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音楽にちょっと凝っている。
凝っているといっても、ただCDを聴いてるだけなんだけれど、「音聴き」も興が乗ると冒険心が
おきてくる。 音楽は本よりもはるかに直截的なものだから、一瞬で感じとれるところがいい。
同じCDを、あまりピンとこない曲もスキップしないで何度も繰り返して聴いていると、たとえば
その歌い手が緊張した面持ちでスタジオでマイクの前に立つ姿や、スタジオミュージシャンが、
あまり面白くなさそうにプレイしている気配や、プロデューサーが造ろうとしている音楽の輪郭
(スネアの音に時代やコンセプトが現れているように感じている)までがくっきりと見えてくる。
それは好きな曲を聴いているだけではわからなかった感覚で、こういう風にアンテナの感度が
あがってくると、どんどん未知の世界への興味が深まってきて、新しいものを手に入れるだけ
じゃなく、いままで買ったままであまり聴けていなかったCDにまで手が伸びる。
もちろん失敗はいっぱいあるけれど、とにかく一枚のアルバムで、これはという曲がひとつでも
あれば、それで文句はない。
これまでの経験や直感や、amazonやyoutubeにあるさまざまな情報を、自分なりにプログラム
して、知らないアルバムを探す愉しみは、本買いに勝るとも劣らないものだ。
もう何年も前に、レコードをそういう感じで買い漁っていたことを身体が思い出しはじめている。
音楽は目に見えないものけれど、「Kindle」が本の代わりにならないように、CDやレコードという、
ひとつひとつ丁寧にデザインされたオブジェ(器)がなければ、けっして記憶には残らない。
iTune store からのダウンロードでは、その音をイメージとして描くことができないのだ。
考えてみれば本もそうなんだけれど、そこに記録されていることはなにも変わらないのに、
月日のうつろいや、その時々の自分の心のありかたで、その印象が違って映るのが面白い。
変わる自分と変わらないもの。
変わらないものは変わりゆくものを映す鏡のようなものだから、
この石が、日々移ろう草や木や花を、そして変わっていく自分を見守ってくれるかもしれない。
こんな風に庭の石について書いたことを覚えているが、音楽も同じだ。
ここ2週間くらいで買ったアルバムはこんな感じ
□ GET LIFTED John Legend 2004
□ PAINT THE SKY Enya 1997
□ PARIS Malcom Mclaren 1994
□ CLOSING TIME Tom Waits 1973
□ I CARE BECAUSE YOU DO Aphex Twin 1995 ( inspired by Mr.piropiro )
□ 76 : 14 global communication 1994
□ TUTU Miles Davis 1986
□ PEARL Janis Joplin 1971
ストックから聴き直したのは、こんなCDたち。
□ PEACE BEYOND PASSION Me'Shell Ndegeocello 1996
□ TALES Marcus Miller 1995
□ A LUAKA BOP Compilation by David Byrne 1991
□ TALKING TIMBUKTU Ali Farka Toure with Ry Cooder 1994
そして、いちばん気持ち良くて、なんども聴きかえしたのはこれ、
□ CARTOLA Cartola 1975/1976 Sim || O Mundo e um Moinho
サンバの原形 -- ブラジル的悦楽に浸る。
*
あとこれは音楽といえるかどうか微妙なとこだけど、音ということで最近もっとも刺激的だった
のが、Brian Eno が iPhone のためにプロデュースした「Bloom 」というアプリ。
iPhone のスクリーンをタッチすると、ディレイのかかった単音とともに、水滴のようなパステルの
水玉が現れては消えていく。音はやがてループして音楽になる。
Ambient.
楽器のようでもあり、音楽のようでもあり、アートでもある、アーティスティックなオルゴールと
いえるかもしれない。
Eno のつくる計算された繊細な音色は、同じようにコンピュータで生成された Aphex Twin の
ようなひとりよがりなものではなく、Ambient の本質をよくわかっているアーティストでなければ
造れない、心地良さや美しさをもっっている。 そして、それが IPhone というメディアにプログラム
されることによって、ただ作品として聴くだけではなく、ユーザーがポジティブに参加できる楽器
へと深化していることが、なにより素晴らしい。
時代の先鋭であり続けてきた Brian Eno らしい音楽のカタチ。
そして、同時にそれは、いかにもアップルらしい表現形態でもある。
*
熊本から、お客様にお越しいただいた。
コトバノイエのためだけのご来阪だという予約の電話を受けたときは、一瞬絶句して
しまったが、そういうこともあるんだと思い直した。
それが2年の月日ということか。
ご来訪多謝。
□ 日本のやきもの 第1-10巻+別巻 淡交社
淡交社からでているこの叢書の2冊がすでに本棚にあって、いつか揃ったらいいなあと
思っていたら、均一棚で第2巻を除くすべての巻が出ているのを見つけ、まとめ買い。
あと「キキ目」の第2巻さえ入手できれば揃いだと、勇んで amazon で第2巻を買ったら、
届いた本がキレイすぎて本棚で目をむいてしまった。なんかちょっと不本意な気分だ。
ともあれ、「日本の伝統」「日本の工芸」と合わせて、淡交社の函入りの「日本」が揃った。
その美しい色の背表紙を、さっそく本棚にならべて悦に入っている。
□ 奇想の系譜 辻惟雄 美術出版社 19700301 初版
□ 日本美術の歴史 辻惟雄 東京大学出版会 20070831 第6刷
この前のエントリーで書いた「若冲ワンダーランド展」の余韻が尾を引いて、若冲ブレイク
の端緒といわれている「奇想の系譜」を、ピンポイントで入手。
岩佐又兵衛/狩野山雪/伊藤若冲/曾我蕭白/長沢芦雪/歌川国芳という江戸期の
6人の画家たちが紹介されていて、彼らの作品の「エグさ」は、たしかに「奇想」と呼ぶに
ふさわしい。
こういう江戸時代の「表現主義的傾向」の絵画を、主流の中の前衛(アバンギャルド)と
とらえ、彼らの絵画を「異端」ではなく、「奇想」という言葉で表現したのは、理解が深い。
いい批評というものが、小林秀雄のいうように、その作品への尊敬の念から生まれる
としたら、この本は、まさにそのアーティストたちへの深い愛にあふれた名著だろう。
そんなことを思いながら、本屋をぶらついていたら辻惟雄さんの近作「日本美術の歴史」
にめぐりあった。いつもの coincidence ― 必然の偶然 というやつである。
あの丸谷才一さんが「記念碑的とも形容すべき大著」と新聞書評で絶賛している本だから、
中身が濃いに決まっている。
通史のキーワードは、「かざり」 「あそび」 「アニミズム」
もちろんその江戸期のところには「奇想」の画家たちが「前衛」として紹介されている。
□ ヨーロッパ半島 H.M.エンツェンスベルガー 晶文社 19891220 2刷
エンツェンスベルガー、こうやってタイピングしているだけで、なんとなく哲学的な気配だ。
原題は「 ACH EUROPA ! (おお、ヨーロッパ)」
ヨーロッパを半島ととらえられる感性のスケールがまず凄い。
EC統合(ユーロ)へと動き始めた80年代後半のヨーロッパの7つの国 ― スウェーデン、
ポルトガル、イタリア、ハンガリー、ポーランド、スペイン ― を歩き、人々の声を拾い集めた
ロード・ムーヴィーのようなルポルタージュ。
600ページにわたる大著だが、エピローグとして書き下ろされた「海のほとりのボヘミア」
と題された、2006年のニュー・ニューヨーカーという架空の雑誌に寄稿したという設定の、
近未来(今となっては過去なんだけれど)ルポールタジュが秀逸。
海になんか面していないボヘミアを、「海のほとり」としたそのこころは?
□ CAPE LIGHT Joel Mayerowitz Bulfinch Press 1991 5th printing
「ニューカラー」と呼ばれる、大判カメラ( 8 x 10 )で絞り込んだフラットな表情のカラー・
フォトグラフのムーヴメントの代表作。
リッチなニューヨーカーの避暑地、ケープコッドで撮影された風景の様々。
作品の質はさすがに高いけれど、懐かしさと孤独感の入り交じった独特の色彩感覚と
その構図は、なによりも「アメリカ」そのものを感じさせる。
アメリカに美があるとしたら、こういう視線でしか捉えられないんだろうな、と思う。
ホンマタカシによれば、写真は決定的瞬間派とニューカラー派のどちらかなのだそうだ。
決定的瞬間派の代表は、もちろんその言葉を造ったブレッソン。
絞りを開き、素早いシャッタースピードで、つまりスピード感があってピント(被写界深度)
の浅い画像で、動きを撮ろうとするタイプで、機材はたとえばライカのレンジファインダー。
ニューカラー派の代表のひとりがこのメイヤロヴィッツで、たとえばディアドルフの 8 x 10
のような大型カメラの絞りをできるだけ閉じ( f 値を大きくする)、ゆっくりとしたシャッター
スピードで、隅々までピントのあった静かな画像を目指すタイプ。
たしかにそういわれると、極論すればそのふたつのタイプしかないのかなとも思う。
□ 国のない男 カート・ヴォネガット NHK出版 20080120 5刷
□ 靖国 坪内祐三 新潮社 19990130 初版
□ ザ・ポップ宣言(仮題) 岩谷宏 ロッキング・オン 19811012 2刷
□ 「ん」まであるく 谷川俊太郎 草思社 19870310 第6刷
□ パナマの仕立て屋 ジョン・ル・カレ 集英社 19991031 第1刷
*
最近(でもないか)追加した「小説・詩・エッセイ・評論など」のブックリスト。
SPOT LIGHT 企画、「 his master's choice - BOOKS+コトバノイエ 晶文社の30冊 」公開中。
David Byrne のあの痙攣ダンスを観たのは29年ぶりだ。
ずっとやってるほうもエライけど、忘れずに駆けつけるほうも相当だと思う。
■ David Byrne "Songs of David Byrne and Brian Eno" Nanba Hatch 20090123
この前彼をステージで見たのは Hollywood の Pantages という由緒ある古い劇場、
Talking Heads の「Remain in Light」のプロモーションツアーのときだった。
のちに「STOP MAKING SENSE( by Jonathan Demme 1984 )」として劇場公開された映画と
ほぼ同じスタイルでデザインされた(というかあの映画はこのときのステージが原形だろう)その
コンサートでの、Talking Heads が弾きだす強力なファンク・ビートと David Byrne の痙攣的な
パフォーマンスの記憶は、今も鮮烈に残っている。
その時このTalking Heads というNew Yorkのアートスクールバンドが放っていたオーラは、時代
の先端を走るアーティストだけに与えられる一瞬の輝きではなかったかと、ふりかえれば、思う。
(そしてそれは往々にしてそうなんだけれど、それがかれらのキャリアのピークでもあった。)
このコンサートも凄かったけれど、映画「STOP MAKING SENSE」にはもっとシビれた。
ロックコンサートが、こんなにアーティスティックに演出できるのか、こんなにクールに撮れるのか。
Byrne がプロデュースしたそのパフォーマンスと映像は、四半世紀を経た今でも充分に刺激的だ。
ROCK + FUNK + AFRO + NOH(能)の フュージョン。
Talking Heads の Pantages Theater でのパフォーマンスと、この「STOP MAKING SENSE」は、
ROCKのひとつの祝祭として語られるべきものだと思う。
で、2009年のオーサカでのコンサート。
David Byrne と3人のダンサーと7ピースのバンドは、全員が真っ白いコスチュームで登場した。
「2ヶ月ほど前、英国人(と彼は強調した)の Brian Eno と一緒にアルバムをつくったんだけど、
今夜はその新しいアルバムの曲と、みんなが良く知っているHeadsのいくつかの曲を選んだよ、
Chef's Choice だから。」
と、この人らしい律儀なMCから始まったコンサートのオープニングは、新しいアルバムの中でも
Byrne らしさが際立っていた「Strange Overtones」、続いて「I Zimbra」、Talking Heads の3枚目
のアルバム「fear of music」からの、アフロファンク・チューンだ。
観客もあまり多くなかったし(500人くらいだろうか)、日本での最初のパフォーマンスだったせいか、
やや緊張感を漂わせた幕開けだったけれど、曲が進むごとに少しずつ暖まってきたオーディエンス
の気配を感じて、彼自身もだんだんとヒートアップしていく。
声がとてものびやかだ。
才気煥発を絵に描いたようにシャープな印象だった Talking Heads のころと比べると、いい感じに
角がとれてとてもリラックスしている、憑かれていたものからすっかり解放されたような雰囲気。
表情が柔らかい。
このバンドで、去年の夏からはじめて今年4月まで8ヶ月のワールドツアーをやっているというから、
単なるプロモーションではないだろうし、ステージでのいかにも楽しそうな彼の表情を見てると、
ミュージシャンとしてのライブ・パフォーマンスにまた目覚めたんじゃないかと思ったりする。
音はうねりのあるイン・ツーのビート、ベースのシンコペーションで自然に躯が揺れてくる。
Blues は感じないのに Funk、なんかちょっと不思議な感覚、腰は動くけど歩くようなタテノリだ。
ブルーアイドソウルと呼ばれる音楽があったけど、その伝でいえば、この音楽はブルーアイドファンク
といってもいいものだろう。 ぜんぜん今風じゃないけれど Byrne と Eno が翻訳したある種普遍性
のあるダンスミュージックじゃないかと思う。
「electric gospel feeling」と彼が語っていた新しいアルバムの曲と、Talking Heads のワンコードで
押していくファンク・チューンが違和感なく混じりあって、心地良いグルーブがホールを包んでいる。
観客は少ないけれどそのぶん一体感は強い。
コンパクトなホールで、PAが通っていない生音もよく聞こえるし、Byrne の唾がとんできそうだ。
2時間20曲、そして余韻。
3回目のアンコールで、アルバムのタイトルチューン「Everything That Happens Will Happen Today 」
をゆったりと、Electric Gospel 風に歌った Byrne は、優しい微笑を浮かべてバックステージに消えた。
いろんなことがあっても、自分自身がちっとも変わっていないように、ステージにいた57才のバーンも、
Pantages にいた28才のバーンと結局はそんなに変わっていないんだと、夜風の帰り道で気がついて
少し嬉しくなった。
Set List of "Songs of David Byrne And Brian Eno" 2009/01/23 at OSAKA
01 STRANGE OVERTONES
02 I ZIMBRA
03 ONE FINE DAY
04 HELP ME SOMEBODY
05 HOUSES IN MOTION
06 MY BIG NURSE
07 MY BIG HANDS (FALL THROUGH THE CRACKS)
08 HEAVEN
09 NEVER THOUGHT
10 POOR BOY
11 CROSSEYED & PAINLESS
12 LIFE IS LONG
13 ONCE IN A LIFETIME
14 LIFE DURING WARTIME
15 I FEEL MY STUFF
(encore)
16 TAKE ME TO THE RIVER
17 THE GREAT CURVE
(encore)
18 AIR
19 BURNING DOWN THE HOUSE
(encore)
20 EVERYTHING THAT HAPPENS WILL HAPPEN TODAY
調べてみたら Byrne ってスコットランド生まれ、生粋の Scottish だった、頑固なはずだよ。
*
前に書いたかもしれないけれど、なんだかとてもいい感じのバランスで本が買える日があって、
そんなときはとても気分がいい。
いいバランスというのは、その日買う本のジャンルや体裁や値段の比重がどこにも偏らないで、
全体を眺めたときになんとなく破調なく収まっている状況のことだ。
ほとんど新刊といってもいい日本の小説、ちょっと珍しい翻訳ノンフィクション、インテリアの図版
(洋書)、デザインのいい料理本、比較的新しいミステリーの文庫、80年代の太陽、最近のPEN。
崩しようもなくまとまっていると思うんだけど、ひょっとしてこれってただの自己満足?
■ Mapplethorpe : The Complete Flowers teNeues 2006
MoMA store のバーゲンで入手。
オレンジのきれいな函に入っていて、包みを開けたときにはおもわず声が出た。
400 x 294 x 58mm 256P の大型本、これまでに発表されたメイプルソープの「FLOWERS」
シリーズがすべて(350点)掲載されていて、印刷も文句なし。
「FLOWERS」決定版といってもいい一冊じゃないかと思う、ブックデザインも素晴らしいし。
もう一冊の写真集のコメントにも書いたように、構成美こそがメイプルソープの写真の真髄で、
それは彼のライフワークのひとつだったこの花の写真にもっともよく表現されている。
「写真をファイン・アートに高めた作家として知られるロバート・メイプルソープ(1946-1989)。
"FLOWERS (花)"はポートレートなどとともに彼のライフワークのシリーズです。初期はモノクロ
作品が中心でしたが、80年代から死の直前まではカラーでの制作にも取り組んでいます。
1988年には、ロバート・ミラー・ギャラリーの"New Color Work"展で発表されたダイトランスファー
の"FLOWERS"作品が大きく賞賛さています。 シンプルで完璧な構図と、美しい姿の裏に秘め
られた官能的セクシャリティーを暗示したイメージは最も人気が高いシリーズです。」
これポスターの広告文なんですが、なかなかうまくまとまっています。
こんな風にコメントできたらいいな。
■ イラストルポ 世界の街 小林泰彦 朝日ソノラマ 19701105 初版
この本と、「若者の街」が、2004年に発刊された「イラスト・ルポの時代」の元本。
読み込まれてジャケットなんてヨレヨレだけど、この本には価値がある。
1968年のハイトアシュベリーやヴィレッジやキングスロードやにどんな店が並んでて、その街を
ピッピーたちがどんなかっこうで闊歩してたかなんて、この本でしかわからないし、ややこしい
文章じゃないこのスタイルがいちばんわかりやすいから。
このイラスト・ルポは、「POPEYE」、「TARZAN」、「GULLIVER」、「BRUTUS」の名編集長だった
石川次郎さんが20代で「平凡パンチ」の編集者だったころ、小林信彦さんの弟の泰彦さんと
編みだしたスタイルで、この本はその連載の単行本化第一号、泰彦さんの初めての本でもある。
「あのころ世界はこんなふうだったんだ。
世界は発見に満ちていた。
ヘイト・アシュベリーはヒッピーに占拠されていた。
強いインド香とサイクデリック・サウンド。
ニューヨークのジャズ・クラブをはしごする。
アイビー・リーガーを探せ!
ロンドンのストリート・ファッション(かわいいお化けたち!)。
サンジェルマン・デ・プレの土曜日の夜。
高田賢三の紹介で三宅一生に会う(ふたりとも無名だった)。
そして、みんなベルボトムをはいていた。」
「イラスト・ルポの時代」のコピーだけれど、このなんともいえない高揚感がシクスティーズなんだ。
■ ケルアック jack's book ギフォード/リー 毎日新聞社 19980130初版
「路上(On The Road)」は名作だ。
読まなくてももっているだけで HIP な気分にさせてくれる、タイトルもいいし。
ジャック・ケルアック(1922-1969)はビート・ジェネレーションというコトバをつくった人だ。
ただ「ジェネレーション」といっても、それはたぶん実際にはギンズバーグ、バロウズ、そしてこの
作品のモデルであるニール・キャサディといった友人たちとの楽屋話のようなものだったはずで、
それを堂々と「ジェネレーション」と名乗ってしまうところが、アメリカの若者の楽天的というか
C調なところだ(とっても素敵だけど)。
そして世界中がこのケレンにまんまとノッてしまったわけだ。
この本はそのケルアックの評伝、サブタイトルが、「an oral biograpy of Jack Kerouac」だから、
直訳すると「証言で構成する歴史」、証言するのはこの本の初版が出版されたころ(1978)には
生存していたバロウズ、ギンズバーグ、スナイダーといった同世代の仲間たちだ。
そして「外国映画の吹き替えのように」証言者ごとに翻訳者を振りわけたのがこの新装版の趣向。
「ここに集まったのは。生前はいろいろ理由があって本人にほんとうのことが言えなかった人たち
が死者にあてた手紙である。」
放浪、ジャズ、詩、精神世界が彼らビートニクといわれる人たちの価値観のコアで、ジャズをROCK
に置き換えればそのままヒッピーになる。
ビートニクが、ヒッピーに伝えたのは、とにかく既成の概念にまず NO ! と叫ぼうという、「そもそも」
的なライフスタイルだろう。今時代のメインテーマになろうとしているサスティナビリティ(持続可能性)
やオーガニック(有機農業)やエコロジー(生態学)なんていう地球環境にまつわる様々なことは、
すべてここからはじまったんだ。
でも「アンダーグラウンドのセレブリティ」というのは、やはりちょっと自家撞着なんじゃないかと思う。
■ 悼む人 天童荒太 文藝春秋 20081130 第1刷
こういう本はすぐに二束三文になってしまうのが(別に本のせいではないんですが)悔しいので、
単行本で買うことはめったにないんだけれど、本としての佇まいがいい雰囲気だったので、つい。
「永遠の仔」もそうだったけれど、ジャケットに舟越柱さんの彫刻をつかったのは、編集者あるいは
装幀室(あるいは著者本人)の慧眼でしょう。
7年をかけたという書き下ろしの大作、時間をかければいいものができるとは限らないけれど、
いいものは時間をかけないとできないというのもまた真実で。
もちろんまだ読んでいませんが、「全国の人が亡くなった場所を訪れて、悼むという行為を続ける
ために放浪している青年」というのは、好き嫌いは別にして、いかにもこの人らしいストイックな
モチーフだなあと思います。
「On The Road」を現代日本的に翻訳すれば、こんな風になるんでしょうか。
明るくてオープンだったビートニクやヒッピーと比べると、いかにも内省的ではあります。
直木賞作品だったことに、帰ってから気がついた。
*
最近追加した「小説・詩・エッセイ・評論」のブックリスト
なんとも不思議なPOP感を持ったアルバムに出合った、それも2タイトル。
■ Everything That Happens Will Happen Today David Byrne & Brian Eno 2008/8/18
■ Circus Money Walter Becker 2008/6/10
Amazonの森の中でたまたま出合ったCDだけれど、どちらもなんともいえない今日感に溢れている。
この2つの作品に流れている共通感をどのように表現したものか、ずっと考えている。
音楽のテイストはぜんぜん違うものなんだけれど。
かたや27年ぶりのコラボレーション、もう一方は14年ぶりのソロアルバムということで、それほど
目新しさはないけれど、どちらもロックのプロパーでは、一筋縄ではいかないミュージシャンとして
知られている。
どちらのアルバムも洗練された上質のプロダクションで、クオリティは高い。
Walter Becker は、もうひとりの Steely Dan
かれこれ30年以上つきあってて思うけれど、Steely Dan のふたりはとんでもない偏屈野郎だ。
でもその偏屈が、きわめて都会的で凝りに凝った音として表現されるんだから、偏屈も悪くない。
じっさい1972年の「Can't Buy A Thrill 」に始まる彼らのキャリアに駄作はないし、そもそも
偏屈じゃない健全なアーティストなんて、魅力があるとも思えない。
このアルバム「Circus Money」は、その Steely Dan の目立たないほう(ギタリスト)が
今年リリースした2作目のソロアルバム、ファーストアルバム「11 Tracks Of Whack」が
1994年の発表だから、このアルバムは14年ぶりということになる。
その間ハワイで薬物中毒のリハビリ( その合間にフェイゲンを含む何人かのアーティストの
プロデュース、そして Steely Dan のツアー )をしていたというから、順調に(凝り性の人
らしくそれぞれたっぷり時間をかけてだけれど)作品を発表しつづけるもう片方の Steely Dan、
Donald Fagen と比べると、いかにも不器用だ。
アルバムのプロデュースは、Larry Klein (ジョニ・ミッチェルの ex-husbandだ)
単純計算でいくと、Steely Dan - Donald fagen = Walter Becker となるわけで、バックが
「Everything must go」やフェイゲンの最新作と同じミュージシャンだから、まあ当たらずとも
遠からずだけれど、じっくり聴きこむと、かなり捻ったこの人独特の音の景色が視えてくる。
レゲエビートを基調にしたタイトなサウンドに重なる、なんともユルいベッカーの声。
なかでも「 Looking Upside Down 」という曲の、溶けていくような浮遊感のあるサウンドに
ノックアウトされて、一日に何回も繰り返し繰り返し聴いている。
不器用でハイセンスな NEW YORK のミュージシャンが造ったこの一曲を聴くだけでも、
このアルバムの価値があると断言する。
食べものでいうとブルーチーズとか豆腐餻とかそっち系、よく醗酵していてクセになる味なんだ。
Byrne & Eno の作品は27年ぶり。
前作の「 My Life In The Bush Of Ghosts(1981)」は衝撃的だった。
エレクトリックなアフロ/ファンクビートに重なる意味不明のサンプリングとバーンの神経症的
なヴォーカル、そして同時期に発売されたトーキング・ヘッズの「Remain in Light」とのダブル
インパクトで、エスノロックなるジャンルが生まれ、新しい時代のダンス・ミュージックを予言した。
現代のヒップホップやオルタナティヴ・ロックといわれる音楽で、このふたつのアルバムの影響
を受けていないものはないんじゃないだろうか。
そして21世紀のこのアルバム。
もともとは、 re-master で再発売される「 My Life In The Bush Of Ghosts 」の 打ち合わせの
ためにロンドンに行ったバーンが、イーノのスタジオで彼がが造りためていた曲 "a lot of music
which I never formed into songs ( by Eno )" を聴いたことから始まったプロジェクトで(イーノ
にいわせると "dinner conversation" からなんだ" ということだけれど、実際には最近どんなこと
やってんの、じゃオレいっかい歌詞つけて唄ってみようか、てな感じだったんだろうきっと)、イーノ
がサウンドを、バーンが歌詞とヴォーカルという分業スタイルによって完成させたものだという。
全体の音のデザインは、イーノが2006年にプロデュースしたポール・サイモンの「surprise」や、
コールドプレイの最新盤「Viva La vida or Death And All His Friends」に近い。
このへんの感じ(ホワットした電子音のレイヤーによる浮遊感)が、おそらく最近のイーノのポップ
ソング( ambient ではなく)へのアプローチなんだろう。
気になって「 My Life In The Bush Of Ghosts 」も聞き直してみたけれど、ベースやドラムじゃない
電子音の積み重ねでリズムの「うねり」を造りだすという構造自体が変わっているわけではない。
ただこのアルバムではその音の粒のひとつひとつに滋味のようなものが加わって、「球体の奏でる
音楽(by Kenji Ozawa)」とでもいえるような奥行きのあるプロダクションなっているのが特徴的だ。
ライナーノーツではふたりとも口をそろえてこの音楽を「 electronic gospel feeling 」と表現している。
イーノがいうように、このアルバムのサウンドが近年彼が魅かれているゴスペルという宗教音楽に
インスパイアされた音であることは間違いないし、その曲を聴いたバーンがそれを敏感に感じとって
いることも確かだけれど、じゃあこれがゴスペルかといわれると、じつはあまりそんな感じはしない。
けっきょくゴスペルといっても、その実質的な形態ではなく、「 Bush Of Ghosts」でアフリカンビートを
見立てたように、今日的なポップソングのベースとしてゴスペルのスタイルやニュアンスを見立てたと
いうことじゃないんだろうか。
バーンは暗喩の多い歌詞を造るひとだから、ブックレットの歌詞カードを読んでいても、イマイチ全体の
感じがよく掴みきれないんだけれど、この「ゴスペル」がキーワードになって、なんとなく宗教的な気配
("Biblical allusions" と彼はいっている)が漂っているのはよくわかる。
アルバム全体の印象は、ひとことでいうと「 Talking Heads in 21st century 」っていう感じ。
Talking Heads はバーンのバンドだったんだって、あらためて思う。
デヴィッド・バーンは、じつはけっこう「家」好きだ。
78年発売のトーキングヘッズの2枚目のアルバム( produced by Brian Eno also)も、「more songs
about building and food 」と名づけられているし、「Remain In Light 」には「 houses in motion」という
曲が、その次の「 Speaking in Tongues 」にもシングルカットされた「burnin' down the house 」なんて
いうファンキーな曲が収められている。
このアルバムにも一曲目に「 home 」という曲が入っていて、ジャケットや同封のブックレットのデザイン
を見ると、どうやらアルバムのコンセプトが「家」にまつわるもののようだ。
そしてなぜか1月23日のバーンのコンサートのチケットが手元にあったりするんだ。
このふたつのアルバム、センスはまったく違うけれど、どちらの作品にも漂うあてのない浮遊感は、
いかにも2008年的といえなくもない。
どちらかを選べといわれたら、Becker かな。
微かにだが、blues の匂いがするから。
そういえばどちらのタイトルも、難しい単語じゃないのに意味がよくわからない。
「Everything That Happens Will Happen Today 」の everything ってなんのことなんだ?
「Circus Money」ってどんなお金なんだ?
*
■ 文字の美・文字の力 杉浦康平編 誠文堂新光社 20081204 初版
新古本。
中島英樹「文字とデザイン TYPO-GRAPHICS」の流れでこんな本が見つかった、同じ出版社だ。
前にも書いたことがあるけれど杉浦康平さんの本は本棚でのインパクトが強くて、つい手に取って
しまうし、手に取ると必ず欲しくなってしまう、ちょっと高いんだけど。
この本は、アジアの図像のトップランナーが、読むものではなく書くもの「身体を動かして生み出す
もの」としての「漢字」に挑んだもので、これはもうタイポグラフィという枠を飛びこえたひとつのアート
と考えたほうがいいでしょう。
書でも活字でもない「文字(漢字)」の見立てはこの人でしかでき得ないスゴ技だと思います。
もちろん造本は最高、写真も文字も限りなく美しい。
「手足をのばし、声をのせて踊りだす文字。呪力あふれ,霊気をはなつ文字...人々が気づかぬ場所に
ひっそりと現れ,棲みつく文字は,思いがけないふるまいで,眼に見えない力をたぐりよせ,日々の暮らし
を活気づける。文字たちの予想を越えた変幻の妙,魅惑にみちた姿・形に眼をこらす... 」
■ マンダラ 出現と消滅 西チベット仏教壁画の宇宙 西武美術館 19800719
流れはさらに続く。
1980年に西武美術館で開催された「マンダラ=出現と消滅」展の図録、もちろん杉浦デザイン。
密教のことをよくわかっているわけではないけれど、図像的にも哲学的にも曼荼羅には魅かれる。
どうも自分の魂の根源が、チベットの奈辺にあるような気がしてしかたないのだ。
日々の暮らしで、神や仏とそれほど密接な関係をもっているわけではないけれど、仏教の美術や、
山や石にひそんでいるという八百万の神の存在には感じるところが多い。
この本に収められた様々な仏画や曼荼羅を眺めていると、空や海や大地といった自然から感じとる
漠然とした人の想いのようなものが、執念となってカタチを成したものではないかと思えてくる。
日々こんな画を壁にはって祈っていれば、「悟り」がひらけそうな気がするから不思議なもんだ。
とにかくわけのわからぬものはありがたい。
■ 魂のいちばんおいしいところ 谷川俊太郎 サンリオ 19960310 9刷
タイトル買い。
こういう言葉のデザインが、詩人が詩人たる所以なんだろう
ジャケットのホックニーの絵(small interior, Los Angeles)もよく似合ってるし、大きさもいい。
珍しくイラストレーションの上に文字をのせている平野甲賀さんの装幀。
詩には良いも悪いもありません、ただ感じるかどうかだけ。
魂のいちばんおいしいところ
神様が大地と水と太陽をくれた
大地と水と太陽がりんごの木をくれた
りんごの木が真っ赤なりんごの実をくれた
そのりんごをあなたが私にくれた
やわらかいふたつのてのひらに包んで
まるで世界の初まりのような
朝の光といっしょに
何ひとつ言葉はなくとも
あなたは私に今日をくれた
失われることのない時をくれた
りんごを実らせた人々のほほえみと歌をくれた
もしかすると悲しみも
私たちの上にひろがる青空にひそむ
あのあてどもないものに逆らって
そうしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた
瑞々しさは、言葉の宇宙の宝もののひとつでしょう。
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a tiny trivia from WIKI
「Windows 95」の起動音「The Microsoft Sound」はイーノの作品だそうだ。
マイクロソフトからの依頼は「人を鼓舞し、世界中の人に愛され、明るく斬新で、感情を揺さぶられ、
情熱をかきたてられるような曲。ただし、長さは3.25秒」というものだったらしい。
