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なんとも不思議なPOP感を持ったアルバムに出合った、それも2タイトル。

■ Everything That Happens Will Happen Today     David Byrne & Brian Eno     2008/8/18

■ Circus Money       Walter Becker      2008/6/10

Amazonの森の中でたまたま出合ったCDだけれど、どちらもなんともいえない今日感に溢れている。
この2つの作品に流れている共通感をどのように表現したものか、ずっと考えている。
音楽のテイストはぜんぜん違うものなんだけれど。

かたや27年ぶりのコラボレーション、もう一方は14年ぶりのソロアルバムということで、それほど
目新しさはないけれど、どちらもロックのプロパーでは、一筋縄ではいかないミュージシャンとして
知られている。

どちらのアルバムも洗練された上質のプロダクションで、クオリティは高い。

Walter Becker は、もうひとりの Steely Dan

かれこれ30年以上つきあってて思うけれど、Steely Dan のふたりはとんでもない偏屈野郎だ。
でもその偏屈が、きわめて都会的で凝りに凝った音として表現されるんだから、偏屈も悪くない。
じっさい1972年の「Can't Buy A Thrill 」に始まる彼らのキャリアに駄作はないし、そもそも
偏屈じゃない健全なアーティストなんて、魅力があるとも思えない。

このアルバム「Circus Money」は、その Steely Dan の目立たないほう(ギタリスト)が
今年リリースした2作目のソロアルバム、ファーストアルバム「11 Tracks Of Whack」が
1994年の発表だから、このアルバムは14年ぶりということになる。

その間ハワイで薬物中毒のリハビリ( その合間にフェイゲンを含む何人かのアーティストの
プロデュース、そして Steely Dan のツアー )をしていたというから、順調に(凝り性の人
らしくそれぞれたっぷり時間をかけてだけれど)作品を発表しつづけるもう片方の Steely Dan、
Donald Fagen と比べると、いかにも不器用だ。

アルバムのプロデュースは、Larry Klein (ジョニ・ミッチェルの ex-husbandだ)
単純計算でいくと、Steely Dan - Donald fagen = Walter Becker となるわけで、バックが
「Everything must go」やフェイゲンの最新作と同じミュージシャンだから、まあ当たらずとも
遠からずだけれど、じっくり聴きこむと、かなり捻ったこの人独特の音の景色が視えてくる。

レゲエビートを基調にしたタイトなサウンドに重なる、なんともユルいベッカーの声。
なかでも「 Looking Upside Down 」という曲の、溶けていくような浮遊感のあるサウンドに
ノックアウトされて、一日に何回も繰り返し繰り返し聴いている。

不器用でハイセンスな NEW YORK のミュージシャンが造ったこの一曲を聴くだけでも、
このアルバムの価値があると断言する。

食べものでいうとブルーチーズとか豆腐餻とかそっち系、よく醗酵していてクセになる味なんだ。

Byrne & Eno の作品は27年ぶり。

前作の「 My Life In The Bush Of Ghosts(1981)」は衝撃的だった。

エレクトリックなアフロ/ファンクビートに重なる意味不明のサンプリングとバーンの神経症的
なヴォーカル、そして同時期に発売されたトーキング・ヘッズの「Remain in Light」とのダブル
インパクトで、エスノロックなるジャンルが生まれ、新しい時代のダンス・ミュージックを予言した。
現代のヒップホップやオルタナティヴ・ロックといわれる音楽で、このふたつのアルバムの影響
を受けていないものはないんじゃないだろうか。

そして21世紀のこのアルバム。

もともとは、 re-master で再発売される「 My Life In The Bush Of Ghosts 」の 打ち合わせの
ためにロンドンに行ったバーンが、イーノのスタジオで彼がが造りためていた曲  "a lot of music
which I never formed into songs ( by Eno )" を聴いたことから始まったプロジェクトで(イーノ
にいわせると "dinner conversation" からなんだ" ということだけれど、実際には最近どんなこと
やってんの、じゃオレいっかい歌詞つけて唄ってみようか、てな感じだったんだろうきっと)、イーノ
がサウンドを、バーンが歌詞とヴォーカルという分業スタイルによって完成させたものだという。

全体の音のデザインは、イーノが2006年にプロデュースしたポール・サイモンの「surprise」や、
コールドプレイの最新盤「Viva La vida or Death And All His Friends」に近い。
このへんの感じ(ホワットした電子音のレイヤーによる浮遊感)が、おそらく最近のイーノのポップ
ソング( ambient ではなく)へのアプローチなんだろう。

気になって「 My Life In The Bush Of Ghosts 」も聞き直してみたけれど、ベースやドラムじゃない
電子音の積み重ねでリズムの「うねり」を造りだすという構造自体が変わっているわけではない。
ただこのアルバムではその音の粒のひとつひとつに滋味のようなものが加わって、「球体の奏でる
音楽(by Kenji Ozawa)」とでもいえるような奥行きのあるプロダクションなっているのが特徴的だ。

ライナーノーツではふたりとも口をそろえてこの音楽を「 electronic gospel feeling 」と表現している。

イーノがいうように、このアルバムのサウンドが近年彼が魅かれているゴスペルという宗教音楽に
インスパイアされた音であることは間違いないし、その曲を聴いたバーンがそれを敏感に感じとって
いることも確かだけれど、じゃあこれがゴスペルかといわれると、じつはあまりそんな感じはしない。

けっきょくゴスペルといっても、その実質的な形態ではなく、「 Bush Of Ghosts」でアフリカンビートを
見立てたように、今日的なポップソングのベースとしてゴスペルのスタイルやニュアンスを見立てたと
いうことじゃないんだろうか。

バーンは暗喩の多い歌詞を造るひとだから、ブックレットの歌詞カードを読んでいても、イマイチ全体の
感じがよく掴みきれないんだけれど、この「ゴスペル」がキーワードになって、なんとなく宗教的な気配
("Biblical allusions" と彼はいっている)が漂っているのはよくわかる。

アルバム全体の印象は、ひとことでいうと「 Talking Heads in 21st century 」っていう感じ。
Talking Heads はバーンのバンドだったんだって、あらためて思う。

デヴィッド・バーンは、じつはけっこう「家」好きだ。
78年発売のトーキングヘッズの2枚目のアルバム( produced by Brian Eno also)も、「more songs
about building and food 」と名づけられているし、「Remain In Light 」には「 houses in motion」という
曲が、その次の「 Speaking in Tongues 」にもシングルカットされた「burnin' down the house 」なんて
いうファンキーな曲が収められている。
このアルバムにも一曲目に「 home 」という曲が入っていて、ジャケットや同封のブックレットのデザイン
を見ると、どうやらアルバムのコンセプトが「家」にまつわるもののようだ。

そしてなぜか1月23日のバーンのコンサートのチケットが手元にあったりするんだ。


このふたつのアルバム、センスはまったく違うけれど、どちらの作品にも漂うあてのない浮遊感は、
いかにも2008年的といえなくもない。

どちらかを選べといわれたら、Becker かな。
微かにだが、blues の匂いがするから。

そういえばどちらのタイトルも、難しい単語じゃないのに意味がよくわからない。

「Everything That Happens Will Happen Today 」の everything ってなんのことなんだ?
「Circus Money」ってどんなお金なんだ?


*


■ 文字の美・文字の力    杉浦康平編    誠文堂新光社   20081204 初版  

新古本。

中島英樹「文字とデザイン TYPO-GRAPHICS」の流れでこんな本が見つかった、同じ出版社だ。

前にも書いたことがあるけれど杉浦康平さんの本は本棚でのインパクトが強くて、つい手に取って
しまうし、手に取ると必ず欲しくなってしまう、ちょっと高いんだけど。

この本は、アジアの図像のトップランナーが、読むものではなく書くもの「身体を動かして生み出す
もの」としての「漢字」に挑んだもので、これはもうタイポグラフィという枠を飛びこえたひとつのアート
と考えたほうがいいでしょう。
書でも活字でもない「文字(漢字)」の見立てはこの人でしかでき得ないスゴ技だと思います。

もちろん造本は最高、写真も文字も限りなく美しい。

「手足をのばし、声をのせて踊りだす文字。呪力あふれ,霊気をはなつ文字...人々が気づかぬ場所に
ひっそりと現れ,棲みつく文字は,思いがけないふるまいで,眼に見えない力をたぐりよせ,日々の暮らし
を活気づける。文字たちの予想を越えた変幻の妙,魅惑にみちた姿・形に眼をこらす... 」


■ マンダラ 出現と消滅 西チベット仏教壁画の宇宙    西武美術館   19800719  

流れはさらに続く。

1980年に西武美術館で開催された「マンダラ=出現と消滅」展の図録、もちろん杉浦デザイン。

密教のことをよくわかっているわけではないけれど、図像的にも哲学的にも曼荼羅には魅かれる。
どうも自分の魂の根源が、チベットの奈辺にあるような気がしてしかたないのだ。  

日々の暮らしで、神や仏とそれほど密接な関係をもっているわけではないけれど、仏教の美術や、
山や石にひそんでいるという八百万の神の存在には感じるところが多い。

この本に収められた様々な仏画や曼荼羅を眺めていると、空や海や大地といった自然から感じとる
漠然とした人の想いのようなものが、執念となってカタチを成したものではないかと思えてくる。

日々こんな画を壁にはって祈っていれば、「悟り」がひらけそうな気がするから不思議なもんだ。

とにかくわけのわからぬものはありがたい。


■ 魂のいちばんおいしいところ    谷川俊太郎    サンリオ   19960310 9刷

タイトル買い。
こういう言葉のデザインが、詩人が詩人たる所以なんだろう

ジャケットのホックニーの絵(small interior, Los Angeles)もよく似合ってるし、大きさもいい。
珍しくイラストレーションの上に文字をのせている平野甲賀さんの装幀。

詩には良いも悪いもありません、ただ感じるかどうかだけ。

魂のいちばんおいしいところ

神様が大地と水と太陽をくれた
大地と水と太陽がりんごの木をくれた
りんごの木が真っ赤なりんごの実をくれた
そのりんごをあなたが私にくれた
やわらかいふたつのてのひらに包んで
まるで世界の初まりのような
朝の光といっしょに

何ひとつ言葉はなくとも
あなたは私に今日をくれた
失われることのない時をくれた
りんごを実らせた人々のほほえみと歌をくれた
もしかすると悲しみも
私たちの上にひろがる青空にひそむ
あのあてどもないものに逆らって

そうしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた


瑞々しさは、言葉の宇宙の宝もののひとつでしょう。

*

a tiny trivia from WIKI
「Windows 95」の起動音「The Microsoft Sound」はイーノの作品だそうだ。
マイクロソフトからの依頼は「人を鼓舞し、世界中の人に愛され、明るく斬新で、感情を揺さぶられ、
情熱をかきたてられるような曲。ただし、長さは3.25秒」というものだったらしい。



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承前

60's が続く。

ことさらこだわっているわけじゃないし、40年も前のことをウダウダ考えるつもりはないけれど、
「69」のことを書いている最中にボブ・ディランの刺激的な映画(NHKBSの再放送)を観てしまった。
流れというのは不思議なもので、始めてしまうと続けさまにコトが起こる。

この映像を見るとディランを抜きにして60'sのカウンター・カルチャーは語れないんだと、あらためて感じ入る。

■ No Direction Home                 Bob Dylan / Martin Scorsese       

2005年のマーティン・スコセッシの作品。
(もともとは Apple の提供で制作されたTVスペシャル、一番見たかったのはもちろん Jobs だろう)
昨年やっとオスカーを手にしたスコセッシは、「映画オタク(by 小林信彦)」であると同時にかなりの
ロック好きとしても有名な監督で、この映画のあとには、ローリング・ストーンズの 「Shine a Light
も撮っているし、旧くはザ・バンドの「The Last Waltz (1978)」 も彼の作品だ。

そういえば「The Last Waltz 」も、この作品と同じように一見モノローグにも思えるような本人への
インタヴューを交えながらコンサートの映像やエピソードを挿入していくという手法だった。

この208分にもわたる長編はインターミッションをはさんだ2部構成で、前半はミネソタの音楽小僧だった
ロバート・ジンマーマンがどのようにボブ・ディランになったかということが、ディランにまつわる様々な
人たちへのインタビューに未発表のライブ映像を交えて克明に記され、後半ではフォークの王子様にまつり
あげられたディランが、どのようにグレて、ラジカルなロッカーに変身していったかということを、
英国ツアーの映像をコアに撮られている。

今まで定説とされてきたことがひっくり返るような面白いエピソードもいっぱいあるけれど、なんといっても
圧巻はエンディングの英国ツアー Newcastle (5/21/1966) での「 Like a Rolling Stone 」だろう。

まさかこのコンサートの映像を見られるとは思わなかった。

ずいぶん昔から「 Royal Albert Hall 」というブートレグとして伝説にもなっていたパフォーマンスで、
テレキャスターをかかえたディランが「ユダ!(judas)」と野次をとばす観客に、「お前のいうことなんて
信じないよ( I don't believe you) 」「 嘘つき野郎(You're lier) 」と毒づき、バックバンド( The Band だ)
のほうに振り返って「でっかくいこうぜ!( Play it fuckin' loud)」と声をかけてその曲をスタートする
シーンには思わず鳥肌が立つ。

ROCKの原形。

NO DIRECTION HOME というメッセージは胸にしみる。

How does it feel            どんな感じだい
How does it feel              どんな感じなんだい
To be on your own             独りぼっちになるのは
With no direction home   帰るすべもなく、
Like a complete unknown  見知らぬひとのように
Like a rolling stone ?      転がる石のように

アーティストであることの孤独と恍惚。

自分自身に立ち返れば人には帰る家などないし、
帰るところよりも行く先をもとめて歩きつづけることがアーティストの旅なんだろう。

それにしても、
前年1965年の英国ツアーのドキュメンタリー「Don't Look Back」の野放図で傍若無人な明るさと比べると、
たった1年しか経っていないこのツアーの緊張感。

1965年のツアーがマリファナ的だとしたら、このツアーはLSDのようだ。

このツアーのすぐあとに、彼はトライアンフで事故を起こし、ウッドストックで2年間の隠遁生活をおくることになる。
でももし事故を起こしてなかったら、ジャニスやヘンドリクスのようにそのまま逝ってしまったんじゃないだろうか。
そう思えるほどに凝縮された輝きと憔悴が、この映像に刻まれている。

このあとの42年が彼にもたらされたことを心から寿ぐ、生き残ることはひとつの価値だから。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。( 方丈記 in 1212 )」


BGM : " I Shall Be Released "   by Bob Dylan    Greatest Hits 2 version


*


■ 幸福號出帆    三島由紀夫    桃源社    19640925 初版

この小説のことはよく知らなかったけれど、三島由紀夫の初版本それも著者印付を逃す手はない。
調べてみると初出は昭和30年の新聞連載で、この桃源社版の前にいちど新潮社から出版されているようだ

渋い紫色の地にシルバーの箔押しがとてもキレイな函、白地のクロスに金箔のタイトルが押された本。
この体裁がそのまま三島由紀夫といってもいいかもしれない。

オレンジの背表紙の新潮文庫で集中的に読んだ時期があった。
とにかくどんな作品でもきっちりと読ませてくれるので、読み始めると必ずハマってしまうんだけれど、
虚構性という か造りもの感が強すぎて、硬い話も柔らかい話もそのうちただの「ものがたり」としか
感じなくなってしまうのが、ちょっとツライ。
この人のリアルは、どこにあるんだろうと思ってしまうのだ。

本としての価値は充分。


■ MAKING CHOICES    MoMA/Thomas &Hudson   20000316

MoMA on line の SALE で入手。

MoMA で2000年3月から9月まで顔際された「MOMA2000」と名付けられた企画展の図録と思われる。
図録といっても大型のハードカバーで、定価9000円のこの本が、いくらSALEとはいえ○○○○円とは、
破格としか言いようがありません。

1929年、1939年、1948年、1955年というアートシーンにとって節目の年の、絵画・写真・映画・
ポスター・建築 (模型)・プロダクトなどいかにもMoMAらしいコレクションが、カラー図版で掲載されている。

NEW YORK に行きたい、とても。


■ アンリ・カルティエ=ブレッソン自選コレクション  大阪芸術大学   20060310 第1刷

大阪芸術大学には世界に4セットしかないブレッソン自選の写真コレクションが所蔵されているらしい。
そしてこの本にはそのすべてが掲載されている、つまりこれって究極のブレッソン本じゃないのか。

こういうことを買ってから知るのはすごく気分がいい、印刷もいいし。

ブレッソンの「決定的瞬間」の構成力の凄さについては、俵屋(京都芸大)のアーネスト・サトウさんが、
芸術新潮で見事に解説していた(実際は弟子であった森村泰昌の代演だったけれど)のを覚えている。

希代のライカ使いブレッソン自身が選りすぐったこのモノクロ411点の作品は、ひとことでいうと、
マチスやピカソやジャコメッティやコルビュジェやモンドリアンと同じ「モダニズムの美」だ。

同時代の精神というのが、やはりあるように思う。


■ 陶芸の伝統技法    大西政太郎   理工学社   19780605 第1刷

趣味にせよ仕事にせよ、この本はやきものづくりを志す人にとって教科書のような存在だ。

陶芸の手法や技法に関しては流儀のようなものがあって、この人は京都流。
もちろん名古屋や九州方面の手法もちゃんと紹介されているけれど、道具にローカリティがあるのはしかたない。

どんな種目でもそうだけれど、先生につかず独学でやっているものにとって、こういう基本的なところを、
きちんと生真面目に示してくれる参考書の存在は無類にありがたい。

旧い本だけれど、焼きものの世界のスタンダードはそれほど変化しているわけではなく。
普通にやるならこれ一冊で充分の充実度、深まれば同著の「陶芸の釉薬」があります。

それにしても専門書はやっぱり高いな。


*


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 Mac Book に向かっているときは、 iTune で音楽を聴くことが多い。

新しくはじまった「genius」というリコメンド・サービスも面白いけれど、以前からあった「party shuffle 」という機能を、最近とても気に入っている。

音源をライブラリに入れたのは自分自身なのに、ぜんぜん覚えのない曲が流れてくることがあって、これなんだったかなあとリストを見直すこともしばしば。もともと自分のセレクションだから、その中からピックアップされた音が心地よいのはあたりまえなんだけれど、予想外のオーダーで流されると、すごく新鮮に感じてしまうのだ。

ひとことで言ってしまうと「セレクションの重層」、本棚(ライブラリ)からさらに別の視点でセレクションを重ねる「・・・が選ぶコトバノイエの 30冊」と同じようなコンセプトなんだけれど、それを「shuffle」と名づけて、ネットワーク上で軽々とやってしまうプログラムは、やっぱりちょっとしたもんだと思う。

もちろん気に入った曲ばかり集めた  favorite tunes や様々なテーマを設定したプレイリストはいくつももっている。
自分が聴く音楽の選曲を他の誰かに任せることなんてありえないし、その曲順だって自分が決めたものがいちばんだと盲目的に信じてきた。 (そのこと自体がちょっと out of date でもあるけど)

でも飽きるんだ、必ず。
いくら自分の大好きな音楽だって、何度も聴きつづけると飽きる。

考えてみれば、カスタマイズというのは、ある意味とてもナルシスティックな行為で、その濃度の高い自己完結は、やがて袋小路に入りこみ、とにきは破壊というところまでいきつく爆弾でもある。

shuffle の心地良さの理由は、軽い自己放棄ということだろう。

作らないこと。

田中小実昌じゃないけれど、「作ること」はやがて疲れる。
すでに最初の大筋(セレクション)は自分で決めているんだから、そこから先はもう少しゆるくいきたい。

自分が確かと思えるなにかに身を任すことで、おもわぬ快感がおとずれる。
この自立したオートマティズムこそが、究極のクリエイティブかもしれないと思ったりする。

意図したわけじゃないのに、そのときの風景や心象にフィットする曲がかかるのが、単なる偶然や deja-vu とは思えないのだ。

もうひとつ、shuffle で大きく変化したことがある。

それは「アルバム」という概念を吹っ飛ばしてしまったことだ。
iTune という新しいメデイアと shuffle という機能(コンセプトといってもいいかもしれない)は、音楽の単位を「一曲」にしてしまった。

少し前、ポップ・ミュージックにも「アルバム」の時代というのがあった。

もっとも象徴的なのが、コンセプト・アルバムとかトータル・アルバムとか呼ばれていた一連の作品。 

まずひとつの統一されたコンセプトが設定される。
それはたとえば「Tommy」という三重苦の少年の物語であったり、「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」という架空のバンドのコンサートであったり、「Ziggy Stardust」という火星からやってきたスーパースターのストーリーだったり、あるいは人間の「狂気」というものにまつわる断片だったり。

そのアルバムに収められるのは単なるよせ集めではなく、そのコンセプトに適った曲だけ。慎重に曲の順番が決められ、アートワークやプロモーションのツールもそのコンセプトに沿ってデザインされる。時にはそれぞれの曲が切れ目なく繋がっていて、それがまたコンセプト・アルバムであることを強調する。

だから、聴くものはまずアーティストが発信するアルバムのコンセプトを理解しなければならない、もちろん曲の順番を変えることや自分の好きな曲だけを勝手に取り出すことなんて許されないし、できればジャケットや歌詞カードも見ながら聴くべきだ、なにしろアーティストがそういう風に造りあげた「作品」なんだから。

POPがただ消費されるだけのごみ屑じゃなく、美を含んだものと認知されていたころの話。

まあこれは極端な例だけれど、ジャケットのデザインも含めた「アルバム」という概念そのものが、多かれ少なかれそういう作品としての側面を持っていて、それが聴く側に一定の制約を与えていたのは疑いようのないことだ。そして、結果的にそうした制作サイドの思い入れを、ウザイとさえ感じてしまようになったのは、明らかにiTune - iPod のひとつの効能だろう。

インターネットでの音楽配信(ほとんどが曲単位のものだ)は、確実に「アルバム」という形式を破壊し、iTune - iPodは、音楽へのアティチュードを聴き手中心のものへと導いた。

制作者の意図とはなれたところでこのように音楽が消費されることが、良いことなのか悪いことなのかは正直よくわからないけれど、このJods の一撃によって、リスナーがより手軽に、そして快適に自分が聴く音楽をコントロールできるようになったことは間違いない。

そして制作者もまた、リスナーのそういったアティチュードの変化を意識せざるを得ないわけで。
近年になってコンピレーションやベスト盤が増加しているのは、おそらくそういったことなんじゃないかと思う。

iTune - iPod って、ひょっとしたら Steve Jobs の最大のビジネスモデルかもしれないと思えてきた。

ちなみに、今かかっている party shuffle のプレイリスト はこんな感じ。

The Circle Game  Joni Mitchell
Cantaloop  US3
Love Rescue Me  U2
Life  Des'ree
Just Like Tom Thumb's Blues  Neil Young
It Ain't No Fun To Me  Al Green

たいへんけっこうなお手前でございます。

*

天神さんの古本市に行った。

少し前に四天王寺に行ったときの印象もそれほど良いものではなかったし、古書狂いというわけでもないので、露天の古本市には、さほどそそられる感じはないんですが、やはり本のたくさん集まっているところというのは魅力的なわけで、自分自身に「仕入れのついで」などという言い訳をしながら、光に吸い寄せられる虫のように、やっぱりそこへ行ってしまう奴を、とてもいとおしく思います。

収穫は、ほとんどナシ。

これもまた、ひとつのもの狂い哉。


■ 微光のなかの宇宙 ― 私の美術観   司馬遼太郎   中央公論社  19880610 再版

なんかいいタイトルだな。

「美」というものの不思議さや儚さをうまく掴んでいる気がします。

一連の歴史小説や評論で「国民的作家」といわれる司馬さんですが、美術記者だった時代を振り返った文章も珍しいし、本格的な美術論というのは、あまり見たことがありません。 
同じタイトルで480部・43000円の限定本(中央公論社刊)を出版しているのも、華美を好まない司馬さんとすれば例のないことで、この本にたいする思い入れの深さが表れているような気もします。

個人的には以前いちど買い逃して悔しい思いをしたことがある本なので、やっとめぐり合えていい気分。

「物が沈黙のなかで創られる以上、創られてからも、ひたすら見すえられることに堪え、平然と無視される勇気を本来内蔵しているべきものなのである。(裸眼で)」


■ 旅。建築の歩き方   槻橋修編    彰国社     20061230 第一版

原広司、山本理顕、石山修武、妹島和世、西沢立衛といった人たちへの旅にまつわるインタビュー。

いわゆる建築のグランド・ツアーの話なんですが、この本だけじゃなく、他の本やネットで建築家の建築巡礼の話を見聞きするたびに、建築家って真面目な人種だなあって思います。

対象が動かせるものじゃないから、行かなきゃ見れないというのはわかるし、見なきゃわかんないというのもよくわかりますが、だからといって、八十八ヶ所を巡るお遍路のようにサヴォア邸に行かなくてもいいんじゃないかと思ってしまうわけです、宗教じゃないんだから。

著者は「原スクール」の人のようで、巻頭の原広司さんへのインタビューがいちばん印象的。
ディスクリート、コラージュ、アンリアル、原広司っていう人は言葉を見つけるのがうまい人だなあと思います。


■ 一戔五厘の旗    花森安治    暮しの手帖社   19711225 第4刷

伝説の人。

「暮しの手帖」の初代編集長(現在はCOW BOOKSの松浦さん)、オカッパ・スカートの奇人が遺した唯一の著作集。

偏屈こだわりの人らしい造りの本で、あとがきによれば、本体は、写真はグラビア文字は活版、つまり2度刷りという手間のかかった印刷、函もグラビアの4色刷を校正機で一枚ずつ手刷りするという凝りようで、大判のソフトカバーに函をつけるという体裁もあまり見たことがありません。

花森さんは、徹底して「庶民」を意識した人で、庶民の安らかな暮しをかき乱すよこしまなものを許さないということの象徴が、ぼろ布をつぎはぎした「一戔五厘の旗」だそうで、戦争中の有名な「欲しがりません勝つまでは」という愛国キャンペーンをディレクションしたことへの悔恨がこの「庶民」思想の原型になっているんじゃないかと思います。

「暮しの手帖」はシビアな商品テストで有名な雑誌ですが、この本の中で花森さんはこんなふうに言っています。

「商品テストは消費者のためにあるのではない、店に並んでいるものがちゃんとしたものばかりなら、かしこい消費者でなくてもじぶんのふところや趣味と相談して、どれを買うかを決めればよいのである。そんなふうに世の中がなるために、作る人や売る人がそんなふうに考え、努力してくれるようになるために、商品テストはあるのである。」

広告をとらないこと、そしてそのことによって商品テストへのフリーハンドを得るというプロジェクト・デザインが、この花森さんと「暮らしの手帖」という雑誌の先駆的なところで、最盛期には90万部を売り切ったということですから、この本を懐かしく思うお母さんたちがたくさんいるはずです。

日本でコンシューマー(消費者)という概念が定着したのは(したのか?)、この雑誌の功績が大きいんじゃないでしょうか。


■ あの猿を見よ ー 江戸佯狂伝     草森紳一   新人物往来社    19841105 第1刷

「佯狂」とは狂気を装うことだそうです、つまり「アホの坂田」。

中国では佯狂で世を逃れることが隠棲の方法としてポジティブに認知されていたそうですが、江戸の管理社会では、体制の安定を保つためにすべてを乱心として処分したんだそうです。その佯狂の実相やそのことによる悲喜劇が、この本では語られています。

「太平もまたかたちをかえた乱世であることを、人は見逃しやすい。乱世にあって太平を願うのは、人情だが、いざ太平がやってきた時、やはり人の生理は、いらいらとなまぬるく疼き痛むのである。」

20年以上も前の著作で、しかも江戸のこととして語られたことですが、管理社会のなかでがんじがらめにされたあげく、佯狂か狂気か定かでないものに落ち込んでゆく侍たちの姿が、昨今のいろいろな事件の犯人たちとオーバーラップします。

でもたぶん、もうすこし深い。


■ ぜんぶ余録   山田風太郎   角川春樹事務所   20010608  第1刷

1996年に始まった風太郎さん最晩年のロングインタビューの完結編(1998.10~2001.1)。

第1巻は1996.4~1996.12の 「コレデオシマイ」、第2巻は1997.1~1998.4の 「いまわの際に言うべき一大事はなし」。
「コレデオシマイ」 は勝海舟の、「いまわの際に言うべき一大事はなし」 は近松門左衛門の最後の言葉。
「人間臨終図巻」の著者である風太郎さんが気に入っていた臨終の言葉らしい。

「ぜんぶ余禄」は自身の言葉、彼は昭和20年8月15日から先の自分の人生はすべて余禄だといっていた。

2001年7月にパーキンソン症候群で亡くなる直前までのインタビューは、記録としても貴重なもので、編者の努力には最大級の敬意が払われるべきでしょう。

それにしても、「次にまた日本は、原爆を落とされるよ。」とは何たる予言、ひたすらスゴイ。


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はじめて買ったレコードは、サイモン&ガーファンクルのLPシングル(17cmサイズで33rpmのレコ
ードがあったのです)、「sound of silence」「Mrs.Robinson」「Scarborough Fair」のカップリングで、
ひょっとしたら「卒業」のサントラだったかもしれない。

その次がビートルズの「OLDIES」、
サイケデリックなイラストのジャケットに透明な赤のレコード盤、そして真ん中に青いリンゴ。
これにはシビレた。

「OLDIES」は1973年に『赤盤』『青盤』が発売されるまでのビートルズの唯一のベスト盤で、今で
も初期のヒットチューンが歌詞カードなしで唄えるのはこのレコードのおかげといってもいいくらい
に愛着のある一枚だけれど、オフィシャルなビートルズ・ディスコグラフィーの中で、未だにCD化さ
れてないのは、たぶんこのアルバムだけだったりする。

今から考えると、ほんの少し前の自分たちのヒット曲を「ちょっと旧いけど」なんていうタイトルで発
表するなんて、いかにもビートルズらしい sence of humor 、たぶんジョンの仕業だ。

名前が大きくなりすぎて、当時誰もがみんなビートルズに首ったけだったような伝説になってしま
っているけれど、ビートルズは実は解散してからビッグネームになったグループで、彼らが現役の
とき実際にレコードを買って、朝から晩まで聴き狂っている人なんてそれほど多くなかったし、ひょ
っとしたら今でもそうかもしれないと思う。

その頃テレビではもちろん歌謡曲、
ブルーライト・ヨコハマ/いしだあゆみ・恋の奴隷/奥村チヨ・涙の季節/ピンキーとキラーズなんか
が毎日のように歌謡番組で流れていたことを憶えているし、今でいう(もう古いか)ニューミュージ
ックの先祖といってもいいフォークソング勃興の頃で、遠い世界に/五つの赤い風船・風/はしだ
のりひことシューベルツ・時には母のない子のように/カルメン・マキといった曲がチャートに残され
ている。 レコード大賞は、佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」だった。


BLUE NOTE というジャズのレーベルのとてもお洒落なレコード・ジャケットの図録を眺めていたら、
レコード時代にフラッシュバックしてしまった。
 

BLUE NOTE  the album cover art   グラハム・マーシュ編   美術出版社 19920101 第2刷


デザイナーの名前はリード・マイルス、このレーベルのハウスデザイナーである。

マイルスのジャケット・デザインの特徴は、斬新なタイポグラフィと大胆な写真のトリミング、そして
余白をいかしたレイアウトのセンスだ。

レコードを買って音楽を聴きはじめたのがROCKだったから、JAZZの音に触れたのはずいぶん大
人になってからだし、彼がレコード・ジャケットのデザインに携わっていたのが1956年から1967年
までということだから、リアルタイムでこのレーベルのことを知っているわけじゃないけれど、原寸
の12インチ四方のサイズで製本されたこの本に載っているセンスのいいLPジャケットを見ていると、
モダン・ジャズ(ハードバップ)のホットなアドリブの響きや、アイヴィーやコンチネンタルのスタイル
でビシッときめたお洒落なジャズ・ミュージシャンたちの颯爽とした姿、そしていわゆるビートの時
代の NEW YORK CITY の雰囲気が伝わってくる。

no room for squares , サイケデリックの前は、これが HIP だったんだ。

「いずれにしてもリード・マイルスは中に収められた音楽が聴こえてくるようなジャケットを作ったの
である。革新的な演奏には抽象的なデザインをほどこし、クールなサウンドには気取って歩く女性
をあしらい、音楽とイメージの重なり合う活字を選び、というように。( by Felix Cromey)」

ブルーノート創立者アルフレッド・ライオンは、セロニアス・モンクやアート・ブレイキーといった「新
人」を発掘し、録音のディレクションを名エンジニア、ルディ・ヴァン・ゲルダーに任せ、写真は経営
のパートナーでもあるフランシス・ウルフ、そしてアルバムのアートワークに、この新進のハウス・
デザイナーを抜擢した。

このレーベルの一連の傑作がこのチームで造られたのだから、彼が制作者(プロデューサー)と
して卓越した眼をもっていたことは間違いないし、ジャケットのデザインにもドイツ人であるライオン
の、バウハウス的なモダンデザインへの意識も感じとれる。


考えてみればグラフィック・デザインというものを知ったのは、レコード・ジャケットからだった。

ジャケットを眺めながらプレイヤーの針を落とす、するとレコードから出てくる音がそのジャケットの
デザインと共鳴してひとつの世界を作り出す、ミックス・メディアってやつだ。

そのうちジャケットを見るだけで、頭の中に音楽が鳴り始めるんだ。

レコード・ジャケットやレーベルのロゴ・マークのデザインは、そのレコードに収められている音と
一体となって、心の奥底にはっきりと残っている。

LPジャケットの魅力の源泉はそのサイズじゃないかと思う。

色彩の微妙なニュアンスやディテールの質感の表現や、そのミュージシャンの表情を原寸大で、
ときには鼻の穴や毛穴まで見せてくれたのも、この12インチというサイズだったからこそだ。

音楽の視覚化。

もちろんCDはCDとして12センチの表現があるわけだから、そのデザイン媒体としての優劣を問う
ことはあまり意味のないことだけれど、LPをそのまま縮小したCDパッケージは、それがたとえLP
とおなじ紙でできていたとしても、あまり心には響かない。

LPという音楽メディアが誕生したのが1948年、そしてCDへと変わっていったのが1980年代末だ
から、LPの時代はじつはたった40年だったということだ。

そしてCDという媒体が、デジタルデータにとって代わられようとしている今、音楽のヴィジュアル
表現はどこへいくんだろう。


*

 

■ 濹東綺譚   荷風小説傑作集一  永井荷風  六興出版社  19500625 初版

古本もこれくらいになると古書の風格がでてきます。

「断腸亭日乗」とならぶ荷風の代表作といわれていますが、山の手と下町が別世界だった頃の
東京市、山の手人の荷風にとっての下町は、異国だったんじゃないかというのが下町の東京人
小林信彦さんの見解です。

どうもキモは文末のエッセイ「作者贅言」のようです。

もちろんまだ読んでないし、この作品をこの本で読むかどうかはわかりませんが、ただこの本が
持つ古書としての佇まいにはつよく惹かれます。

まあ本好きのオブジェかな。


■ THE STUDY OF COMME des GARCONS   南谷えり子  リトル・モア  20041125 第3刷

造反有理。

たとえそれが自らのものであっても旧を破壊し、ここにない新しいものを制作し続ける川久保玲と
いう人の「創造」への魂は賞賛に値する。

そして同時に一度も赤字をだしたことがないというビジネス・オペレーションにも驚嘆。

1 コム デ ギャルソンは何を壊したのか?
2 クリエイションの規則
3 ビジネスもクリエイションの一環です
4 私は反抗的です
5 コム デ ギャルソンを着ること
6 少年のように

コムデギャルソンに関する本はほとんど見かけないので、貴重なものかもしれません。


■ 逡巡する思考 WRITTINGS 1982-2007   岸和郎  共立出版  20070920 初版第1刷

「ダイハード・モダニスト」岸和郎さんの25年の集大成、ひとつのエポックでしょう。

大著なのでまだまったく手をつけていませんが、じっくり読んで、できれば本文で考えてみたい
と考えています。

京都に居続けていらっしゃることが、ひとつのキー・メッセージじゃないかと思っています。



■ 俵屋の不思議   村松友視  世界文化社  19990801 初版第9刷

再入荷、良本を買い重ねることに躊躇いはなかったけれど、Amazon でひどい値段で売られてい
るのを見てしまったら、本がかわいそうになってきた。

物の価値とその価格に齟齬が生じることは、それほど珍しいことではないけれど、礼を失すること
はやはり品格の問題といわざるを得ない。
売れればいいという商品思想において、日本人は中国人を笑えない。
自由競争だからこそ売る側の discipline が問われるのだ。

俵屋はもちろんかなり素敵ですが、個人的には亡くなったご亭主、アーネスト・サトウさんに興味。


■ 寺山修司劇場美術館   寺山偏陸監修  PARCO出版  20080504 第1刷 

この時期に寺山修司の新刊で、再評価の気配なのかとおもったら、青森県立美術館で開催され
た回顧展の図録だった。

「どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう」とはいかにものコピーです。

『千の美意識を持った男』がなかなかうまくまとめられたコンピレーションですが、ご母堂の希望
で、九条今日子さんとともに本人の死後寺山籍に弟として入籍されたという監修者の寺山偏陸
(ヘンリク)という人がとても気になります、天井桟敷の人らしいけど。


アート関連のブックリスト

 


 

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偉そうに語れるほど聴きこんでいるわけじゃないけれど、マイルスが好きだ。


□ ウイ・ウォント・マイルス  平岡正明   河出書房新社  20021230 初版


平岡正明は一刀両断の人だ。

その方法論は、直感的な、そして一見場違いと思えるようなテーゼをまず炸裂させ(たとえば
それは「山口百恵は菩薩である」といった調子だ)、それを読むものの気持ちを揺さぶりながら、
その強引な断定へと至る放物線の軌跡を描写するといったスタイルで、それは評論というものの
本質である「事実性ではなく真実性を提示することで精神を活性化させること」へのジャズ的な
アプローチのように思える。

そして力まかせに(あるいは緻密に計算され)投げだされたそのテーゼは、それが異境的であれ
ばあるほど、ぼくたちの妄想を誘引する地雷となるわけで、平岡正明はそれを得意とするアジテー
ター(扇動者)といってもいい。

「俺は断言しはじめているが、マイルスが考えたことならだいたいわかるつもりなので、このまま
押す。 ジャズマンにおける北アフリカ感覚は、マイルスにあっては『スケッチス・オブ・スペイン』
の『ソレア』がフラメンコの底をモロッコに抜いたかのように感じさせ 、コルトレーン『オーレ!』
の『アイシャ』という曲が、スペイン回教国最後の教主ボアブディルの母の名であり、そのラスト・
エンペラーの母が、敗れてアフリカに帰る息子の船を城壁に立って見送る嘆きのジャズである。

そんなことがなんでジャズと関係するのかって? グラナダ回教国陥落が1492年1月、コロンブス
のアメリカ到着が同年10月である。1960年代初めに、すでにアメリカ黒人のジャズメンは『スパニ
ッシュ』という語の中に、ヨーロッパの勝利とその後のアフリカ黒人の命運を見ていた。複合リズム
とは複眼の世界観のことである。」

文章そのものがほとんどジャズだよ。

そして「ジャズより他に神はなし」と嘯いたその平岡正明が、「帝王」マイルス・デヴィスを書いた。

(平岡正明は、この本から「デイビス」という表記に改めたとあとがきに記している。それまでは
「デヴィス」と表記していたわけだけれど、昔からのジャズ通は、あたまのデ」ではなく、「ヴィ」
にアクセントをつけて「デヴィス」と呼んでいた。正しくは「デイビス」かもしれないけれど、
「デヴィス」のほうがなんとなく気分だ。)

表題の「 We Want Miles 」は、マイルスのアルバム(1981)のタイトルでもある。

ブラックでファンキーな「On The Corner」やクールでスタイリッシュな「Kind of Blue」も素敵だ
けれど、このアルバムのマイルスは最高だ。

「自堕落に過ごした」と自らがいう5年間の沈黙を破って、マーカス・ミラーを含む新しいバンドで
展開された1981年のツアーから Tokyo, New York, Boston でのライブ・レコーディングを、テオ・
マセロがプロデュースしたこのアルバムは、マイルス的カリプソ「JEAN PIERRE 」で密やかにス
タートし、マーカスのベースリードではじまる2曲目「BACK SEAT BETTY」では、3分04秒のとこ
ろでのマイルスの鋭いハイトーンのブロウにいつも、必ず、鳥肌が立つ。

このファンファーレからはじまる5分きっかりのマイルスのソロとそのバンドが造りだすグルーブは、
ジャズという音楽でしか表現できない緊張感とスリルに満ち溢れている。

バックのミュージシャンたちが、マイルスのアドリブが泡立つにつれてどんどんハイになっていき、
マイルスが導くグルーブの虜となっていく様子が手に取るようにわかるし、おそらく客席のオーディ
エンスもその波に巻き込まれ、ある種のカタルシスを感じているはずだ。

そして、マイルスはまるで司教のように、その祝祭のすべてをコントロールしている。

アルバムは、ビル・エバンスのジャジィーなソプラノサックスとマイク・スターンのほとんどロック
といってもいいようなへヴィなギター(なにしろストラトですから)をフィーチャーしたガーシュウ
ィンの歌劇「ポーギーとベス」からのバラード 「MY MAN'S GONE NOW」 を経て、この当時とし
ては最新のリズムだったレゲエビートのテーマをベースに、 4ビートのブルース - ダブルビートの
バップへと、フリーなリズム展開を見せる「KIX」でフィナーレ。


In a Silent Way(1969)」にはじまるエレクトリック・マイルスといわれる晩年期 のマイルスの
音楽は、ブラックミュージック全体を包括しているようなスケールの大きいビート感を持っていて、
村上春樹的なニュアンスでいうと jazz ではないかもしれないけれど、「groove」という感覚が
コアだと考えると、あきらかにそれは jazz としかいいようがないものだ。


そしてなによりも、平岡正明がいうように「マイルスがやるのだから、それは jazz 」なんだ。


*


奈良公園の近くで、週末にしか開けていないという古本屋に入り、何冊か買った。
ちょっとした旅先で知らない古本屋に立ち寄るのはとても愉しい。


□ 行動主義 レム・コールハース ドキュメント 瀧口典子  TOTO出版  20040315初版1刷

コールハースは脚本家としてのキャリアのあとに建築を学んだという異色の経歴をもったオランダ
人の建築家だけれど、どちらかというと理論家あるいは思想家としての印象のほうが強い人だ。

独自の論理の構築というのは、ていねいにチョイスしたコトバをひとつひとつ重ねていくことだし、
リアリティのあるコトバは、確信的なモチベーションをもった行動からしかでてこないということが、
この本を眺めているとよくわかる。

なんといっても顔の迫力が尋常じゃない、OMAのプロジェクト・ブックレットってやつを見てみたい。

 

□ 走ることについて語るときに僕の語ること      村上春樹   文藝春秋   20071015初版

あれば買ってしまうのが口惜しいけれど、だんだんこの人が好きじゃなくなってきた。
「アンダー・グラウンド」以降のハルキは、あきらかにポテンシャルが落ちているような気がする。

この本も、イントロをジョークで始めるところに「テレ」のようなものが入っているのはわかるけれど、
真の紳士の条件に「健康法を語らない」ということをあげておいて、「僕は紳士ではないので」と捻り、
さらに「どんな髭剃りにも哲学がある」とモームを惹くのは、正直というよりずるいよっていう感じだし、
本文最初の章で、タイトルにミック・ジャガーというキャッチーな固有名詞をつかい、「45歳になって
『サティスファクション』をまだ歌っているくらいなら死んだほうがましだ。」というミックのコトバを引き
合いにして、柔らかい語り口でこんな風になることを「想像もできなかった」というところに強引に
持っていってしまうのも、タチが悪いとしか言いようがない。

いくら長く続けているといったって健康や自分がやってるジョギングのことを、したり顔で語るのは
やっぱり HIP じゃないよ。

小説を書きなさい、作家なんだから。

本文中に一ヶ所だけ書き込みを見つけてショック。
なんで「過客(ルビはゲスト)」なんていう陳腐なコトバに黒々とボールペンで丸をつけるかなあ。

 

□ 独白するユニバーサル横メルカトル    平山夢明    光文社    20061210 4刷

奇をてらったような衒学的なタイトルがちょっと「青くさい」気がしたので迷ったんだけれど、「この
ミス」一位/日本推理作家協会賞受賞という帯で買ってしまった。

でも怖すぎてまだ読めない。

怪談実話のスーパースターということだけれど、奇妙な個性である。

それにしてもミステリーというジャンルが、スプラッターやスカトロまで拡がってしまうと収拾が
つかなくなるんじゃないだろうか。


□ I,etcetera    SusanSontag    VINTAGE BOOKS    1979

□ THE DOORS OF PERCEPTION     Aldous Huxley  PENGUIN BOOKS 1967

60年代の硬派知識人の代表格であるソンタグと、50年代のビートニク世代のアシッド/メスカリン
作家ハクスレーのペーパーバック、どちらもヒッピーのある種の教祖的存在だから、原書が均一
棚にあると読めないくせに買ってしまう。

WIKI によると、ソンタグはその著書「隠喩としての病い」でも明らかなように、30年間進行性乳癌
と稀な形の子宮癌を患っていて、2004年にその化学療法と放射線療法のために生じたものと思
われる骨髄異形成症候群で亡くなり、ハクスレーは、その死の床で、話すことが出来なかったため
妻ローラに対して「LSD, 100 μg, i.m」(LSDを100マイクログラム筋肉注射して欲しい。)と書いて
渡し、1963年11月22日ケネディ大統領暗殺の日の朝、そのトリップの中で旅立ったそうだ。

どちらもその生き方にふさわしい死に様といわざるを得ない。


□ 坂口安吾選集 第一巻 文明評論集    坂口安吾    銀座出版   19471220初版 

奈良で出合った本のうちの一冊。

戦後2年目という時期にすでに選集がでていた安吾のすさまじい人気ぶりにあらためて感服。

時期が時期だけに紙や造本は粗末なものだけれど、書かれていることはこのドサクサでヤケクソ
な(たぶん)時代の熱気に溢れている。

リアルタイムだったらさぞやエキサイティングな本だったに違いない。


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