2008年6月アーカイブ
いいネーミングするなあ、cloud computing.
見上げると、いつもそこにある、か。
アップルの新しいサービス「MobileMe」のシンボルマークが雲のカタチをしているのは、このターム
を意識しているからだろう。 そして、Jobs がそれをプレゼンテーションしたということは、これから
のコンピュータ・ネットワークの世界(post web2.0 ) が、きっとこのコトバを中心に回っていくという
ことを示しているに違いない。
このcloud computing が現実のものになって、いろいろなアプリケーションが、ローカルマシンでは
なく、サーバーに常在しているとしたら、端末のカタチは劇的に変わってしまうんじないかと思う。
こんどの iPhone は、きっとその橋頭堡として発表されるんだろうな。
でも、写メ許せない、イアフォンで音楽を聴かない、ケータイメールほとんどしない、3.5インチでも
眼鏡かけないと見えない、こんなケータイ四重苦の人間にとって iPhone はほとんど無用の長物で、
プロダクト(gadget)としての魅力は充分あるけれど、使うこなすことは、たぶんできない。
ただホントに面白いことは、こういった最新の中にではなく、もうちょっと曖昧なところにあるんじゃ
ないかというのが正直な気分だ。
そんなことをあらためて考えさせてくれる新古本に出会った。
■ 白 原研哉 中央公論新社 2008/05/30 初版
著者自らによる装丁が美しい。
タイトルどおり、比べてみると今まで白いと思っていたものがそうじゃなく見えるくらい「白」い。
タイポグラフィやレイアウトにも知的な抑制がよくきいていて、この人の本領はひょっとしてここ
にあるのかもしれないと思ったりする。
彼がこの新刊で探求している「白」は、コンセプチュアルな存在としての「白」だ。
「白」というコトバが、日本の文化や美意識の中でかかえている、ヴォイド(空白)や純粋性といった
概念や、不可侵性/不可逆性といった文化的なイメージに焦点をあてて論じている。
生真面目な人柄そのままに、アイコンとしての「白」が、きちんとした物腰で語られていて、それは
それでプロフェッショナルな考察として好感のもてるものではあるけれど、さまざまな「白」の概念
が明らかにされるにつれて、気配や雰囲気といった、はっきりと見えない領域が気になってくる。
消失点としてのピュアな白ではなく、その手前にある陰影。
グラデーション(gradation)。
0と1あるいは白と黒、ものごとの「間(あわい)」に存在する様々な階調のことである。
世の中を蔽う、悪と正義、人工と自然、といった二元論のありかたがどうも腑に落ちないのだ。
面白いか面白くないかといった自分の中のにあるものの価値判断なら二元論で割り切れるのかも
しれないけれど、現象や状態や相対的な領域を無理やりどちらかに割り切ってしまうことに、恐れ
のようなものを感じることはないんだろうかと思う。
川上未映子はこんな風にいっている。
「私はひとつの考えに対して、違う角度から光を当てることが大切だと思っています。今はディ
ベートの技術が重視されていますが、相手を言い負かす話し方はあまり好きじゃない。それより
ひと つの意見を抱いたら、真逆のことを考えてみたい。 その肯定と否定との間を行き来する
運動の中に、正しさはあると思うんです。」
間違っているものの中にも正しいことはあり、正しいことの中にも間違っていることがあることを
認識しつつ、正しいと思うことにYESを唱え、間違いと思うことにNOと訴えること、そして時には
正しいと思うことにちょっとNOといってみたり、間違いだと感じつつ賛成してみたり。
これってグラデーションじゃないのか?
この前読んだ保坂和志の「カンバセーション・ピース」という小説で引用されていた
「神の子が死んだということはありえないがゆえに疑いがない事実であり、葬られた後に復活した
ということは、信じられないがゆえに確実である」
という異端の神学者テルトゥリアヌスのこのコトバ、そして「不合理ゆえに信ずる」という彼の思想も
ひょっとして、虚と実の間(あわい)のグラデーションかもしれない。
藤本壮介はちょっとカッコよく、
「壁を立てることは、空間を0か1かに分けてしまう。 でも本当は、空間には0と1の間のグラデー
ションの豊かさがあるはずだ」
なんていっているけれど、そのあるはずのグラデーションの豊かさをどう表現するかだろう。
そしてやはり、谷崎の「陰翳礼賛」に行きついてしまう。
日本古来の空間を彩る光と陰のグラデーションを、たとえばこんな風に表現している。
「私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見るごとに、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、
光と陰との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。なぜなら、そこにはこれという特別なしつらえが
あるのではない。要するにただ清楚な木材と清楚な壁とをもって一つのへこんだ空間を仕切り、
そこへ引き入れられた光線がへこみのここかしこへ朦朧たる隈を生むようにする。にもかかわら
ず、我らは落とし懸けの後ろや、花生けの周囲や、違い棚の下などを埋めているやみを眺めて、
それがなんでもない陰であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているよう
な、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける」
that's it.
この微妙なニュアンス。
こんな風に考えていくと、この世界のすべてのものが、さまざま多様なグラデーションの連続体
のように思えてきてしまうんだ。
「赤」だと思っていたのに、気が付いたら「青」や「黄色」になっている。いつの間に色が変わったの
か、その境界線が判らない、そんなグラデーションに憧れる。
*
この「白」を含めて、どういうわけか発行されたばかりの本が集まってきた。
まあいわゆる「流れ」というものだろうから、本買人としては唯々それに身をまかすしかない。
もちろんでたばかりの新古本なので、古本としてはやや高めの価格設定ではあるけれど、クオリティ
はほとんど新品と変わらないから、本としての魅力さえあれば、価値はある。
どういう流通でこういう本たちが店頭に並ぶのかはわからないが、「再販」なんていう制度がなけれ
ば、普通の本屋さんでもこういう展開が可能かもしれないと思うと、ちょっと不思議な気分だ。
■ 旅の仲間 澁澤龍彦|堀内誠一往復書簡 巌谷國士編 晶文社 2008/06/05 初版
まずはこの本の刊行、それも晶文社からの発行を寿ぐ。
澁澤龍彦はいわずと知れた碩学の文筆家、そして日本の雑誌文化を変えたといわれるAD堀内誠一。
1987年に同じように下咽頭癌に冒され亡くなった二人の遺作ともいえる往復書簡を、巌谷國士さんが
愛情をこめて丁寧に編集し、詳細な注釈をつけてくれている。
2007年の中京大学アートギャラリーでの展覧会開催を経て、本書の刊行につながったのはこの人の
力が大きかったんじゃないかと想像する。
そしてこの本の体裁とそのデザインは、二人の天才を惜しむにふさわしい出来映えです。
permanent collection.
■ 磯崎新の「都庁」 平松剛 文藝春秋 20080610 初版
東京都庁をめぐる師弟のバトルというごく単純なミーハー的好奇心で買った本だから、あっという間に
読み終えてしまったけれど、コンペの内幕暴露としてはちょっと食い足りない感じ。
結局は鈴木=丹下の出来レースに、アート志向の建築家である磯崎さんがどう立ち向かって、どう
敗れていったかという話なんだけれど、それはバトルというよりも、「断絶」とでも呼ぶべきすれ違いで、
この都庁コンペをめぐる、丹下健三といういかにも東大的な権力よりの建築家と、その不肖の弟子と
自称するアトリエ系作家磯崎新との「断絶」は、そのまま父と子の世代論としても通用しそうです。
若き日の青木淳さんが、脇役として登場しています。
ノンフィクション・ノベルとしては文体のツメがやや甘く、上質とはいいかねますが。
■ my favorite of US Records 1960S-1970S 小尾隆 春日出版 2008/05/30 初版
期せずしてまたLPジャケットへのオマージュ本を入手した、こんどは ROCK だ 。
デザインというのが主眼だった BLUE NOTE とちがって、シンガー&ソングライターを中心とした ROCK
アルバムということになると、これはもうそのままリアルタイムなものばかりだから、思わず手が伸びた。
「懐かしさ」というキーワードを、できるだけ遠ざけるということを日頃から意識しているつもりだけれど、
これだけのコレクションを、目の当たりにすると、その想いがちょっと揺らいでしまった。
BLUE NOTE のように、原寸でないのが残念。
■ サヴォア邸/ル・コルビュジエ 中村研一 東京書籍 2008/05/30 初版
いまさらながらのサヴォア邸ですが、この本は、豊富な図面と撮りおろしの写真や、このサヴォア邸の
ためのコルビュジエのスタディ、そして概算見積りからコルビュジエの減額調整までが掲載されていて、
あらためてこの20世紀の名作といわれるこの住宅を勉強するには、最適の書といってもいいでしょう。
されどモダニズム、されどコルビュジエ。
温故知新。
はじめて買ったレコードは、サイモン&ガーファンクルのLPシングル(17cmサイズで33rpmのレコ
ードがあったのです)、「sound of silence」「Mrs.Robinson」「Scarborough Fair」のカップリングで、
ひょっとしたら「卒業」のサントラだったかもしれない。
その次がビートルズの「OLDIES」、
サイケデリックなイラストのジャケットに透明な赤のレコード盤、そして真ん中に青いリンゴ。
これにはシビレた。
「OLDIES」は1973年に『赤盤』『青盤』が発売されるまでのビートルズの唯一のベスト盤で、今で
も初期のヒットチューンが歌詞カードなしで唄えるのはこのレコードのおかげといってもいいくらい
に愛着のある一枚だけれど、オフィシャルなビートルズ・ディスコグラフィーの中で、未だにCD化さ
れてないのは、たぶんこのアルバムだけだったりする。
今から考えると、ほんの少し前の自分たちのヒット曲を「ちょっと旧いけど」なんていうタイトルで発
表するなんて、いかにもビートルズらしい sence of humor 、たぶんジョンの仕業だ。
名前が大きくなりすぎて、当時誰もがみんなビートルズに首ったけだったような伝説になってしま
っているけれど、ビートルズは実は解散してからビッグネームになったグループで、彼らが現役の
とき実際にレコードを買って、朝から晩まで聴き狂っている人なんてそれほど多くなかったし、ひょ
っとしたら今でもそうかもしれないと思う。
その頃テレビではもちろん歌謡曲、
ブルーライト・ヨコハマ/いしだあゆみ・恋の奴隷/奥村チヨ・涙の季節/ピンキーとキラーズなんか
が毎日のように歌謡番組で流れていたことを憶えているし、今でいう(もう古いか)ニューミュージ
ックの先祖といってもいいフォークソング勃興の頃で、遠い世界に/五つの赤い風船・風/はしだ
のりひことシューベルツ・時には母のない子のように/カルメン・マキといった曲がチャートに残され
ている。 レコード大賞は、佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」だった。
BLUE NOTE というジャズのレーベルのとてもお洒落なレコード・ジャケットの図録を眺めていたら、
レコード時代にフラッシュバックしてしまった。
■ BLUE NOTE the album cover art グラハム・マーシュ編 美術出版社 19920101 第2刷
デザイナーの名前はリード・マイルス、このレーベルのハウスデザイナーである。
マイルスのジャケット・デザインの特徴は、斬新なタイポグラフィと大胆な写真のトリミング、そして
余白をいかしたレイアウトのセンスだ。
レコードを買って音楽を聴きはじめたのがROCKだったから、JAZZの音に触れたのはずいぶん大
人になってからだし、彼がレコード・ジャケットのデザインに携わっていたのが1956年から1967年
までということだから、リアルタイムでこのレーベルのことを知っているわけじゃないけれど、原寸
の12インチ四方のサイズで製本されたこの本に載っているセンスのいいLPジャケットを見ていると、
モダン・ジャズ(ハードバップ)のホットなアドリブの響きや、アイヴィーやコンチネンタルのスタイル
でビシッときめたお洒落なジャズ・ミュージシャンたちの颯爽とした姿、そしていわゆるビートの時
代の NEW YORK CITY の雰囲気が伝わってくる。
no room for squares , サイケデリックの前は、これが HIP だったんだ。
「いずれにしてもリード・マイルスは中に収められた音楽が聴こえてくるようなジャケットを作ったの
である。革新的な演奏には抽象的なデザインをほどこし、クールなサウンドには気取って歩く女性
をあしらい、音楽とイメージの重なり合う活字を選び、というように。( by Felix Cromey)」
ブルーノート創立者アルフレッド・ライオンは、セロニアス・モンクやアート・ブレイキーといった「新
人」を発掘し、録音のディレクションを名エンジニア、ルディ・ヴァン・ゲルダーに任せ、写真は経営
のパートナーでもあるフランシス・ウルフ、そしてアルバムのアートワークに、この新進のハウス・
デザイナーを抜擢した。
このレーベルの一連の傑作がこのチームで造られたのだから、彼が制作者(プロデューサー)と
して卓越した眼をもっていたことは間違いないし、ジャケットのデザインにもドイツ人であるライオン
の、バウハウス的なモダンデザインへの意識も感じとれる。
考えてみればグラフィック・デザインというものを知ったのは、レコード・ジャケットからだった。
ジャケットを眺めながらプレイヤーの針を落とす、するとレコードから出てくる音がそのジャケットの
デザインと共鳴してひとつの世界を作り出す、ミックス・メディアってやつだ。
そのうちジャケットを見るだけで、頭の中に音楽が鳴り始めるんだ。
レコード・ジャケットやレーベルのロゴ・マークのデザインは、そのレコードに収められている音と
一体となって、心の奥底にはっきりと残っている。
LPジャケットの魅力の源泉はそのサイズじゃないかと思う。
色彩の微妙なニュアンスやディテールの質感の表現や、そのミュージシャンの表情を原寸大で、
ときには鼻の穴や毛穴まで見せてくれたのも、この12インチというサイズだったからこそだ。
音楽の視覚化。
もちろんCDはCDとして12センチの表現があるわけだから、そのデザイン媒体としての優劣を問う
ことはあまり意味のないことだけれど、LPをそのまま縮小したCDパッケージは、それがたとえLP
とおなじ紙でできていたとしても、あまり心には響かない。
LPという音楽メディアが誕生したのが1948年、そしてCDへと変わっていったのが1980年代末だ
から、LPの時代はじつはたった40年だったということだ。
そしてCDという媒体が、デジタルデータにとって代わられようとしている今、音楽のヴィジュアル
表現はどこへいくんだろう。
*
■ 濹東綺譚 荷風小説傑作集一 永井荷風 六興出版社 19500625 初版
古本もこれくらいになると古書の風格がでてきます。
「断腸亭日乗」とならぶ荷風の代表作といわれていますが、山の手と下町が別世界だった頃の
東京市、山の手人の荷風にとっての下町は、異国だったんじゃないかというのが下町の東京人
小林信彦さんの見解です。
どうもキモは文末のエッセイ「作者贅言」のようです。
もちろんまだ読んでないし、この作品をこの本で読むかどうかはわかりませんが、ただこの本が
持つ古書としての佇まいにはつよく惹かれます。
まあ本好きのオブジェかな。
■ THE STUDY OF COMME des GARCONS 南谷えり子 リトル・モア 20041125 第3刷
造反有理。
たとえそれが自らのものであっても旧を破壊し、ここにない新しいものを制作し続ける川久保玲と
いう人の「創造」への魂は賞賛に値する。
そして同時に一度も赤字をだしたことがないというビジネス・オペレーションにも驚嘆。
1 コム デ ギャルソンは何を壊したのか?
2 クリエイションの規則
3 ビジネスもクリエイションの一環です
4 私は反抗的です
5 コム デ ギャルソンを着ること
6 少年のように
コムデギャルソンに関する本はほとんど見かけないので、貴重なものかもしれません。
■ 逡巡する思考 WRITTINGS 1982-2007 岸和郎 共立出版 20070920 初版第1刷
「ダイハード・モダニスト」岸和郎さんの25年の集大成、ひとつのエポックでしょう。
大著なのでまだまったく手をつけていませんが、じっくり読んで、できれば本文で考えてみたい
と考えています。
京都に居続けていらっしゃることが、ひとつのキー・メッセージじゃないかと思っています。
■ 俵屋の不思議 村松友視 世界文化社 19990801 初版第9刷
再入荷、良本を買い重ねることに躊躇いはなかったけれど、Amazon でひどい値段で売られてい
るのを見てしまったら、本がかわいそうになってきた。
物の価値とその価格に齟齬が生じることは、それほど珍しいことではないけれど、礼を失すること
はやはり品格の問題といわざるを得ない。
売れればいいという商品思想において、日本人は中国人を笑えない。
自由競争だからこそ売る側の discipline が問われるのだ。
俵屋はもちろんかなり素敵ですが、個人的には亡くなったご亭主、アーネスト・サトウさんに興味。
■ 寺山修司劇場美術館 寺山偏陸監修 PARCO出版 20080504 第1刷
この時期に寺山修司の新刊で、再評価の気配なのかとおもったら、青森県立美術館で開催され
た回顧展の図録だった。
「どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう」とはいかにものコピーです。
『千の美意識を持った男』がなかなかうまくまとめられたコンピレーションですが、ご母堂の希望
で、九条今日子さんとともに本人の死後寺山籍に弟として入籍されたという監修者の寺山偏陸
(ヘンリク)という人がとても気になります、天井桟敷の人らしいけど。
アート関連のブックリスト
