからこ
その「本買(仕入ではなく)記」だし、だからこそのコトバノイエだと思っている。

その中から、今まであまり意識したことがなかった「手離したくない本」ってやつを選ばなければ
いけないということなると、本の塊を前にして、それぞれに問いかけなければならない。

どうしても残したい本のセレクションに、合理的なモノサシなんて存在するわけがないから、結局
は、自分自身の心の奥に向かい合うことになってしまうんだ。


コレハホントウニイルノカ?

オマエハココニイタイノカ?

 

で、そんな風に四苦八苦しながら(実はけっこう愉しく)、セレクトしたのが例えばこういう本たちだ。


□ 定本 坂口安吾全集 全13巻  坂口安吾   冬樹社

□ 夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった  谷川俊太郎   青土社

□ 東京のドン・キホーテ  小林信彦   晶文社

□ 信楽 壺中の天  MIHO MUSEUM   図録

□ 冷血 IN COLD BLOOD  トルーマン・カポーティ   新潮社

□ 愛蔵版 阿佐田哲也麻雀小説自選集  阿佐田哲也   双葉社

□ アウトロー・ブルース OUTLAW BLUES  ポール・ウィリアムス   晶文社

□ ぼくは散歩と雑学がすき  植草甚一   晶文社

□ かくれ里  白洲正子  新潮社

□ フラニーとゾーイー FRANNY and ZOOEY  J・D・サリンジャー   新潮社

□ TARANTURA   BOB DYLAN   PANTHER

□ 10セントの意識革命  片岡義男   晶文社

□ ルーシー・リー展 静寂の美へ  滋賀県立陶芸の森   図録

□ DEREK JARMAN'S GARDEN  DEREK JARMAN   THAMES AND HUDSON

□ 路上 ON THE ROAD  ジャック・ケルアック   河出書房新社

□ ラディカルな意志のスタイル STYLES OF RADICAL WILL  スーザン・ソンタグ   晶文社

□ ボブ・ディラン全詩集 WORDS by Bob Dylan  ボブ・ディラン   晶文社

□ 珠玉  開高健   文藝春秋

□ 家 1969→96  安藤忠雄   住まいの図書館出版局

□ 東京モンタナ急行 THE TOKYO-MONTANA EXPRESS  リチャード・ブローティガン   晶文社

□ CASA BARRAGAN  齋藤裕   TOTO出版

□ 青山二郎の眼  MIHO MUSEUM   図録

□ 完訳 釣魚大全 THE COMPLETE ANGLER  アイザック・ウォルトン   虎見書房

□ 89  橋本治   マドラ出版

□ ミステリー・トレイン MYSTERY TRAIN  グリール・マーカス   第三文明社

□ 世に棲む日々 司馬遼太郎全集 27  司馬遼太郎   文藝春秋

□ 書を捨てよ、町へ出よう  寺山修司   芳賀書店

□ アデン・アラビア  ADEN ARABIA  ポール・ニザン   晶文社

□ 建築へ VERS UNE ARCHITECTRURE  ル・コルビュジェ‐ソーニエ   中央公論美術出版

□ バウハウス 歴史と理念  利光功   美術出版社 


今このときの " kotobanoie permanent collection "  あるいは " all time best "
折にふれ、流れていくかもしれないけれど。


あらためてこうやってリストアップしたものを眺めてみると、生身を晒しているようでとても恥ずかしい。
そして何よりも、この20年ほどぜんぜん進化していないようなのが、俄然ヤバイ。

 

でもこれでボンヤリしていた境界線がはっきりして、なんとなく気分爽快。

 

 


 

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