2008年7月アーカイブ

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インテリアデザイナーという職種がある、日本ではあまり見かけないけれど。

アメリカのアッパーミドルの人たちが新しく家を建てたり、少しステップアップしたエリアに
家を買ったり(住宅を建築するのはアメリカではひどく高いのでこっちのほうが多い)した
とき、お約束のようにこのインテリアデザイナーを雇うことになっている。

アメリカは、「成りあがり(upstart)」がポジティブに許容される社会だから、自分の生活
環境を快適にするためにデザイナーを専属にすることが、ひとつのステイタスと考えら
れているし、社会生活の場で忙しい役職に就いていることの象徴だったりもする。

インテリアデザイナーは、建築家と同じように住み手となるそういう人たちの依頼をうけて
(日本での家造りと同じようにクライアント側の窓口になるのは奥様であることが多い)、
インテリアのコンセプトを練り、全体のテイストや基調色を決め、部屋ごとにカーペットや
壁紙やドレープを選び、それぞれの部屋に置く家具や絵画をコーディネイトし、そして
アメリカ人が大好きな壁いっぱいに飾る家族写真の額縁とその場所を決める。

新しい住居のインテリアパーツを考えることは楽しい作業ではあるけれど、それをトータ
ルにコーディネイトするのはなかなかやっかいなことで、予算的なことも含めてそれなり
の知識や経験やセンスがないとなかなかうまく収まってくれないし、建築のコンセプトと
も密接にかかわってくることだから、その仕事はきわめてプロフェッショナルなものだ。 
そしてそういう職能を持ったプロが住まい造りにかかわることで、その全体がすんなりと
まとまるようになっている。

組織に属さずたいていがフリーとして独立しているインテリアデザイナーたちは、スタイリ
ストのようにトレンドに目を凝らし、自分だけのショップリストやアーティストのネットワーク
を持っているし、そういったプロのためのショールームが集まったファシリティーが大きな
都市には必ずある。

日本にも80年代に、インテリア・コーディネーターという資格ができて、実際にその資格を
持った人たちが何人もいるわけだけれど、店舗や建売住宅やマンションのモデルルーム
などのスタイリングをすることはあっても、 個人的に住宅のインテリアのプランを依頼され
るなんていうことは、あるんだろうか。

想像できます?
自分が家を建るときに、建築家とは別にインテリアのプロを頼む(=Feeを払う)なんて。

でもやっぱりそれが問題。
それっていうのは、デザイナーを雇わないことじゃなく、たとえば住宅のインテリアに代表
される個人的な生活の領域で、プロでしか持ち得ないソフトになんらかの価値を見いだして、
生活の向上を図っていくという合理的なプログラムが、ごくあたりまえの方法論として存在
していないこと。

たとえば弁護士や設計士は、難関といわれている国家資格のライセンス制度があること
で、そのソフトワークにたいする Fee の支払いが、社会的に認知されているけれど、デザ
イナーやコーディネーターと呼ばれる人たちの Fee は、たとえ相手が企業であっても驚く
ほど認知度が低く、往々にして物流マージンや作業料に転化されてしまうというのが実態
で、まして個人に対するインテリアのプラニングなんて、まずニーズがないということかも
しれないけれど、そういう仕事を志向している人がいるかどうかさえアヤシイ。

住宅のことで言うと、壁紙やファブリックだけでなく、照明器具や家電製品のセレクション、
水栓やレンジといった設備機器のチョイス、インテリアグリーンのコーディネーション、こう
いったことを建築家から奪えるようなインテリアデザイナーが現れたら面白いんだけどな。


そんなことを考えたのは、ある人に本のセレクションを頼まれたからだ。

10日間ほどの休暇で南の島に行くんだけれどそのときに読む本を何冊か、というような
要望で、もちろん知り合いからのものだから、彼のライフスタイルや旅のシーンを想像し
ながら、ああでもないこうでもないと本を選ぶのは、とても難しくて、そしてとても楽しい
作業だった。

何ヶ月か前に本を売らない本屋、「本のStylist」を考えているという記事をエントリーした
ことがあったけれど、そのときにはやはり企業やショップのことだけしか頭になくて、個人
の本棚や旅にもっていく本なんていうシチュエーションを考えもしなかったんだ。

でもふとインテリア・デコレーターのことを思い出したら、個人や特定のシーンのための本
のセレクションなんていうビジネスモデルもあり得るんじゃないかと妄想してしまったわけ。

まあでもそれで Fee をもらうなんて、10年早いね。


*

■ 茶室とインテリア    内田繁    工作舎    20050920 初版

座――脱ぐ文化、座る文化
間――柔らかな仕切り
風――涼味の演出
水――浄と不浄
火――炎の記憶
飾――空間の物語
祀――祈りと季節
色――彩りの力
心――住まいの将来

こうやって見出しを並べただけでも、この本の切り口が感じとれそうです。

茶室に代表される日本の空間文化を、インテリアを軸にわかりやすく解説したもので、
本はもちろん美しく、内容もさすがにしっかりしていてソツはないのですが、きわめて
感覚的な領域のことを、「わかりやすく」解説する必要があるんだろうかと思っていたら
桑沢デザイン塾の講義録がベースとわかってちょっと納得、プロを目指す学生諸君には
これくらいでちょういいのかもしれません。


■ 鞆ノ津茶会記    井伏鱒二    福武書店    19860401 第2刷

安土桃山期の茶会をフィクション(架空)で描くとは、恐るべき想像力、そして文章力。

太宰治や開高健といった手練の作家たちが私淑した人だから、昭和文壇の巨人の一人でしょう。

コノ杯ヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミ注ガシテオクレ
花ニ嵐ノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

酒と釣りの名人、そして東宝映画「駅前シリーズ」の原作者でもあります。


■20世紀ボックス    木村勝編著    六曜社    19980630 初版

表紙のデザインを見れば一目瞭然だけれど、タイトルは真木準によるパロディ。
日本を中心とした20世紀初頭からのパッケージやラベルが、日本のパッケージデザイナー
の先駆者木村勝さんのセレクションで掲載されています。

パッケージを語ることは、広告そのものを語ることでもあります。

この本の中で、とあるデザイナーが、「卵」こそがパーフェクトなパッケージ(殻や薄皮や
カラザや白身など、すべての要素が生命の源である卵黄を守るために有機的に連動し
ているそのシステムやフォルム)だといっていたのが印象的でした。


■ ラハイナまで来た理由    片岡義男   同文書院    20000304 初版第1刷

same old story だということはわかっているけれど、ついタイトルに魅かれてしまった。

ハワイから届いた絵葉書のような28の掌編。
どれも僕が主語だし、マイナーな出版社だったので、最初エッセイ集と勘違いしていました。

35年以上慣れ親しんだこの人でしかあり得ない文体や、変わることのない乾いた視線は
絶えることのない波の音を聴いているようで、安心感が高いのです。


■ 生きているのはひまつぶし    深沢七郎   光文社    20050730 初版第1刷

「ひつまぶし」ではありません。

87年に亡くなった深沢さんの18年ぶりの単行本だとか

「楢山節考」はそうとう凄いし(今は日本中が「楢山」になってしまったみたいだけれど)、その
存在感に、ただならぬ気配をビシビシ感じるので、こうやってこの人の本を買うわけですが、
赤瀬川原平や嵐山光三郎や白石かず子といった曲者たちが私淑する深沢さんのほんとうの
凄さは、実はあまりよくわかっていません。

このエッセイ集を眺めていても、マニアックなローカル・スターではなく、もう少し大きな人類
的なスケールの人ではないかと思いますが、まだ眼をつぶって象を撫でているような感じ。

読み込めばもう少し大きいものが見えてくるような気がします。

 

最近追加したHIP のブックリスト

 

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○月○日

何日か前から読んでいたミステリーを起き抜けに読み終えたあと、遅い朝食を済ませ外出。

まず郵便局で注文いただいた本を何冊か発送して、プールへ。

普通のA5サイズの本がゆうメール(冊子小包)で290円、運送業だから占有スペースと重さが
基本になるのはわからなくはないが、新旧洋邦にかかわらずインターネットでの流通がこれだけ
あたりまえのものになってるんだから、1冊の送料と封書が同じくらいじゃないと、本の「文化」
は育たないんじゃないかと思ったりする。

amazon にせよ、ヤフオクにせよ、常にこの送料のことが、喉に引っかかった小骨のように気に
なってしまうのだ。ヤマトのメール便は、集荷に来てくれて、しかもトレースのシステムが整って
いて160円だから、よくがんばっているなあと思うけれど、2cmの厚さ制限は、いかにもキツイ。
ていねいに梱包すると、200ページくらいの本でも、2cmをこえてしまうのだ。

そして市民プール。

学校の夏休みがはじまらないこの時期の平日の外プールは、最高に気持ちイイ。
ほとんど泳ぐ人のいない50mのプールにじゃぼんと飛び込んで、無音の水中から揺れる水面の
むこうにきらきら光る太陽を眺めるあのシュールな感じはちょっと捨てがたい。
映画「卒業」のファーストシーンを思い出す。

泳ぐとも浮かぶともつかないじゃぼんと、居眠りとも甲羅干しともつかないごろりんを何度か繰り
返してプー ルをでれば、なんとなく涼やかな気分になる。

エコだ温暖化だCO2だと、それでひともうけを目論む商売人や新しい利権を手にしようとする輩
のさえずりが喧しいけれど、大きな視点で考えると、そもそも地球という星そのものが温暖化と
氷河期を繰り返してきたわけで、人間の小賢しい知恵でこの天体の成り行きを動かせると考える
のは、ちょっとした思い上がりじゃないのかと思う。

自分自身がこのサークルの一員だという自覚をもって、きちんとした暮らしをするというミクロと、
この大きな宇宙の流れというマクロとが、どのように関連するのかはまったくわからないけれど、
無理なことをすれば、その無理がどこかで歪みを生んでしまうわけだから、それこそ「植物が陽の
当たる方へ伸びるように (quoted from dezanani.net) 」できるだけ気持ちいいことだけをやって
いければいいな、なんて。

ところでこの市民プール、駐車場はタダ入場料200円、おそらくもっともコスト・パフォーマンス
の高いリラクゼーションじゃないだろうか。


遅めの昼食は蕎麦。
蕎麦はいい。うどんより遥かにいい。


そのあと久しぶりに BOOK OFF に立ち寄って文庫本(もちろん105円均一)と雑誌を何冊か。
1冊だけ買った300円均一の単行本は、帰ってチェックしたら、すでに持っている本だった。

どうしてこう同じ本を何度も買ってしまうんだろう。
持ってないことを確信してレジに行っているのに、その本が本棚にちょこんと収まっているのを
見ると、ただただ呆然。 そういう本に限って、なかなか売れそうもないような本なのだ。

文庫本は BOOK OFF の品揃えが圧倒的だ。
最近の文庫本はけっこうな値段なので、定価の半額はちょっと高いなあと思うけれど、とにかく
物量が豊富、そして105円の均一棚も、そこそこ揃っている。

BOOK OFF の功罪は、古本にまつわる絶版や初版や希少性といった「目利き」性を排除して、
ごくシンプルに表示価格の半額で、誰かが一度読んだ本を売るというわかりやすさだが、巧み
だなあと思うのは、それなりの物量のある105円の均一棚を設けて(店舗によって200円均一
の文庫本や300円均一の単行本を並べているところもある)、マーケティングの幅を拡げること
を忘れていないところだ。

すべて半額は、100円ショップと同じで、とてもわかりやすいシステムだけれど、ものを買う人間
の心ってもう少し複雑で、やっぱり価格の濃淡とか、ひょっとしたらいいものがあるかもしれない
均一棚なんていうワクワク感をもたせるものがないと、このインターネットの時代に、わざわざ店
まで出かける値打ちはないと思うし、出かけてさえ行けば、ちょっと高いと思っている半額の本を
買ってしまったりすることだってあるんだから。

ただひょっとしたら、この先買い取る本と売れる本の量のバランスが合わなくなってくる(極端に
買い取りが増える)ような気配だから、その辺のリスクマネー ジメントをどうやっていくんだろう
ということに、興味がつのる。


そして締めは、いつものT書店。

この古書店のスゴいところは、毎週行っても必ずなにか新しい本が入っているということだ。
ショップだから商品の入れ換わりがあるのはあたりまえかもしれないけれど、こんなペースで、
棚がどんどん変わる本屋ってそんなにないんじゃないだろうか。

もちろん戦略的に棚の見せかたを動かしているということはあるかもしれないけれど、この早い
新陳代謝の最大の要因はなんといっても本が売れていること、売れている理由は価格と品揃え、
かんたんにいえば、面白い本があってしかもそれが他の店と比べて圧倒的に安いことだろう。
なぜそうなのかということになると、やっぱりそれは売れているから、なんて堂々巡りになって
しまいそうだけれど、商売がうまくいくということは、こういう良い循環でものごとが回っていく
ということなんだろう。

それにしてもこれを100年続けているというのは、ホントにすごいね。

帰ってから、今日買った雑誌を流し読みし、風呂で文庫本を読み、寝床で新しい本を読み始める。
寝る前に読むのはたいていの場合小説で、今朝読みおえたのもミステリーだったけれど、こんど
はノンフィクション、この前手に入れた米原万里の「打ちのめされるようなすごい本」だ。
寝られなくなってしまうのはちょっと困るけれど、評判の高い本なので楽しみだ。

 

次の日、梅雨明けの○月○日

いつもより少し早く起きて外出、忙しくなりそうな気配。

まず梅田の百貨店で買いもの。
お世話になっている人たちへの季節の贈りものを選ばなければならない。
わざわざ出向かなくても、電話やインターネットや FAX で済ませることも可能だし、選ぶアイテム
だって別にそこでしか買えないものというわけじゃないけれど、足を運んで、その人たちの顔を思
い描きながら、ああでもないこうでもないと選ぶことが、ひとつの気持ちじゃないかなんて思いつつ、
もう何年も同じことを繰り返している。
虚礼は始末が悪いけれど、年に2回こんな風に贈りものに思いを巡らせるのも悪くない。

梅田での駐車場は LOFT 。
2000円買えば2時間無料というのもリーズナブルだし、1日1500円というのも、ロケーションを
考えると、割安感がある。
で、今日は2000円2時間コース、8Fの無印良品で、夏物を少し。

周辺のあちこちで開催されているバーゲンを横目に見ながら、阪神高速に乗る。


兵庫県立美術館で開催されている横尾忠則「冒険王」展。

予想以上に大がかりな展覧会で、60年代のグラフィックデザインから、最新の油絵まで相当な数
の作品が展示されている(図録を確かめたら500点ほどあった)。

デザイナー時代の指定原稿が数多く展示されていて、その細やかな仕事ぶりもそうとう感心させ
られたけれど、80年代の「画家宣言(つまり受注で描かないということだ)」以降の作品のその
大きさと迫力にただただ圧倒される。

横尾さんのアーティストとしての魂がキャンバスに炸裂してる。

70を越えて、この大きなキャンバスに立ち向えるのは、制作のことだけを考える生活をずっと続け
てきたからだと思う。 天才の凄さは、ひとつのことをバカみたいにずっと考えられることなのだ。

Y字路のシリーズは、茫洋としたイメージとただならぬ不穏な気配を、見たものに同時に感じさせる
傑作ばかりだけれど、個人的には、横尾さんが最近嵌っているという「銭湯」と「温泉」のシリーズ
のこれまでにない柔らかな色彩にとても魅かれる。

「乙女湯」なんていう FUNKY でメランコリックな新作もあるのです。

 

兵庫県立美術館は安藤建築、コンクリートの箱をガラスのカーテンウォールで覆った入れ子構造
の建物を並列させたシンプルな構成で、大きくて薄い庇を持ったそのプロポーションは、同時期に
設計されたというフォートワース現代美術館と兄弟といってもいいくらいよく似ている(まあ生みの親
が同じなんだから同じ遺伝子があってもぜんぜん不思議ではないのですが)。
世の中のほかの芸術でもよくあるように、署名がなければ、それはそれほどのものとは思えない。
横尾さんより年下なんだから、巨匠の名に甘んじず、もっとチャレンジャブルであることを願います。
このままだと丹下健三だよ。


そのあとポートアイランドへ足をのばす。
4月にオープンした IKEA(アメリア風に発音するとアイキア、日本や欧州ではイケアだ)へ。

デカイ、ヤスイ、イッパイアル。

最初はその安さや目新しいそのスタイルにちょっとハイな気分になってしまったけれど、じっくりと
眺めていくうちに、だんだんそれほどでもないように思えてきた。

デザインのクオリティもそれほど悪くはないし、値段もリーズナブルだから新しい生活をはじめよう
とする若い人たちにとっては魅力的なありかただと思うけれど、ホントにいいものはここにはない。

こういうもの、あるいはこういうスタイルが今の消費のメインストリームであることはよくわかるが、
これを買ってもまたすぐに買い換えなければならないんじゃないかというものばかりで、衝動買い
以上のところへ行きようがない。
まあ家具というよりは、しっかりしたインテリア雑貨というセグメントなんだろうけれど、買い換え
られること(=使い捨てられること)を前提とした道具は、やはりゴミというしかない。

できれば一生もの(手を入れながら長く使い続けられるもの)、でなければできるだけモノを持た
ないという、ミニマルなところを志向する人たちにとっては、それほど魅力ある場所ではない。
もちろんそんなやっかいな人種はターゲットじゃないんだろうけどね。

ただ買いもののシステムはとてもうまくできているし、膨大なアイテムすべてがオリジナル(OEM
もかなり多いんだけれど)というのも、インターナショナルなメガ企業の底力を感じる。

なんといってもほとんどの家具がノックダウンでフラットパック、車に乗ってやってきて、買ったものを
そのまま持って帰る(セルフ・ピックアップ)というスタイルが、大きなアドバンテージじゃないかと思う。
ヨドバシもそうだけれど、豊富な品揃えがあって、それを常時在庫しているというのは、消費者心理
からすると安心感も満足度も高い。
とにかく買ったものはすぐ使いたいんだから。

70年代から何回か日本上陸を計って失敗してきたイケアだけれど、今回の郊外型大規模店作戦は
この小売店本来のカタチだから、ひょっとしたら成功するのかもしれない。
あるいは日本のインテリア・マーケットがやっとそれだけ成熟したということか。
ただやはり何かブレイクするアイテムがないと、多店舗展開以外の拡大継続性に疑問符はつく。

それにしても、帰りにちょっとひやかしに行った神戸空港の近くには「無印良品」の大倉庫、帰り道
の43号線沿いには「ACTUS(昔最初のイケアがあったところにある)」と「ニトリ」、街から普通の
家具屋さんが消えるのも無理がないよね。

なにかモノの流通自体が、大きなY字路に立たされているような気配をじわっと感じる。

 

ひまなのに忙しかった2日間の雑感でした。


*


で、この2日間の本買記

ことさら際立った本はないけれど、山崎正和の「藝術・変身・遊戯」のオリジナル初版はGOOD。
ピエブックスの「日本の伝統色」もなかなかいい本だと思います。

横尾さんの図録はもちろん会場で買った新本、このヴォリュームと内容からすると、この2500円は
バーゲンプライスといってもいいんじゃないかな。

ダブったのは橋本治、
「芯の芯までまっとうなこの本を読むと、考えがとまらなくなるはずだ。
少なくとも、私はそうだ。
他人に披露して面白がってくれるかどうかはわからないが、
私自身は自分の思考が暴走するのが楽しくてしかたない。」
という大岡玲さんの帯文に、一瞬にしてシビれてしまったわけです。


■ さらに、ああでもなくこうでもなく    橋本治    マドラ出版   20010210 第1刷

■ 寺暮らし   森まゆみ   みすず書房   19970710 初版

■ 藝術・変身・遊戯    山崎正和   中央公論社   19751020 初版

■ 日本の伝統色    濱田信義編   ピエ・ブックス   20070605 初版第2刷

■ 生活が好きになった    友部正人   晶文社   19881215 第3刷

■ 冒険王・横尾忠則展覧会 図録    国書刊行会   2008

■ 無印良品の理由    2008初夏 vol.01   無印良品    2008

■ じろじろ日記    赤瀬川原平   ちくま文庫   19960822 第1刷

■ 魂のゆくえ    ピーター・バラカン   新潮文庫   19890725 初版

■ 躯(からだ)    乃南アサ   文春文庫   20021110 第1刷

■ ヒート・アイランド    垣根涼介   文春文庫   20050530 第4刷

■ CASA BRUTUS  NOVEMBER 2003  建築・デザイン好きのための現代アート入門

■ CASA BRUTUS  FEBRUARY 2008   最強・最新住宅案内2008

■ CASA BRUTUS  OCTOBER  2003   建築・ファッションの大予言100


最近追加した音楽のブックリスト



 

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DVDを買った。
ひょっとしたらこのメディアをちゃんと購入するのは、はじめてかもしれない。

■ 気狂いピエロ PIERROT LE FOU      ジャン・リュック・ゴダール  1965

きっかけは、ランボオである。

この前手に入れた金子光晴訳のランボオ全集を眺めているうちに、ゴダールのこの美しい映画
のラストシーンに、ランボオの詩が印象的につかわれていたのを思いだしたのだ。

自分を裏切ったアンナ・カリーナ(マリアンヌ)を撃った ジャン・ポール・ベルモンド(フェルディナン)
が自らのアタマをダイナマイトで吹っ飛ばし、その爆発の炎と煙をロングショットで捉えたカメラが、
ゆっくりとパンして南仏の海をとらえる、彼方に青い空。

そしてその水平線にアンナ・カリーナの物憂げな声がオーヴァーラップする。

── 見つかった、
── 何が?
── 永遠が、
── 海と溶け合う太陽が。

ヌーベルヴァーグのアイコン、アンナ・カリーナ(named by ココ・シャネル)とジャン・ポール・
ベルモンドが、まるでボニーとクライドのように(映画はこちらの方が後ですが)、破滅に向かって
進んでいくありさまを、あのゴダールが彼一流の大胆なカットと乾いた視線で鮮やかに、そして
切なく描いている。

顔に青いペンキを塗って、あれだけ否定していたピエロとして死んでいくフェルディナンの死に際が、
とてつもなく愚かしく、そして心に沁みる。

「勝手にしやがれ(A bout de souffle)」とならんで、ヌーベル・ヴァーグの白眉とされる1965年の
この映画は、今見ても頭がクラクラするくらい刺激的だった。

もうひとつランボオで印象的なのは、1983年のサントリーの CF だ。

誰もいない砂漠、あるいは荒野の光景。
火を吹く大男、天使の衣裳をまとった幼女、ジャグラー、軽業師、イグアナ、そしてナイフ投げ。
フェリーニや寺山修司を連想させるサーカスの幻想的な映像に、ナレーションが重なる。

その詩人は、底知れぬ渇きをかかえて放浪をくりかえした。
限りない無邪気さから生まれた詩。
世界中の詩人たちが蒼ざめたその頃、彼は砂漠の商人。
詩なんかよりうまい酒をなどとおっしゃる。
永遠の詩人ランボオ。
あんな男、ちょっといない。

(produce by 杉山恒太郎 / art direction by 高杉治郎 / copy by 長沢岳夫 / music by Mark Goldberg)

17才のときパリ・コミューンの中で「酔いどれ船」を書き、19才で「地獄の季節」、そして恋人の
ヴェルレーヌとの別れ、21才で詩を捨てて放浪し、あげくアラビアで武器商人になり、37才で片足を
骨肉腫で切断され、妹だけに看取られながら死んでしまった早熟の詩人ランボオ。

ヴェルレーヌだけじゃなく、中原中也も金子光晴も小林秀雄もボブディランもパティスミスもボウイも
メイプルソープもウォーホルもピカソもダリもケルアックもバロウズもヘンリーミラーもアナイスニンも
ピカビアも、みんなこの夭折した天才の ROCK にシビれた。

カッコいいから、たとえようもなく。

母音

Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青、母音たちよ、
おれはいつかおまえたちのひそやかな誕生を語ろう、
A、無惨な悪臭のまわりを唸り飛ぶ、
きらめき光る蠅どもの毛むくじゃらのコルセット。

かげった入り江。 E、靄と天幕の白々とした無垢、
誇らかな氷河の槍、白い玉たち、繖形花のおののき。
I、緋の衣、吐かれた血、怒りにくるった、
あるいはまた悔悛の思いに酔った美しい唇の笑い。

U、循環期、緑の海の神々しいゆらぎ、
家畜の散らばる放牧場の平和、学究の
広い額に錬金の術が刻む小皺の平和。

O、甲高い奇怪な響きにみちた至高の喇叭
諸世界と天使たちがよぎる沈黙
―― おおオメガ、あの人の眼の紫の光線!

(粟津則雄 訳)

ランボオのこのサイケデリックで難解な詩に、アルコールや大麻やオピウムといった麻薬による
覚醒の記憶があることは間違いないけれど、そのコトバの一粒一粒には、十代の、それも才能の
ある者にしか視えない宇宙とのブルータルな交感がある。

どんな17才にだってそういう感性が宿る一瞬はあるのかもしれないけれど、それを奇跡ともいえる
タイミングで引き寄せることができるのは、選ばれた者にしかできないことだ。

ROCK に殉じた Janis Joplin や Brian Jones や Jimi Hendrix や Jim Morrison のように、
この19世紀のフランスの詩人 Arthur Rimbaud にも、STONE JUNKY の称号を与えてあげたい。

でも、ひょっとしてスタローンじゃないほうのランボオ(ジョン・ランボーも、実はランボオへの
オマージュだそうだけれど)なんて、もはや死語の領域かもしれないな。


*


■ 朝鮮とその芸術       柳宗悦   春秋社    19720520 新装版第1刷

「民芸」って柳宗悦さんの見立てのことじゃないのかと思う。

対象となるアイテムは庶民の日常具だけれど、それを道具本来としては捉えず、その無名性を
主調とする芸術として彼が見立てたものだけが、民芸と呼ばれる。

この朝鮮の芸術にしても、それをそのまま受け入れたんじゃなく、独自のフィルターをかけて、
彼が再解釈できたものだけを絶賛しているように思えてしかたない。

なんにせよ新しい美を発見したことは間違いないから、その功績は素晴らしいものだけれど、
その「美」がユニバーサルにならなかったのは、「見立て」を再構築して誰にでもわかるモノサシ
が造れなかった(造らなかった)からじゃないんだろうか。

柳さんが無印良品を見たら、なんていうんだろう。


■ MAGNUM DEGREES         phaidon Inc.     20031218

写真家集団マグナムの写真集、分厚い。

マグナムの一番の功績は、写真はアートディレクターや編集者のものではなく、それを撮った写真
家のものであるということを、インターナショナルなレベルで認識させたことじゃないかと思う。

ただどのムーブメントにもあることだけど、60年の歴史を経て、革新的集団がエスタブリッシュメント
になってしまったことが、ひとつのジレンマかもしれない。

世界の主要雑誌に掲載された報道写真がメインのこの写真集を眺めていると、そのまま20世紀の
クロニクルを見ているような思いにとらわれてしまう。

でもそれが必ずしもいいことだと断言できないところがアートの難しいところで。


■  ビートニクス   コヨーテ、荒地を往く     佐野元春    幻冬社   20070911 第1刷

佐野元春にあんまり興味あるわけじゃないけれど、ビートニクスはちょっと見過ごせない。

いまどきギンズバーグやスナイダーやケルアックに熱心なミュージシャンなんてちょっと変態的。

ビートは面白いけど、ピッピーはどうもあんまりっていうのが、この人の立ち位置なんだろうな。
そのへんがいかにも佐野元春っていう感じだけど、まあそれもアリかと思ったり。

「Kerouac His Hometown of Lowell」というジャック・ケルアックの生地を訪ねた短いドキュメント
のDVDが特別付録でついていました。

それにしても「ニュービートジェネレーション」っていったい誰のことなんだよ。


■ 打ちのめされるようなすごい本    米原万里    文藝春秋   20061130  第4刷

未読、でもチラ見だけで技量はわかる。

Amazonのレヴュワーたちのように、癌を患いながらも好きな本を読み続けることがそんなに凄い
ことだとは思わないけれど、書き手としてのこの人の手練は、この本のそこかしこに現れている。

書評ってけっきょくしっかりとした視点を持っているか、もっといえばものごとを自分の頭でちゃんと
考えられるかどうかどうかで評価が決まってしまうものじゃないかと思うけれど(新聞の書評なんか
を読んでいても、もっともらしくいい加減なことを書いている人がほとんどですから)、肝の据わった
女性は、男以上にブレないということがよくわかる。

いい書評の問題は、読まなくてもわかったような気にさせてしまうことと、読みたくて我慢しきれなく
なるなることを同時に読んだものに味わわせてしまうことだから、そういう意味では大合格。

タイトルはあまり気に入らない(ご本人が存命ならこんなタイトルにはなっていないだろう)が、
この本がそうなんだという編集者の気持ちはよくわかる。


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