2009年5月アーカイブ

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承前

とはいうものの、すでに10日が経っている。
時間の流れというのは、自分が思っているより遥かに速いもののようだ。

この前書ききれなかったゴールデン・ウィークの本買記、いくつかの本の雑感とリスト。

これもまた忘備として。


■ 文体練習( exercices de style )  レーモン・クノー  朝日出版社 20030418 初版第4刷 

「地下鉄のザジ」の作者による知的なことば遊び。

まず隅々にまでしっかりと心配りされた端正な佇まい(designed by 仲條正義)に魅かれて手にとった本だけれど、
中身もそうとう刺激的だ。

これはある情景を、変奏曲のようにアレンジを変えながら99のスタイルの文章で表現するという試みなのだ。
ひとつの現象をめぐる99の文体。

それは最初の文章「1. メモ」で、まずフラットに描かれている、それはこんな出来事だ。

S系統のバスのなか、混雑する時間。ソフトをかぶった二十六歳くらいの男、帽子にはリボンの代わりに編んだ紐を巻いている。首は引き伸ばされたようにひょろ長い。客が乗り降りする。その男は隣に立っている乗客に腹を立てる。誰かが横を通るたびに乱暴に押してくる、といって咎める。辛辣な声を出そうとしているが、めそめそした口調。席があいたのを見て、あわてて座りに行く。二時間後、サン=ラザール駅前のローマ広場で、その男をまた見かける。連れの男が彼に、「きみのコートには、もうひとつボタンを付けたほうがいいな」と言っている。ボタンを付けるべき場所(襟のあいた部分)を教え、その理由を説明する。

この情景を、あるときは詩のように、あるときは暗喩だけで、また順番を逆にしての倒叙法で、あるいは夢として、予言として、手紙として記述される。それはまるで百物語のように、リズムと響きを変えながら99番目まで繰り広げられ、「そういえばさっきバスの中でね」というカフェでの会話に紛れ込ませるという複雑な手法で、しかも思いもよらないオチをつけて、ことばの世界から現実の世界にわれわれを引き戻し、俳諧らしきもので幕を閉じる

「バスに首さわぎてのちのボタンかな」

お洒落。

セイゴオさんがいうように、これは「編集工学のためのエクササイズのバイブル」といってもいいものだろうし、なによりもエスプリがきいている。

ともかくも、クノーの魅力はやはり『遊び』にある。"遊術"であり"遊学"なのである。いかに『知』を遊びきるか、その遊びを『知』のはざまにメビウスの輪のようにそっと戻しておけるのか、そのしくみを伏せないで見せること、これがレイモン・クノーの"編集術"なのである。

そしてこれはまた、きわめて難しかったであろう完全翻訳(原書の「ギリシャ語法」は枕草子風の「古典的」に、「イタリアなまり」は「いんちき関西弁」に、「ラテン語もどき」は「ちんぷん漢文」にしたとのこと)を成し遂げた訳者の作品でもある。

文体が、やはり命なのだ。


■ ぐるりのこと    梨木香歩   新潮社    20041225 初版 

季刊誌「考える人」2002年夏号から2004年秋号に掲載された八つのエッセイ。

まず「ぐるり」(アクセントは頭で)という語感がシブイ。

「境界を行き来する」という一篇が印象的だ。

「不思議な静けさに満ちていて、それでいて開かれている」という初夏のセブンシスターズの断崖の散策の思い出からはじまって、海と陸との境界に臨んでその「向こう側に、自分を開いていく、訓練」というところに思索がながれ、それがローザ・ルクセンブルグへとリンクする。

そして話はさらに、その空に浮かぶカモメから「ジーンとともに」という本の話に移り、その本に描かれた「他者の視点」から、「自分を保ったままで、自分の境界はしっかり保持したままで、違う次元の扉を開いていく」という、ある意味哲学的な祈りへとたどりつく。

私の方はね、と(一緒にいったアメリカ人の女性に)口を開く、いつか人類の意識が、まるで『反射』のように難なく自他の境界を行き来できるときがくればいいと考えていたの。

"自分"と"境界の向こう側"とを繋いでいるものへの想いを紡いだこのエッセイは、まるでひとつの短編小説のようだ。

ほかの7篇も、それぞれに趣深い。
うまくいえないけれど、彼女(の文章)が持つしなやかで、でも硬質な空気感が、なんともいえず心地良いのだ。


■ GA Houses 21     二川幸夫  A.D.A EDITA Tokyo 19870220

数ある住宅雑誌の中でも群を抜いたステイタス感。

広告が全くないし、ブックコードもISBNだから厳密には雑誌分類ではないのかもしれないけれど、この「GA Houses」は、主宰であり写真家でもあるこの二川幸夫という人の存在感も重なって、ちょっとスペシャルな雰囲気をもっている。

掲載されている22の住宅はもちろんどれもカッコイイけれど、この号の白眉はなんといっても巻頭の「鉄の人」ジャン・プルーヴェ(Jean Prouve)の自邸

どうしても家具ばかりが注目される人(EM table なんて最高です)だけど、コルビュジェが「彼が触れ、思いつくすべてのものは、ただちに優雅な造形美をもってしまう。」といったように、建築家としてもちゃんとした仕事をした人で、自身の鉄工場からの廃材でセルフビルドされたというこの自邸も、50'sモダンとプルーヴェの造形センスがいい塩梅に融けあってすごく住み心地良さそうだし、軒が深くて、なだらかなアールを描く屋根の造作がとても美しい。

あと、「Meet the Architect」として特集されているアントワーヌ・プレドック(Antoine Predock)というアルバカーキの建築家の7つの作品(集合住宅を含む)が、どれもニューメキシコ(タリアセン・ウエストのあるコロラドよりさらに荒涼たる砂漠)という風景によく映えて、素晴らしいものだった。

この「GA Houses」 、最新号は110ですが、古本ではなかなかでてこない雑誌の一つです。


■ 500 GREATEST ALBUMS OF ALL TIME  インターナショナル・ラグジュアリー・メディア 20090501初版

名盤ディスクガイド500、Rolling Stone誌の版権を現在もっている出版社が ROCK の意味もわかっていないヘタレなところなので、本としてはたいしたことはないけれど、ひとつの資料としては価値があるかもしれない。

選者はミュージシャンやプロデューサーを含むアメリカ音楽界の有名どころ273人。
それぞれが最高だと思うアルバム50枚を選んで順位をつけ、5人以上が投票したアルバムを対象に、1位(100点)、2位(50点)・・・50位(2点)として得点を集計し、得点の多いもの順のランキングで掲載されている。

とりあえずベスト10を。

001  Sgt. Pepper's Lonely Heart Club Band      The Beatles     1967
002  Pet Sounds     The Beach Boys     1966
003  Revolver     The Beatles     1965
004  Highway 61 Revisited     Bob Dylan     1965
005  Rubber Soul     The Beatles     1965
006  What's Going On     Marvin Gaye     1971
007  Exile on Main Street     The Rolling Stones     1972
008  London Calling     The Crash    1979
009  Blonde on Blonde     Bob Dylan     1966
010  The Beatles ( White Album )     The Beatles    1968

ビートルズが4枚ディランが2枚そして 60's が7枚、まあわからなくもないけれど、ちょっと偏りすぎてて(選者がアメリカ人ばかりですから)あまり面白くないので 11- 20 も。

011  The Sun Sessions     Elvis Presley     1976
012  Kind of Blue     Miles Davis     1959
013  The Velvet Underground     The Velvet Underground & Nico    1967
014  Abbey Road     The Beatles     1969
015  Are You Experienced ?         The Jimi Hendrix Experience     1967
016  Blood on the Tracks     Bob Dylan     1975
017  Nevermind     Nirvana     1991
018  Born to Run     Bruce Springsteen     1975
019  Astral Weeks     Van Morrison     1068
020  Thriller     Michael Jackson     1982

ちょっと面白くはなってきたけど、やっぱりこういう集計だとどうしても総花的にならざるをえないよなあ。

リストを眺めながらひとりひとりのベスト20を考えるのも愉しいかと。

ちなみに第500位は、Eurythmics の シンセ・ポップ・アルバム「Touch」だったのでした。


■ 作家の中の音楽     安川定男    桜楓社   19760525 初版

旧い本だし、著者のことはよく知らないけれど、音楽というファクターを軸にした作家論という試みには、
ちょっと魅かれるものがある。

「個々の作家の精神の中で、音楽が、あるいはまた音楽的感性、感覚、感受性が、どのような形で生きて働いていたか」

俎上にあげられるのは、萩原朔太郎・森鴎外・夏目漱石・永井荷風・島崎藤村・白樺派・小林秀雄(もちろんモオツァルトです)といった近代日本文学の作家や詩人たちだ。

時代が時代だから、音楽はポップミュージックではなくクラシックだけれど、作者が自らがあとがきで言っているように、こういうアプローチによる作家論が、これだけまとまって記されるのは稀有なことだったろうと思うし、なによりも差し色のオレンジがよく効いたケースのデザインが本棚で輝いていた。

永井荷風は何を聴いていたのか、そしてそれは彼の文学に反映されているのか?
萩原朔太郎は、音楽を奏でるように詩を書いていたのか?

今でこそ、たとえば村上春樹がそうであるように、音楽は文学のモチーフとしてあたりまえのようにとりあげられるし、作家になってしまったミュージシャンなんていうのもいたりするけれど、ハードもソフトも満足に揃っていない時代の文豪たちが、どのように音楽というものに接していて、それがどのように作品に反映したのかということは、とても知りたい。 

企画の勝利でしょう。


■ ―FUL  クライン ダイサム アーキテクツ    TOTO出版    20090401 初版第1刷

 東京で活動するイギリス人建築ユニット「KDa ( Klein-Dytham architects )」。

この本は、彼らの来日20周年を記念してギャラリー間 で開催されている展覧会「20 クライン・ダイサムアーキテクツの建築」に合わせて刊行された作品集で、文字情報を集めた「WORDFUL」と、主要作品を紹介した「PICTUREFUL」の2フェイズで構成されている。

東京のイギリス人というところが、おそらくキーポイントなんだろう。
音楽には間違いなくイギリス独特の音があるんだから、建築やインテリアにも英国的感性ってものがあるような気がする。

巻頭の「建築は化学」という文章で、人と人との化学反応こそが新しいことやモノを生みだす力だといっているけれど、単純な出会いでなく、この伊東豊雄門下のイギリス人の感性が、日本のなにかと火花が飛び散るような化学反応を起こすことを期待してしまう。

something unexpected  あるいは  displacement

作品はそれほど多くはないけれど、どのデザインもポジティブな気配(ほんとうの意味でのポップ感覚 - それこそがじつはイギリス人の持ち味なんだ)に溢れているのが素敵だ。

彼らが改修したトマムのタワーはとてもカワイイ、力がなければあのバブルの塔をあんな風に変えられない。


■ 骨董玉手箱     秦秀雄     文化出版局   19781030 初版

「珍品堂主人( by 井伏鱒二)」が綴る骨董つれづれ。

骨董の魑魅魍魎に生きた人らしい。

希代の目利きであることは、この本に載せられた写真を見れば一目瞭然だけれど、それは真贋に長けているということではなく、美しいものが視えるということにおいてである。

白洲正子が「遊鬼」という本で、この人について述べている。

「名人は危うきに遊ぶ」といわれるとおり、真物の中の真物は、時に贋物と見紛うほど危うい魅力がある。正札つきの真物より、贋物かも知れない美の方が、どれ程人をひきつけることか。しまいには、自分だけにわかればいい、「人が見たら蛙になれ」と念じているのが、日本の目利きの通有性である。
「贋物を怖れるな。贋物を買えないような人間に、骨董なんかわかるもんか」
秦さんはいつも豪語していた。私が知るだけでも、彼は古伊万里、佐野乾山、魯山人など、「贋物のあるところ、必ず秦あり」といわれる程、贋物にかかわって来たが、目が利かないから、贋物を売買したのではない、目が見えるからあえて危険を冒したのだ。

この本には晩年の彼が見立てた逸品が、美しいカラー写真と洒脱な解説つきで掲載されている。

「見るは目 見ゆるは心」
井戸茶碗 李朝染付小皿 白磁面取り徳利 瓢箪 泰国紙貼りの籠 鉄釜 常滑発掘古窯出土の平瓦

「値高きを恐れず」
越前仏花器 信楽茶碗 唐津塩笥茶碗 伊万里煎茶茶碗 備前経筒旅枕  花唐草文黄瀬戸仏花器 金時計 信楽徳利

「値安きを軽んぜず」
麻の葉文様の金網 筒竹の花入れ 素焼き火もらい 志野初期の皿  土師器線彫文様陶碗 古唐津盃 徳利三種

「きずものをいとわず」
丹波の茶碗 伊万里染付徳利 秋草文酒盃 李朝鉄砂文の壺 黒高麗の扁壺  魯山人旧蔵志野皿 桃山陶片小皿

「奇縁好縁味なもの」
須恵の茶入れ 印花文黄瀬戸仏花器 藤原刳貫盆と小皿 柳に蛙の絵の石皿 丹波の大皿  斑唐津徳利と信楽擂鉢

「新作をみのがさず」
琉球の丸紋土瓶 魯山人の志野徳利 魯山人の鼠志野向付け 秦山の急須 九谷青窯の煎茶茶碗 匣鉢

「かなうはよし かないたがるは悪しし」
桃山唐津の小壺  辰砂絵唐津大皿 青磁呉須手大皿 三島暦手徳利 水晶と須恵の五輪 奈良春日神社油注ぎ

確かに魅惑的な世界ではあるけれど・・・・。

 

■ うつむく青年     谷川俊太郎   サンリオ     19900215 2刷

ずいぶん昔(1971)の詩集だけれど、このときすでに俊太郎さんが40才だったなんて信じられない。

ひとつひとつの言葉の瑞々しさ。

「現代詩が現代音楽とすれば、この本に収めた作品はポップスにたとえていいようなものが多く」と、あとがきで書いているけれど、良質のポップスを書ける人が、なかなかいないわけで。

詩については語れない、感じるしかない。

夕べ

暮れなずむひととき
柿の木の青葉が色を失ってゆくひととき
宇宙の運行をまのあたりに見るそのとき
懺悔するひと
交尾する虫
析出する結晶

暮れのこるカンチェンジュンガの雪の頂き
大洋を西へと渡る翳
あのひとはどうしているだろう
響いてゆくひとつの音
ありとある書物の頁

暮れなずむひととき
むずかりやまぬ幼児たち
佇む馬
曼荼羅


こうやって書き写してみると、この詩人の透明な視線がよくわかる。

 

■ THE BOB DYLAN SCRAPBOOK: 1956-1966    SIMON & SCHUSTER   20050913 初版

「No Direction Home」 という映画のことは以前書いた

この本はそのフィルムとリンクする出版物、いわゆる関連書籍っていうやつだ。

フィルムもとても刺激的なものだったけれど、この「Scrap Book (まさにそんな感じの体裁なのだ)」にもシビレた。

レプリカとはいえ、いちばん尖っていたころのディランの手書きの歌詞草稿や、パンフレット・チケットが収めらていて、おまけがいっぱいついた雑誌みたいだ。こういうのは大人になってもちょっとワクワクするし、それが60'sのディランなら、やっぱり買わずにおれない。

・ディランの実家が営んでいた電気店の広告(1958年)
・ハイスクールの卒業アルバム写真とコメント(1959年)
・Talking New York自筆草稿(1962年)
・カーネギー・チャプター・ホールでのファーストコンサートのプログラム(1961年)
・Blowin' in the Windの自筆草稿(1963年)
・アルバムThe Freewheelin' Bob Dylanの販促物
・ニューポート・フォーク・フェスティバル1963のパンフレット
・初のツアー公演チケット(1964年)
・It Ain't Me Babe, Chimes of Freedomの自筆草稿(1964年)
・カーネギー・ホール・コンサートのパンフレット(1963年)
・ビートルズのディラン称賛を伝える『メロディ・メーカー』紙記事(1965年1月9日付)
・Gates of Eden, Like a Rolling Stoneの自筆草稿(1965年)
・アルバムBring It All Back Homeのプロモーション用ディスプレイ
・自筆修正の入ったShe's Your Lover Nowのタイプ草稿(1991年)
・交通事故後の謎の生活ぶりを伝える新聞記事

日本版もあるそうだけど、このUS原版はとても手のかかった造本で、なによりも Bob Dylan というアーティストへの respect に溢れているのが素晴らしい。

いささかマニアックではありますが。


■ 246    沢木耕太郎    スイッチ・パブリシング   20070419 第1刷

1986-87年の「SWITCH」の連載から。

20年経って単行本にする意味がよくわからないけれど、ともかく1986年1月10日から9月10日の間に(「深夜特急」が刊行された頃だ)、39才の沢木耕太郎が読んだ本、観た映画、会った人、書いたこと、そして考えたことが綴られている。

「日記のようなもの」と本人も「少し長いあとがき」で書いているように、公開を前提とした(つまり原稿として依頼された)文章だから、純然たる日記ではないけれど、昨今のブログ風ではなく、しっかりと原稿用紙にペンで書かれたことが感じられる沢木さんらしい生真面目な文体だ。

日記というコトバそのものが少し intimate な雰囲気をもっているから、書かれていることよりも書かれていないことが気になる。
書かれていないことは、どんなことなんだろう。

246は、皇居から青山(青山通り)・渋谷、駒沢を経由して二子玉川で多摩川を越える国道で、世田谷から都心へのメイン・ストリートだ。この国道246号線と成城からの世田谷通りは、沢木さんの仕事場がある三軒茶屋で合流する。

個人的な話だけれど、この連載が掲載されていた頃、二子玉川から渋谷まで、この246を車で通っていた。
とても懐かしい。


and so on,

■ JAXON STYLE LIVING BATH PROJECT   幻冬舎    20090410 初版

■ 春になったら苺を摘みに    梨木香歩   新潮社    20040320 6刷

■ ISAM NOGUCHI RETROSPECTIVE イサムノグチ展  東京国立近代美術館 朝日新聞社 1992

■ こころと形    谷川徹三   岩波書店   19751126 第1刷

■ 美濃 志野・織部/瀬戸 窯別現代茶陶大観    谷川徹三監修   主婦の友社  19799591第1刷

■ シャネル20世紀のスタイル    秦早穂子  文化出版局   19960501 第4刷

■ 名画とあそぶ法    江國滋    毎日新聞社    19930301 初版第1刷

■   ヒア・アンド・ゼア 北米大陸ホーボー通信   辻新一   思想の科学社  19880720 第1刷

■  幻想の画廊から    澁澤龍彦    青土社   19881118 第8版

■ 映画的建築/建築的映画    五十嵐太郎    春秋社   20090430 初版第1刷

■ なにが粋かよ    斎藤龍鳳    創樹社   19720325 第1刷

■ 冷血( In Cold Blood )   トルーマン・カポーティ    新潮社   19670515 初版

■ 私と日本建築    アントニオ・レーモンド    鹿島出版会   19760526 第6版

■ フライ、ダディ、フライ    金城一紀    角川書店    20050820 3版


*


小林秀雄 said,

「文章ではうまく現わせないけれども、考えていることはもっと深刻なものがあるんです」 なんていうのはうそだ。正直なもので、文章には、その人が考えていることしかあらわれないもんだよ。孔子の有名なことばに「人いずくんぞかくさんや」というのがあるな。人間はおもてにみえるとおりのものだっていうんだ。自分よりえらくみせようとしたって、利巧そうにみせようとしたって、あるいは、もっと深く考えているんだって、いくら口でいったってだめなんだ。もってるものだけ、考えているだけのものがそのままおもてに、顔つきにも文章にもあらわれるんだよ。(「兄 小林秀雄との対話」by 高見沢潤子)

なかなか含蓄のあるお話だけど、まさにおっしゃるとおり。

文章にせよ音楽にせよ絵画にせよ、そのままにしか出てこないものなんだ。

軽薄な人は、軽薄な文章しか書けないし、品性の低い人は品性の低い音楽しかつくれない。

隔靴掻痒。

 

*

 

最近追加した「小説・詩・エッセイ・評論」のブックリスト。


SPOT LIGHT 特集企画第4弾、「 ミーツ・リージョナル編集室の半井裕子さんが選んだコトバノイエの30冊」準備中。

気鋭の女性エディターによる驚きのセレクション、乞うご期待。

 

http://kotobanoie.com

 

 

 

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気持ちいいことだけしていたい。
快楽的にというとフィジカルなニュアンスになってしまうから、悦楽的にとでもいっておこうか。

気持ちいいことだけっていうのは、逆にいうと気持ち悪いと感じることには決然と No ! といってしまうことで、
それを端的に表していたのが1967年の、

make love, not war

というメッセージだった。

とてもシンプルなコトバだけれど、時代が変わっても価値を持ちつづけているんじゃないかと思う。

戦争であれ、エコロジーであれ、オーガニックであれ、もっといえば法律や慣習であっても、なんとなく腑に落ちない、
気持ち悪いと感じることには、流されたくもない。

どんなときでも、NO というのにはちょっしたとエネルギーがいる。
でもそのエネルギーさえもポジティブなことに転化させるのが、悦楽的生活のポイントなんだろう。

そんなことを考えながら過ごした2009年ゴールデンウィーク の忘備。

 

○月○日

Y部さんが設計をした「Tシャツの家」のオープンハウス、亀岡までのドライブ。

前日に、たまたま入手したナビゲーション( SONY NV-XYZ-77/SONYは2006年にカーオーディの事業から撤退していて、いまは NAV-U という小型フラッシュメモリータイプのナビしか販売していないけれど、この機種が発売された2004年当時は、パソコンと連動した新しいスタイルのAVとしてけっこうセンセーショナルなモデルだったのだ)を、車にとりつけていて、ドライブはその試走でもあった。

ところがこのナビが絶不調、自分の走っている方向さえもちゃんと捕捉してくれない。
アンチナビ派からのあまりにもなしくずしの豹変に、機械もあきれてしまったのかと、しまいには笑えてきた。

その日の亀岡はとても寒かったけれど、Y部さんの造った新しい家は印象深いものだった。

その家の、窓のほとんどない仄暗い二階の部屋(ロフトというべきか)に佇んでいると、吹き抜けからの光と天窓からの光、まったく気配の違う上下ふたつの光に部屋全体が柔らかく包まれて、ほんとうに naked とでもしか表現しようのない素材むき出しの空間が(それはコトバノイエもそうなんだけれど、コトバノイエには本という衣装が着せてある)、とても豊かなものに感じられた。

室内で自然の光を美しく感じられるのは、まちがいなくひとつの悦楽だ。
建築家の愛がなければ、こんな家ゼッタイできない。

一年前にこんなことを書いている。

建築家と設計士の違いは、その作品に批評性があるかどうかということじゃないかと思う。

批評性とはつまり、 something new に対するクリエイティブな欲求であり、いままでのあり方を
変えようとする明確な意志であり、さらにもっと抽象的に表現するなら、人間のつくるもの、そして
人間のつくれないものへの「愛」のことだ。

その小さな住宅には、それがあった。

 

○月○日

風呂場では本を読む、飲みながら、食べながら。
文庫本で短編小説をひとつというのがちょうどいい。

この日は「給食室と雨のプール」というよくできた短編を読んだ。

いい短編を読んだら、こころにポッと明かりが灯るようだ。

自然光の入らない風呂なんてもう考えられない。

眼鏡が曇るのが難点なんだけど。

 

○月○日

この日はむかし「天皇誕生日(戦前は天長節)」といわれていた。
それがいつからか「みどりの日」になり、気がついたら「昭和の日」ということになっている。
無節操きわまりない変節、これをよもや「チェンジ」とか「Yes we can」とはいわないだろう。
都合で暦を変えてはいけない。

この日が忙しくて楽しい日になるのは、わかっていた。

まず「コトバノイエの30冊」のセッション。

これまでの3回は一癖あるオジサンばかりだったから、できれば次は若い人か女の人に、と考えていた「コトバノイエの30冊」の curator を 、一年前にお客様として来ていただいたことのある雑誌編集者のSさんにお願いしたら、快く受けてくださったのだ。

天気のよい日だったので、外のテーブルでのランチをはさんでのひととき。

去年の彼女の鮮やかなセレクションはいまでも心に残っている。

あのシャープな感性でコトバノイエの本棚から30冊を選んでもらったら、ちょっと面白いことになるんじゃないかとワクワクしながらのセッションだったけれど、彼女のスタイルはまさに curation とでもいうべきもので、選ばれた30冊には驚かされた。

こちらがプレッシャーを感じるほどに男前なブックリスト。

乞うご期待としかいいようがない。


そして彼ら(Sさんと引率のYくん)がコトバノイエを離れるのとほぼ同時に西宮へ。
Y部さんの先輩の建築家R平さんから、甲陽園目神山での「ヤネメシ」にさそわれていたのだ。

このときには、調整を終えたナビがその本領を発揮した。

目神山というところは文字どおり山のなかの住宅地で、それぞれの坂道に番号がついていて、地元の人たちは何番坂の○○さんといえばわかるみたいだが、基本的にはケモノ道を切り開いたようなところだから、外部の人間には道がきわめてわかりにくい、というか覚えにくい。

R平さんのヤネメシには一昨年もお邪魔したし、つい2週間ほど前にはその目神山の頂上にある北山浄水場でのお花見にも参加したんだけれど、何回行ってもあの道がどうなっているのかさっぱりワカラナイ。

ところが、件のナビに住所を入力すると、ナビのお姉さんがものの見事に案内してくれた。
懇切丁寧に、しかも渋滞情報や高速代も報告しながらのピンポイントである。

新しい機械を買った(ナビはもらいものなんですが)ときはいつもそうだけど、こんな便利なものを今まで使ってこなかったことに不条理を感じてしまう。
きっともう後戻りはできない、文明と人間はそうやって「便利」のなかで蜜月をつくってきたんだから。

目神山での「ヤネメシ」は最高。

人良し、食良し、気候良し、まさに悦楽的な時間を過ごさせていただいた。
あの「回帰草庵」の暖炉の前での after hours は、夢見心地といってもいいものだった。

なによりもR平さんのA型的ホスピタリティーに感謝の言葉もない。

 

○月○日

この日もなぜか忙しい。

GWの変則日程で行けていなかった本買いは外せない、この日を逃すとちょっと間が空きすぎる。
月単位で契約いただいている美容室「SMILE SEED」の本棚もタイムリミット。
そして、GW恒例の帰郷、おそらくこの日(平日)を外せば高速道路は絶望的に混むだろう。

まずいつものT書店での仕入れ。

中身は濃かったけれど、数が少なかった4月(33冊)の分は取り返さなければ、などと考えながら臨んだ久しぶりの本買いだったけれど、そうそう都合よく事は運ばない。
もちろん何冊かの収穫はあったけれど、本との出会いはやはり coincidence でしかないのだ。

そして前の晩に選んだ本と、その日買った本の何冊かを携えて SMILE SEED へ。

美容室はそれほどじっくり本を読めるという場所じゃないから、ラインアップは雑誌のバックナンバーを中心に組み立てるようになった。それでも、あの本はとても人気があるというフィードバックや、ときには気に入った本を買ってもらったりといったことが積み重なっていくと、いい本はどんな場所でもいい本なんだと独りごちる。

雑誌にしても、美容院のレギュラーである「女性自身」や「家庭画報」や「STORY」とはひと味違う「和楽」や「太陽」や「ESQUIRE」といった雑誌が、あのスペースにあるのはとても新鮮なことじゃないかと、これもまた自己満足。

とにかく自分の知らない世界を、その本棚にある本や雑誌で感じてもらえたらと、心から思う。

そんな月に一回の本棚編集を終えた夕刻、帰郷の途につく。
週末になってしまうとETCの莫迦騒ぎに巻き込まれてしまうに違いないと考えたら(それは正解だった)、
高速道路を走るのはこの日しかないのだ。

高速道路はあっけないくらい空いていた。

とにかくこの道路行政くらい気持ちの悪いものはない。
政治家の利権、官僚の天下り、意味不明の税金、そしてそれを徴収する巧みなシステム、グランドデザインのない政策、
そういったウサンクサイことがすべて凝縮されているようだ。

要は最初の約束どおりタダにすればいいだけで、財源がどうのこうのといわれているけれど、
15兆円もの選挙の事前運動を、財源もなしに(というか借金で)プランするほうがよほどオカシイだろ。

ドライバーは、NO !  と声を出すべきだ。

 

○月○日

郷里の町では、毎年この日に神社の祭りがある。

神輿がでて、夜店がでて。

今でこそいろんな楽しみがあって、なんて月並みなことは言いたくないな。
ハレの日はいつだってワクワクするし、一年中こんな日ばかりだったらと、
子供だけじゃなくじつは大人だって思っているのだ。

P.S.
この日生粋のロッカーが、またひとり旅立った。
いまどきメンフィスでロックをレコーディングなんて、キースかこの人くらいだったのに。
ブルースを知らずにロックなんてできないよね、清志郎さん。

合掌

58才は鬼門なのか。

 

○月○日

実家に帰ったら必ず行くところがふたつある。
幼稚園の頃からの幼馴染のところと、少し離れた高原のリゾートにあるプールだ。

この高原のプールは、とにかく気持ちがいい。

それほど広いプールではないのだが、半外のデッキスペースがあり、澄みきった五月の空の下で、ゴルフ場の芝生や遠くに建ちならぶ山小屋風のコテージ、そして遙かに霞む山々なんかを眺めながら、泳いだり、デッキチェアに寝ころんだり、ジャグジーに入ったりするのは、岡林信康じゃないけれど、「申し訳ないが気分がいい」。

とにかく液体に身を浸すことは、悦楽のひとつの根源なのだ。

そして午後は競馬、第139回天皇賞 GⅠ。

競馬に限らずギャンブル、もっとあからさまに言えば博打の、痺れるような快感と奈落は、本の世界で言えば、阿佐田哲也の「麻雀放浪記」や、最近であれば森巣博「神はダイスを遊ばない」、古くはドストエフスキーの「賭博者」などにうまく描かれているけれど、とにかく己以外に頼るもののない孤独(それは自由であることの裏返しでもある)も、またひとつの悦楽のカタチじゃないかと思っている、勝つにせよ負けるにせよ。

京都10R  第139回天皇賞(春) 3200m芝・外  

1着 マイネルキッツ     3:14.4
2着 アルナスライン
3着 ドリームジャーニー

払戻金

単勝 2      4,650円  12番人気
複勝 2      870円 9番人気
       4         270円   2番人気 
       12       370円   5番人気

枠連 1-2    3,520円  11番人気
馬連 2-4  10,200円  28番人気 
馬単 2-4  22,530円  66番人気 

3連複 2-4-12    32,390円  92番人気 
3連単 2-4-12  221,080円  572番人気 

3連単(1着から3着までを順番どおりあてる)を1000円もっていれば221万円。

幼馴染の家でTV観戦、もちろんカスリもしなかったんですが。

 

○月○日

思いたって映画。

もともとゴールデンウィークという言葉そのものが、映画の世界からきたもの(by 小林信彦)なんだから、子供の日に映画を見るのは正統派の愉しみといってもいいだろう。

映画館の暗がりのなかで大きいスクリーン(できるだけ大きいほうがいいから、今のシネコンじゃほんとはちょっともの足りない)を一心不乱に見つめる2時間は、ほかの何ものにもかえがたいひとときだ。

そして映画といえばクリント・イーストウッド、オスカー総なめの「スラムドッグ$ミリオネア」も気にはなったけれど、ここは正調ハリウッドムーヴィー、「グラン・トリノ (GRAN TORINO)」しかない。

イーストウッドに駄作なし。

この前の「チェンジリング(Changeling)」は見られなかった(あっという間に上映が終わっていた)から、
この「グラン・トリノ (GRAN TORINO)」はゼッタイ見逃せないと思ってた。

イーストウッドが演じるウォルトという頑固ジジイは、17年前の「許されざる者(Unforgiven)」のマニーがそうであったように、彼自身の姿そのままのように思える。でもこの映画には「ダーティー・ハリー(Dirty Harry)」や「許されざる者(Unforgiven)」のようなカタルシスはない。

自分だけの正義に殉ずるのは、ハリーやマニーと同じだけれど、ウォルトには深い内省があり、それがエンディングのシーンにつながっているように感じられる。でもそれをアジア的とか仏教的という言葉で解決してしまうのはあまりにも短絡的で、5月31日で79才になるイーストウッドの「人生の締めくくり方」へのリアリティがそうだったと考えるべきじゃないかと思う。

彼が表現するのは、リアルなアメリカの姿だ。

ミリオンダラーベイビーのサクセスストーリーや安楽死、スペースカウボーイの老後、ミステックリバーの友情と地縁、硫黄島の戦争と人間、アメリカという国やそこに暮らす人々のそのときの有り様を、まっすぐな視線で描いてきた。

映画のことをこれだけ知っている人は、ハリウッドにももうほとんどいないんじゃないかと思う。

ウォルトのような唾を吐く頑固ジジイになりたい。

 

○月○日

起きぬけに、昨夜届いた小林信彦の新刊「B型の品格(本音を申せば11)」を読み終えて、風呂で短編をもうひとつ。

この日は泣かせの次郎、「霧笛荘夜話」。
いつもながらの見えすいた人情話だけれど、鉄夫の純情にちょっと泣けた。

午後からは天神橋本買。

いつものところだけで済ましておいたらよかったのに、つい天満駅のほうに足を伸ばしたらこの本につかまってしまった。

■ The Bob Dylan Scrapbook, 1956-1966     Bob Dylan    Simon & Schuster    20050913    ¥5000

まったく予定外だったけれど、このオレンジ色の背表紙が本棚に並ぶのは悪くない。

そのあとナビのお姉さんの指示に従って、ざこば寿司横ビルを見学して、帰宅。

連休のオオトリは、やはりソトメシだ。
あいにくの小雨だが、Y部さんが拵えてくれたコトバノイエは、外が雨でも大きな軒の下でスペアリブやハンバーガーが炭火で焼けたりする全天候型ソトメシ仕様なのだ。

これもまたY部マジックのひとつである。

べつにそうしようと考えていたわけじゃないのに、なんかY部さんではじまり、Y部さんで終わった連休の雑感。

 

持ち歩く鞄はいろいろ代えたけれど、この間ずっと持ち歩いていたのは、梨木香歩さんのエッセイや小説でした。
「家守綺譚」以来、この人のあやかしの世界に、ちょっと DEEP に惹かれています。

4日前から書きはじめて、すでに今日は5月8日。
書き疲れて、買った本の未読記まで辿りつけそうもありません。

はたしてこれを悦楽の日々と呼べるんでしょうか?