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秋日好天。

J.J.氏じゃないけれど、散歩していると思わぬ lucky にめぐり逢うことがある。


hhstyle というインテリア・ショップで、ルイス・バラガンの作品集を手に入れた。
それも 300 x 300mmの大型本を破格のバーゲンプライスで。


■ ルイスバラガンの建築   斎藤裕   TOTO出版   20010701 第2版第2刷


まずその鮮烈な色彩に、そして絶妙に計画された光と影に惹かれる、おそらく風もそよいでる。
でもじっとそのたたずまいを眺めていると、ただならぬ「奥行き」に気づく。

バラガンの建築は、祈りに近い。

リビングにあるプールの陰影が異彩を放つヒラルディ邸 (Casa Gilardi)のフォトジェニックな空間
構成も素晴らしいけれど、なんといっても、86歳で亡くなるまでの40年という時を過ごし、今は世界
遺産にもなっているその自邸 la casa luis barragan は、珠玉とでもいうべき作品だ。

大きな格子状の高窓から射し込む柔らかな朝の光に包まれる書斎。
庭の木々を通してフルスケールのガラス窓から変化に富んだ西陽が降りそそぐリビングルーム
すべて庭に向き、庭が最も美しく感じられる位置に窓が切り取られた寝室やダイニング。
周囲の喧噪や視線を彫刻的な壁で遮断し、空と自分だけが向かい合える屋上のテラス
メキシコの強い太陽を受けて、荒々しく生い茂る境界のない庭。

どのスペースも、ひたすら独り静かに暮らすことへの願いに満ちていて、家族の気配を微塵も
感じないストイックな空間なのに、厳しさではなく、穏やかさを感じるのがとても不思議だ。

「そこに身を置くと静寂のなかで生きる喜びを心から実感できる」 (by 安藤忠雄)

ひたすらserenity(静謐)を希求し続けたバラガンの魂が、たぶんそこにある。


そして階段。

オブジェのように美しい階段。

どうしてこんなに心が震えるような階段が造れるんだろう。

敬虔な光にあふれる玄関ホールのゆるやかな溶岩の階段は、天へのきざはしとしか思えない。
書斎のキャンティレバーは、中空に浮かぶ不思議な乗りもののようだ。

この自邸だけじゃなく、この本に掲載されている建築のどの階段も、なんの変哲もないものばかり
なのに、まわりの光や色や空気感をとりこんで、原初からそこにあるような佇まいをもっている。

バラガンの階段だけを切とっていつまでも眺めていたいとさえ思う。


バラガンは、architect's architect だ。

メキシコにしか作品を造らなかったバラガン。
素朴なテクスチュアの壁を、花の色や空の色や大地の色に塗りつづけたバラガン。
天上からの官能的な光に、おそらく神を見ていたバラガン。

バラガン見立ての mexico 数寄、あるいはバラガン婆裟羅とでもいうべきか。

バラガンの建築を見ていると、彼のなかでは、若き日にパリで浴びたモダニズムとメキシコ人
としてのアイデンティティとが、境界線なく交わっていることがとてもよくわかる。

ルイス・カーンをはじめとして、この孤高ともいえる建築家を敬愛する建築家は少なくない。


馬好きとすれば、厩舎をアーティスティックにデザインできる建築家に、ひたすら脱帽です。

luis barragan official website

 

*


■ 雷鳴の頸飾り ― 瀧口修造に     書肆山田   19791210 初版

シュルリアリスト瀧口修造の追悼詩集。

いい本だな。
佳い感じに時を重ねた古本がたまにあるけれど、この本はそんな一冊。

体裁、デザイン、タイトル、そしてその詩のクオリティ、本としての完成度も高い。
なかでも巻頭の、ミロが瀧口修造の名前を織りこんで描いた絵は、秀逸。

こんな追悼集をだしてもらえる詩人は幸せだと思います。


■ 海図と航海日誌    池澤夏樹   スイッチ・パブリシング  19951215 第1刷

作家の父と詩人の母をもつサラブレッド、池澤夏樹の書評集。

決して彼のいい読者ではないのだが、植田正治のジャケットと、そのタイトルに惹かれて。

本というものの役割を、「日々の糧と回心の契機」の混合だと、池澤さんは序文で言っている。
そりゃあそうなのかもしれないけれど、こういう風に硬質に迫られてしまうと、それはちょっと
いい子すぎるんじゃないのと、つい冷やかしたくなってしまう。

a little too square,   なんか音楽の趣味がぜんぜん違うような気がするんだ。

最後の章、「寄港地一覧 あるいは九十九の小説」は、格好のカタログではあるけれど。


■ 土星の徴しの下に    スーザン・ソンタグ    晶文社   19911220 第5刷

ソンタグ ― 晶文社、しかもレア・アイテムとくれば、不見転です。

「私は今これをパリの小さな部屋で書いている。」という、鞘からそおっと刀を抜くような書きだし
から、アントナン・アルトーを中心にヴァルター・ベンヤミンやロラン・バルトやファシズムのこと
などを、彼女らしいシャープな語り口で綴っています。

「知性」を絵に描けばこのようになるのか。

訳者あとがきによれば「スーザン・ソンタグがこれまで書き得た最も見事な評論集」であるらしい。

本棚にあるだけで充分の一冊、これを書いた1980年はおそらく彼女のピークじゃないでしょうか。


■ 詩人のノート ― 1974.10.4-1975.10.3    田村隆一   朝日新聞社      19780920 第3刷

詩人のエッセイを読むのは楽しい。
ひとつひとつの言葉の粒が立っているから。

田村隆一は詩人という言葉が似合う人だ。

丸谷才一によればこうだ。
「彼は、あるいは日記をつけるやうに、あるいは葉書を出すやうに、そしてあるいは冗談を言ふやうに
詩を作る。つまりここには、現代日本には珍しく、ライト・ヴァースの作者がゐることになる。」

いつも飲んでいるのに、あまり酔いどれな感じがしないのは、この人の都会的な人柄ゆえか。

引用されている詩がどれも素晴らしい。
詩人の選ぶ詩にはなんともいえない独特の味わいがあります。

*

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建築家矢部達也さんが選んだBOOKS+コトバノイエの30冊




 

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これは果たして新たなる才能なのか、あるいは確信犯的なトリックスターなのか。

■ 原初的な未来の建築   藤本壮介   INAX出版  20080415 初版

新しい「言葉の建築家」の登場を感じる。

その新しさは、旧世代の論客(磯崎・黒川・隈)が文脈や論理として語ったことを、
コピーライティングのような感覚で軽々と表現していることだろう。

そしてその感覚は、この「関係性」の時代にふさわしいものかもしれない。

(1971生まれの彼にとっての取捨選択のモノサシは、「価値(旧世代はこれに拘泥した、
肯定するにせよ否定するにせよ)」ではなく、「関係(AよりBのほうがなんとなく、という
ような)」ではないかと想像する。当然ながら、「関係」には、正しい答えなんていうものは
存在しない。)

たとえばそれはこんな風だ。

□ 巣ではなく洞窟のような    人工と自然のあいだ コルビュジェのようにではなく
□ 5線のない楽譜   時間は、つまり空間は、関係性である ミースのようにではなく。
□ 離れていて同時につながっている   建築とは距離感を作り出すことであろう 0と1の間のグラデーション
□ 街であり、同時に家であるような   複雑な関係性が織り成すプリミティブな全体 パサージュ論
□ 大きな樹のなかに住むような   完結した部屋ではなく、関係しあう居場所 居場所の立体的なネットワーク
□ あいまいな領域のなかに住む   さまざまな密度の濃淡による「ぼんやりとした領域」
□ ぐるぐる   すべての「外」を内化し、すべての内を外化する渦巻き ぐるぐるは、身体化された無限である。
□ 庭   建築とは屋根のかかった庭である。庭とは屋根のない建築である。
□ 家と街と森が分かれる前へ   この家には屋根がない、あるいは厚い空気の屋根がある。
□  ものと空間が分かれる前へ   ものと空間は別々のものではない。音と沈黙は別々のものではない。 
(後半はちょっと苦しいね)

ここに提起されたきわめて感覚的な表現が、じつは建築のコンセプトではなく、
彼がこうありたいと描く建築家の平面図であることは、この本を読めばすぐわかることだけれど、
彼が巧みなのは、それがそのまま自分自身のための広告のコトバになっているというところだ。
そして、広告のコトバで現されているものはやはりマーケティング・タームということになる。

建築家に限らず、どんな職業であってもマーケティングやプロモーションが必要であることは
間違いないし、それぞれがそれぞれのやり方で行っているわけだけれど、建築家としての
マーケティングのターゲットを、金主である施主ではなく、建築界とマスメディアに絞っている
ところが、この人の頭の良さじゃないだろうか。

彼が何回もSDレヴューに応募し、入選・受賞しているのはけっして偶然ではなく、おそらくこの
「言葉と建築」というマーケティング手法を強く意識しているからに違いないし、「建築家」の建築は、
この島国では施主が決めるのではなく、建築界やメディアに流れる空気で決まるということを、
よくわかっているからだろう。

そしてその手法に(うまく)反応したのが、この本に寄稿している伊東豊雄さん、五十嵐太郎さん、
そして対談をしている藤森照信さんという建築界の面々だったようだ。

good job, sou.


初めて建てた建物が北海道の実家の精神病院(聖台病院)の別棟(施主は親)、JIA新人賞を
受賞したのが同じ北海道にある精神障害者生活訓練施設、そしてやはり北海道の情緒障害児
短期治療施設で JIA日本建築大賞、身内を泣かせながら受賞作を造っていくのは、
アート・コンシャスな建築家の王道でしょう。

彼自身は自分の造るものの総体を「space of intention(意図のない場所)」と表現している。
つまり、「space of no intention」という 強力な intention だ。

intention、すべてが意図するところ、確信犯的に、芸術のように。

「建築というのはすべて『つくられたもの』 だけれども、それを少し超えて『できてしまったもの』
のようにするこ とはできないかということです。すごく厳密な人工的なプロセスと、 『偶然性』や
『曖昧さ』とが同時に立ち現れるような形式がありえるのではないかと思うのです。」

ピカソやウォーホルやコルビュジェがそうであったように、現役で「売れる」ためにはアーティスト
自身のマーケティング能力は必須のものだ。 そういう意味では、この若者もいまのところ資格十分、
これからの彼の activity と その attitude は注目に値する。

その論がフェイクであれリアルであれ実はそんなことはどっちでもいいんだ。
建築には「建物」という変えようのない実質があるんだから。

「 Tokyo Apartment 」はイカしてます。
とにかく流されることなく自分がいいと思う建物だけを作り続けてください、「独裁者」的に。

 あなたのいちばんいいところは、自分が一番だと思ってないところじゃないでしょうか。

老婆心ながら。

 

*


晴れた日は晴れた日の、雨の日は雨の日の本が集まってくる。
なかなか思うようにはならないけれど、一冊でも心の奥底に触れるような本があればいいな
と思いながら、あちこちの本棚を流して歩く、ときにはインターネットのジャングルも。

■ 映画 X 東京 とっておき雑学ノート  小林信彦   文藝春秋  20080425 初版

遠くに住んでいる伯父さんからの手紙のような本が amazon から届き、そしていつものように
一気に読み終えた。

なんとも冴えないタイトルだけれど、週刊文春に連載されている時評コラム「人生は五十一から
 − 本音を申せば」の単行本もこれで10冊目になる。

晩年をむかえて、いわゆる雑文(実はコラムこそがこの人の本領じゃないかと思うんですが)を
書くことがめっきり減った小林さんだが(残された時間をできるだけ小説に集中したいと自らが
おっしゃっていますから)、この連載だけは律儀に続けていてくれている。

見巧者ぶりはおとろえず、
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を「CG仕掛けの人情喜劇」と断言し、マーティン・スコセッシを
大作ではなく小品に資質のある「生まれついての映画オタク」、そして昨年のアカデミー受賞を、
ポール・ニューマンのハスラー2のときと同じ、アカデミー会員の贖罪票だと喝破する。
タモリ倶楽部の空耳アワーが少しお荷物になってきたと見破るところなんかはこの人の真骨頂だ。

こうやって毎年春先に届くクロニクルは、お花見やダービーと同じ春の季語になってしまっていて、
老境に入ったこのヘンコな作家が今年も元気でいてくれるというだけで、なんとなくウレシイ。


■ ランボー全集 全一巻  アルチュール・ランボー/金子光晴訳  雪華社  19770325 5刷

ランボーは何冊かもっているけれど、金子訳となると買わずにおれません。

翻訳もの、とくに詩のような韻文は、訳者でぜんぜん変わってくる、その違いかくの如し。

<粟津則雄 訳>

酔いどれ船

おれが非情の大河をくだっていったとき、
おれを導く船曵きの綱の覚えはもうなかった、
かしましい赤肌の蛮人どもが船曵きを的にと捕え、
色とりどりの棒杭に身ぐるみぬがして釘づけていた。

<金子光晴 訳>

酔っぱらいの舟

ひろびろとして、なんの手ごたえもない大河を、僕がくだっていったとき、
船曵きたちにひかれていったことを、いつしかおぼえなくなった。
罵りわめくアメリカ・インディアンたちが、その船曵きをつかまえて、裸にし、
彩色した柱に釘づけて、弓矢の的にした。

まあ最後は好みなんですが。


■ ティファニーで朝食を  トルーマン・カポーティ/村上春樹訳  新潮社  20080225 初版

ヘプバーンではなく、ミス・ホリー・ゴライトリーのキュートな寓話。

これぞ都会小説そしてこれぞカポーティという佳作で、単行本で本棚に並べられるのはうれしいし、
ハルキの訳もサリンジャーの時よりは雰囲気がでているけれど、わざわざ再訳する必要があったのか
どうかと思ってしまうのは、「キャッチャー」と同様、これもまたマーケティングのなせる業か。

オープニングを少し。

旧版 <瀧口直太郎 訳>

私はいつでも自分の住んだことのある場所 -- つまり、そういう家とか、その家の近所とかに
心ひかれるのである。

新版 <村上春樹 訳>
以前暮らしていた場所のことを、なにかにつけふと思い出す。どんな家に住んでいたか、近辺に
どんなものがあったか、そんなことを。

<原文>
I am always drawn back to places where I have lived, the houses and their neighborhoods.


・・・・ やはり原書で読みなさいということですね、これは。


■ 向田邦子の青春  向田和子  ネスコ/文芸春秋  19990528 2刷

向田邦子のエッセイは上質だと思う。

父の詫び状/眠る盃/夜中の薔薇、どの作品も軽妙で、品があって、文章がうまい。

遺作「夜中の薔薇」を読んでいるときに、ふとこの本に巡りあってしまった。
別にどうっていうことのない本だし、ちょっとオバサン趣味かなあとも思ったけれど、
こういうシンクロニシティを大切にしておかないと古本の神さまは微笑んでくれないのだ。

表紙のポートレイトが美しい。


■ 丘に向かってひとは並ぶ   富岡多恵子  中央公論社  19760705 再版

起きぬけに
きみが泣くことはない
それよりも
窓をあけて
入ってくる景色を
茶碗か皿にうけとって

とはじまる「 don't explain 」という詩や、

思い出さないで
あの長い時間のこと
きみがわたしにマッチをすり
そのすきまに
きみとわたしの目が合った

ちょっと切ないこの「長い時間」なんかが昔から好きだから、
この人の本があると、読まないのについふらふらと買ってしまう。

ひょっとしたらこれを「腐れ縁」というんでしょうか。


 

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建築家と設計士の違いは、その作品に批評性があるかどうかということじゃないかと思う。

批評性とはつまり、 something new に対するクリエイティブな欲求であり、 いままでのあり方を
変えようとする明確な意志であり、さらにもっと抽象的に表現するなら、人間のつくるもの、そして
人間のつくれないものへの「愛」のことだ。


フランク・ゲイリーの、刺激的な 新刊本(新古)を買った。


□ gehry talks :  architecture + process     鹿島出版会  20080125 初版


ビルバオ・グッゲンハイム美術館(映画 「007 The World Is Not Enough」のオープニングにつか
われたのが印象的だった)であまりにも有名になってしまった建築界の「鬼才」のこれまでの軌跡
をたどる作品集といってもいい本だけれど、それぞれの作品に付記された建築家自らの独白が、
とても興味深い。

知名度からすると断片的な情報しかなかった人だけに、この建築家のこれまでの代表的な仕事
が網羅され、しかも自らのコメントが入ったこの本は、決定版といってもいい一冊だろう。


彼の「脱構築(deconstruction)」といわれる自由なフォルムへのこだわりは、年を経るごとに深化
をみせ、ポップともアバンギャルドともつかない近年の作品のその様相は、「建築のかたちをした彫刻」
と呼ぶにふさわしい爆発ぶりだ。

あきらかにコルビュジェ的なモダニズムから一線を画した建築。

stay foolish な魂だけに視えるタカラモノ。


「私も、もともとはシンメトリーとグリッドに熱中していた人間なんです。グリッドの上で設計していま
したが、それを疑うようになって、結局はデザインを縛りつける鎖であることに気づきました。
フランク・ロイド・ライトも30°-60°のグリッドに縛られていたのであり、彼には自由がなかったのです。
グリッドは強迫観念、足かせにすぎません。そして、空間や形態をつくる力があれば、そんなものは
必要ないのです。アーティストはそれを実践しています。彼らはグリッドを使わず、ただつくるのです」


昨年公開されたシドニー・ポラックの「 Sketch Of Frank Gehry 」という映画で、クシャクシャの紙で
できた奇妙なカタチの建築模型を前にして、

that is so stupid looking and it's great !

と叫んでいた彼の姿が眼に浮かぶ。


なんといっても、ロサンゼルスに住んでいることが大きいんじゃないかと思う。
あのあっけらかんとしたカリフォルニアの青い空の下で暮らしていると、頭の中がヌけてくるんだ。

イギリスからきたホックニーが南カリフォルニアに点在するスイミング・プールをポップに描いた
ように、18才でトロントからL.A.に移住した彼は、パリを放浪したあと、自らの住む家を「脱構築」
的にリノベーションした。

いまはもう改築されてしまったようだけれど、彼の原点とされているサンタモニカのこの自邸は凄い、
ほとんどヤケクソのようである。


神戸の港にはゲーリーの造った魚が踊っている。

錆びを止めるためにピンクに塗ってゲーリーにひどく叱られたというこの「 fish dance 」や、雨漏
りで訴えられたという MIT の stata center  も素敵だけれど、個人的には「フレッド&ジンジャー」
とか「the dancing house 」とかいわれているプラハのナショナル・ネーデルランデン・ビルのお茶目
な佇まいが大好きです。

ユーモアこそがもっとも知的なセンスだから。


*

ひさしぶりにいくつかのいい本が見つかった、僥倖なり。 

□ 空間へ    磯崎新    美術出版社   19730410 4刷

都市破壊業KK
あなたはこの奇妙なビジネスを笑ってはいけない。この会社は大真面目で存在している。この東京
のどまんなかに、そう空中にただよいながら、この都市にいきるあなたのせいかつの裂け目にしのび
こもうとしているのだ。


□ センチメンタルな旅  冬の旅    荒木経惟    新潮社   19910410 3刷

前略
もう我慢できません。私が慢性ゲリバラ中耳炎だからではありません。たまたまファッション写真が
氾濫しているのにすぎないのですが、こうでてくる顔、でてくる裸、でてくる私生活、でてくる風景が
嘘っぱちじゃ我慢できません。これはそこいらの嘘写真とはちがいます。この「センチメンタルな旅」
は私の愛であり写真家決心なのです。自分の新婚旅行を撮影したから真実写真だぞ!といってる
のではありません。写真家としての出発を愛にし、たまたま私小説からはじまったにすぎないのです。


□ コミマサ・シネノート    田中小実昌    晶文社   19781110 2刷

木曜日、いなり寿司(五コ六十三円)を買って蒲田駅西口のパレス座に行く。どんな計算で六十三円
になり、いったい、一コいくらなのか、だいぶ考えたがわからない。
キップ売り場には、大人割り引き百五十円と書いてあった。「いま割り引き時間?」と、テケツの女のコ
にきいたら「いいえ」という返事。とにかく百円玉を二つ出すと十円玉が五つかえってきた。こいつも、
よくわからない。


□ 古道具  中野商店    川上弘美    新潮社   20050425 2刷

だからさあ、というのが中野さんの口癖である。
「だからさあ、そこの醤油さし取ってくれる」と、ついさきほども突然言われて、驚いた。

 

書きだしに、そのひとのすべてが表われているような。


 

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