movieの最近のブログ記事

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ベトナム戦争が、"フルメタル・ジャケット" や "地獄の黙示録( Apocalypse Now )" や 
"ディア・ハンター " を生んだようにこの映画の受賞をきっかけに、ハリウッドが、新しい
刺激として、イラクやアフガンの戦争を貪欲にとりこむ予感がする。

考えてみれば、戦争はいつも、映画にとって格好の素材だった。

" The Hurt Locker "

スターのいない地味なキャスティングだが、良くできた真面目な映画だ。

本命だった" アバター " は観ていないけれど、映画芸術科学アカデミーの面々が、
SFハイテク超大作ではなく、このリアルな戦場の物語にオスカーを与えたのは、
ひとつの見識といえる。

アカデミーの会員たちのテイストが保守的なのは周知の事実としても、世界を席巻する
コマーシャル・トレンドである地球環境や価値観の違う異人種との衝突(あるいは共存
 - " Dances with wolves "のように)を描いたファンタジーよりも、戦争という絶対的な
理不尽に巻き込まれる人間の情況を、丁寧に描写したこの映画が、プロデューサーの
反則行為をものともせず、作品賞を獲得したのは、アメリカの良心ってやつだろうう。

テーマは、" war is a drug "

バロウズが言うように、どんな人間も麻薬中毒者であり、戦争もその麻薬のひとつで、
それはたとえば「裸のランチ」で描かれているモルヒネやアルコールといったヘヴィ・
ドラッグの世界と同じように、超現実ではなく現実そのものということだ。

2004年夏、アメリカ陸軍爆発物処理班ブラボー中隊のバグダッドでの38日。

ストーリーそのものは、いってしまえば " ダーティハリー " や " リーサル・ウェポン " と
同質の、ある孤独な「マッドドッグ」の物語だといえるが、市民社会ではなく、戦場という
非日常が舞台になれば、様相は一変する。
戦場での激しい緊張と弛緩の断続、しかも進駐した敵地での爆弾処理という極限的な
状況が、ヘロインのように兵士を蝕んでいくありさまが、印象的なエピソードとともに、
まっすぐな大人の視線で描かれている。

映画を観ながら、ソンタグの「良心の領域」というメッセージを思い出した。

たとえば「戦争」というような、具体的でリアルな現実を、想像するように努力してください。

世界では、ではビジネスが支配的な活動に、金もうけが支配的な基準になっています。
ビジネスに対抗する場所、あるいはビジネスを無視するという考え方を持ち続けてください。

暴力を嫌悪すること。国家の虚飾とナルシズムを嫌悪すること。

この作品はソンタグのこの言葉の具現のように思える。
キャスリン・ビグローがこれを読んだわけではないだろうが、どちらもがマチュアな女性
であることは、きっと何かを暗示しているに違いない。そして、ともすると重くなりがちな
テーマを、エンターテインメントとしても高いレベルで表現できているのは、彼女の映画
監督、そして脚本家としての才能だろう。

この人は、きっともっと遠いところに行ける。

タイトルはアメリカ軍のスラングで、「棺桶」という意味なんだそうだ。


プンクトゥムは、三等軍曹サンボーンのくるんとカールした睫毛。

*

本買記

サーフィンの本を、何冊かまとめて買った。
あるオールドサーファーと海の話をしていたら、なんとなくその気になってしまったのだ。

ワイキキビーチで、といってもずいぶん昔の話だが、はじめてサーフィンというものを見た。
ビーチから眺めていたらあんまり気持ち良さそうだったので、なんにも知らないままに
サーフボードを借りて、見よう見まねでパドリングして海に出たら、波にもまれて死にかけた。

葉山の海にも、毎日のように浸っていたことがあるが、ろくに立てたこともない。

そんなだから、サーフィンについて語ることなんてできないけれど、海に身を浸し、波に
身をまかすことの快感はよくわかる。

波を感じることは、地球そのものを感じることだ。
小さな板を操って、その波の上を気持ち良くすべれたら、やみつきになるのは当たり前だと思う。

サーフィンにほんとうにまきこまれてしまうと、自分の生き方にとって必要でないもの、
無駄なものなどには、いっさい手を出す気がしなくなってしまう。何か特別に厳しい修業
のように思えるかもしれないが、実際にやってみると、とてつもなく楽しく突き抜けた
世界であり、こんなにいいことが地球にまだ残っていたのかと、泣きたくなってくる
( by 片岡義男)。

戦争が drug であるのと同じように、サーフィンもひとつの drug なんだ、きっと。

■ SURFING Vintage Surfing Graphics  Jim Heimann  TASCHEN  2004  ¥2,000

TASCHEN の ★ICONS シリーズの一冊。
ハワイの古い絵葉書や雑誌の表紙など、サーフィンをモチーフにした1920−1960年代のグラフィック。

なかでも表紙に使われている、1963年の南カリフォルニア・サンオノフレビーチの写真にはシビれた。
まさにサーフィンU.S.A.、ケネディの時代のアメリカの、まぶしいほどの明るさに満ちている。

ノスタルジイというよりも憧れに近い。

■ サーフシティ・ロマンス  片岡義男   晶文社   19810310/9刷  ¥3,800

このタイトルが、センチメンタル・シティ・ロマンスという日本のロックバンドから引用された
ことを知っている人は、もうそんなに多くないかもしれない。

「宝島」や「ポパイ」で、片岡義男が語ったサーフィン。

イマジネーション、が片岡義男のサーフィンの源泉だ。

波をうまくつかまえた瞬間の、海の波というもののすさまじいエネルギーを、自分が
乗っているサーフボードの下に感じる。明るい陽の降り注ぐ真っ青な空にむけて、
波は自分をほうりあげてくれる。サーフボードを、そして自分を、下から持ちあげる
波の力が、ボードから両脚に伝わり、背骨から頭に抜けていき、空の中へ散っていく。
その瞬間には、すべてのものが見える。

サーフィンは単なるアウトドア・スポーツではない。ウェイ・オブ・ライフなのだ」とか、
「サーフィンはトータルなライフ・スタイルだ」と、アメリカ製のサーフィン映画のなかで
ナレーターがいつもくりかえしている。そのとおりだ。サーフボードに乗って、一度で
もいいから波をつかまえ、すべりおりた経験を持ってしまったら、サーフィンの魅力に
完全にひっかかってしまい、以後、サーフィンは、ウェイ・オブ・ライフにならざるをえない。

こんなことを、「まだ沖に出ている夕陽のサーファー」とか「海岸の古びた一軒家でソリッドな
食事をし煙草をすわない」なんていうタイトルで書かれてしまったら、参りましたというしかない。

■ 鎌倉幕府のビッグ・ウエンズデー  久保田二郎   角川文庫   19860725/初版  ¥180

久保田二郎は希代のほら吹きだ、黒人のジャズ・ミュージシャンがそうであるように。

そんな久保田二郎が書いた数少ない小説。
タイトルにもあるように、これは「ビッグ・ウェンズデー」のパロディだろう。

鎌倉時代、由比ケ浜で板子に乗って「波駆け」遊びをしていた若者たちが、元の大軍が
襲来する博多に出陣し、「大いなる水曜日」に、元の大船団を押し返した「神風」の大波
に出会う、という、まあ荒唐無稽な話だが、冒頭のハワイのデューク・カハナモクの話から、
サーフィンの歴史へとストーリーを進め、サーフィンは400年前、鎌倉時代の3人の若者が
始めた遊びだったというホラ話につなげる手際は見事。

小説的想像力、という言葉を思い出した。


売れた本の再買。

ショップの店主とすればあまりいい心がけじゃないかもしれないが、いちど売れた本を
買い直すのは、あまり好きじゃない。
本棚がちっとも変わった感じがしないからだ。

それでもそれがいい本で、ちゃんと読めてなくて、しかも前よりも安いということになれば、
やっぱり手が伸びる。
軟弱なのである。

□ 人間人形時代   松岡正剛/杉浦康平 稲垣足穂   工作舎  19910810/第6刷  ¥1,800

□ ヒッチコック映画術   F.トリュフォー   晶文社   19820130/2版  ¥2,800

□ デザインの輪郭   深澤直人   TOTO出版   20060201/初版第3刷  ¥1,000

□ 北斎万華鏡   中村英樹   19960420/第4版  ¥1,600

□ 一銭五厘の旗   花森安治   暮しの手帖社   19730810/第6刷  ¥1,500

□ 世界の喜劇人   小林信彦   晶文社   19730228/初版  ¥1,500

こうやって並べてみれば、どの本も一癖あって悪くない。
問題はどのように並べるかだな。


その他、こんな本をランダムに。

□ 空海 言葉の輝き   高岡一弥編   ピエビックス   20030514/初版第1刷  ¥1,500

□ ヒマラヤ自転車旅行記   ベティナ・セルビー  東京書籍  19911105/第1刷  ¥1,100

□ 町からはじめて、旅へ   片岡義男   晶文社   19801120/7刷  ¥1,200

□ TAKU SATO 世界のグラフィックデザイン65  佐藤卓  gggブックス  20040510/初版  ¥450

□ 結界の美 古都のデザイン   伊藤ていじ   淡交新社   19660608初版  ¥9,000

□ PURE STYLE OUTSIDE   Jane Cumberbatch   RAYLAND,PETERS & SMALL 1998  ¥1,300

□ CUT FLOWERS   Tricia Guild   Quadrille Publishing   19980520  ¥1,800

□ 白洲次郎と白洲正子   牧山桂子   新潮社   20080910/初版  ¥3,000

□ The Giving Tree   Shel Silverstein   Harper Collins   1964  ¥1,000


最近追加した「文藝」のブックリスト。

http://kotobanoie.com/

 

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ある日、DVDが届いた。

ほとんど忘れていたんだけれど、京都精華大学の創立40周年記念事業として限定5000部で、
無料配布(転売できないように、形式的に期間を定めない無償貸与というカタチになっている)
されている吉本隆明のインタビューDVDを、一ヶ月ほど前に申し込んでいたのだった。

□ 吉本隆明語る 思想を生きる   吉本隆明/聞き手 笠原芳光  2009  京都精華大学 

じつは吉本隆明をきちんと読み通したことがない。
もちろん「悲劇の解読」、「重層的な非決定へ」、「言語にとって美とはなにか」など彼の著作の
何冊かは本棚にあって、どの本も本棚にあると他のどんな本にもないたたずまいをもっているから、
とても気に入っているんだけれど、いざ読もうとすると、これがなかなか手強い。

ただなんとなく気にはなる人(ばななの父としてだけじゃなく)だから、雑誌「SIGHT」や、ウェブの
ほぼ日」なんかでのインタヴューはけっこう読んでいて、そのストレートな語り口に垣間見える
奥の深い思想家としての片鱗に、魅力を感じていた。なによりも、糸井重里や渋谷陽一といった、
一癖ある人たちから、respect されているということの印象が強い。
いまどきはっきりと「思想家」といえる日本人はこの人くらいじゃないかと思うし、どんなことでも、
潔く言いきるところが、視えている思想家たる所以かとも思う。

動く吉本隆明。

2008年12月2日自宅でのインタヴュー。

本論とはあまり関係ないことだけれど、大きく4つのパートに分かれるインタヴューの間にカットイン
される狭い書斎のそのありさまが凄い。
本に塗れた、としか表現できない混沌とした空間と、その片隅で猫と戯れる吉本隆明のしどけない姿。
そこでさまざまな思索がなされ、あの評論や詩が創造されたのかと思うと、このシーンこそが
このDVDの白眉かもしれないとさえ思う。

インタヴューは、「自由自治」を標榜した京都精華大学の初代学長岡本清一との出会いの話から。

じゃべっている姿を見るのは初めてだ。 
話しているうちにだんだん熱が入ってくるし、熱が入ると身振り手振りが大きくなる。
ときたま咳。

岡本清一、平野謙、そして60年安保闘争(半世紀前の話だ)のことから始まる全学連のこと。

60年安保闘争で腹を括ったんです。こういうことってのは、自分が責任を負うっていうアレがなきゃ、
こりゃめったにやるもんじゃねえんだなあというのを、そのとき感じましたね。

「ぼくは単独だった」とけっして滑らかな口調ではなく。
思想家に頼るな、組織に頼るな、単独への覚悟をもてというのが、ひとつのメーッセージだ。
徒党をくまない、というのが彼の「自立の思想」の根源なのだ。

そしてインタビュアーの笠原芳光さんが、ファシズムと戦争のことに話をふると、

資本主義と結びついたナショナリズムがファシズムの定義なんです。
日本はファシズムだと思われてましたが、日本にあったのは農本主義的な民族主義で、
資本主義的なナショナリズムというのはほとんど存在しなかったんです。

そして

「ちょっといい気になると威張るのは日本人のクセだ。」
「正義も侵略もない、そんなのはみんな嘘っぱちで、戦争自体が悪で、それ以外にない。」

ときっぱりと断言する。

またインタヴューの最後で、いまの青年へのメッセージを、と問われて、

自分で考える、それだけしか言うことないですよ。

その人が固有に持っている、誰も変えられない個性とか、考え方とか、親から教わった生き方とか、
そいううある意味宿命のようなもの、生まれるところに生まれて、自分だけじゃどうしようもないけれど、
でも自分のものだっていうものを見つけられて(誰でも無意識には見つけていくわけですけど)、
その上で、人の生き方や社会がどうだこうだ、また国家はどうだっていうことを考えて、という風に
できたらもう言うことないんじゃないでしょうか。

いちばんの問題は、あなたが自分の思ったとおりのことをやって間違えたら、間違えたってことは
自分のものであって、誰か他の人に代理してもらうことができないっていうことで、間違えたら間違えたで、
想いのとおり、資質のとおり、宿命のとおり、偽りなくアレして、そいでひでぇ目にあったら、ひでぇ目に
あったということも、たいへん参ったということもあるでしょうけど、ある意味でひでぇ目にあったおかげで、
少し利口になったっていうか、いい体験でもあったなということもありますから、まんざら捨てたもんじゃない。

自由のことを、彼は語っている。
自由は、それほど簡単ななことじゃないけれど、そこを目指していくしかないじゃないかというのが、
吉本隆明のスタンスだ。

エンディングにテロップで、「苦しくても己の歌を唱へ」という詩がながされる。

苦しくても己の歌を唱へ
己の他に悲しきものはない
つられて視てきた
もろもろの風景よ
わが友ら知り人らに
すべてを返済し
わが空しさを購はう

ボブ・ディランの Bringing It All Back Home という言葉がシンクロする。

哲学や思想ではなく、吉本さんの根底には詩というものがあって、そういうものでしか人間は解放され
得ないんだということを、ぼくたちに伝えてくれているような気がする。 そしてそれは、ヒッピー・ムーブ
メントの" Be on your own " というメーッセージや、橋本治のいう「自分の頭で考える」ということなんかと、
ほとんど重なっている。

なんにしても、85歳になろうとするこの知の巨人の、訥々と話す姿には感銘を受けた。

「嘘がない」ということが、この人があらゆる層から信頼を受ける最大の理由じゃないかと思う。
言論の世界で、「ごまかさない」ことは、他のなによりも大切な心根なのだ。

*

初秋の本買記

□ こころの眼    アンリ・カルティエ・ブレッソン    岩波書店     20070720 第1刷

このまえブレッソンの写真集を買ったら、彼自身が書いたエッセイが現れた。
ブレッソンの文集というのはあまり見たことがなかったから、少し高いかなとおもったけれど get.
こういうのは、一期一会と思っておかないと、後悔するのだ。


□ 海の桃山記   山崎正和    朝日新聞社   19750630 初版

ヨーロッパへの紀行を、桃山の文化と重ねるというアイデアに脱帽。
そしてそれを山崎正和さんに依頼したという編集者の fine play でもある。
ポルトガルやスペインやイタリアのどこかに、あの桃山文化の一端が、あるに違いない。


□ 隆慶一郎短編全集   隆慶一郎   講談社   19951025 第2刷

時代物というのは食わず嫌いの多いジャンルだけれど、この隆慶一郎さんは、希代の本読み人
松岡正剛も思わずうなる手練れ、松岡さんは「千夜千冊」のなかで、この短編集ではないが、
デビュー作の「吉原御免状」を、

ぼくの親しいすべての後輩に勧めたことだけを、最後に申し添え、この作品を明日にでも
読み始めることを「千夜千冊」の読者にもなんとしてでも強要しておくことにする。

と絶賛している。

61歳というチョー遅い小説デビューで、しかも66歳で亡くなった人なので、作品の数は多くないが、
どれもクオリティが高い。そしてもちろん、この本に収められた16篇の短編も駄作がない。  

小林秀雄に師事していた人だそうで、還暦を過ぎてから小説を書き始めた理由を、「小林秀雄が
生きてるうちはとても怖くて小説は書けないと思っていたから」、と語っている。

その気持ち、わかるような気がします。

とにかく時代物なら、山田風太郎の忍法帖か、この人しかありません。


□ 象の消滅  短編選集1980-1991   村上春樹   新潮社   20050330 初版

□ ル・コルビュジエとはだれか   磯崎新   王国社   20000229 初版

□ 大きな約束    椎名誠   集英社   20090210 第1刷

買わずもがなというか、また買わされちゃったというか。
3冊とも面白そうだし、面白いに違いないと思うけれど、チャレンジャブルな本買ではない。

ハルキの短編集は、ニューヨークのクノップフ社が編んだ英語版と同じ構成、同じ装丁で、しかも
手直しあり、逆翻訳あり、改題あり、しかもしかも書き下ろしのエッセイがつくという、ファンからすれば
とても魅力的な、そうじゃないものからすると、買ってからいうのもなんだけど、いかにもあざとい一冊。
ただ、短編の集成とすれば、これがいちばんいいかもしれない、装丁もいいし。
全体の流れがよく整っていて、読み通せば彼の短編作家としての資質がはっきりとわかる。
やはり編集者の能力がなければ、いい小説があっても、いい本にはならないのだ。

そして、またル・コルビュジエ。
なんか建築がらみで、コルビュジエはやや食傷気味で、もういいやなんて思っていたんだけれど、
「書ける」建築家、磯崎新が書いているのならと、つい手が出てしまった。

椎名誠は、岳物語の続編。 これもいかにもな感じだけれど、椎名誠の一連の私小説はなんとなく
切ない雰囲気がただよっていて、悪くないと思っている。
でもなんかちょっと照れくさくて、あんまりおおっぴらに言えないのがちょっとつらいところ。

□ 今夜も映画で眠れない   ポーリーン・ケイル   東京書籍   19921111 第1刷

□ ビジネスランチをご一緒に   ロン・ローゼンバウム   東京書籍   19921001 第1刷

□ グッド・ガール、バッド・ガール   アンナ・クィンドレン   東京書籍   19921022 第1刷

□ あのチキンはどこへ行ったの?    カルヴィン・トリリン   東京書籍   19930920 第1刷

東京書籍からのこの叢書、「アメリカ・コラムニスト全集」は、なかなか骨太な書き手が揃っていて、
いま集めているところ。

01   マンハッタンでラクダを飼う方法 ラッセル・ベイカー集
02 ママのミンクは、もういらない ノラ・エフロン集
03 ワイルド・パーティへようこそ トム・ウルフ集
04 スタジアムは君を忘れない マイク・ルピカ集
05 母の庭をさがして アリス・ウォーカー集 I
06 シーズン・チケット ロジャー・エンジェル集 I
07 ビジネス・ランチをご一緒に ロン・ローゼンバウム集
08 グッド・ガール、バッド・ガール アンナ・クィンドレン集
09 今夜も映画で眠れない ポーリン・ケイル集
10 続・母の庭をさがして アリス・ウォーカー集 II
11 天国はもう満員 ハンター・トンプソン集
12 レイク・ウォビゴンの人々 ギャリソン・キーラ集
13 あのチキンはどこへ行ったの? カルヴィン・トリリン集
14 戦場からリビングルームへ マイケル・アーレン集
15 球場へいこう ロジャー・エンジェル集 II
16 アップダイクの世界文学案内 ジョン・アップダイク集
17 ジャズに生きる ナット・ヘントフ集
18 人生はワールド・シリーズ トマス・ボスウェル集
19 60年代の過ぎた朝 ジョーン・ディディオン集

今のところ10冊。
もちろんお金をだせば手に入れることはできるが、それでは面白くない。
ハンター・トンプソンの11が難関で、アマゾン・マーケットプレイスでも高値がついている。
いわゆる「全集のキキメ」ってやつだ。


□ 日本の伝統 7  雅楽   ウィリアム・マーム/東儀和太郎   淡交新社   19680410 初版

□ 日本の伝統 1  生け花   ドナルド・リチー/伊藤ていじ   淡交新社   19680110 初版

このシリーズは、これで揃い。
1 の「生け花」がキキメだったのだ。


□ 原色の呪文   岡本太郎    文藝春秋     19680215 第1刷

□ 茶の美術 日本の美術15    林屋辰三郎    平凡社   19650915 再版

□ ANNIE LEIBOVITZ 1995 アニー・リーボビッツ写真展図録   日本テレビ放送網   1995

「茶の美術」が「読まず売れ」の買い直し。
この本は利休の二畳台目「待庵」の紙模型がついているのが the reason why .

ソンタグの恋人、Leibovitz のこの写真集は、たぶん3冊目。
写真展の図録で少し判型は小さいが、いい作品がすべてカラーで収められていて、価格も安いので、
こいういうのは「有ると買い」のアイテムだ。

岡田太郎は、なかなか巡りあう機会の少ない名著だから、ダブっているのはわかって買っていて、
Leibovitz のとは若干ニュアンスは違うが、こういうのも「有ると買い」の一種だろう。

どの本も買い直しだが、均一棚じゃない分、内容が濃い。

*

" SPOT LIGHT " で新しい企画 「 select from selected 改め his master's choice」 が進行中。
第一弾、「晶文社の30冊」は、近日公開予定です。

http://kotobanoie.com/


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冒頭の、トウモロコシ畑の向こうに輝く小さなスタジアムのシーンを見ただけで涙が出そうになる。
勢いあまって、長い間読めないままに本棚で眠っていた原作まで読んでしまった。


■ フィールド・オブ・ドリームス/Field of Dreams   Phil Alden Robinson     Universal 1989

■ シューレス・ジョー/Shoeless Joe   W.P.キンセラ    文藝春秋  19850410  第2刷


もちろん原作と脚本ではディテールが微妙に違ってはいるけれど、底に流れているものは変わらない。

彼は声を聞く。

" If you build it, he will come. "

彼はそれが野球場だと感じとる、それがすべてのはじまりだ。

この物語には、アメリカの様々が、満ちあふれている。

まずシクスティーズの残滓。
何年も前に見たときにはあまり気がつかなかったけれど、映画ではシクスティーズを感じさせる演出がちりばめられている。

なにしろ主人公レイ・キンセラは、父親から逃れるためにブルックリンからあのU.C.バークレーに進学し、ウッドストックを経験し、フラワーチルドレンになり、コミューン的に結婚 した妻と農場を経営しているという設定なのだ。

農場に建っているレイの家の壁にかけられたウォーホルの「マリリン」、妻のアニーの口癖 " Far out ! (ステキ!) " 、おんぼろのフォルクスワーゲンのバス(原作ではくたびれたダットサン)、そしてその車のウィンドシールドに飾られているピースマーク、レイがいつも着ている首がのびたBerkeley のTシャツ、オールマンブラザースの「Jessica」、きわめつけは、レイが不思議な声を聞いたと妻のアニーに告げた時、「アシッド(LSD)のフラッシュバックじゃないの」と彼女が真面目な顔をしてつぶやく場面だ。

この60年代という設定は原作にはまったくないものだから、脚本も書いた監督フィル・アルデン・ロビンソンのリアリティなんだろうけれど、それは映画全体を包みこんでいる理想主義の底流になっている、まさに Love and Peace 。

そしてJ.D.サリンジャーの幻影。
サリンジャー(映画では黒人作家テレンス・マン)の匂いが物語のあちこちに漂っている。

主人公の名前はレイ・キンセラ、キンセラは作者と同じ姓で、レイが作者の分身でもあることを表しているんだけれど、それは同時にサリンジャーの短編(「ウエストのない1941年の若い娘/A Young Girl in 1941 with No Waist at All」)の登場人物の名前でもある。そして「ライ麦畑でつかまえて/The Catcher in The Rye」には、主人公ホールデンの級友として、弁論表現の授業で、いつも要点をはずしてばかりいるもんだから、みんなから「脱線!」といわれてばかりいる気の小さい、リチャード・キンセラという名前が登場し、それは、原作だけに登場するこのレイ・キンセラの一卵性双生児の兄弟と同じ名前だったりする。

 曰く、「合図、前兆、お告げ(a sign, an omen , a revelation) 」

そうでなくても、物語そのものが充分にサリンジャー的だ。
打算のない無償の行為、子供のころにはもっていたのにいつの間にか忘れてしまった無垢な心、お互いを赦しあう深い思いやりと理解、そして真実の愛。 ニューヨークを彷徨いながらホールデンが希求したものすべてがここにあって、レイ・キンセラはまるでホールデン・コールフィールドの裏返しの分身みたいだし、スクエアな人(たとえばコンピュータ・ファーミングを営んでいて、彼らの農場を欲しがっているアニーの兄やアニーの家族たち)には、このフィールドでプレイするシューレス・ジョーの姿が見えないっていうのも、ヒッピー的な表現だろう。

なによりも野球への憧憬。
この物語のすべてが、ベースボールという信仰へのオマージュといってもいいかもしれない。

アメリカ人にとってベースボールは、変わらないものの象徴だ。
シューレス・ジョーやムーンライト・グラハムは、その " national treasure " のアイコンなんだろう。

芝生の匂い、打球の音と大観衆のざわめき、ホットドックとビール、7th inning stretch に立ち上がって歌う「野球場に連れて行って(take me out to the ballgame)」、スタジアムに行けば、それはいつもある

WBCにはシビレないけれど、フェンウェイ・パークのファイン・プレイには熱くなる人たちがそこにいる。

野球は、たぶんどこまでいってもアメリカ人のものなんだ。
映画や小説や詩でアメリカ人が描く野球には、どれも郷愁や夢や友情や愛や癒しに満ちあふれていて、こんな風にこのスポーツを表現できるのは、それを心の故郷と感じている人にしかできないことだと思う。

最後は、父親とのキャッチボール。
そのベースボールを pure に突きつめると、この映画のラストシーンに行きつく。

" Ease his pain. "

美しい夕暮れの光の中で、レイは、蘇った若き日の父親ジョン・キンセラとキャッチボールをする。

John : " So baeutiful here, for me it's like a dream come true. " 
          " I ask you something,  is this heaven ? "
Ray :  " It's Iowa. "
   ・
Ray :  " Is there Heaven ? "
John :  " Oh yeah,  It's the place dream come true. "
Ray :   " Maybe this is heaven. "

そのときレイは、" he will come " の " he " が、シューレス・ジョーではなく、父親だったことに気づく。 

 " Hey Dad, do you want have a catch ? "

" I'd like that. "


そしてどこまでも続く、「Field of Dreams ( come true )」を求めてこの小さな野球場へ向かうヘッドライトの列。
このラストシーンの空撮ショットは、美しい。 

Heaven は、どこにでもある。 


*


エコに名を借りた Phony な猿芝居がはじまった。

エコカーに乗り換えるより、今乗ってる車に乗り続けるほうが環境に優しいに決まってるじゃないか。
1台の車を製造するエネルギーはとてつもなく大きいし、乗り換えたまだ走る車はどうするんだよ。

税金を許可無なくトヨタに払うのはやめてほしい、つぶれかけたGMにだってそんなことしてないんだから。


なんとなく気ぜわしく、じっくりと本買いができていない。
暖かくなって、写真集や作品集に動きがでてきている感じはするんだけれど、そういう本に限ってなかなか補充できないんだな。 よく古本は一期一会っていうけれど、ここにきてそれを実感している次第。


■ 沼地のある森を抜けて    梨木香歩   新潮社    20060830 7刷  ¥950

この前読んだのが旧い家の話(家守綺譚)、今回は「ぬか床」の話らしい。

ぬか床?

先祖伝来のぬか床を毎日かき回すうちに、ある日、ぬか床から卵を見つけ、そしてそれが割れて、小さくて透明な男の子が現れた。

ぬか床から子供?

こんな風にこの作者はわれわれを物語にひきこんでいく、「家守綺譚」でもそうだった。

けっして奇をてらっているわけではなく、ごく自然にあやかしが発生し、たとえばこの本だったら「生命のうねり」というテーマのなかで、ナチュラルに、ときには官能的に、そして飄々と(なんとなくとぼけた味があることで、グロテスクになっていないんだ)書き綴られるものがたりに感応させられてしまうのだ。

   ― ちょうどよかった。教えてください。これはみんな、夢なのだろうか。本当のことなのだろうか。
   ― 夢だから何? 本当のことだから、何?
   ― 不安で不安で、しようがないのです。全て、触れれば消えてしまう幻のような気がして。今までのこと全て、僕が今まで考えたこと全て。確かなものが欲しいのです。確かな、確かな、絶対に消え失せない真実のようなもの。この足でしっかりと踏みしめられる揺るがない大地のようなもの。
   ― ああ。
と、アザラシの娘は深いため息をついた。

これはもうナシキ・ワールドといってもいい one and only の宇宙なんじゃないんだろうか。

「Field of Dreams」もそうだったけれど、けっきょくファンタジーのリアリティは、書き手のリアリティとオーバーラップしていくものなんじゃないかと思う。

イギリスに留学し、ガルシア・マルケスの「百年の孤独(解説も著しているそうだ)」が愛読書だそうで、さもありなん。


■ 假象の創造    青木繁   中央公論美術出版   19740615 2刷 ¥2500

有名な「海の幸」という絵のことしか知らなかったけれど、この旧い本の佇まい(ダンボールのシンプルな蓋型のケースの中に、さらに普通の函そして本にはパラフィン紙、丁寧かつシンプルなデザインの造本)がいい感じで、なんかこの本を他の人に獲られるのがイヤな気がして、おもわず買ってしまった。
いわゆる出会い頭の一発。

あのプリミティブで力強い(といっても印刷物と画像でしか見たことはないんですが)「海の幸」の印象が強いし、若くして(享年30)亡くなった人だということも知っていたので、河東碧梧桐が「彼は単に画に於ける天才であったのみならず、文章に於ても亦よく創造的気分を発揮した。彼は歌を作れば歌人となり、文章を書けば文人となり、楽器を手にすれば又たよく楽人となり得たであらう。彼は画家ではなかった、寧ろ詩人であった。」と評したというその人の文章がどんなものか、興味津々ではあります。

この本に収められている書簡の一節、明治37年8月22日のもの。

「雲ポッツリ、
又ポッツリ、ポッツリ!
波ピッチャリ、
又ピッチャリ、ピッチャリ!
砂ヂリヂリとやけて
風ムシムシとあつく
なぎたる空!
はやりたる潮!
・・・
これが波のどかな平沙浦だよ、浜地には瓜、西瓜杯がよく出来るよ、
蛤も水の中から採れるよ、
晴れると大島利島シキネ島等が列をそれえて沖を十里にかすんで見える、
其波間を漁船が見えかくれする、面白いこと、
夫れから東が根本、白浜、野島だ、
僅かに三里の間だ、野島崎には燈台がある、
沖では
クヂラ、
ヒラウヲ、
カジキ「ハイホのこと」
マグロ、フカ、
キワダ、サメ、
がとれる、皆二十貫から百貫目位のもので釣るのだ、
恐しい様な荒っぽい事だ、
・・・・・・・
・・・・・・・
今は少々製作中だ、大きい、モデルを沢山つかって居る、いづれ東京に帰へつてから御覧に入れる迄は黙して居よう。」

まるで、そのまま「海の幸」を観ているみたいだよね。


■ 袋小路の男   絲山秋子    講談社    20060126  第10刷  ¥600

この前読んだ駄作(「逃亡くそたわけ」)とは、本の雰囲気からして明らかにちがう。
小川国夫の選評よれば「純愛物語」だということだが、きっといい小説なんだろう。

「あなたにとって私って何なんですか」
 あなたは数秒考えて、そしてカタカナで答えた。
「ワカラナイ」

  ― あなたを好きな自分自身への純愛。

この人にはなんとなく坂口安吾を感じている。

安吾にも「吹雪物語」という未完に終わった純愛小説があり、やはり彼は彼女に指一本触れないという小説だった。
「袋小路」と「吹雪」という比喩にも、イメージの近親感はある。

なんにしても、「ねじれているのに、まっすぐ」という男と女の関係は悪くない。 

けっきょく作家というのは、最終的にひとつひとつの単語を選ぶセンスのところに行きつくわけで、壮大なストーリーも精緻なコンセプトもそのセンスが悪ければまったく伝わらないし、好き嫌いを決めるのも、そのセンスが決め手になることが多い(だから翻訳モノに困るんだけど)。 そういう意味で、この「袋小路」という語感は悪くないし、「沖で待つ」っていうのもなかなかのものだった。

 川端康成文学賞受賞作、この賞はクオリティが高いと思います。

それにしても、やっぱり「やさぐれた男」って吸引力が強いなあ。


■ 横尾忠則ポスタア芸術    横尾忠則   実業之日本社   20000530 初版第1刷  ¥2500

本のタイトルがすべてを表している。

横尾忠則 / ポスタア / 芸術
横尾さん以外に広告メディアであるポスターを、グラフィック・デザインではなく芸術と呼べるひとは、それほど多くない。

主に1995年以降に制作されたポスターから、アーティスト自らが選んだ135点。

どれもが、すごい。

「モダニズムデザインが排除した様々な要素を拾い集めること。例えば私的領域からの発想、そして、情念や感情をデザインの中に取り戻す。神話や物語の復権、死や夢やエロティシズムなどのロマン主義の導入、科学とオカルティズムの対立、さらにデザインと美術の境界の平面化によってモダニズムデザインの超克が可能かということに、ぼくの興味は傾いていった。( by 本人)」

モダニズムを突き抜けたポップアート。 

これ以上の解説はありません。


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