2009年7月アーカイブ

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― the old fogey almost did it.

プレイオフで敗れた今年59歳になるトム・ワトソンが、第138回全英オープンの、ここをパーで決めれば
26年ぶりにこのメジャー・トーナメントで優勝できるという、72ホール目の第2打に選んだクラブのことに
ついて、ちょっと悔しそうに答えたあと、なんかいいヘッドラインを考えてくれないかなと記者に訊かれて、
きっぱりと、そして爽やかに応えた言葉がこれだ。

almost did it ― ほんとうに惜しかった。

勝利には届かなかったけれど、淡々と一打一打を刻むその姿が、トーナメントの主役であったことは、
スタンディング・オベーションで彼を迎えた、スコットランドの人たちがいちばんよくわかっていたんじゃ
ないかと思う。

トム・ワトソンは、1949年ミズーリ州のカンサス・シティ( Kansas City は、カンサス州とミズーリ州の
両方にあるのだ)の生まれ、1969年には20才だったわけだから、ばりばりのヒッピー・エイジだ。

中西部の田舎都市から、フラワー・ムーブメントの中心地、サンフランシスコのベイエリアの名門大学
スタンフォード(シリコン・バレーの中心地 Palo Alto にある、アップルがある Cupertino は隣町だ)で
学生生活をおくっていたそうだから、映画「フィールド・オブ・ドリームス」のキンセラ(架空の人物では
あるが)みたいに、そのムードに巻き込まれていても不思議はないはずだけれど、彼にはそんな気配を、
まったく感じない。 むしろどちらかというと、スクェアな印象である。
たぶんその風貌そのままの、真面目なヤツだったんだろう。

ジーン・サラゼンが、彼を評してこんなことを言っている。

トム・ワトソンという男は、大変、爽やかな人間である。それが、私の第一印象だ。いつ会っても、
まるで純朴な少年のような顔をしていて、決して嫌な顔を人に見せたことがないと思う。
そして、常に姿勢がいい。そのムードは、まさにアメリカでいう"スマート・ボーイ"の見本と言って
いいだろう。聡明、明晰、賢明。そんな言葉が寸分の狂いもなくあてはまってしまう男なのである。
どんな話をしてもそつがなく、一度会った人間は、恐らく彼に対していやな印象を持つことはないであろう。
ちょうど、昔のテレビのホーム・ドラマに出てくる典型的なアメリカの賢い少年といった感じである。
そう、例えば『パパは何でも知っている』というドラマのモデル家庭になっていた古き良き時代の
アメリカ家庭。ここに出てくる少年がワトソンそのものなのだ。


ゴルフというスポーツは、コースとの闘いであり、自分との闘いでもある。
なかでも、この全英オープンは、オーガスタのような人工的に設計されたアメリカのコースとは全く違う、
リンクスと呼ばれるほぼ自然のまま(サンドトラップだけはとても意地悪に掘られているけれど)の荒涼
とした海岸のゴルフコースで、しかもスコットランドの厳しい気候の下で開催されるトーナメントだけに、
自然というものにたいするプレイヤーの attitude や、自分自身にたいする discipline みたいなものが
いっそうきびしく試される。

石川遼のような新人が、そんなに簡単に歯が立つようなところではないし(よくがんばったけど)、
過去3回優勝しているタイガー・ウッズでさえ、今年はその荒ぶる風に幻惑され、予選で敗退している。

そして今年のこのトーナメントでいえば、ワトソンがチャンピオンにふさわしいプレイヤーの一人であった
ことは間違いないし、その attitude がほかのどのプレイヤーよりも、それを見ているぼくたちに感銘を
与えたのだった。

ゴルフのスポーツとしての特徴は、審判がいないということだ。
もちろんプロのトーナメントには、オフィシャルというルールの判定人がいるが、スコアそのものは、
プロもアマチュアも、空振りとかロスト・ボールのようなペナルティを含めて、すべて自己申告で、
一緒にラウンドするパートナーがそれをチェックすることで成立する。
たとえば、あなたが誰も見ていない薮の中で素振りして小枝を折ってしまったら +2、一緒にプレイ
している人に「いま何番で打った?」と尋ねたら +2 、そのペナルティは R&A  のルールブックには
書いてあるけれど、それスコアカードに書き入れるかどうかは、あなたに委ねられている。
いっしょにコースを回れば人柄や性格がわかるといわれるのは、ゴルフがそういった自分を律する
気持ちに支えられているゲームだからだ。

じぶんでやるゴルフは、少しも面白くない。
アウトの1番のティイング・グラウンドに立つときは、ものすごく気持ちいいんだけれど、ティーショット
を打ったとたんに嫌になる。いくら人柄が良くても、それだけでワトソンみたいには打てないんだから。
ゴルフ場が自然破壊だなんて野暮なことはいわないし、見晴らしのいい森の中や海岸を歩くのは
とてもいい運動かもしれないけれど、不充足な気分をずっとかかえたまま、棒を振り回すのは不健康だ。
ましてあっちに走ったりこっちに走ったり、池に入って打ち直したり、小さな穴を行ったり来たりするのが
面白いわけがない。
でも、どんなヘボでも、どういうわけかワンラウンドに3回くらいは、痺れるようなナイス・ショットがあって、
まるで自分がタイガー・ウッズにでもなったようなその麻薬的な快感が、ぼくたちを泥沼に引き込むのだ。

山際淳司がこんなことを言っている。

ゴルフというのは不思議なスポーツだと思う。そう思える瞬間がしばしばあり、そのときもぼくはそういう
感覚にとらわれていた。狙い打ちにすると絶対にターゲットを外し、どうでもいいと思って打つと、どういう
わけかそのターゲットを射とめてしまう。それならと、ここは無心になって打つべきなのだと、「意識的」に
無心になろうとすると、また失敗する。アベレージゴルファーとはその堂々めぐりに巻き込まれている
ゴルファーのことなのである。

当然ながら、グリーン上ではベット(賭け)もある。

Golf and sex are about the only things you can enjoy without being good at it.
( ゴルフとセックスだけは下手でも愉しめる )


いくつになっても、悩みの種はつきないのだった。
 

attitude/ǽtitjùːd | -tjùːd/

名詞 : (人物に対する)態度, 感じ方⦅to, toward, on ...⦆;(...という)態度
an attitude of arrogance|ごう慢な態度
an attitude of mind|心構え


discipline/dísəplin/

名詞 : 規律(正しさ), 秩序, 統制;風紀;自制;しつけ
the lax discipline of youth|青少年の無軌道さ
keep discipline|秩序を保つ.


*

 

いちど売れた本を買い直すことが多くなった。
もちろん売れたからもう一度仕入れるということではなく、もともと読みたくて買った本だから、
読むまでに売れてしまって、やっぱり読んでみたいなあと思う本は、買ってしまうんだけれど、
気分としてはじつはあまり「買った」という気がしない。
やっぱり本棚に今までなかった本が増えないと、面白くないんだな。

新しい古書店を開発した。
写真集「SUGIMOTO - ARCHITECTURE」はその成果。
未整理のまま雑然と本の束がころがっているようなところなので、ここはじっくりといきたい。


■ もし僕らのことばがウィスキーであったなら    村上春樹    平凡社 19991215 初版

タイトルは、「もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。」と続く。

さらに、

僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かにのどに送り込む、それだけですんだ
はずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。 しかし残念ながら、僕らはことばがことば
であり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのものごとを、なにか別の素面のものに
置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない。でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、
僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らは ― 少なくとも僕はということだけど ―
 いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。もし僕らのことばがウィスキーであったなら、と。

うまいなあ。
鼻持ちならないスノビズムではあるけれど、言葉の選び方や文章のスタイル、そしてゆったりとしたその流れ。
この雰囲気は、この人でなければ醸しだせない。

スコットランドへのシングル・モルト・ウィスキーを訪ねての旅行記、造本・装幀も文句なし。
特筆すべきは、豊富に掲載されている陽子夫人の写真だろう。

個人的には、村上春樹の文学は、決して時代の先端を担うようなものではないと思うけれど、
彼がリラックスして書いた小品には、彼がもともとの素質として持っている瑞々しさや趣味の良さが
そのまま現れていて、じつはこういう比喩をしぼったゆるやかな散文こそが、この人の本領なのか
と思ったりする。

スコットランド ― 1949年生まれ、same place - same age ここにもまた coincidence があった。


■ SUGIMOTO - ARCHITECTURE     杉本博司     MCAC   20030222

新しい古書店での収穫。
杉本博司が撮ったモダニズム建築68点、2003年にシカゴ現代美術館で開催された写真展
"ARCHITECTURE" のための写真集。

「私は現代(モダニズム)のはじまりを、その建築物から辿ってみることにした」

方法論は、無限の倍という焦点距離。物理的にあり得ない空間にピントが合ってしまうわけだから、
とうぜん被写体はボケボケに写る(「溶ける」と彼は表現している)。優秀な建築は大ぼけ写真でも
溶け残るのだという。本人曰く「建築耐久テストの旅」。

たしかにその写真には、夾雑物が取り除かれた建築の霊が映っているような感じさえする。

実在している建築なのに、フィクションとしか思えないその姿。

この人は1948年生まれ 、ハルキやワトソンと almost 同世代なのだった。


■ 翔ぶが如く 1 - 4     司馬遼太郎全集35-38    司馬遼太郎   文藝春秋  19830615初版

気に入った作家の全集を、端本でひとつずつ集めるのは、古本の愉しみのひとつだ。
司馬遼太郎さんの全集は、この4冊を含めて24冊が本棚にある。
全68巻の大全集だからまだまだ楽しめるけど、問題はどれを持ってるかを本棚の前で
なかなか思い出せないことだ。

この「翔ぶが如く」は、司馬さんが最も本領を発揮する幕末/明治の大河小説。
物語の軸は、薩摩藩の西郷隆盛と大久保利通だ。
鳥瞰的に時代を捉える司馬史観は、この激動の時代にその威力を最大に発揮する。
「世に棲む日々」や「竜馬がゆく」のようなわくわくするような面白さはあまりないけれど、
歴史というもののダイナミズムをより感じさせてくれるのは、こっち。
この作品の長線上にある「坂の上の雲」とならぶ、明治サーガの代表作だろう。

 

■ 美藝公     筒井康隆/横尾忠則      文藝春秋    19810220 第1刷

初出は 「GORO(懐かし!)」 の 昭和55年1月1日号 ― 10月23日号。

この本を買うのは3冊目、売れた分の買い直しの本だけれど、これまでのミリオン出版の
復刻版と違い、これはオリジナルの文藝春秋版だ。

判型もB5サイズの復刻版より大きいA4だし、なんといってもオリジナルだから、とハイな
気分になって(じつは先週買うことができなくて残っていてくれと祈っていた一冊だった)
いたんだけれど、Amazon では復刻版の半額以下だったので、ちょっとメゲた。

本としての価値はこっちに決まっているが、相場は人の気持ちで動くものだから仕方ない。

筒井康隆と横尾忠則のコラボレーションによる見事な一冊。
映画を通底にした、ひねりの利いた辛口の if ストーリーは、いかにも筒井康隆らしい諧謔に
あふれていて読み始めたら、ぐいぐいと惹きこまれてしまうけれど、なんといっても横尾忠則の
ブックデザインと、映画ポスターを模したグラフィック・ワークが素晴らしい。
柴田錬三郎の「絵草紙うろつき夜太」と双璧をなす、横尾ブックデザインの究極だろう。

ぜひ、立ち読みにきていただきたい。


and so on,

■ 箱の話    花田清輝    潮出版社   19741125 初版

■ 富岡多恵子詩集    富岡多恵子    思潮社   19731001 初版

■ エル・グレコ トレードの秘密    モーリス・パレス    白水社   19430512 初版

■ デザインすること、考えること    五十嵐威暢    朝日出版社    19960415 初版第1刷

■ いのちとかたち    山本健吉    新潮社   19811205 5刷


*


最近追加した「美しき日本の残像」のブックリスト。

http://kotobanoie.com/

 

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平岡正明が逝った。

7月9日午前2時50分沒 享年68、たぶん戒名はない。
この訃報は、忌野清志郎やマイケル・ジャクソンのそれよりはるかに感慨深かった。

無頼が、知性の一形態であることを教えてくれたのはこの人だ。

知性は、二枚目段階から三枚目へ、さらに無頼へと、より高次なものになり、発展する。

「Popeye」 や 「Brutus 」のまえ、「話の特集」や「面白半分」といった " 大人の " サブ・カルチャー
雑誌に浸っていたころ読んだこの人の文章は、強烈な存在感をもっていた。
「文体」そのものが、ひとつのメッセージだということを意識したのは、この人の文章に接してから
じゃなかったかと思う。

数えてみたら、彼の本が本棚に24冊あった。
実家に置いてあるものや売れてしまったものを数えたらおそらく30冊以上は買っているだろう。
ほとんどが70-80年代の旧著。

最近はなんとなくフィットしなくなり(彼が変節したわけじゃないんだけれど)、新刊にはなかなか
手が伸びなくなって、古本屋でみかけても微妙な値段がついてるから、たまにしか買えなかった
けれど、それでも小林信彦や植草甚一や色川武大や田中小実昌や橋本治や白州正子や坂口
安吾や小林秀雄と同じように、「全部欲しい」ブックリストにはずっと入っている。

犯罪論・窮民革命・現代思想・アジア論・作家論・芸能・歌謡曲・ジャズ

おそらく100を越えるその著書のどれもに、あのシャイでアナーキーなグルーブが踊っているはずだ。

追悼として一冊買った。

■ ジャズ的       平岡正明       毎日新聞社      19970120 初版

「ジャズ屋えん」で撮影されたという、煙草をくわえた彼のちょっと物憂い表情をとらえたカバーが、
60年代あたりのジャズのレコードを思わせて、まさにジャズ的。

7月14日にジャケ買いしたその本を、珍しくその日に読み始めたら、
「7月14日、夜十時過ぎに『ダウンビート』に行くと、客はカウンターに三人いるだけで、」
と始まっていたので、ちょっとおどろいた。

例の coincidenceっていうやつだろう 、きっとマチャアキの魂に呼びよせられたにちがいない。

「ジャズ的」は、黒人のジャズのことを語った本だ。
たとえば、7月14日のパリ祭(フランス革命記念日)から、「私はジゴロ」というシャンソンのことに
話は流れ、セロニアス・モンクのリヴァーサイド盤の「ジャスト・ア・ジゴロ」の演奏の理解の深さへと
いきつく初章「梅雨明けのジゴロ」。
その章の結語では、彼のジャズへの理解が、鮮やかに示される。

今世紀の前半五十年は花の都は巴里であり、芸術は巴里を中心としたが、後半を紐育が奪ったのは、
合衆国にジャズマンがいたからである。なぜヨーロッパ文化の精髄をなしていた花の巴里の芸術を、
ジャズがもぐりこんで内側から奪ったか。黒人がいるからだ。ジャズは先進国心臓部への第三世界の
進駐軍だからである。

これが平岡正明。

モンク、ビリー・ホリディ、オスカー・ピーターソン、ジョニー・ホッジス、オーネット・コールマン、
ロリンズ、コルトレーン、そしてもちろんマイルス。

愛おしそうに黒人のミュージシャンと彼らのジャズを語る、その語り口。

この本には、彼の本にしてはめずらしく巻頭に「自序」が記されている。

本書の主題はジャズの美である。タイトルは「ジャズ的」でどうかって? 
うーむ、「アンフォーゲッタブル」とか「夕陽に赤い帆」とか、ムードのあるやつがいいんだがなあ。
秋だぜ。俺だって枯れ葉を踏んで感傷に耽ったり、娘っこの目を潤ませることくらいやるよ。
ジャズ的ねえ・・・・・いや、これがいい。
夏の終わりに書きはじめて、いまおわった。
美というのは一気呵成にやるもんなんだ。五十日ほどかかったのは、ジャズより文字のほうが遅いんだ。

「ジャズより文字のほうが遅い」

これは比喩じゃない、一点突破のためのひとつのテーゼなのだ。

以前、彼のことをこんな風に書いた。

平岡正明は一刀両断の人だ。

その方法論は、直感的な、そして一見場違いと思えるようなテーゼをまず炸裂させ(たとえばそれは
「山口百恵は菩薩である」といった調子だ)、それを読むものの気持ちを揺さぶりながら、その強引な
断定へと至る放物線の軌跡を描写するといったスタイルで、それは評論というものの本質である
「事実性ではなく真実性を提示することで精神を活性化させること」への、ジャズ的なアプローチの
ように思える。

そして力まかせに(あるいは緻密に計算され)投げだされたそのテーゼは、それが異境的であれば
あるほど、ぼくたちの妄想を誘引する地雷となるわけで、平岡正明はそれを得意とするアジテーター
(扇動者)といってもいい。

そのまま。


どこかで生きていてくれるだけでよかったのに。


*


このごろの本買記


■ 居候匆々    内田百間    六興出版    19820227 初版

そもそも「匆々」という字が読めない。
「そうそう」という読みがわかって、辞書で引いたら、「あわただしいさま」とあった。

巻頭には、この人らしい文章で「作者の言葉」というのが記されている。

時事新報社の需めに応じて、本紙の夕刊に連載小説を執筆することになったが、新聞小説は
私にとって初めての経験である。様子が解らないので、これから先々の出来栄えをあらかじめ
お請合いすることは六づかしい。 毎日書いていく内に、作中の人物が勝手にあばれ出して、
作者の云う事を聴かなくなったら困ると、今から心配している。どうにも手にをへなくなれば、
登場人物を皆殺にして、結末をつける外なかろうと考へている。

律儀というかなんというか、映画(「まあだだよ」by 黒澤明)そのままの、なんともとぼけた味わい。
さすが迷い猫のこと(「ノラや」)であれだけ心配した人である。

ストーリーは、ネコラツこと吉井先生の家に書生で入った万成(マンネリズムのことらしい)君が綴る、
ちょっと師匠の「我が輩は猫である」にも似た味わいをもった、居候生活のあれこれだが、掲載紙の
時事新報という新聞社が、連載中に沈没してしまったことで、最後はその顛末も物語に乱入し、
一種メタ・フィクショナルな、前衛小説のようになって終わっているのが、なんとも面白い。

谷中安規の挿絵(版画)がほのぼのした味わいで、百間先生の話と絶妙の塩梅。

■ サイケデリック・カレンダー2007    Museum of Modern  Art      2006

2007年のカレンダーを今頃買うのはバカみたいなことだけど、それがMOMAのサイケデリック・
ポスターっていうことになると話は違う。

このカレンダーは、レコード・ジャケットのサイズのフルカラー印刷で、12枚の60'sのポスターが
載せられている。

・New Year Bash  - Fillmore 1967  ジェファーソン・エアプレイン+グレイトフル・デッド
・Love Festival - 1967/2ボンゾ・ドッグ・バンドやソフト・マシーン
・Most  ポーランドのサイケデリック・ポスター
・ Easter Sunday - Mahalia Jackson 1967/3 at リンカーンセンター
・The Wildflowers  ビル・グラハムのフィルモアのリトグラフ・ポスター、
・1966 - Fillmore  グレイトフル・デッド+ジュニア・ウエルズ・ブルース・バンド+ドアーズ
・1967/7 - Fillmore  ヤードバーズ+ドアーズ
・Blues Project のリトグラフ・ポスター
・1967/1 - Avalon Ballroom  モビー・グレイプ+シャーラタンズ
・1967/7 - Fillmore  グレートフル・デッド+ジェファーソン・エアプレイン
・Peter Max のニュー・ヨークのイースト・ハンプトン・ギャラリーのポスター
・1969 - Fillmore  プロコル・ハルム+サンタナ

もちろんカレンダーとしては使えないけれど、この図版は額にでも入れて飾っておきたいなあ。
こういうデザイン・トレンドは、たぶん二度と復活する事はないだろうから。

■ Personal Exposures    Elliot Erwitt   W,W,Norton & Co,  198811  1st Edition

写真集が一冊売れたので、奮発した。
まえからずっと気になっていて、その本棚を前にするたびに、その存在を確かめていた本だった。
新品はけっこう高いはずだから、誰かに買われていたらきっと口惜しい思いをしていただろう。

エリオット・アーウィットは、写真家集団 magnum photos のフォトグラファーだ。

「私的な一コマ」と名づけられたこの写真集には、彼の優しさとユーモア溢れる視線で写しとられた、
たくさんのモノクローム写真が収められている。

HPに掲載されてるインタビューを、彼はこんな風に始めている。

私がエリオット・アーウィットです。このところずっとそうです。
朝起きるとまず歯を磨いてそれから仕事にかかります。もしどこか面白そうなところへ行く場合には、
カメラを一緒にもっていきます。必ずしも写真を撮るためにカメラを持って出るのではないと思います。
むしろ安心するための毛布のようなもので、大人になって毛布を持ち歩くのはあまり実用的では
ありませんが、カメラは小さいですし。運びやすくできています。

この文章の雰囲気そのままの、アコースティックな写真たち。

一見するとなにげないスナップ・ショットのように思えるその写真だけれど、よく見ると、それが巧みに
計算されたものであることがわかってくる。  そしてその光景のどれもが、あまりにもナチュラルだ。

決定的瞬間 - さりげないショットが、いちばん難しいんだ。

■ 悪徳の栄え 上/下 マルキ・ド・サド選集 澁澤龍彦訳   桃源社  197312252刷

たぶん読まない。

読まないけれど、本棚に置いておきたい本ではある、澁澤訳なら。

サディズムという言葉がもうすでに隠微な気配を失くし、普通名詞なってしまった時代だからこそ、
その語源とされるサド侯爵のこの作品を、もっていたいと思ったのだ。

訳者澁澤龍彦は、この作品を、裏返しの教養小説だといっている。

読めればスゴイ。

 

and so on,

■ バッファロー・ソルジャー    中上健次    福武書店   19881015 第1刷

■ 以下、無用のことながら    司馬遼太郎    文藝春秋   20010310 第1刷

■ ギャンブル人生論    阿佐田哲也    けいせい出版   198012 初版

■ 白いプラスティックのフォーク    片岡義男    NHK出版   20060210 第2刷

■ 自分と自分以外    片岡義男    NHKブックス   20040730 第1刷

■ 水平線のファイルボックス    片岡義男    光文社   19910930 初版第1刷

■ 音楽を聴く    片岡義男    東京書籍   19981111 第1刷

■ J・J氏のディスコグラフィー    植草甚一    晶文社   19800520 2刷

■ 乱世今昔談    花田清輝    講談社   19700524 第1刷

■ 狂言の世界  岩波講座 能・狂言 5    岩波書店   19870525 第1刷

■ 日本の伝統 3 文楽    チャールズ・ダン/安藤鶴夫   淡交新社  19671210 初版

■ 日本の伝統 4 茶の湯    ジョン・ヤング/永島福太郎   淡交新社  9680110 初版

■ 日本の伝統 5 歌舞伎    ドナルド・キーン/戸坂康二   淡交新社  19680210 初版


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最近追加した「アート - 絵画や写真についてのあれこれ」のブックリスト。


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家族がふえた。

といっても結婚したとか、子供ができたなんていう話ではなく、猫がやってきたのだ。

kitten と cat の間くらい、生後1年の牝猫、名前は HAL(ハル)。

20年を一緒にすごした猫が、一昨年亡くなって、その猫の気配があるうちはなかなか別のペットと
暮らす気がしなかったんだけれど、あることで近くにアニマル・シェルターがあることを知って、
その気になった。

Animal Refuge Kansai = ARK 、 能勢という大阪北部の山の中にある動物保護のNPOだ。

スタッフの人たちの笑顔が印象的。

このNPOの主宰は Elizabeth Oliver さんという英国人、1990年にこの ARK を設立し、
この ARK のある山里で田園生活をおくりながら、500頭以上の犬や猫たちと暮らしていらっしゃる。

お会いして少し話をしたが、にこやかでいい感じの方だった。

1965年から日本に住んでいるということだから、60's のコミューンの洗礼を受けているわけじゃ
ないだろうけど、日本に限らず、あるいは動物愛護に限らず、世界中のあちこちで、
こういうチャリティー(慈善)をやっている人たちには、どこか共通の雰囲気があるように思う。

女性が多いこと。
独身か、あるいはご主人がひっそりと彼女をささえている。
見た目の特徴はショートヘア、ノーメイク、そしてナチュラルファッション。
自分の信条にラジカルであること。

なんとなくヒッピー的なライフスタイルの匂いがしませんか?

もちろんそれはそれだけの話で、だからどうということもないし、そういう人たちと過ごす時間も
とても楽しいものだけど、いつもなんとなく不思議な感じることがひとつある。

Why are they doing such a right thing with no doubt ?

キリスト教的な愛? 正義感?

グリーン・ピースと(そういえば昔 save the whale  を合言葉にして、ジャクソン・ブラウンや
ジョン・セバスチャンが来日した、ローリング・ココナッツ・レヴューなんていうバカ騒ぎがあった)
エリザベスさんとはどれくらいの距離があるんだろう。


正義というのはとてもやっかいな概念だと思う。

ジョージ・ブッシュも鳩山邦夫も、自分の正しさを主張するために正義というコトバを口にした。

司馬遼太郎さんはこんな風にいっている。

正義という人迷惑な一種の社会規範は、幕末以前に日本にはなかったといっていい。
言葉も、幕末に日本語になった。たとえば長州藩で反幕派が自派を正義党とよび、佐幕派を因循党とよんだ。
正義という多分に剣と血のにおいのする自己貫徹精神は、善とか善人とかとべつの世界に属している。
筆者などは善人になれなくてもできるだけ無害な存在として生きたいとねがっているが、正義という電球が
脳の中に輝いてしまった人間は、極端に殉教者になるか、極端に加害者にならざるをえない。
正義の反対概念は邪義であり、邪義を斃さないかぎりは、自己の正義が成立しようもないからである。

別にエリザベスさんが、正義を口にしたわけではないし、彼女が ARK でやっていることは、
そんなこととは全く関係のない、彼女にとってはごくあたりまえの日々の営みなのかもしれないけれど。

ただの妄想といってもいいような雑感である。


HAL は、猫舎で独り佇んでいた。
子供とはいえない年頃だから、成猫の小舎に入れられ、周りの大人猫たちから孤立していたそうだ。
HAL は、初めて会ったときにすでに HAL だった、「春」なのかもしれない。

 

*


このごろの本買記。


■ ゴーガン私記 アヴァン・エ・アプレ   ポール・ゴーガン   美術出版社   19860730 第2刷

竹橋の東京国立近代美術館でゴーギャン展が開かれている。

この展覧会の目玉は、「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という大作だ。

本邦初公開。

瞬間に於いて捉えられた音楽、立ち止まれと命じられた刹那がここにはある。
その意味で、これは壁画であって絵巻物ではない。刹那であって流れ行く時ではない。
( by 福永武彦「ゴーギャンの世界」1961)

別にそれに合わせたわけじゃないけれど、この before and after と名づけられたゴーギャンの手記。
これが2冊目で、すでに売れた最初の本は1970年発行のオリジナル初版だったけれど、
この本はその改訂版、装幀や造本も改訂されている。

この本ともう一冊の自筆(書簡集)「タヒチからの手紙」、そして福永武彦(池澤夏樹の父上だ)の
「ゴーギャンの世界」、ゴーギャン本ならこの3冊で必要にして充分でしょう。

それにしても、タヒチとマルキーズ、南の島で、ゴーギャンは何を視たのか。

彼がタヒチで描いた絵画には、神話の匂いが漂っている。
その色彩やタッチには、人間が自然の一部であるということの、深い理解があるような気がする。

或る作品に於ける本質的なものとは、正確に「表現されていないもの」の中にある。
色彩は音楽と等しく振動であり、自然に於ける最も茫漠としたもの、その内部の力から出発して、
最も普遍的なものに到達することが出来るのだ。( by Gauguin )

実物が見たい。

 

■ 眞木準コピー新発売     眞木準    六曜社   19931209 初版
 
6月22日に亡くなった名コピーライターの最初の作品集、コピーの教科書という人もいる。

土屋耕一さんのあとを受けた(それだけでも相当な勇気だ)伊勢丹やサントリーや全日空の80年代。

もちろん的確なアート・ディレクションがなければ、どんなコピーも活きてはこないものだけれど、
ヴィジュアルではなく、コピーが広告をリードした時代があって、眞木準はその中心の一人だった。

私は、広告の文章という形式で、企業や商品から読者へのラブレターを代筆することを、
正確にいうと、二十二年間続けている。

自分の職能に対するこの的確な把握。
このように自分の仕事を端正に表現できるひとはそれほど多くない。

恋を何年、休んでますか?

あわただしすぎるランナーは、道端の花さえ見えない。
いそがしすぎるファイターは、夢さえ見ない。
あなたの中で、もうひとりのあなたが冬眠しています。
そろそろ、誰かに、特別な好印象を与えるドレスを
ひとつ、どうですか、伊勢丹で。

一篇の詩のようだ。

広告コピーの完成度のモノサシは、その言葉に普遍性あるいは真実性があるかどうかだと思う。
上のコピーでいえば、それは、べつにドレスでなくてもいいし、「伊勢丹」がなくても美しい。

そして、プロはさらに「ゆるさ」のことを考える、デザインすべてにおいていえることだけど、
出来あがりすぎてスキのないものは、けっきょくつまらないからだ。


■ 映画辛口案内     ポーリーン・ケイル   晶文社   19900731 初版

サブタイトルが「私の批評に手加減はない」、「辛口」に重ねてこれは明らかに too much 。
原題は「State of the Art」= 技術の現状 という、きわめてインテリジェントなものなのに。

「歯に衣きせず斬りまくる」というのが、この New Yoker の人気批評家の持ち味には違いないし、
確かに「手加減」なんてしていないけれど、あまりにもベタすぎる。

愛がなければ批評は成立しない。

小林信彦さんが絶賛しているように、彼女には映画がちゃんと見えているだけで、好きも嫌いもない。
映画はとても素晴らしいものだけど、いい作品もあれば、あまりよくない作品もあるに決まってる。
自分のアンテナを信じて、それをそのまま、しがらみなくストレートに読者に伝えたいだけなのだ。
それが批評のあるべきカタチだろうし、根底に映画への愛があることをその文章に感じるからこそ、
いくら「辛口」であっても、ニューヨーカーたちは、ずっと彼女を支持してきたのだ。

この本では、80年代前半の、少し懐かしい88本(原著は117本)が取り上げられている。
2段組み、438ページ、1100枚の大著、訳者(浅倉久志氏)の労苦がしのばれる。

1983 フラッシュダンスX / 卒業白書X / ライトスタッフ○ / スカーフェイスX
1984 インディ・ジョーンズ○ / スプラッシュ○ / ストップ・メイキング・センス◎
1985 バーディー△ / 細雪○ / カイロの紫のバラ○ / ランボーX

あとがきに面白い話があった。

アメリカの映画批評に、good bad movie と bad good movie という言い回しがあるらしい。
いかにもアメリカらしいプラクティカルな表現だ。
good bad movie は、良くできた娯楽映画、bad good movie は、ダメな芸術映画といった感じか。

ケイル女史は、もちろん good bad movie が大好きで、bad good movie にきわめて厳しい。
良心の衣をかぶった偽善や、芸術を建前とした独善には、まったく「手加減はない」のだ。

まあラジカルな愛すべきバアさんということなんだろう、年寄りは無敵だから。


■ MONGOLIE Reve d'infini   Michel Setboun  Martiniere 20060209 

本棚から呼ばれた。

「モンゴル - 永遠の夢」と題された、ナショナル・ジオブグラフィック的な写真集。
A4版より少し幅の広い判型に、草原に佇むパオの遠景を端正に捉えた表紙がとても美しい。

写真家の名前も聞いたことはないし、フランス語だから、どんなキャプションが付されているか
まったくわからなかったけれど、その本を手に取ってパッと開いたときに表れた密教的な仮面の
クローズアップが目を捉えた。

つい先日買った「変幻する神々 - アジアの仮面」という本に、同じような写真が掲載されていて、
頭の中で、その時一瞬それがフラッシュバックしたのだ。

いい本との出合いはたくさんあるけれど、それをレジにもっていくかどうかは、一瞬の呼吸だ。

この本が今ここにあるのは、その仮面の写真に coincidence を感じたからだ。

そんな「つながり」や「偶然」に身をまかすことが、本買のひとつのアレじゃないかと実感している。

and so on,

■ 三々五々     谷川俊太郎    花神社    19770630 初版第1刷

■ 古本的     坪内祐三    毎日新聞社   20050530 初版

■ ストリートワイズ     坪内祐三    講談社文庫   2009041 5第1刷

■ 地球のはぐれ方 東京するめクラブ     村上春樹    文春文庫  20080510 第1刷

■ 高丘親王航海記     澁澤龍彦    文藝春秋    19890530 8刷

■ 妹島和代読本 1998     妹島和代    ADA Edita Tokyo   19980223 初版

■ ニューロックの真実の世界     植草甚一    晶文社   19780420 初版

■ 回転木馬のデッド・ヒート     村上春樹    講談社   19851015 第1刷

■ 休日のブランチ     阪急コミュニケーションズ    20090101 初版

■ 風さわぐ - かなしむ言葉     岡部伊都子    新潮社   19640320 初版

■ ノルウェイの森 上・下     村上春樹    講談社   19870910 第1刷


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最近追加した「デザインの発見」のブックリスト。
 

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