2008年11月アーカイブ

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とある美容室の本棚をつくらせてもらうことになった。


髪を切るというより、「少年マガジン」を読むためにいってた近所の散髪屋。
カットをしてもらうとき絶妙のタイミングで手渡されるパーマ屋さんの「女性自身」。

どちらも散髪のときのシーンとして心の中には残っていて、それはそれでなかなか捨てがたい情景
のような気はするけれど、その場にもっとちゃんとしたライブラリイがあっても楽しいんじゃないかと、
このブックショップをはじめたときからずっと思ってた。

一年前の「unexpectedly a serious(けっこう真面目に)」というエントリーでこんなことを書いている。

「そこに書かれている内容だけじゃなく、ブックデザインや組み合わせも含めたセレクションで、
そこに在ること自体がそのスペースやそのショップやその人の表現となるような本棚をデザインすること。

たとえば素敵なライブラリーのあるリゾートホテル、週刊誌や新聞だけじゃない歯医者さん、美しい装丁
の写真集が並んでいるブティック、エバーグリーンな随筆の置いてある輸入車ディーラー、付加価値や
差別化がマーケティングのキーワードとなっている時代に、本というものが(単にディスプレイとしてだけ
じゃなく)、そのひとつのマティリアルになることがあったっていいんじゃないだろうか。」

ホント、けっこう真面目にそんなことをずっと考えていて、この一年の間に、たとえばブックディレクター
なんていう人がTVで紹介されたり(ちょっと悔しいけど)、また実際に「旅に持っていく本」のセレクション
をさせていただいたり、なんとなくひとつのラインが見えてきたような感じがしていた矢先の依頼だった。

1200mmの3段、100冊ほどのセレクション、もちろん古本ばかりだ。

まず考えたのは、あまりマーケティングせずにおこうということだ。

最大限の効果を上げるために、そこにくるお客さんの年齢層や傾向を分析して、そういう人たちの関心の
高い分野にしぼりこんで展開するというのがプロモーションの基本だけれど、それでは教科書的すぎて
あまり面白くないし、だいいちふつうにある街の美容室にくるお客さんのための本なんて、コトバノイエの
ブックリストにあるかどうかもわからない。

かといってスペースが限られていて、ディスプレイ(背表紙だけじゃ図書館みたいだからやっぱり何冊かは
表を向けて並べたい)のことも考えると、あまり総花的なセレクションだと全体がボヤけてしまいそうだし。

まず小説ははずそう、
シチュエーションから考えると、どこから読み始めてどこで終わってもいいものというのがひとつのモノサシ
になりそうだから、物語は不向きだ。

大きくて重い本もちょっと。
家庭画報でさえ少し重く感じるみたいだから、大型のハードカバーや横長の写真集なんかはよくないだろう。

ウダウダとこんなことを考えているうちに、とにかくふだんあまり馴染みのない本を手に取ることで、
ちょっとした非日常みたいなものを感じてもらえることができたら、それでいいんじゃないかと腹を括った、
あれやこれや頭の中で考えていてもしかたない、選ぶ本が表現なんだから。

写真集・画集/詩集/旅の本/大人の絵本/上質のエッセイ/個性的な雑誌

そんな風にして、この六つのセグメントができた。
そして選んだ本はこんな感じ。

book list for Hair Salon Smile Seed  ( extract )

■ Hockney in California    David Hockney   アートアート・ライフ編

■ 波の絵、波の話    稲越功一・村上春樹   文藝春秋

■ PUPPIES   WILLIAM WEGMAN   HYPERION  

■ 空に書く    ジョン・レノン   筑摩書房

■ 手紙    谷川 俊太郎   集英社

■ やきものを買う旅   婦人画報社

■ 近江路散歩    司馬遼太郎ほか   新潮社

■ 白州正子と楽しむ旅    白州正子   新潮社

■ 風の又三郎     宮澤賢治   羽田書店

■ 哲学のえほん   植村光雄   PHP研究所

■ 森の絵本    長田弘   講談社

■ 暮しの愉しみ    向田邦子   新潮社

■ 庭仕事の愉しみ    ヘルマン・ヘッセ   草思社

■ ねこに未来はない    長田弘   晶文社

■ ポートレイト・イン・ジャズ    村上春樹/和田誠   新潮社

■ 散歩のとき何か食べたくなって    池波正太郎   平凡社

■ 和楽 2001/11月号    小学館

■ Arne 2006-9-15/No.17    イオグラフィック

■ wallpaper  december 1999    a Time Warner Company

■ 庭と花の手帖 2000年版    暮しの手帖社


こんな本が美容室のウェイティング・スペースに置いてあったらちょっと楽しいと思うんだけど。


本の入れ替えを月単位でやっていくことになっている。
何回かやっているうちに、なにかもう少しはっきりしたものが、見えてくるんじゃないかと思う。

なんにしても、it will take for a while(10年早い)と思っていたことのひとつが実現したのはとてもウレシイ。

 

本買記ならぬ本選記の顛末、いろいろと難しい。

 

 

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小説を読みたいと思った。

年齢のあまり違わない知己の唐突な死や、ステージ4/余命2年と宣告されたという遠縁のことが重なり、
目の前の「死」というものにたいして、たとえば余命を宣告されたその人になにか本を届けようと考えたとき、
それは決して闘病記のようなノンフィクショ ンではなく、小説、それも時代を超えて読みつがれてきた
古典といわれる作品じゃないかと思ったからだ。

リアルな死を前にすると、ひょっとしたら「祈り」ってやつが唯一の救いなのかもしれないけれど、
「阿弥陀仏」や「Amen」ではなく、クラシックとよばれている文学作品(=本)や音楽や絵画といった、
人が表現したものの中にこそ、生きることをポジティブに感じさせるパワーがあると、信じたい。

とはいうものの、あらためてそれが何なんだと考えると、正直なところよくわからない。

わからないままに本棚をさまよい、このタイトルにいきあたった。


■ 何を見ても何かを思い出す   アーネスト・ヘミングウェイ    新潮社 19930910 1刷

― I guess everything reminds you of something

それはほんの10分足らずで読みきれるスケッチのような掌編で、息子の小さな裏切りのエピソードを
シンプルな文体で綴ったモノローグだけれど、ひとの心のなかに否応なしに去来する空白(void)を
過不足なく、しかも繊細に描ききっていて、上質の文学だけがもっている抽象力があった。

一読するとそれは苦い記憶の物語のように思えるけれど、読み終えてしばらくたつと、
ヘミングウェイが巧妙に、愛するものの不在(=死)というテーマを潜ませていることに気づく。

remind = re-mind

思い出させるこころ。
すべてのものがあなたに何かを思い起こさせる。

こうやって書きながら気づいたことだけど、死とは「ここにいない」ということだ。

あたりまえのように在ったものがある日突然どこかに消えてしまったとき、
遺されたすべてのものが、何かを思い起こさせる。

残されたものは、遺されたものによって、あなたが「ここにいない」ことに気づく。

そう考えると「ここにいない」ことは、それほど淋しいことじゃないのかもしれない。

if something of me reminds you of something once in a while,

それが旅であろうと、死であろうと


Memento mori

 

*

 

■ Abstract Reality    デニス・ホッパー   光琳社出版  19980903 初版

デニス・ホッパーが写真集をだしてるなんて知らなかった。

「抽象的現実」、立体を映しているのに絵画のように平面的な写真たち。

Nikon28mmによる見立て。

まるで抽象画のような60葉の写真を、ホッパーは「禅のタブレット」といっている。
サービス精神の旺盛な役者のことだから、それはおそらく日本版に向けたメッセージだろうけれど、
静謐ともいえるその画像には、表現者としての自信のようなものが見てとれる。

撮ることも撮られることも同じアートなんだよ、なんて嘯いていそうだ。

できれば実物のその「tablet」を、オリジナルサイズの 14 x 9 inches で見てみたい。

多才。


■ 半眼訥訥    高村薫   文藝春秋   20000230 第1刷

笑わない人高村薫初のコラム集。
まだぜんぶ読んだわけじゃないけれど、目次を眺めているだけでちょっとウレシくなった。

文庫化にあたっての大改稿の秘密。
「家のつぶやき」というタイトルで一章を割かれた住宅論。
わたくしのなかの大阪と題する大阪弁論。
ルポルタージュ、そしてブラームスについて語ったエッセイ。

小説という緊張感のある舞台からこぼれ落ちた高村さんの「素」が垣間見えそうで。

読めば止まらなくなる、たぶん。

硬派。


■ 輝く日の宮    丸谷才一   講談社   20030610 第1刷

日本語の人の日本小説、2003年の朝日賞・泉鏡花賞受賞作。

「輝く日の宮」というのは、源氏物語の「桐壺」と「帚木」の間の失われた幻の一帖だそうです。

この本では女性国文学者を狂言まわしにして、源氏物語はもちろん、古今集、芭蕉、武蔵、学会など
日本文学や日本にまつわる様々な考察があり、あげく最後の章ではこの幻の一帖を自らが書き加えて
しまうところまで白熱、また、この本の7章のすべてを異なる形式、文体で描くという超絶技巧も見どころ
(読みどころ)のひとつでしょう。

エッセイであれ書評であれ小説であれ、よく推敲されたこの人の語り口には、成熟した大人の味わい
のようなものを感じます。

やはり文体こそが文章家の命なのかな。

軽みのあるエッセイが、個人的には好みです。

円熟。


■ 傷みのシャンデリア    草間彌生   ペヨトル工房   19890110 初版 

79才現役、75才のヨーコ・オノとはきっと仲が良くないだろう。

貌はひたすらこわい、岡本太郎クラスの眼力。

実際の作品は直島の黄色い水玉カボチャ「南瓜」くらいしか観たことはありませんが、その印象は鮮烈。
モチーフによく使われる網の目や水玉の集合は、子供の頃から日常的に見えるものだったということ
ですから、なにか違うものが視えている異形の人としかいいようがありません。

「赤や緑や黄の水玉模様は地球のマルでも太陽のマルでも月のマルでもいい。形式や意味づけは
どうでもいいのである。人体に水玉模様をえがくことによって、その人は自己を消滅し、宇宙の自然に
かえるのだ。」

ペヨーテが由来というインディ出版社から発刊されたこの小説、気配からするとSMをモチーフにした
pornographic なラブ・ストーリー、「昔、ボニー&クライド。いま、ギンコ&トミー」なんていう
いかにも80年代的なコピーが帯にありますが、もちろんご本人や小説の内容とは関係ありません。

異才。

 

*

 

最近追加した日本美建築のブックリスト



 

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承前

60's が続く。

ことさらこだわっているわけじゃないし、40年も前のことをウダウダ考えるつもりはないけれど、
「69」のことを書いている最中にボブ・ディランの刺激的な映画(NHKBSの再放送)を観てしまった。
流れというのは不思議なもので、始めてしまうと続けさまにコトが起こる。

この映像を見るとディランを抜きにして60'sのカウンター・カルチャーは語れないんだと、あらためて感じ入る。

■ No Direction Home                 Bob Dylan / Martin Scorsese       

2005年のマーティン・スコセッシの作品。
(もともとは Apple の提供で制作されたTVスペシャル、一番見たかったのはもちろん Jobs だろう)
昨年やっとオスカーを手にしたスコセッシは、「映画オタク(by 小林信彦)」であると同時にかなりの
ロック好きとしても有名な監督で、この映画のあとには、ローリング・ストーンズの 「Shine a Light
も撮っているし、旧くはザ・バンドの「The Last Waltz (1978)」 も彼の作品だ。

そういえば「The Last Waltz 」も、この作品と同じように一見モノローグにも思えるような本人への
インタヴューを交えながらコンサートの映像やエピソードを挿入していくという手法だった。

この208分にもわたる長編はインターミッションをはさんだ2部構成で、前半はミネソタの音楽小僧だった
ロバート・ジンマーマンがどのようにボブ・ディランになったかということが、ディランにまつわる様々な
人たちへのインタビューに未発表のライブ映像を交えて克明に記され、後半ではフォークの王子様にまつり
あげられたディランが、どのようにグレて、ラジカルなロッカーに変身していったかということを、
英国ツアーの映像をコアに撮られている。

今まで定説とされてきたことがひっくり返るような面白いエピソードもいっぱいあるけれど、なんといっても
圧巻はエンディングの英国ツアー Newcastle (5/21/1966) での「 Like a Rolling Stone 」だろう。

まさかこのコンサートの映像を見られるとは思わなかった。

ずいぶん昔から「 Royal Albert Hall 」というブートレグとして伝説にもなっていたパフォーマンスで、
テレキャスターをかかえたディランが「ユダ!(judas)」と野次をとばす観客に、「お前のいうことなんて
信じないよ( I don't believe you) 」「 嘘つき野郎(You're lier) 」と毒づき、バックバンド( The Band だ)
のほうに振り返って「でっかくいこうぜ!( Play it fuckin' loud)」と声をかけてその曲をスタートする
シーンには思わず鳥肌が立つ。

ROCKの原形。

NO DIRECTION HOME というメッセージは胸にしみる。

How does it feel            どんな感じだい
How does it feel              どんな感じなんだい
To be on your own             独りぼっちになるのは
With no direction home   帰るすべもなく、
Like a complete unknown  見知らぬひとのように
Like a rolling stone ?      転がる石のように

アーティストであることの孤独と恍惚。

自分自身に立ち返れば人には帰る家などないし、
帰るところよりも行く先をもとめて歩きつづけることがアーティストの旅なんだろう。

それにしても、
前年1965年の英国ツアーのドキュメンタリー「Don't Look Back」の野放図で傍若無人な明るさと比べると、
たった1年しか経っていないこのツアーの緊張感。

1965年のツアーがマリファナ的だとしたら、このツアーはLSDのようだ。

このツアーのすぐあとに、彼はトライアンフで事故を起こし、ウッドストックで2年間の隠遁生活をおくることになる。
でももし事故を起こしてなかったら、ジャニスやヘンドリクスのようにそのまま逝ってしまったんじゃないだろうか。
そう思えるほどに凝縮された輝きと憔悴が、この映像に刻まれている。

このあとの42年が彼にもたらされたことを心から寿ぐ、生き残ることはひとつの価値だから。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。( 方丈記 in 1212 )」


BGM : " I Shall Be Released "   by Bob Dylan    Greatest Hits 2 version


*


■ 幸福號出帆    三島由紀夫    桃源社    19640925 初版

この小説のことはよく知らなかったけれど、三島由紀夫の初版本それも著者印付を逃す手はない。
調べてみると初出は昭和30年の新聞連載で、この桃源社版の前にいちど新潮社から出版されているようだ

渋い紫色の地にシルバーの箔押しがとてもキレイな函、白地のクロスに金箔のタイトルが押された本。
この体裁がそのまま三島由紀夫といってもいいかもしれない。

オレンジの背表紙の新潮文庫で集中的に読んだ時期があった。
とにかくどんな作品でもきっちりと読ませてくれるので、読み始めると必ずハマってしまうんだけれど、
虚構性という か造りもの感が強すぎて、硬い話も柔らかい話もそのうちただの「ものがたり」としか
感じなくなってしまうのが、ちょっとツライ。
この人のリアルは、どこにあるんだろうと思ってしまうのだ。

本としての価値は充分。


■ MAKING CHOICES    MoMA/Thomas &Hudson   20000316

MoMA on line の SALE で入手。

MoMA で2000年3月から9月まで顔際された「MOMA2000」と名付けられた企画展の図録と思われる。
図録といっても大型のハードカバーで、定価9000円のこの本が、いくらSALEとはいえ○○○○円とは、
破格としか言いようがありません。

1929年、1939年、1948年、1955年というアートシーンにとって節目の年の、絵画・写真・映画・
ポスター・建築 (模型)・プロダクトなどいかにもMoMAらしいコレクションが、カラー図版で掲載されている。

NEW YORK に行きたい、とても。


■ アンリ・カルティエ=ブレッソン自選コレクション  大阪芸術大学   20060310 第1刷

大阪芸術大学には世界に4セットしかないブレッソン自選の写真コレクションが所蔵されているらしい。
そしてこの本にはそのすべてが掲載されている、つまりこれって究極のブレッソン本じゃないのか。

こういうことを買ってから知るのはすごく気分がいい、印刷もいいし。

ブレッソンの「決定的瞬間」の構成力の凄さについては、俵屋(京都芸大)のアーネスト・サトウさんが、
芸術新潮で見事に解説していた(実際は弟子であった森村泰昌の代演だったけれど)のを覚えている。

希代のライカ使いブレッソン自身が選りすぐったこのモノクロ411点の作品は、ひとことでいうと、
マチスやピカソやジャコメッティやコルビュジェやモンドリアンと同じ「モダニズムの美」だ。

同時代の精神というのが、やはりあるように思う。


■ 陶芸の伝統技法    大西政太郎   理工学社   19780605 第1刷

趣味にせよ仕事にせよ、この本はやきものづくりを志す人にとって教科書のような存在だ。

陶芸の手法や技法に関しては流儀のようなものがあって、この人は京都流。
もちろん名古屋や九州方面の手法もちゃんと紹介されているけれど、道具にローカリティがあるのはしかたない。

どんな種目でもそうだけれど、先生につかず独学でやっているものにとって、こういう基本的なところを、
きちんと生真面目に示してくれる参考書の存在は無類にありがたい。

旧い本だけれど、焼きものの世界のスタンダードはそれほど変化しているわけではなく。
普通にやるならこれ一冊で充分の充実度、深まれば同著の「陶芸の釉薬」があります。

それにしても専門書はやっぱり高いな。


*


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