artの最近のブログ記事
台風が通り過ぎた日、4ヶ月ぶりの京都。
□ 視覚の実験室 モホイ=ナジ/イン・モーション 京都国立近代美術館 2011/07/20 - 09/04
バウハウスの人としての印象が強いので、ドイツ語読みのモホリ・ナギ( Moholy-Nagy)と
記憶していたが、この展覧会では彼が生まれたハンガリーの読み方で表記されている。
いずれにしても、unforgettable な名前である。
葉山の神奈川県立近代美術館からの巡回だが、同じバウハウスのクレーやカンディンスキー
デ・スティルのモンドリアンなんかと比べると、日本での認知度は高くないようで、これが日本
で初めての回顧展、多くの作品が初公開だということだ。
構成はオーソドックスな年代順で、とてもわかりやすい。
1 ブダペスト 1917-1919 : 芸術家への道
2 ベルリン 1920-1922 : ダダから構成主義へ
3 ワイマール―デッサウ 1923-1928 : 視覚の実験
4 ベルリン―ロンドン 1928-1937 : 舞台美術・広告デザイン・写真・映画
5 シカゴ 1937-1946 : アメリカに渡ったモダンアートの思想
とにかく多才な人である。
「モホリ=ナギを何と称ぶか、誰も思いつかないままにいる( by 松岡正剛)」
デザイナーであり、画家であり、写真家であり、タイポグラファーであり、舞台美術家であり、
有能なエディターでもあり、そしてなによりも教育者。今回の展示でも感じたが、あまりにも
いろいろなことが、しかもそうとうに高いレベルでできすぎることが、とらえどころのなさに
つながっているようにも思える。
教育者としては、バウハウス(ワイマール - デッサウ)― ニューバウハウス(シカゴ)という
モダンデザインの原点ともいえる学校で教鞭をとり、最終的には18人の生徒を選りすぐった
「School of Design Chicago」というラディカルな「私塾」を設立。1946年に51歳で亡くなる
まで自分の美術/デザイン哲学を伝えることに力をそそいだ人で、デザインが産業として自立
していこうとしていた時代の教育シーンでのキーパーソンのひとりだ。
彼の造ったメソッドは、バウハウス叢書の一冊 『絵画・写真・映画』 に遺されているが、
バウハウスそのものがそうであるように、モダンデザインの通底として、とくに「視覚造形
(ヴィジュアルアート)」の分野ではいまも必読の一冊。
最後の学校「School of Design Chicago」は、彼の没後も 「The Institute of Design」
としてイリノイ工科大学に残っていて、その卒業生たちはアメリカの写真界をリードしている。
余談になるが、「桂離宮」の石元泰博さんは戦後すぐそこで写真を学び、モホリ・ナギ賞を
2回受賞しているそうだ。
アーティスト/デザイナーとしてのナジは、「光」そして「動き(in motion)」と戯れつづけた
人のように思える。
「写真は光の造形である( by Moholy-Nagy)」
考えてみれば、1920年代は、20世紀の科学や技術の夜明け、そしてモダニズムの黎明期
であり、ブダペスト - ベルリン - ロンドン - シカゴと、長い旅をしながら彼が終生追い求め続け
たのは、その新しい時代にふさわしい「新しい視覚」とでもいうべき表現だった。
「新しい視覚」とは、『絵画・写真・映画』といったヴィジュアルアートを新しい技術によって
「光の造形」として捉えなおすということだ。
そのために彼は、「フォトグラム(マン・レイ的にはレイヨグラフ)」や、まさにphotoshop的な
「フォトプラスティック(フォトモンタージュ) ― フォトプラスティックは一種の組織化された幻影
である( by Nagy )」といった写真の新しい表現方法を開拓しだけでなく、タイポグラフィや
ブックデザインや、さらに映像でも、当時とすればまったく新しいアプローチ(物体の運動を
投影記録する「キネグラム」や、映像でも文字でもない「映画新聞」など)を行っていて、その
どれもにチャレンジャブルな気配が漲っている。しかも、そういった作品の制作を喜々として
楽しんでいることが、実際に作品を見るとよくわかる。そしてなによりもユーモアの感覚が秀逸。
同時代のマン・レイとならんで、写真というメディアを、記録のためのツールからアートの領域に
広げたのは、この人の最大の功績だし、作品を見れば、いまのデジタルフォトの世界を予見して
いたことは明らかだ。
でもモホリ・ナギの作品で、ぼくが最も惹かれたのは絵画とコラージュだ。
ブダペスト時代のキュビズム的な作品にはじまり、ダダをへてロシア構成主義の影響を強く
感じさせるドイツ時代のシャープな抽象、そしてその余白の感覚。
図録を見返してみると、思っていたより点数は少なかったが、妙に心に残っている。
たとえば1936年の作品 『 LX 』や、1927年の『 A19 』
モンドリアンよりもユーモラスで、カンディンスキーよりもシンプルなコンポジション。
絵画というよりは、あえてデザインと呼びたいそのセンス。
ここからPOP ARTまでは、あと一歩だろう。
極めつけは1924年発刊の「バウハウス叢書」の装幀とジャケットデザイン、そしてタイポグラフィ。
オリジナルデザインで復刊されたこの叢書(翻訳版)を何冊か持っているが、どの本にもナギの
デザインセンスが横溢していて、彼がブックデザインを立体構成と考えていたことがよくわかる。
そしてなによりもブックデザインの本質を、かれは捉えていた。
その本が本棚にあれば必ず手にとりたくなるし、手にとれば必ず欲しくなってしまうのだ。
"Design is not a profession but an attitude... Thinking in complex relationships"
デザインは、職業ではなく複雑な関係を考える姿勢そのものなんだ。
いつかバウハウス叢書をそろえたい。
Moholy=Nagy in Budapest again
*
中村とうようさんが亡くなった。
自殺と聞いたときは信じられなかったが、「絶望したからではない」と遺書に記してあったそうだし、
少し前に膨大な楽器やレコードのコレクションを大学に寄贈したということだから、あの人らしく
確信的に自分の死に方を自分で選んだのだと思いたい。
はじめて「ニューミュージック・マガジン」を買ったのが、1971年だったから、ちょうど40年になる。
その昔渋谷陽一が咬みついたように、ひどく独善的な物言いの人だったから、反発を感じる
ところもいっぱいあったけれど、音楽に対するその太くて真っすぐな視線はいつも気になっていて、
今はまったく興味がなくなった「ミュージックマガジン」という雑誌も、" とうようズ・トーク " という
コラムだけは、立ち読みでチェックし続けていた。
彼が伝えてくれたことで今も心に残っていることのひとつは、「スポンテニアス(spontaneous)」と
「プリテンシャス(pretentious)」という概念だ。
今辞書で調べてみると、スポンテニアスは、自発的な、自然発生的な、そしてプリテンシャスは、
もったいぶった、大げさな、という意味だが、ブルースやソウルといったプリミティブな黒人音楽と
ピンク・フロイドのようなプログレッシブロックと呼ばれていた白人音楽の対比のためにとうようさんが
持ち出してきた言葉で、「身体的」と「頭的」というニュアンスでぼくは捉えていた。
音楽のスタイルをあらわす表現としては必ずしも全面的に共感したわけではなかったが、それは
音楽だけじゃなく、絵画や写真といったアートを評するときのひとつモノサシとして、必ず頭をよぎる。
もちろん、ぼくは死に急ぐのをいいことだとは思わない。別に慌てて早く死ぬ必要はない。
だからといって。自分だけ長生きしようという気もない。サーヴァイヴァルというのが、地球全体の
延命を意味するのなら、ぼくはできることならそれに加担したい。だけど自分ひとりが他人より
生きのびるのがサーヴァイヴァルならば、ぼくは関心はない。
アフリカ人の考える死というものは、故人のことを懐かしむ人がいる限り完成しない。だから彼らは
死者の思い出を大切にする。だれも憶えていてくれる人がいなくなったら、とうとう故人は本当に
死んでしまうのである。そのアフリカ的観念に従う限り、チャーリー・パーカーは生きている、
ジミ・ヘンドリックスは生きている、というのはたんなる言葉のアヤではない。ぼくたちはバードや
ジミのことをいつまでも忘れないでいたいし、人民寺院のことだって、そう簡単に忘れてしまうわけ
にはいかないと思うのだ。
(中村とうよう/死者のカタログ/ニューミュージック・マガジン1979年2月増刊号)
とうようさんのことだって、そんなに簡単に忘れてしまうわけにはいかないよ。
合掌
*
夏の本買い。
どこへいっても、古本屋にはかならず入る。
京都へ行けば、かならず立ち寄るのは「善行堂」と、古本屋じゃないけど「三月書房」。
「三月書房」にはもう40年近く通っていて、ここで買ったニューミュージック・マガジンや、辻潤の
全集はいまもしっかりとぼくの本棚に居座っている。
そのワンパターンは、家族があきれるほどだけど、いい本を気持ちよく買えるところはそれほど多くない。
夏になると小さな旅行にいくのがここ20年来の習慣で、その旅先で本屋に立ち寄るのは夏の愉しみのひとつ。
去年は鳥取に行き、このまえの『BRUTUS』で特集されていた「定有堂書店」や、古本も置いている
雑貨店「ことや」さんで何冊か面白い本が買えた。
ことしは、尾道と今治あたりにいく予定なんだけど、いい本と巡り合えるかな。
ちょっといいなあと思っている本
□ 陰者の告白 平野威馬雄 話の特集 19760101/初版
平野威馬雄さんは、平野レミさんのご尊父。
『話の特集』に連載されていたときに読んでいたが、とにかく壮絶なコカイン中毒者の手記である。
背筋が寒なるほどの恐ろしい話ばかりだが、ジャンキーの地獄めぐりの情景にはどこかしら
甘美な匂いがあって、それがコカインということになると、やはり目を離すことができない。
装幀は義理のご子息、和田誠。
□ PORTRAITS RICHARD AVEDON THAMES & HUDSON
昔アメリカで買ったソフトカバー版をもっていたが、ハードカバーで入手した。
8x10のポートレイト・フォトをアートに高めたのは、"In the American West"とこの写真集だ。
背景のないシンプルな構図。
撮る側の強い意志がなければ、ただのポートレイトがここまで人の心を動かすわけがない。
"アート作品が心を動揺させるべきでないという意見に私は違和感を覚える。私はそれこそが
アートの特性だと考える。それは人を困惑させ、考えさせ、心を動かすものだ。もし私の作品が
人の心を動かさなければ、それは私的には失敗だ。
アートはポジティブな意味で人の心を動揺させなければならない"
□ BOUND FOR GLORY Woody Guthrie PLUME 19830901
ウディ・ガスリーはボブ・ディランの最初のヒーローで、彼がミネソタの田舎町を飛び出したのは、
ニューヨークの病院に入院しているウディに会うためだった。
この『Bound for Glory』は、そのガスリーの自叙伝。
社会主義者で労働組合活動家、ウディ・ガスリーは大恐慌のあとギターを持ってアメリカ各地を
放浪し、「我が祖国(This land is your land) 」を始めとする"民衆"の歌やプロテストソングを歌い
続けた人で、「花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone?)」のピート・シーガーとならぶ、
元祖フォークシンガー。 亡くなった日本のフォークシンガー高田渡さんも彼を終生敬愛していた。
ディランは1962年のデビューアルバムで「ウディに捧げる歌」という優しい曲を書いている。
Song to woody
I'm out here a thousand miles from my home
Walking a road other men have gone down
I'm seeing a new world of people and things
Hear paupers and peasants and princes and kings.
Hey hey Woody Guthrie I wrote you a song
About a funny old world that's coming along
Seems sick and it's hungry, it's tired and it's torn
It looks like it's dying and it's hardly been born.
□ ETHNIC SOUND SELECTION 細野晴臣 日本音楽教育センター
細野晴臣によるワールド・ミュージックのレコードガイド。
「日本音楽教育センター」というのは、調べてみると通信教育「ユーキャン」のCD関連の子会社。
この本には書籍コードも何も記されていないので、どうも同名のコンピレーションCDのブックレット
のようだ。
「地球の声(La Voix De Globe)と名づけられたこの8枚のCDは、地域や年代やジャンルではなく、
「祖先(ATAVUS)/「哀歌(ELEGY)」/「既視(Deja VU)」/「恋歌(GAYA)」/「妙薬(NEPENTHE)」
/「恍惚(TRANCE)」/「終末(FIN)」/「律動(CADENDIA)」といういかにも細野さんらしい
8つのコンセプトで分けられていて、128曲すべてが彼の選曲。
「このように膨大な数の民族音楽が、国や民族に束縛されることなくただ象徴的なタイトルだけを
頼りに並べ変えられたのは、これが初めてかも知れません。その点で、選曲、解説者は稀に見る
困難と幸運と合わせ持つ仕事を、手に入れたことに喜びをかんじずにはいられません。何故なら
無類の音楽好きである彼等や私たちは、日常でもこうした選曲を、自分達の楽しみとしているのですから」
すべてのコンセプト、すべての曲に丁寧な解説がつけられていて、一冊の本としても充分愉しめる。。
□ 日本の伝統 岡本太郎 光文社 19560905/初版
状態はそれほど良くないが、「縄文土器」「光琳」「中世の庭」というテーマが、日本の伝統として
取り上げられている岡本評論の55年前のオリジナル版は、やはりちょっと捨てがたい。
□ 既にそこにあるもの 大竹伸朗 新潮社 19990725/初版
以前から、同年代の大竹さんの本が欲しいと思っていたが、やっと手に入った。
もちろんお金を出せばAmazonにはいつでもあるが、古本屋の本棚で出会うことに意義があるのだ。
□ SWINGING LONDON 50'S 60'S 梧桐書院 2010060/第1刷
□ 画家と音楽家たちの肖像 マルセル・プルースト コーベブックス
□ 神の裁きと決別するため アントナン・アルトー ペヨトル工房 19890714/初版
□ 通底器 アンドレ・ブルトン 現代思潮社 19700220/新装第2刷
□ 素晴らしき時の震え ガエタン・ピコ 新潮社 19750510
□ 日本ナンセンス画志 草森紳一 大和書房 19720225/初版
□ 思考する眼 粟津則雄 美術出版社 19761010/5版
読む音楽も面白い
□ ブルース世界地図 鈴木啓志 晶文社 19870625/初版
□ 深夜酒場でフリーセッション 奥成達 晶文社 19840520/初版
□ 奇妙な果実 ビリー・ホリデイ 晶文社 19710930/5刷
□ エンビ服とヒッピー風 林光 晶文社 19740730/初版
□ ロックの意味 ウィリアム・J・シェイファ 草思社 19750630/第1刷
建築やデザインや写真や絵画と戯れる
□ walter gropius James Marston FitchGeorgeBraziller 1960
□ minimalist houses Linda Parker Happer Design Int'l 20030325
□ きもちのいい家 手塚貴晴+手塚由比 清流出版 20070701/初版第2刷
□ 50 PRODUCTS Mel Byars Rotovision
□ CARTIER 13 Rue de la Paix Paris PhilipTretiak AssoulinePublishing 2006
□ かたちのセミオシス 向井周太郎 思潮社 19861020/初版
□ しあわせなデザイン 伊藤俊治編著 求龍堂 20040421
□ TADANORI YOKOO 1971-1974 横尾忠則 毎日新聞社 19741001
□ アメリカ 写真の世紀 ポラロイド・コレクション 淡交社 20000911/初版
□ LOVE,LOVE,LOVE ANDY WARHOL 1950
美しき日本の残像
□ 季節のかたみ 幸田文 講談社 19930914/第5刷
□ 石との対話 矢内原伊作 淡交新社 19661006/初版
□ 大和の石仏 星野立子 淡交新社 19650704/初版
□ やきものの美 林屋晴三 河出書房新社
□ 日本の美のこころ 川端康成 講談社 19730124/第1刷
□ Katachi - 日本のかたち 岩宮 武二 ピエブックス 1999
その他もろもろ
□ ならずもの暴力宣言 滝田修 芳賀書店 19710301/初版
□ 原点が存在する 谷川雁 現代思潮社 19690310/第2刷
□ やさしいオキナワ 池澤夏樹 PARCO出版 19970807/第2刷
□ 十字架への献身・精霊たち・夏 アルベルト・カミュ 新潮社 19730305/初版
□ 自動巻時計の一日 田中小実昌 河出書房新社 19710815/初版
□ 都市の感受性 川本三郎 筑摩書房 19840510/初版4刷
□ 「美しい」ってなんだろう? 森村泰昌 理論社 20070323/初版第1刷
□ ドリトル先生航海記 2 ロフティング/井伏鱒二 19620720第10刷
□ ポップ1280 ジム・トンプスン 扶桑社 20010130/第6刷
□ 絵本 ジョン・レノンセンス ジョン・レノン 晶文社 19751225/初版
買い直しあるいはダブり
読みたいと思っていたのに読む前に売れてしまった本は、やはり買い直さなければならない。
読みたいと思っていたのに読む前に売れてしまったと思っていた本も、やはり同様である。
□ デザインの原形 深澤直人+原研哉+佐藤卓 六耀社 20050701/新装版第2刷
□ 雨降りだからミステリーでも勉強しよう 植草甚一 晶文社 197611201/3刷
□ デザインの輪郭 深澤直人 TOTO出版 20060201/初版第3刷
□ たんぽぽのお酒 レイ・ブラッドベリ 晶文社 19761122/2刷
□ 純文学の素 赤瀬川原平 白夜書房 19820801/初版
□ 池波正太郎 自選随筆集 上/下巻 池波正太郎 朝日新聞社 1988/第1刷
□ 家守綺譚 梨木香歩 新潮社 20040130/初版
□ 古都のデザイン結界の美伊藤ていじ淡交新社19660608初版
□ 色彩論 ヨハネス・イッテン 美術出版社 19820130/第8刷
□ 定義 谷川俊太郎 草思社 19850625/新装第3刷
□ 鞆ノ津茶会記 井伏鱒二 福武書店 19860315/第1刷
□ 薔薇の名前 上/下 ウンベルト・エーコ 東京創元社 1996
*
そしてなかなか更新できない「これがHIPだ」のブックリスト
ピカソとマティスとクレーの絵のなかから好きなものをあげるといわれたら、ぼくなら迷わず
マティスの切り絵 "Jazz" を選ぶけれど、ひょっとしたら、クレーという人がいちばん多いん
じゃないか、という気がしないでもない。
明るくて優しい色彩、一見わかりやすいモチーフ、線を基調とするユーモラスなタッチ。
クレーがアブストラクトの画家として、格別の人気があるのはよく理解できる。
冬とも春ともいえない肌寒いある日、京都でたくさんのパウル・クレーを観た。
□ パウル・クレー展 ― おわらないアトリエ 京都国立近代美術館 2011/03/12 - 5/15
国立近代美術館での開催は初めてということで、モチーフや制作年代といったカタログ的な
ものではなく、手法 = 制作過程に焦点をあてるという、少しひねった切り口で構成されていて、
東京展(5/31 - 7/31)のキュレーターによれば、展示プランにも建築家を導入したということだ。
構成は、6つの章からなる。
1 現在/進行形 ― アトリエの中の作品たち
2 写して/塗って/写して ― 油彩転写の作品
3 切って/回して/貼って ― 切断・再構成の作品
4 切って/分けて/貼って ― 切断・分離の作品
5 おもて/うら/おもて ― 両面の作品
6 過去/進行形 ― "特別クラス"の作品たち
個人的には、この凝ったスタイルではなく、もう少しシンプルな展示で見たかったというのが
正直なところだが、まあでも美術館で絵を観るのはいいもんだ。
石とガラスのシンメトリーな外観、広大な吹き抜け空間を持つロビー、構成主義的な大階段。
1986年に槇文彦さんが設計した美術館の、疎水に面した心地いいオープンテラスでコーヒー
を飲みながら、さっきまで観ていた、たくさんのクレーをふりかえる。
パウル・クレーは、ぼくの中では長い間、画家ではなくバウハウスの人だった。
画家としてのクレーに目覚めたのは、恥ずかしながら、つい最近のことで、調べてみれば、
2-3年に一回は展覧会が開催されているようだけれど、じつは、意識してこの人の展覧会を
観るのはまったく初めての体験だったのだ。
「芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、見えるようにすることである」
Art does not reproduce the visible; rather it makes visible.
クレーの造形は、"アーティキュレーション(分節)" なんだというSeigowさんの話は、ちょっと
難しすぎてあまりよくわからないけれど、作品を眺めていると、彼の作品、その抽象性の質
が音楽にとても近いということはよくわかる。
コンポジション、そこに流れるメロディ、そしてなによりもそのリズム感。
様々な手法で描かれた彼の絵を、音楽のようなものと理解すれば、とてもナチュラルにその
魅力を感じとれるようになる。 たとえばアルバムに収められた一曲一曲のように。
そして音楽的な要素以上に心に響くのは、光=色だ。
1914年のチュニジアへの旅で、色彩に目覚めたというクレー。
色彩が私を捉えたのだ。もう手を伸ばして色彩を追い求めることはない。
色彩は私を永遠に捉えた。私にはそれがわかる。
「見ようと思っても見えないが見えるようにすることができるもの」とは、海がないスイスという
国で生まれたアーティストが見た、北アフリカの鮮烈な太陽の光や、その陽光とともに刻々と
変化する地中海の色、そしてエキゾティックに奏でられるアラブの音楽の音色ではなかったか。
クレーの天使に捧げた、谷川俊太郎さんの詩をひとつ。
希望に満ちた天使
のはらにもうみべにも
まちかどにもへやのなかにも
すきなものがあって
でもしぬほどすきなものは
どこもなくて
よるをてんしとねむった
やまにだかれたかった
そらにとけたかった
すなにすいこまれたかった
ひとのかたちをすてて
はだかのいのちのながれにそって
(クレーの天使/谷川俊太郎/講談社/20001012)
「この世では、ついに私は理解されない。
なぜならいまだ生を享けていないものたちのもとに、死者のもとに、私はいるのだから。
創造の魂に普通よりも近付いているからだ。だが、それほど近付いたわけでもあるまい。」
( Paul Klee 1879-1940 墓碑銘 )
それにしても、1920-30年代の芸術シーンは、どうしてこうも豊かなんだろう。
社会学的な現象として、だれか研究している人はいないんだろうか。
*
twitter 発信中 。
facebook も。
そしてなかなか追加できない、「建築と戯れる」のブックリスト。
これを書き始めたのは1月だけれど、書き終わったらきっと2月になっている。
できればこのブログも、月に2篇は書きたいといつも思っているけれど、時の流れは速すぎて、
12月も1月もけっきょく1篇ずつしか書くことができなかった。
twitter では、際限もなく無数の言葉を垂れ流しているだけに、なんとも不本意この上ない。
twitlog なるサイトで統計を見れば、始めてから今日までの284日間で1,160の呟きを発信し、
それは一件57.2文字、一日382文字の書き込みで、総文字数は92,159文字になるという。
いやはや。
どこにそれだけ伝えたいことがあったのか。
荒野を転がるタンブルウィードのように、あてどなく漂う言葉たち。
重いことも軽いことも痛いことも痒いことも平等に、一瞬にしてフェイドアウトする言葉たち。
消え去ること、それがこの「呟き」の本質であり、美点でもあるんだろう。
残される言葉と残っていく言葉。
閑話休題。
押し詰まってからの受賞大宴会の余韻もあり、事始めというよりは祭りのあとといった感じで、
なんとなく静かに始まった2011年だったが、さすがに20日を過ぎると様々に動きだし、
いろいろと刺激的なことが重なった。
まずなによりも日常の生活にインパクトがあったのは、アートピース、それも思いもかけなかった
大きさの写真作品が、我が住処のリビングルームの壁に架かったことだ。
□ 201009271154 / series 「Lines」 : Lambda Print, AP 1/2, 1500×1000mm
昨秋の「木村家本舗」で発表された、野本piropiro氏の撮りおろしの作品だが、じつはずいぶん
前に彼のポートフォリオにあるこの一連のシリーズを見せてもらったときに、一目で気に入って、
オリジナルプリントができた時には、ぜひ譲ってもらいたいとお願いしていたものだった。
年末に観た『Herb & Drothy』に触発され、正式なオーダーを入れたのが、その映画を観た直後。
予算からしても、ほんとうは、もう少し小さなサイズになるはずたっだが、野本さんのご厚意で、
「木村家本舗」に展示されたこの作品を譲っていただくことになったのだった。
写真家自らが、その作品を運んでくれたのが1月23日。
もちろん写真を作品として購入するのは初めてだし、そもそもオリジナルのアート作品を、
自分の家に飾るなんていうことがあるとは、まったく予想していなかったが、とにかくその
大きさと迫力に、圧倒された。
堂島川を航行する浚渫船をスローシャッターで撮った、マーク・ロスコの壁画のようなその写真は、
現実にあったことを記録した具象であるはずなのに、きわめて純度の高い抽象性をもっている。
亡くなったデニスホッパーがNikon28mmで撮った、『Abstract Reality』という写真集があるが、
立体を映しているはずなのに絵画のように平面的なこの写真は、まさに「抽象的現実」と呼ぶに
ふさわしい完成度。
ひょっとしたら分不相応ではないかという気がしないでもないが、自分がホントに気に入った、
世の中にたったひとつのものを毎日眺めることは、想像していたよりはるかに気分がいい。
そして27日は京都へ。
TROPE ― 新作家具を、ダンスチーム Monochrome Circus とのコラボレーションで発表する
という graf のチャレンジャブルな試み。
モノとヒトとのフィジカルなコミュニケーションをもう一度根底から見直し、それをパフォーマンス
として表現するとは、なんとも服部滋樹らしい「ラジカル(根源的)」なデザインだ。
能を思わせるような緊張感を漂わせたダンサーの動と静の中に、現れては消える家具のエレメント。
レベルさえ整っていれば、その脚が椅子であっても本であってもかまわないという、その潔さ。
ミニマルなエレメント(素)こそが、身体の記憶を取り戻すツールなんだ、という逆説的なメッセージ。
それはすでにもう商品ではなく、ある種の思想表現といってもいいもののように、ボクには思えた。
そしてこの商品を超えた「家具」たちを、どのようにビジネスとして展開させていくのか。
そのモデルの設計こそが、ほんとうの意味での「実験」じゃないのかと、思わず考えてしまった。
その時にはあまりわからなかったことが、反芻していると、じんわりと視えてくることがある。
何日も前の、その夜の公演を思いおこしながら、ある意味とても建築的な家具だったなあと、ふと。
そんな風に考えさせられること自体、すでに服部さんの罠に嵌められている証拠なんだろう。
あまり体験したことのない不思議な余韻。
この公演は、ただのイベントではなく、服部滋樹が仕掛けたムーブメントの始まりに違いない。
最後の日曜日、30日は木村家本舗での「音の宴」
「音の宴」は、主催者である木村さんの言葉を借りれば、
それぞれ自慢の曲を持ち寄って、お互いの、持ち寄った音楽を一緒に聴いて、優勝者を決めてみようよ!
という事になった。5人それぞれが、5曲を持ち寄って、連続して音楽を掛けて、自分の好みで、一曲を
10点満点で採点し、合計を争う。いやいや、全然、争う気持ちはないのだけれど、やっぱり、ゲーム性を
加味した方が、オモロイという程度の事。
という、まあ何とも他愛のない、それゆえに真剣な大人の音遊びである。
年末に木村さんと日程を決めてから、その5曲をセレクトするために、手元にあるCDやレコードを
引っ張りだし、粗選りした、たぶん100曲以上の曲を、夜ごと日ごとに繰り返し聴き直すという日々が、
じつは正月をはさんで続いていたが、その前日、最終的にコレでいこうと決めたのがこの5曲、だったが。
1 IN MEMORY OF ELIZABETH REED / The Allman Brothers Band
2 SUMMER TIME / Janis Joplin + Big Brother & The Holding Company
3 COWGIRL IN THE SAND / Neil Young
4 DRAFTING BLUES / Eric Clapton
5 HONKY TONK WOMEN / The Rolling Stones
だったが、と記したのは、その日かけたのが、このリストとまったく違う5曲だったからだ。
ROCKであり、LIVEであり、黒人になりたい白人の音楽がいちばん好きだから、というコンセプトは
ストレートな直球で、さんざん考えたあげくこれでいこうと決めたのは、やはりいちばん自分らしい
選曲で勝負(採点があるんだからそれは勝負なのだ)しないと、負けた時に後悔するんじゃないか
というのが、その理由だった。
でもその日の朝、なんとなく天啓のように、そうじゃないよ、という声が聞こえたような気がして、
もう一度まっさらなところから、考え直し、聴き直して、最終的に選んだのが、この5曲。
1 SUN GODDES / Earth, Wind, & Fire
2 CANTALOP ( Flip Fantasia ) / US3
3 VOICES INSIDES ( Everything is Everything) / Donny Hathaway
4 WHAT IS HIP ? / Tower of Power
5 BAD / Michael Jackson
ROCKとはぜんぜん関係のないブラック・ミュージック、それもブルースでもR&Bでもない、
FUNKという「乗り」の音楽ばかりをピックアップしたのは、「GROOVE」というキーワードが、
とっさに浮かんだからだった。
「GROOVE」はリズムの微妙な感覚なので言葉で表すのはとても難しいけれど、ジャンルに
かかわらず、気持ちいい音楽の根底にはこの「GROOVE」が必ず流れていると思っていて、
それがいちばんわかり易い、つまりいちばん気持ちいいグルーブ感をもっている音楽が、
ここで選んだブラック・ミュージックの5曲だ。
だから選曲のコンセプトは、「What is Groove ?」ということになる。
で、その「音の宴」の結果は、こんな感じ。
木村さん、矢部さん、久山さん、谷川さん、太田くん、といずれも侮れない曲者が相手だったが、
運よく最高点をいただき、一等賞を獲得することができた。
スコアを眺めてみると、最後の『BAD』が勝因だったようで、たぶん盲点をついた選曲だった
からだと思うが、さすがマイケル・ジャクソンと、あらためてその怪物ぶりに感心する。
他の4曲は、ずっとリストにあった曲たちだが、このレコードは、じつはその日の朝までまったく
聴くこともなかった曲で、これをリストに加えられたのは、まさに閃きといかいいようがない。
いずれにしても、その閃きで、ひょっとしたら生まれて初めてかもしれない一等賞が獲れたんだから、
こいつは春から縁起が良い、ということにしておこう。
*
遅ればせながら、といっても程があるが、いちおうけじめとしての 10BEST BOOKS of 2010.
とにかく、小説に関しては文庫本を風呂で読むだけだから、文体を批評することは得意ではない。
もちろん好きな文体(作家)は、厳然として自分の中にはあるが、新刊本を買ったり、積極的に
新しい作家にチャレンジしようという気がそれほどないわけで、そういえば、カズオ・イシグロの
『わたしを離さないで』というとっても怖い小説を、ふとした出来心で風呂で読み始めてしまい、
「ふつうなら風呂で読む小説ちゃいまっせ。ぼくの設計なので許す。」と 矢部さんからtwitter で
叱られたことを思い出した。
ひょっとしたら、去年本のことでいちばん印象的だったのは、このことかもしれない。
あと、「壁は語る」は、いまgraf の服部さんのところに出張にいっていて、graf のオフィスの
階段の踊り場に、この本のコピーがいっぱい貼ってあることを発見して、なんとなく嬉しかった
ことも記憶に残っている。
こんな風に、このリストにある60年代の本のHIP感が、若い人たちに再発見してもらえるなら、
この本屋を続けていく価値があるんじゃないかと、あらためて意を強くする。
5曲選ぶよりは、すんなりとセレクトできた10冊。
惜しい、3冊。□ ダダ宣言 トリスタン・ツァラ 竹内書店 19700415/初版
□ MEXICO CITY BLUES Jack Kerouac Grove Press 1959/5th printing
□ 壁は語る 学生はこう考える J・ブザンソン 竹内書店 19690220/第1刷
□ 一千一秒物語 稲垣足穂 木馬舎 19871125/初版第1刷
□ 父の有り難う 長谷川まみ 主婦と生活社 2007/初版
□ Racing Days Henry Horenstein Henry Holt & Co 1987
□ 明るい部屋 ロラン・バルト みすず書房 19850620初版
□ ブローチ 内田也哉子/渡邊良重 リトルモア 20050303/第2刷
□ 世界のすべての七月 ティム・オブライエン 文藝春秋 20040315/第1刷
□ ロカ 中島らも 実業之日本社 20050425/初版第1刷
このどれかが、10BESTのリストに入っていたって不思議でもなんでもない。
ちょっとした trope(綾)で、ここにいるだけのことだ。
□ クレーの天使 谷川俊太郎 講談社 20020426/第6刷
□ ポール・ランド、デザインの授業 マイケル・クローガー BNN新社 20081001/初版
□ 厭芸術反古草紙 富岡多恵子 思潮社 19700715/初版
*
Twitter 発信中 。
最近追加した、「絵画や写真についてのあれこれ」のブックリスト。
