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台風が通り過ぎた日、4ヶ月ぶりの京都。
□ 視覚の実験室 モホイ=ナジ/イン・モーション 京都国立近代美術館 2011/07/20 - 09/04
バウハウスの人としての印象が強いので、ドイツ語読みのモホリ・ナギ( Moholy-Nagy)と
記憶していたが、この展覧会では彼が生まれたハンガリーの読み方で表記されている。
いずれにしても、unforgettable な名前である。
葉山の神奈川県立近代美術館からの巡回だが、同じバウハウスのクレーやカンディンスキー
デ・スティルのモンドリアンなんかと比べると、日本での認知度は高くないようで、これが日本
で初めての回顧展、多くの作品が初公開だということだ。
構成はオーソドックスな年代順で、とてもわかりやすい。
1 ブダペスト 1917-1919 : 芸術家への道
2 ベルリン 1920-1922 : ダダから構成主義へ
3 ワイマール―デッサウ 1923-1928 : 視覚の実験
4 ベルリン―ロンドン 1928-1937 : 舞台美術・広告デザイン・写真・映画
5 シカゴ 1937-1946 : アメリカに渡ったモダンアートの思想
とにかく多才な人である。
「モホリ=ナギを何と称ぶか、誰も思いつかないままにいる( by 松岡正剛)」
デザイナーであり、画家であり、写真家であり、タイポグラファーであり、舞台美術家であり、
有能なエディターでもあり、そしてなによりも教育者。今回の展示でも感じたが、あまりにも
いろいろなことが、しかもそうとうに高いレベルでできすぎることが、とらえどころのなさに
つながっているようにも思える。
教育者としては、バウハウス(ワイマール - デッサウ)― ニューバウハウス(シカゴ)という
モダンデザインの原点ともいえる学校で教鞭をとり、最終的には18人の生徒を選りすぐった
「School of Design Chicago」というラディカルな「私塾」を設立。1946年に51歳で亡くなる
まで自分の美術/デザイン哲学を伝えることに力をそそいだ人で、デザインが産業として自立
していこうとしていた時代の教育シーンでのキーパーソンのひとりだ。
彼の造ったメソッドは、バウハウス叢書の一冊 『絵画・写真・映画』 に遺されているが、
バウハウスそのものがそうであるように、モダンデザインの通底として、とくに「視覚造形
(ヴィジュアルアート)」の分野ではいまも必読の一冊。
最後の学校「School of Design Chicago」は、彼の没後も 「The Institute of Design」
としてイリノイ工科大学に残っていて、その卒業生たちはアメリカの写真界をリードしている。
余談になるが、「桂離宮」の石元泰博さんは戦後すぐそこで写真を学び、モホリ・ナギ賞を
2回受賞しているそうだ。
アーティスト/デザイナーとしてのナジは、「光」そして「動き(in motion)」と戯れつづけた
人のように思える。
「写真は光の造形である( by Moholy-Nagy)」
考えてみれば、1920年代は、20世紀の科学や技術の夜明け、そしてモダニズムの黎明期
であり、ブダペスト - ベルリン - ロンドン - シカゴと、長い旅をしながら彼が終生追い求め続け
たのは、その新しい時代にふさわしい「新しい視覚」とでもいうべき表現だった。
「新しい視覚」とは、『絵画・写真・映画』といったヴィジュアルアートを新しい技術によって
「光の造形」として捉えなおすということだ。
そのために彼は、「フォトグラム(マン・レイ的にはレイヨグラフ)」や、まさにphotoshop的な
「フォトプラスティック(フォトモンタージュ) ― フォトプラスティックは一種の組織化された幻影
である( by Nagy )」といった写真の新しい表現方法を開拓しだけでなく、タイポグラフィや
ブックデザインや、さらに映像でも、当時とすればまったく新しいアプローチ(物体の運動を
投影記録する「キネグラム」や、映像でも文字でもない「映画新聞」など)を行っていて、その
どれもにチャレンジャブルな気配が漲っている。しかも、そういった作品の制作を喜々として
楽しんでいることが、実際に作品を見るとよくわかる。そしてなによりもユーモアの感覚が秀逸。
同時代のマン・レイとならんで、写真というメディアを、記録のためのツールからアートの領域に
広げたのは、この人の最大の功績だし、作品を見れば、いまのデジタルフォトの世界を予見して
いたことは明らかだ。
でもモホリ・ナギの作品で、ぼくが最も惹かれたのは絵画とコラージュだ。
ブダペスト時代のキュビズム的な作品にはじまり、ダダをへてロシア構成主義の影響を強く
感じさせるドイツ時代のシャープな抽象、そしてその余白の感覚。
図録を見返してみると、思っていたより点数は少なかったが、妙に心に残っている。
たとえば1936年の作品 『 LX 』や、1927年の『 A19 』
モンドリアンよりもユーモラスで、カンディンスキーよりもシンプルなコンポジション。
絵画というよりは、あえてデザインと呼びたいそのセンス。
ここからPOP ARTまでは、あと一歩だろう。
極めつけは1924年発刊の「バウハウス叢書」の装幀とジャケットデザイン、そしてタイポグラフィ。
オリジナルデザインで復刊されたこの叢書(翻訳版)を何冊か持っているが、どの本にもナギの
デザインセンスが横溢していて、彼がブックデザインを立体構成と考えていたことがよくわかる。
そしてなによりもブックデザインの本質を、かれは捉えていた。
その本が本棚にあれば必ず手にとりたくなるし、手にとれば必ず欲しくなってしまうのだ。
"Design is not a profession but an attitude... Thinking in complex relationships"
デザインは、職業ではなく複雑な関係を考える姿勢そのものなんだ。
いつかバウハウス叢書をそろえたい。
Moholy=Nagy in Budapest again
*
中村とうようさんが亡くなった。
自殺と聞いたときは信じられなかったが、「絶望したからではない」と遺書に記してあったそうだし、
少し前に膨大な楽器やレコードのコレクションを大学に寄贈したということだから、あの人らしく
確信的に自分の死に方を自分で選んだのだと思いたい。
はじめて「ニューミュージック・マガジン」を買ったのが、1971年だったから、ちょうど40年になる。
その昔渋谷陽一が咬みついたように、ひどく独善的な物言いの人だったから、反発を感じる
ところもいっぱいあったけれど、音楽に対するその太くて真っすぐな視線はいつも気になっていて、
今はまったく興味がなくなった「ミュージックマガジン」という雑誌も、" とうようズ・トーク " という
コラムだけは、立ち読みでチェックし続けていた。
彼が伝えてくれたことで今も心に残っていることのひとつは、「スポンテニアス(spontaneous)」と
「プリテンシャス(pretentious)」という概念だ。
今辞書で調べてみると、スポンテニアスは、自発的な、自然発生的な、そしてプリテンシャスは、
もったいぶった、大げさな、という意味だが、ブルースやソウルといったプリミティブな黒人音楽と
ピンク・フロイドのようなプログレッシブロックと呼ばれていた白人音楽の対比のためにとうようさんが
持ち出してきた言葉で、「身体的」と「頭的」というニュアンスでぼくは捉えていた。
音楽のスタイルをあらわす表現としては必ずしも全面的に共感したわけではなかったが、それは
音楽だけじゃなく、絵画や写真といったアートを評するときのひとつモノサシとして、必ず頭をよぎる。
もちろん、ぼくは死に急ぐのをいいことだとは思わない。別に慌てて早く死ぬ必要はない。
だからといって。自分だけ長生きしようという気もない。サーヴァイヴァルというのが、地球全体の
延命を意味するのなら、ぼくはできることならそれに加担したい。だけど自分ひとりが他人より
生きのびるのがサーヴァイヴァルならば、ぼくは関心はない。
アフリカ人の考える死というものは、故人のことを懐かしむ人がいる限り完成しない。だから彼らは
死者の思い出を大切にする。だれも憶えていてくれる人がいなくなったら、とうとう故人は本当に
死んでしまうのである。そのアフリカ的観念に従う限り、チャーリー・パーカーは生きている、
ジミ・ヘンドリックスは生きている、というのはたんなる言葉のアヤではない。ぼくたちはバードや
ジミのことをいつまでも忘れないでいたいし、人民寺院のことだって、そう簡単に忘れてしまうわけ
にはいかないと思うのだ。
(中村とうよう/死者のカタログ/ニューミュージック・マガジン1979年2月増刊号)
とうようさんのことだって、そんなに簡単に忘れてしまうわけにはいかないよ。
合掌
*
夏の本買い。
どこへいっても、古本屋にはかならず入る。
京都へ行けば、かならず立ち寄るのは「善行堂」と、古本屋じゃないけど「三月書房」。
「三月書房」にはもう40年近く通っていて、ここで買ったニューミュージック・マガジンや、辻潤の
全集はいまもしっかりとぼくの本棚に居座っている。
そのワンパターンは、家族があきれるほどだけど、いい本を気持ちよく買えるところはそれほど多くない。
夏になると小さな旅行にいくのがここ20年来の習慣で、その旅先で本屋に立ち寄るのは夏の愉しみのひとつ。
去年は鳥取に行き、このまえの『BRUTUS』で特集されていた「定有堂書店」や、古本も置いている
雑貨店「ことや」さんで何冊か面白い本が買えた。
ことしは、尾道と今治あたりにいく予定なんだけど、いい本と巡り合えるかな。
ちょっといいなあと思っている本
□ 陰者の告白 平野威馬雄 話の特集 19760101/初版
平野威馬雄さんは、平野レミさんのご尊父。
『話の特集』に連載されていたときに読んでいたが、とにかく壮絶なコカイン中毒者の手記である。
背筋が寒なるほどの恐ろしい話ばかりだが、ジャンキーの地獄めぐりの情景にはどこかしら
甘美な匂いがあって、それがコカインということになると、やはり目を離すことができない。
装幀は義理のご子息、和田誠。
□ PORTRAITS RICHARD AVEDON THAMES & HUDSON
昔アメリカで買ったソフトカバー版をもっていたが、ハードカバーで入手した。
8x10のポートレイト・フォトをアートに高めたのは、"In the American West"とこの写真集だ。
背景のないシンプルな構図。
撮る側の強い意志がなければ、ただのポートレイトがここまで人の心を動かすわけがない。
"アート作品が心を動揺させるべきでないという意見に私は違和感を覚える。私はそれこそが
アートの特性だと考える。それは人を困惑させ、考えさせ、心を動かすものだ。もし私の作品が
人の心を動かさなければ、それは私的には失敗だ。
アートはポジティブな意味で人の心を動揺させなければならない"
□ BOUND FOR GLORY Woody Guthrie PLUME 19830901
ウディ・ガスリーはボブ・ディランの最初のヒーローで、彼がミネソタの田舎町を飛び出したのは、
ニューヨークの病院に入院しているウディに会うためだった。
この『Bound for Glory』は、そのガスリーの自叙伝。
社会主義者で労働組合活動家、ウディ・ガスリーは大恐慌のあとギターを持ってアメリカ各地を
放浪し、「我が祖国(This land is your land) 」を始めとする"民衆"の歌やプロテストソングを歌い
続けた人で、「花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone?)」のピート・シーガーとならぶ、
元祖フォークシンガー。 亡くなった日本のフォークシンガー高田渡さんも彼を終生敬愛していた。
ディランは1962年のデビューアルバムで「ウディに捧げる歌」という優しい曲を書いている。
Song to woody
I'm out here a thousand miles from my home
Walking a road other men have gone down
I'm seeing a new world of people and things
Hear paupers and peasants and princes and kings.
Hey hey Woody Guthrie I wrote you a song
About a funny old world that's coming along
Seems sick and it's hungry, it's tired and it's torn
It looks like it's dying and it's hardly been born.
□ ETHNIC SOUND SELECTION 細野晴臣 日本音楽教育センター
細野晴臣によるワールド・ミュージックのレコードガイド。
「日本音楽教育センター」というのは、調べてみると通信教育「ユーキャン」のCD関連の子会社。
この本には書籍コードも何も記されていないので、どうも同名のコンピレーションCDのブックレット
のようだ。
「地球の声(La Voix De Globe)と名づけられたこの8枚のCDは、地域や年代やジャンルではなく、
「祖先(ATAVUS)/「哀歌(ELEGY)」/「既視(Deja VU)」/「恋歌(GAYA)」/「妙薬(NEPENTHE)」
/「恍惚(TRANCE)」/「終末(FIN)」/「律動(CADENDIA)」といういかにも細野さんらしい
8つのコンセプトで分けられていて、128曲すべてが彼の選曲。
「このように膨大な数の民族音楽が、国や民族に束縛されることなくただ象徴的なタイトルだけを
頼りに並べ変えられたのは、これが初めてかも知れません。その点で、選曲、解説者は稀に見る
困難と幸運と合わせ持つ仕事を、手に入れたことに喜びをかんじずにはいられません。何故なら
無類の音楽好きである彼等や私たちは、日常でもこうした選曲を、自分達の楽しみとしているのですから」
すべてのコンセプト、すべての曲に丁寧な解説がつけられていて、一冊の本としても充分愉しめる。。
□ 日本の伝統 岡本太郎 光文社 19560905/初版
状態はそれほど良くないが、「縄文土器」「光琳」「中世の庭」というテーマが、日本の伝統として
取り上げられている岡本評論の55年前のオリジナル版は、やはりちょっと捨てがたい。
□ 既にそこにあるもの 大竹伸朗 新潮社 19990725/初版
以前から、同年代の大竹さんの本が欲しいと思っていたが、やっと手に入った。
もちろんお金を出せばAmazonにはいつでもあるが、古本屋の本棚で出会うことに意義があるのだ。
□ SWINGING LONDON 50'S 60'S 梧桐書院 2010060/第1刷
□ 画家と音楽家たちの肖像 マルセル・プルースト コーベブックス
□ 神の裁きと決別するため アントナン・アルトー ペヨトル工房 19890714/初版
□ 通底器 アンドレ・ブルトン 現代思潮社 19700220/新装第2刷
□ 素晴らしき時の震え ガエタン・ピコ 新潮社 19750510
□ 日本ナンセンス画志 草森紳一 大和書房 19720225/初版
□ 思考する眼 粟津則雄 美術出版社 19761010/5版
読む音楽も面白い
□ ブルース世界地図 鈴木啓志 晶文社 19870625/初版
□ 深夜酒場でフリーセッション 奥成達 晶文社 19840520/初版
□ 奇妙な果実 ビリー・ホリデイ 晶文社 19710930/5刷
□ エンビ服とヒッピー風 林光 晶文社 19740730/初版
□ ロックの意味 ウィリアム・J・シェイファ 草思社 19750630/第1刷
建築やデザインや写真や絵画と戯れる
□ walter gropius James Marston FitchGeorgeBraziller 1960
□ minimalist houses Linda Parker Happer Design Int'l 20030325
□ きもちのいい家 手塚貴晴+手塚由比 清流出版 20070701/初版第2刷
□ 50 PRODUCTS Mel Byars Rotovision
□ CARTIER 13 Rue de la Paix Paris PhilipTretiak AssoulinePublishing 2006
□ かたちのセミオシス 向井周太郎 思潮社 19861020/初版
□ しあわせなデザイン 伊藤俊治編著 求龍堂 20040421
□ TADANORI YOKOO 1971-1974 横尾忠則 毎日新聞社 19741001
□ アメリカ 写真の世紀 ポラロイド・コレクション 淡交社 20000911/初版
□ LOVE,LOVE,LOVE ANDY WARHOL 1950
美しき日本の残像
□ 季節のかたみ 幸田文 講談社 19930914/第5刷
□ 石との対話 矢内原伊作 淡交新社 19661006/初版
□ 大和の石仏 星野立子 淡交新社 19650704/初版
□ やきものの美 林屋晴三 河出書房新社
□ 日本の美のこころ 川端康成 講談社 19730124/第1刷
□ Katachi - 日本のかたち 岩宮 武二 ピエブックス 1999
その他もろもろ
□ ならずもの暴力宣言 滝田修 芳賀書店 19710301/初版
□ 原点が存在する 谷川雁 現代思潮社 19690310/第2刷
□ やさしいオキナワ 池澤夏樹 PARCO出版 19970807/第2刷
□ 十字架への献身・精霊たち・夏 アルベルト・カミュ 新潮社 19730305/初版
□ 自動巻時計の一日 田中小実昌 河出書房新社 19710815/初版
□ 都市の感受性 川本三郎 筑摩書房 19840510/初版4刷
□ 「美しい」ってなんだろう? 森村泰昌 理論社 20070323/初版第1刷
□ ドリトル先生航海記 2 ロフティング/井伏鱒二 19620720第10刷
□ ポップ1280 ジム・トンプスン 扶桑社 20010130/第6刷
□ 絵本 ジョン・レノンセンス ジョン・レノン 晶文社 19751225/初版
買い直しあるいはダブり
読みたいと思っていたのに読む前に売れてしまった本は、やはり買い直さなければならない。
読みたいと思っていたのに読む前に売れてしまったと思っていた本も、やはり同様である。
□ デザインの原形 深澤直人+原研哉+佐藤卓 六耀社 20050701/新装版第2刷
□ 雨降りだからミステリーでも勉強しよう 植草甚一 晶文社 197611201/3刷
□ デザインの輪郭 深澤直人 TOTO出版 20060201/初版第3刷
□ たんぽぽのお酒 レイ・ブラッドベリ 晶文社 19761122/2刷
□ 純文学の素 赤瀬川原平 白夜書房 19820801/初版
□ 池波正太郎 自選随筆集 上/下巻 池波正太郎 朝日新聞社 1988/第1刷
□ 家守綺譚 梨木香歩 新潮社 20040130/初版
□ 古都のデザイン結界の美伊藤ていじ淡交新社19660608初版
□ 色彩論 ヨハネス・イッテン 美術出版社 19820130/第8刷
□ 定義 谷川俊太郎 草思社 19850625/新装第3刷
□ 鞆ノ津茶会記 井伏鱒二 福武書店 19860315/第1刷
□ 薔薇の名前 上/下 ウンベルト・エーコ 東京創元社 1996
*
そしてなかなか更新できない「これがHIPだ」のブックリスト
なんかもうちょっと素軽く書けないもんかなあと、いつも思ってる。
このブログのことなんだけど。
静やかに、でも軽やかになんていうのが理想的なんだろうけれど、日記さえ綴ったことの
ない者にとって、それはなかなかの難物だ。
別に「自分メディア」であるブログに、制約なんてつける必要はないんだけれど、なにかしら
「モノサシ」のようなものがないと、とりとめがなくなってしまうんじゃないかなんて変なことを
考えて、くだらない「決めごと」を勝手につくったりしているもんだから、なおさら。
たぶん文章を書くということに、ちょっと意識過剰なんだな。
書いておきたいなあと思うことはいくつもあるんだけれど、書き始めるとどれもがつまらなく
感じてしまったり。
だいたいこんなおかしな文章を書きだすのに、10日もかかってるのがなんとも口惜しい。
図書カードの顛末でも。
図書カードは5000円、コトバノイエの雑誌取材の謝礼としていただいたものだった。
このまえK伊國屋書店で買いそびれた時点で、できるだけいいかげんに、成り行きまかせ
に使ってやろうと決めていた。 金額も中途半端だし、あまり狙いを定めないで、古本と同じ
感覚で店に入り、適当にピックアップして結果5000円っていう感じならいいかなんて。
で、けっきょく買ったのはこの2冊、at 某ショッピングセンターのふつーの本屋。
■ 家づくりのきまりとくふう 堀啓二 インデックス・コミュニケーションズ 20060930第1刷
■ 拡大の美 日本が愛した焼きもの 講談社編 講談社 20071025第1刷
前者が1800円、後者が3200円、消費税を加えると5250円で、ポケットから小銭をだした。
「家づくりのきまりとくふう」は、依頼を受けていた某社の本棚づくりのためのものだ。
たとえばこれから家を建てようとする若い人たちが、間取りや家具のことを考える前に
(楽しいからついそっちにいってしまうんだけど)、読んでくれたらいいなあと思える一冊で、
住宅の構造や建設の法令のことを、こんな風にわかりやすく教えてくれる本は案外少ない
んじゃないかなあと思う、というか、あまり見たことがない。
この本は何年か前、青木淳氏のアルマジロ裁判で話題になった「くうねるところにすむところ」
という叢書の中の一冊。
サブタイトルに「子どもたちに伝えたい家の本」とあるように、建築家やクリエイターが、子供
の目線を意識しながら、それぞれの文脈で「家」のあれこれを語るというコンセプトで造られ
ているシリーズで、どの本もいちおう絵本の体裁をとっているから、一見優しい表情に見える
けれど、じつは住宅や建築の根源に鋭く迫っているところが数多くあって、ふつうの言葉で、
シンプルに表現されたものだからこそ、ものごとの本質や著者の個性が、鮮やかに映しださ
れるということを見透した編集者の手腕は、なかなかのものじゃないかと思う。
人選やブックデザインも秀逸で、編集の力と出版文化の気概を感じさせてくれる良質の叢書、
この一連の仕事で、編集者が芦原義信賞を受賞したというのも頷ける。
「くうねるところにすむところ ー 子どもたちに伝えたい家の本」
01・家ってなんだろう/益子義弘
02・家のきおく/みかんぐみ
03・オキナワの家/伊礼智
04・家族をつくった家/芦原太郎
05・集まって住む/元倉眞琴
06・物語のある家/妹島和世
07・地球と生きる家/野沢正光
08・みちの家/伊東豊雄
09・中心のある家/阿部勤
10・素材の実験/隈研吾
11・家と土地をうけつぐ/更田邦彦
12・向こう三軒両隣り/田中敏溥
13・家の顔/片山和俊
14・家の?/青木 淳
15・ぼくの居場所/竹山 実
16・もうひとつの家/高松伸
17・わらの家/大岩剛一
18・両親と祖母の家をつくる/井上搖子
19・家づくりのきまりとくふう/堀啓ニ
20・窓のある家/千葉学
21・ドラゴン・リリーさんの家の調査/山本理顕
22・家と身体/ 鈴木恂
23・家のいごこち/堀越英嗣
24・まちを生きる家/石田敏明
25・家を保つ/石田信男
できればぜんぶ揃えたい、ちょっと高いけど。
そしてもうひとつの「拡大の美 日本が愛した焼きもの」、こいつは凄い。
たまたま手に取ってパラパラッと眺めたとたんに圧倒された。
たぶんこんなのは古本には出てこない。
いただきものの図書カードでもなければ、なかなか買える本じゃないと思ったので即買い。
いい本には必然的に巡りあうものなのだった。
焼きものの写真集である。
登場するのは名うての名品、国宝・重文クラスばかり、凄いのはそのおそらく世界でも
最高峰の焼きものを、現在考えられる最高の機材(3900万画素の高精細デジタルパック
「フェーズワンP45」をセットしたHasselblad503CW+Carl Zeiss Makro-Planar 120mm)で、
接写撮影(by 西川茂さん)しているということ、もちろん印刷も最新鋭、最高精度のものだ。
とにかく土と釉の美しさをこれほど精緻に撮った画像を見たことがない。
けっして人間の眼では見えない世界だし、そもそもこれらの名品を、美術館のガラス越し
でなく見ることは、ほぼ不可能だ。
建築と同じで、ディティールに神は宿るのだ。
焼きものは、最後のところで「炎」という人智のおよばないものに身を委ねなければ成り立た
ない芸術だから、こうやって細部の美しさを見せつけられてしまうと、いっそう見えざるものの
存在を感じずにおれない。
「織部」のすいこまれるように奥深い透明感をもった緑、泡立った釉薬を肌にそのままとどめ、
長石の乳白と鉄の緋色が月面のような模様を描く鼠志野の茶碗「峯紅葉」、そしてまさに
宇宙としか表現できない「曜変天目」の妖しい蒼光、茶筅のあとも生々しい。
とにかくすべてが美しい。
織部四方手鉢
鼠志野茶碗 「峯紅葉」
黒織部菊文茶碗
曜変天目
黄瀬戸菊菖蒲文輪花鉢
伊賀水指 「破袋」
志野茶碗 「通天」
備前花入 「太郎庵」
備前緋襷水指
信楽蹲壷
色絵芥子文茶壺 野々村仁清
銹絵染付金銀白彩松波文蓋物 尾形乾山
赤楽茶碗 「寒菊」 楽家三代道入
黒楽茶碗 「山の端」 楽家三代道入
初期伊万里染付吹墨兎文皿
色絵芙蓉手花鳥文皿
柿右衛門 色絵菊文壷
柿右衛門 色絵椿文深鉢
鍋島 色絵宝尽し文八角皿
鍋島 色絵青海波牡丹文皿
鍋島 青磁染付桃図皿
金襴手 色絵荒磯文鉢
葆光彩磁妙音紋様大花瓶 板谷波山
一目瞭然、見ればわかる。
*
■ ルゥーシー・リィー 三宅一生監修 求龍堂 20090213初版
焼きものが続く。
1989年に三宅一生のプロデュース、安藤忠雄の会場構成で開催された日本で始めての
「ルゥーシー・リィー展」の図録、六本木の21_21 DESIGN SIGHTで5月10日まで開催され
ている「U-Tsu-Wa/うつわ」展に合わせて復刻されたものだ。
古本でもなかなか手に入りにくかったこの図録の復刻は、素直にウレシイ。
凛としたフォルムとニュアンスに富んだ釉薬のテクスチュア、路傍にころがる石のような
ルーシー・リィーの器には、人の心にあたたかさやなつかしさを呼び起こす力があるんだ。
なによりも、可愛いおばあちゃんの小さな手で丹念に造られているっていうことが素敵だ。
くだくだというよりも、彼女のこのメッセージがすべてを語っている。
May you share in the adventure of the making.
新刊で注文しました。
■ 錯乱のニューヨーク レム・コールハース 筑摩書房 19951025初版第1刷
今週はこの本が買えただけで大満足。
建築ではなく、ふだんあまりちゃんと見ない海外文学の棚で発見した。
今をときめく最先端の建築家によるニューヨーク論。
コールハースがまだ作品のない建築家だった1978年の著作で、1994年まで絶版になって
いた(建築の実務に専念したかったからというのが本人の弁)という「幻」の一冊です。
新刊はもちろん高いし、古本も数が少なく高値をキープしている本ですから、欲しくてもなか
なか手にすることができない一冊でした。
サブタイトルが、A Retroactive Manifest for Manhattan(マンハッタンのための回顧的マニ
フェスト)、書いてあることがちゃんと理解できるかどうかは微妙なところですが、本棚での
存在感だけで充分価値がありそうな本だと思います。
books are not just for reading.
マンハッタニズムなるものの誕生と滅亡、摩天楼の哲学。
なんとなく十九世紀パリを論じたベンヤミンのパサージュ論がオーバーラップします。
錯乱しているのは、じつはこのオランダ人自身じゃないのか。
■ 九つの小さな物語 富岡多恵子 大和書房 19751220 初版
読めないままにどんどん増殖していく富岡本。
この本はサリンジャーの「Nine Stories」となにか関連があるのかな。
湯村輝彦のジャケットデザインと挿画が印象的な一冊、B6変形の造本も小さくてカワイイ。
「いずれもお話や物語ではなく、小説のつもりで書いたものばかりである。-------おもしろい
草双紙になるかならぬかは、絵よりも先に、小説の態度にかかっているのはいうまでもない
ことである。」
この潔さが、この人の資質じゃないかと思うわけです。
A子のカラス
闇のまわりに灯をつけて
原始生活
ビフテキ
遺産の利子
希望と絶望
決闘
人形遣い
ハタチか二十一か二十二の男と三十五か六か七に見える女
九つの「あやかし」たち、題名だけで、ちょっとしたトリップ。
■ 60's アメリカン・アドバタイジング All American Ads ジム・ハイマン TASCHEN 2002
大型フルカラーのハードカバー、当時のアメリカの雑誌や新聞に掲載された広告が、大量
に掲載されていて、ひどく重い。
広告の歴史は欲望の歴史だ。
アメリカの60年代の広告には、アメリカの欲望が詰まっているし、世界はそれに憧れた。
American way of life っていうやつだ。
明るく、楽天的で、ウィットに富んだキャッチコピーとカラフルな映像。
「60年代、[売り込み]の定義は、陳腐な言葉とビジュアルを駆使して頭ごなしに消費者を
やりこめようというものから、受け手が広告を好きになれるようにという意図のもと、創造
的でちゃめっ気のあるものへと変化した。 そしてその手法はうまくいったのだ」
「Colorful capitalism - Ads that read like pulp fiction」っていうこの本のキャッチコピーが
その感じをうまく表している。
その圧倒的な物量は、今はもう存在しないリッチで楽天的なアメリカそのものだし、この
商品(=金)の洪水に、嫌気をさす人たちが現れたのは、必然のように思える。
若者たちは、このColorful capitalism に NO ! と宣言し、精神世界や自然主義に傾倒した。
振り返ってみると、それはリッチネスを背景にした甘~い反抗、まあ「ボンボンのヤンチャ」の
ようなものだったかもしれないけれど、そのときに生まれた価値観が、この21世紀にひとつの
メインストリームになろうとしているんだから、まんざら無意味だったとは言い切れないよね。
A Time Capsule
*
最近追加した「本を特集した雑誌」のブックリスト
SPOT LIGHT 特集企画第三弾、「 木村工務店の木村貴一さんが選んだコトバノイエの30冊」開催中。
コトバノイエを建てていただいた「匠」による渾身のセレクションをぜひご覧ください。
