horse racingの最近のブログ記事

wheel.JPG


運命のひとひねり。

居酒屋兆治のように無骨で侠気あふれるジョッキーだった柴田政人は、悲願だったダービーをウイニングチケットで制した後のインタビューで、「世界のホースマンに第60回の日本のダービーを勝った柴田ですと伝えたい。」という名言を残した。

日本ダービー、正式名は「東京優駿」。

競馬の世界は、5月の最終日曜日、東京競馬場に10万人以上の観客を集めて開催されるこのレースを中心に動いている。

このレースが終わると、新馬戦がはじまり、また来年のダービーに向けての新しい一年がスタートするのだ。

一生に一度の、最高峰の栄誉をかけて疾駆する18頭の若駒。
チャンピオン・ディスタンスと呼ばれる12ハロン(2400m)の馬齢定量戦、本賞金1億5千万円。

寺山修司がいっていたように、「競馬が人生の比喩なのではなく、人生が競馬の比喩なのだ」としたら、この2分30秒足らずのレースには、名誉や欲望や美や憧憬や絶望や希望、そして友情や愛といった、人生のさまざまが凝縮されているようにさえ思える。

それにしても。

タービーの日は、雨なんか降らないはずだった。

どんなに低気圧がとぐろ巻いていても、5月最後の日曜日の東京競馬場には、陽光に映える鮮やかなターフがあるものだと信じて疑わなかった。初めて観たのダービー(第52回 シリウスシンボリ-スダホーク)から、これまでの25年ずっとそうだったんだから。

でも降っている、それもそうとう激しい雨だ。
モニターの画面を通して見える豪雨に煙る東京競馬場には、得体の知れない不穏な気配が漂っていた。

不良馬場。

それはドラマティックを遥かに越え、まるで神の手で紡がれたような結末だった。

東京10R  第76回 東京優駿 2400m芝・外  

1着 ロジユニヴァース     2:33.7
2着 リーチザクラウン
3着 アントニオバローズ

払戻金

単勝 1         770円   2番人気
複勝 1         390円  4番人気
       12        430円   5番人気 
       10        620円   8番人気

枠連 1-6    1,020円   4番人気
馬連 1-12  3,760円  10番人気
馬単 1-12  7,870円  22番人気

3連複 1-10-12   40,320円  111番人気
3連単 1-12-10  201,960円  556番人気

語るべきことは、多くない。
去年のダービーより7秒も遅い時計(1秒で6馬身/15m差といわれている)がすべてを物語っている。

そしてそれでも、「ダービー馬はダービー馬から」 「ダービーは最も運の通よい馬が勝つ」 「1コーナーを曲がるときに10番手以内にいなければならないというダービーポジション」、こんな格言(セオリー)が、厳粛に守り続けられたところが、ダービーの凄さなんだ。

「昨日の大敗が今日の勝利につながり、今日の栄光が明日の敗北を予感させる。世の中の大勢はあっさりと覆され、
信じ続けたものだけが救われる。しかし、信じ続けられる者は少ない。」

皐月賞を1番人気で14着に惨敗した馬が先頭でゴールを駆け抜け、皐月賞を勝った1番人気の馬が14着に敗れ去る。
これが競馬なのである。

横山典弘が、16回目の挑戦でダービージョッキーの称号を得た。
ウイニングランから戻ってきてゴーグルを外したときの彼の少し蒼ざめたような笑顔を見て、泣きそうになった。

もし神様がいるんなら、今年もダービーを観ることができてありがとうと言っておきたい。


*


某日、その日買った「リテレール」のバックナンバーを読んでいたら、「最も想い出深い自作」という特集で、
小林信彦さんが、東京三部作の第一弾「ドリーム・ハウス」を挙げていた。
ちょうどその日均一台からその「ドリーム・ハウス」を買っていたもんだから、こんなこともあるんだとすこし驚いた。
こういうのは、 coincidence じゃなく synchronicity っていうんだろうな。

関係ないけど、その「リテレール」のどこかに、根拠のない自身こそが創作の源泉だと書いてあった。
まったくの同感である。


■ paper pools     David Hockney     Thames Hudson 1980

片岡さんの「紙のプールで泳ぐ」の主人公、まえからずっと欲しいと思ってた。

ホックニーのプールは紙でできている。
紙といってもふだん使っている製造されたきれいな紙ではなく、紙パルプというドロドロのものだ。

そのどろどろを着色し、枠に流し、平たくおさえて乾かす。

その独特のテクスチュアは、プールの不思議さを絵画的にとらえるという意図にぴったりと合っていて、
水という自然と、地面を掘ってコンクリートで固めたプールという人工物のシュールな交わりを見事に表現している。

油絵やリトグラフやポラロイド・カメラといった様々な手法で、南カリフォルニアのプールをモチーフにしてきたホックニーだけれど、この paper pool は、かれが行きついた究極のプール表現じゃないかと思う。

なによりも、プールの芸術性を発見したことが、このアーティストの才能だ。


■ 在りし日の歌(復刻創元社版)   中原中也   日本近代文学館  19731101 第4刷

復刻であっても、中也自身が生前に編んだ2つの詩集のうちのひとつが本棚にあるのは、とてもうれしい。

創元社版だから、青山二郎の装丁。
山口湯田温泉の中原中也記念館にあった、わかりにくい字で書かれた原稿を思い出す。

見返しに記された「亡き児文也の霊に捧ぐ 」という献辞が痛々しい。

原稿の清書完了は死の1カ月前、小林秀雄の手元に残されたその原稿が本になったのは、彼が没してから一年後だった。

北の海

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。

曇つた北海の空の下、
浪はところどころ歯をむいて、
空を呪つてゐるのです。
いつはてるとも知れない呪。

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。

あんまり使いたくない言葉ですが、これはもう青春としかいいようがありません。


■ 美の呪力    岡本太郎    新潮社   19770115 4刷

1970年(万博の年だ)の芸術新潮連載「わが世界美術史」が初出。

じつは一冊同じものをもっているんですが、絶版の良書というのは欲しいときになかなかないものですから、
でたとこ勝負というのが古本の鉄則でありまして。

文章を書き、自分の考え、問題を追いつめる。当然、思索自体がアクションであり、アクションはまた同時に、
人間的にいって激しい思索であるに違いないのだ。

写真もうまいけど、とにかく文章がうまい。
シンプルで飾りのない文体だけれど、それだけにストレートに気持ちが伝わってくる。
本質が視えていなければこういう風には書けないものだ。

「忘れられた日本 - 沖縄文化論」とならぶ太郎さんの名著じゃないでしょうか。


■ 宮脇檀の住宅設計テキスト  宮脇檀建築研究所  丸善株式会社 19940805第4刷

テキストという題名のごとく、住宅作りの教科書のような一冊。
住宅設計にまつわる宮脇檀的チップスが、豊富な写真や図面とともに数多く掲載されている。

だからといって、このとおりに造ればいい家ができるわけじゃないのが面白いところ。
もの造りの不思議さは、矛盾に満ちている。

「書ける」建築家、宮脇さんの面目躍如。

建築を学ぶ人ににとっては必携の書でしょう。
ちょっと高いですが、できればこのダイジェスト版よりも底本の「宮脇檀の住宅設計ノウハウ(1987)」を。

一般の人が鵜呑みにすれば、嫌な施主になってしまうかもしれませんので要注意。


■ うずまき猫のみつけかた    村上春樹    新潮社   19960815 5刷

いま話題沸騰の村上春樹氏47才の時のエッセイ集。

あまりいいファンではないし、思わせぶりなタイトルや、あからさまなハングリー・マーケティングが気に入らないので(今さらそんなことしなくてもいいじゃない)「1Q84」という「総合小説」は、今はなんとなくあまり読む気がしませんが、このエッセイを書いてたときは、60才で発表する作品がこんな風に騒ぎになるなんて想像もしてなかったんじゃないんでしょうか。

まあ売れることは悪いことじゃないんですが。

たぶん「ねじまき鳥クロニクル」の執筆中の頃のエッセイだと思いますが、軽く書いたものでも妙に真面目なのは、やはり人柄でしょう。
文体でそれをことさら軽く中和しようとしているのがこの人のスマートなところ。

書いてあることはそれほど大したことじゃありません。


■ コルシア書店の仲間たち    須賀敦子    文藝春秋    19930701  第4刷

いろんなところで評判はよくきいていたのに、なぜか縁がなかった須賀敦子さんの本にやっと巡りあいました。

もちろん買おうとおもえばいつでも買えたわけなんですが、ホントにいい本なら自然に本棚にすべりこんでくるんじゃないかと思っていたので、こんな風に出会えて、ちょっといい気分です。

なんといっても本のたたずまいが素晴らしい。
船越桂の「言葉が降りてくる」をあしらったジャケットもいいし、抑えのきいたブックデザイン全体が、この本の柔らかな空気感を表しているようです。

本が、古書店の本棚から呼びかけたように感じました。

「須賀敦子が62歳のときに懐かしくもゆかしいミラノの日々を回想して綴った珠玉の一作である。( by Seigow M.)」

本の内容に関してはコチラを。

and so on,

■ 日本語のデザイン    永原康史    美術出版社   20020405 初版

■ 空間のフォークロア    海野弘    駸々堂   19840330 第2刷

■ 森の形 森の仕事    稲本正    世界文化社   19940115 第1刷

■ 現代語訳 風姿花伝    世阿弥    PHP研究所   20050204 第1版第1刷

■ NATIVE AMERICANS    E.S.Curtis    TASCHEN   20010315  

■ シュルレアリスムの彼方へ    飯島耕一    イザラ書房   19761020 新版第1刷

■ ドリーム・ファクトリー アレッシイ1921からの歩み    光琳社出版   19990325 初版  

■ モダン・ジャズの発展    植草甚一    スイング・ジャーナル社   19690215 第3刷

■ 読書の魅惑 リテレール別冊    安原顯    メタローグ   19930401

■ 雲を眺める旅    野田知佑    本の雑誌社   19960910 初版第1刷

■ プードル・スプリングス物語    R.チャンドラー&R.B.パーカー    早川書房   19900515

■ 千利休    その生涯と茶の湯の意味    村井康彦    日本放送出版協会   19720510 第3刷


*

 

番外「競馬場で逢おう」のブックリスト。
 

SPOT LIGHT 特集企画第4弾、「 ミーツ・リージョナル編集室の半井裕子さんが選んだコトバノイエの30冊」完成間近。

彼女のセレクションはスゴイぞ。

 

http://kotobanoie.com

 

 

topgunS.JPG


Horse Racing !


今週クラシックレースの菊花賞が終わり、来週はもうひとつのビッグレース天皇賞、秋競馬である。


女の子や学生たちが競馬場に溢れかえり、ジョッキーたちがアイドルのようだった過熱が過ぎ去り、

競馬場には、以前そうだったように、少しためらいがちな熱情が戻ってきているらしい。


もう際立った熱狂や興奮はないけれど、3-4年ごと繰りかえされるそれぞれのサイクルと、受け継がれる大河

のような血のドラマは、たとえばそれを20年も続けていると、自分が贔屓にしていた馬の仔の、その父に似た

ギャロップの姿や、名牝と呼ばれた母のから生まれた兄弟の闘いなどの 観戦者となることを赦してくれる。


競馬が「ブラッドスポーツ」ともいわれる所以である。


ギャンブルとしてはいちばんポピュラーで、よく新聞で横領したお金を「競馬などで使った」なんていう記事を

見かけるけれど、もともとはステークスとして、馬主たちがそれぞれの馬を自慢しあい、競争させ、自分の馬に

賭け( bet )して遊んだことが始まりだから、実は賭け事としてはかなり効率の悪いもので、単純な博打としてじゃ

なく、レースそのものの推理を楽しんだり、サラブレッドという美しい動物そのものに魅かれなければ、ほんとう

の意味で競馬を楽しむということにならないんじゃないかと思う。


もちろん「アームチェア・ディテクテブ」のように書斎でいろいろな馬やレースのことに思いを馳せるのも、その

大きな愉しみのひとつで、300年前たった3頭のサラブレッドから始まったこのドラマ(たとえばあのディープ・

インパクトも、この3頭のなかの1頭であるダーレイアラビアンの25代目の子孫なのだ)を、本の世界の中で巡る

こともできるし、馬券の研究はもちろん競馬新聞のあの小さな活字からだ。

 

昭和47年に発行された、旧い競馬の本を見つけた。


野平祐二は正義の騎手か   武智鉄二  都市出版社    19720510 初版


武智鉄二は演劇畑の人で、映画監督として愛染恭子・佐藤慶のホンバン映画「白日夢」でその名前を知られた人

だが、競馬にもずいぶん入れ込んでいたようで、当時のスタージョッキーだった野平祐二(のちに名馬シンボリ

ルドルフの調教師)や、賭け事を諸悪の根源とする当時の美濃部東京都知事に噛み付いているのが面白い。


「ファンは無頼であるべきだ」というコラムでは、

「ファンたるもの損をするために競馬をやっているという自覚を持とう。損をすることによって、自分たちが疎外者

の立場にいるものだという社会階級観を、実践を通して、把握すること。このことがいちばん大切なのではないか。

ファンが複数として集結される時、われらは無頼の徒と呼ばれるであろう。そうしてこの無頼の徒こそ、パリ革命や

ソビエト革命の実践的エネルギーだったのだ。」

と左翼的にアジっている。


いかにもその時代の雰囲気です。

 

そして、競馬の本といえばやはり寺山修司、競馬に関する文章でこの人を越えた人はまだいないと思う。


競馬場で逢おう    寺山修司  JICC出版局  19881225 初版


競馬放浪記    寺山修司   新書館   19900705 新装版3刷


印象的なエッセイや、スシ屋の政、トルコの桃ちゃんといった市井の馬券人たちが登場する馬券予想のコラムで、

彼は競馬が馬券だけではないんだということを教えてくれた。


独特の文体、叙情そして虚々実々の物語、何よりも競馬に対する愛と理解が圧倒的に深い。

 

「結局、平均すれば負けているでしょう」と尋ねた記者に、「あんたの人生は平均すると笑ってますか、泣いてますか」

と問い返したのはこの人の真骨頂だろう。


けっきょく平均することなんて、馬券じゃなくてもたいして意味のないことなんだ。


寺山修司は、あれだけ愛したミスターシービーと吉永正人のダービーを見ることなく逝った。



毎年東京競馬場に通って観戦していたダービー(正式名称は「東京優駿」)も、今はTVでしか見ることはないけれど、

5月の最終週に開催されるこのレースを見ると、次のダービーを観るためだけに、来年まで生きていたいと思う。

競馬場で逢おう

 

 

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうちhorse racingカテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリはhipです。

次のカテゴリはkotobanoieです。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

horse racing: 月別アーカイブ

Powered by Movable Type 4.0