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愛猫ハルの背中に蚯蚓のようなものがくっついている。
なんだろうと思って摘んでみるが、その柔らかな物体が猫の背中に食いついているような
感じで、なかなかとれない。 なおも力をこめて引っ張ると、その蚯蚓のような、あきらかに
生物の気配をもつ紐状の物体が、ズズズっと、ハルの背中から延びて出てきた。

昨日の夜の夢の話。

むかし、「Surrealistic Pillow 」というアルバムがあったが、まさに、そんな感じだった。


バルトの「明るい部屋」にでてきた「プンクトゥム( punctum )」という言葉が、頭から離れない。

その奇妙な響き、「小さな裂け目」などという曖昧な語義、そしてその言葉が抱える概念。

その日の超現実的な悪夢のことや、この不思議な言葉のことを考えているうちに、シュル
レアリスムという言葉にしても、このプンクトゥムにしても、ひとつのキャッチコピーのような
もの、あるいはすごくうまいネーミング、とでもいうべきものじゃないかと思えてきた。

ステゥディウム(一般的関心・作者の表現意図)の場をかき乱しにやって来るこの第二の
要素を、私はプンクトゥム(Punctum)と呼ぶことにしたい。というのも、プンクトゥムとは、
刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことであり----しかもまた、骰子の一振り
のことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真の内
にあって、私を突き刺す
(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。


アーティストが作品を見てもらわなければ何も始まらないのと同じように、批評家だって、
まずその文章を読まれないと話にならないわけだから、自分が発見した新しい概念を表現
する独自の「言葉」を造りだすことはとても重要なはずだ。

ピカソやウォーホール、横尾忠則や篠山紀信といった一流と呼ばれるアーティストたちが、
総じて営業上手(といっては語弊があるかもしれないが)なように、このバルトを始めとして、
ソンタグやストロース、そして小林秀雄や吉本隆明といった批評の名手たちも、その批評眼
を鮮やかに現すキャッチーな言葉を拵えるのがすこぶるうまい。

批評家にとっては、ものが視える=言葉の発見で、それこそが彼らの仕事だともいえる。
もっと下世話に言えば、「言うたもん勝ち」の世界。

こういう言葉を発見できるのが、すでにひとつの才能なんだろうな。


ところでこの「プンクトゥム」、大雑把に言うと、ひとつの写真において作者の意図と離れた
ところにある自分だけの「ツボ」ということだと理解できるように思うが、だとすれば、それは
写真だけに限定されるものではなく、他の表現、たとえば絵画や映画、あるいは詩や小説
といった文芸にまで拡がる普遍性を持っているということになるんじゃないだろうか。しかも
それには、あらかじめ用意されるコード(モノサシ)がまったくないわけだから、きわめて恣意
的なもので、見る者によってその在り処が変わってくるということになる。

「それゆえ、プンクトゥムの実例をあげてゆくと、ある意味で私自身をを引き渡すことになる。」

プンクトゥムは、ちょっとやっかいだ。

それは確かにとても面白いゲームなんだけど、これに嵌ってしまうと、見るもの読むもの
すべてにそれを探すようになってしまうのだ。

そしてじつは、すでにこのプンクトゥム・ゲームに侵されてしまっている。

猫の背蚯蚓の悪夢を見たのも、ひょっとしてそのせいだったりして。

*

この時期恒例の、NHKBS2衛星映画劇場のアカデミー特集で、「 Bonnie and Clyde 」を観た。
この前映画館で観たイーストウッドの新作「 Invictus 」よりはるかに面白かった。

やはりこの時期(1967)の映画には力がある。

まずファーストカットの唇のアップに一撃される。
ずいぶん久しぶりにこの映画を観たけれど、フェイ・ダナウェイの美しさが、この歳になって
やっとわかったことに愕然とした。
稀有なことだとは思うが、健康的でしかも sexy という、女性の魅力がこの世にはあるのだ。

主演のウォーレン・ビーティがプロデューサーも兼ねていて、トリュフォーやゴダールにも
監督を頼んだらしいが、なにもヌーベルバーグじゃなくたって、ボニー・パーカーの役をフェイ・
ダナウェイが演るだけで、誰が撮っても HIP なものになったはずだ。

この映画にもプンクトゥムは、あった。
銀行に家をとられた農夫のシーンの背景に映る「曲がった電柱」が、それだ。

*

「明るい部屋」の流れで、写真集がプチ・ブーム。

写真家が撮った作品集だけでなく、料理やインテリアの本にも写真が美しいものがある。
ワンカットの美しい写真があるだけで、その本が価値あるものに見えてくる。
そして、そういう写真がある本は、いい本であることが多いのだ。

いい写真は直感的にわかる。
ストゥディウムもプンクトゥムも関係なく、自分の中のアンテナが感応してしまうから。

■ TYPOLOGIES  Bernd & Hilla Becher  Schirmer /Mosel Verlag Gm 199811  ¥5,000

「類型」と題されたベッヒャー夫妻の建築写真集。
1990 -91年にかけてヴェネチア、ケルン、ボストン、オハイオを巡回した写真展の図録。

LPサイズの大型本だが、それぞれのページに「類型化」された貯水塔、穀物倉庫、溶鉱炉、
住宅のファサードなどの建築物の写真が、9 あるいは12カットずつ並列されていて、確かに
コンセプトは明快にわかるが、写真が小さいのが残念だ。

同じ種類の建築物を丹念に調査採集し、類型化してその本質に迫るというのがタイポロジー
というものだとしたら、それが一つの哲学に昇華するのはよくわかる。

それにしても、この写真は、コンセプチュアル・アートなのか、タイトルそのままの類型学的な
記録なのか、建築写真としてだけじゃなく、アートとしての評価が高いのはよく知っているが、
ひと目ではピンとこない。

たぶんじっと眺め続けることで、なにかが滲みでてきそうな気がする。

たとえばこの無機質な建築群を、人に例えてみれば少しわかってくる。
きっとこれは、ポートレイトなんだ。

■ THE AMERICANS    Robert Frank    STEID   20080510  ¥4,000

ストレート・フォトのクラシック。
カメラはもちろんライカ、たぶん当時の最新鋭機M3だろう。

1959年に発表されたこの写真集は、写真がただの記録や記憶のためのものではなく、
アートピースとして認められるきっかけとなった一冊で、ブレッソンの「決定的瞬間」と
ならぶ、モダンフォトの古典とされている。

本人が自ら依頼したというジャック・ケルアックの序文が素晴らしい。

The humor, the sadness, the EVERYTHING-ness and AMERICAN-ness of these pictures !
---- To Robert Frank I now give this message :  You got eyes.

想像していたより小さな本だったが、ソファに座り、膝の上においたらちょうどいいサイズ 。

大きいばかりが写真集ではないのだった。

■ 注文の多い写真館   坂田栄一郎   流行通信社   19851230   ¥1,900

ポートレイト。

週刊誌「アエラ」の表紙写真で有名なポートレイト写真家の処女作品集。

日大芸術学部からライトパブリシティに入り、ニューヨークでアヴェドンの弟子に入ったという
人だから、ポートレイト・フォトの世界ではエリートといえるだろう。

横尾忠則、細野晴臣、北野武、川崎徹、安藤忠雄、矢野顕子、村上春樹といったその当時
「メディアジェニック」だった人たちの、ちょっと雰囲気のある肖像写真、そして糸井重里のコピー。
スタジオボイスの佐山一郎と伊藤俊治が、序文を書いている。

まさに80年代。

よくできた美しい写真集だけれど、今見ると、"作りこむ写真"を目指したという、その「作り
こまれ方」がいかにも作為的で、パルコ文化の残骸というような気配を感じてしまう。

この作品から何年かして、この人が自然志向に転じたのは不思議ではないと思う。

若い時にヒッピーカルチャーのまっただ中で生活してきましたから、何かまたそこに戻りたい
と言う気持ちもあったんですね。いつも、人と自然の関係というのを考えていましたから、
自然環境をテーマにした作品を作りたいなと思っていたのです。


祝祭はいつまでも続けられないのだ。

■ Derek Jarman's Garden    Derek Jarman   Thames & Hudson  199506  ¥2,000

庭の写真。

AIDSで亡くなったイギリス人の映像作家が、死の直前に行き着いた癒しが、ドーバー海峡
に面した、ダンジェネスという小さな村にあるこの「庭」だったようだ。

庭といっても、それはいわゆるガーデニングではなく、ひとりのクリエイターに造られた風景、
あるいは、ひとつの立体作品としての「庭」で、様々なオブジェや、厳選された植物たちが、
さりげなくちりばめられたこの庭を見ていると、どうしても利休の庭に想いがいく。

「見立て」の庭。

庭を造ってみればよくわかるが、庭は自分を映す鏡のようなものなのだ。

この庭は、デレク・ジャーマンの祈りに満ちている。

" kotobanoie permanent collection " の一冊だが、状態の良い物を安く入手できた。

■ Racing Days   Henry Horenstein   Henry Holt & Co.   19990515   ¥4,800

競馬と写真との至福のコラボレーション。

競馬にまつわるさまざまな光景が、競馬への想いと、緻密に計算された構図で、
丁寧に写し撮られている。

競馬の写真(ほとんどがただサラブレッドを写したものだが)はたくさん見ているけれど、
「競馬」そのものをこれほどリアルに、しかも美しく撮った写真は見たことがない。

このフォトグラファーのことはよく知らないが、そうとうな手練であることは間違いない。

この本の最初の章にこんな一文がある。

" The best thing in the world is to win at the racetrack. The second  best thing is to lose the racetrack "
(この世で最高なことは、競馬に勝つこと、2番目に最高なのは、競馬で負けることだ。)

賭けない人には永遠にわからない競馬の悦楽。

この写真集のどのカットにも、そのかけがいのない悦楽の表情がある。

■ white hot / cool colors for modern living   Tricia Guild   POTTER  19991005   ¥2,400

インテリアのカラーコーディネーションのためのピクチャーブック。

white ecru natural
blue indigo ice blue
earth ocher terracotta
pink magenta red
mauve lavender purple
turquoise aqua
emerald jade green
yellow lemon citrus

この8つのグループに色のトーンが分類され、考えぬかれたスタイリングで撮影されている。

ブックデザインも秀逸、そして写真のどれもが、美しい。

プロの仕事。

*

他にもこんな本たちが入荷しています。

□ ものを創る   白洲正子   読売新聞社   19731005/第1刷   ¥1,500

□ 椀一式 使う漆器へ   原研哉編   実業之日本社  20100115/初版第1刷   ¥1,600

□ 国際建築 バウハウス叢書1  ヴァルター・グロピウス  中央公論美術出版  19910220/第1刷  ¥4,800

□ バウハウスの実験住宅 バウハウス叢書2  アドルフ・マイヤー 中央公論美術出版 19910710/第1刷  ¥4,200

□ 問いつめられたパパとママの本   伊丹十三   中央公論社  19730820/9版    ¥1,500

□ ポトスライムの舟   津村記久子   講談社   20090218/第3刷   ¥500

□ 日本の美学   安田武・多田道太郎   風濤社   19700415/第1版   ¥900

□ 泳ぐのに、安全でも適切でもありません  江國香織   集英社  20020310/第1刷 ¥300

□ くまのプーさん/プー横丁にたった家    A.A.ミルン   岩波書店   19681120/第4刷  ¥800

*

最近追加した「日本美 - 美しき日本の残像」のブックリスト。

http://kotobanoie.com/

 

 

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遠くにいるはずの写真家が一陣の風のように現れ、撮影の合間だからと颯爽と立ち去った。
そして残されたのがこの素晴しい写真集だ。


■ 廃墟チェルノブイリ        中筋純       二見書房       20080426 初版


フォトグラファーの眼の凄さ。

廃墟と化した22年後のチェルノブイリ(正確にはプリピチャチの街)を、ジャーナリスティックな
功名心や、センチメンタルな感傷に流されることなく、プロフェッショナルな写真家の透きとおった
カメラ・アイで、静かに、そして美しく捉えている。

「写真というのは見えないものを写す作業だ」と中筋さんはこの本の中で言っているけれど、
被写体とカメラの間の濃密な空気感が、そこには確かに映しとられていて、見えるはずのない
放射能を感じ、身震いしてしまうほどだ。

人はひとりも写っていないのに、彼が撮った写真のひとつひとつの光と影に、凍りついた石棺
のような原子炉にさえ、さまざまな人間の生や死が視えてくる。

写真家は、きっとこの荒涼とした景色の中に、たとえようもなく大きくて、そしてじつはとても優しい
自然の力(それを神と呼んでいる人たちもいるが)のリアリティを体感していたに違いない。


それにしても、朽ち果てた原子力発電所の街は美しい。
不謹慎かもしれないが、たとえようもないくらいそれは美しいのだ。

そしてそれはまぎれもなく、彼がこの廃墟に美の存在を感じているということに他ならない。

文字どおり「真」を写すのが写真というものの radical な役割だとすれば、この「美しさ」こそが、
「廃墟チェルノブイリ」という写真集の本質じゃないかとさえ思う。

「廃墟は人間にリアルを突きつける刃のような存在だ」と中筋さんは preface で語っている。
そしてこのチェルノブイリこそは、地球上のどの場所より廃墟と呼ぶにふさわしい。

美の中にリアル(真)を視ることは人間の本性のようなものだし、発見し命名することは美学の
はじまりだから、人間がつくった構造物の荒廃が「廃墟」と名付けられたときから、それはすでに
「美」を内包していたといってもいいんじゃないだろうか。

アクロポリスもアンコールワットも桂離宮も、考えてみればみな廃墟なのだ。

あるいはぼくたちが生きているこの街も、廃墟になりつつある場所といってもいいのかもしれない。

流れる時間の濃淡は、生きているものに測る術はないけれど。


*


置き去りにされたこの街の写真に触発されて、" patina " というコトバが浮かんだ。

ソニー/エリクソンのデザインチームの制作する次世代携帯のキーワードで、携帯電話の素材を、
チタンやステンレスといったハードで変化しにくいものではなく、むしろ使用するうちに美的に変化する
ようなものにしたらどうだろうかという試案だった(「デザイン・ウォーズ」 NHK special  2007/07/23)。

廃墟とはまったく逆の経年変化だ。

もともとの辞書的な意味は「緑青」「使いこまれた器具の表面のつや、古色」「表面につけられた風格、
品位」、つまり古さ(旧さ)がもつ味わい、経年変化の愉しみ。

古典的な日本の美の概念でいうと、「侘び寂び」ということになるのかも知れないけれど、patina という
コトバにはもう少しクリエイティブなニュアンスを感じる。

フランク・ロイド・ライトがこんなことを言っている。
「雨が降るたびに繰返し洗われ、太陽を受けて温もり、時を経ても、それによって煤けてみすぼらしく
古ぼけることなく、かえって豊かさを増していくような建築が、ないものだろうか。」
建築の素材としての煉瓦やテラコッタの水平の目地について述べた文章の中でのことである。

これが patina なんだ。
そしてこの概念が、この時代のデザインや way of life に示唆するものはとても大きいと思う。

建築だけじゃなく、すべてのプロダクツが必ず直面する「陳腐化」への、ひとつのオルタナティブ。
使えば使うほど品が良くなるもの、キレイに使い込んだものを美しいと感じる感性。

気に入ったものに手を入れながらできるだけ長く使い続けることが、サスティナビリティの要諦だと
すれば、なんとなく日本人の心の奥底にごく自然にある美意識じゃないかっていう気がしないでも
ないこの patina というコンセプトを、片隅であっても意識することが、とても大切になってくるんじゃ
ないだろうか。

この前のエントリーの藤本壮介さんのコンセプトで、少し物足りなさを覚えたのは、この継続性という
ことに対する表明がなかったことがその理由じゃなかったかと、今になって思う。

「原初的な未来の建築」も、経年変化に耐えなければホンモノじゃないからね。


そんなことを想いながら、ふたたびこの写真集をぼんやりと眺めていると、裏表紙のぼやけた放射能
マークが、一瞬、ムンクの「叫び」に見えた。


怖っ。






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おかしな話だけれど、自分の書いたものに触発されてしまうということが、たまにある。

この前にエントリーした「少し大きな本」の余韻がどこかにまだ残っていたようで、写真集を買ってしまった。


「Screen Tests / Portraits / Nudes  1964-1996」  by  Gerard Malanga  


NYCの地下鉄68丁目の駅でシャープにキメているパティ・スミスのポートレイトに惹かれておもわず衝動買いしてしまったモノクロームの写真集だけれど、解説を読んでみると、このマランガという人、なんとあのウォーホールのアトリエ " the factory " のメイン・フォトグラファーで、ニューヨーク・タイムズによれば、" Andy Warhol's most important associates(右腕) " だったそうだ。

そう、60年代後半から70年代初めにかけてのポップ・アート華やかなりしころの NEW YORK CITY !

" Screen Tests " は、ウォーホールの " the factory " を訪れた人々を、モノクロで撮ったポートレート映画のプロジェクト。 このサイレント・ムーヴィーで、1秒間に16フレームというゆっくりとした速度のBOLEXを回していたのが彼だ。

圧巻は " Portraits " で、アンディ・ウォーホールはもちろん、アビー・ホフマン、ロバート・メイプルソープ、アレン・ギンズバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、ジョン・ケージやテネシー・ウィリアムスといった当時のニューヨークのHIPなセレブリティたちの、ほんとうにリラックスした姿が残されていて、このブロンクス生まれの若いアーティストが彼らに愛されていたことがよくわかる。


写真というメディアの大きな特性のひとつは、静止した時間の中で、そのディティールが克明に記録されるということだけれど、ちょっと平凡な印象の " Nudes " も含めてこの写真集を眺めていると、真を写すっていうことの楽しさ、そして怖さをおもい知らされる。

それにしても28才の彼が、25才のメイプルソープやパティ・スミスを撮っていた1971年のニューヨーク、みんなこんなに若かったんだ。


*


「Twelve」  by  Patti Smith


パティ・スミスは生き残ったアーティストだ。
パンクの時代を疾走し、打ちのめされ、そして劇的な復活(Gone Again)。

1967年、21才の誕生日に、メイプルソープ(彼女のファーストアルバム " Horses " のアルバムジャケットの写真を撮ったのはこの人だった)からプレゼントされたという山羊の革のタンバリンをジャケットにしたこのアルバムは、彼女の「ロック」へのオマージュに相違なく、ジミ・ヘンドリクス、二―ル・ヤング、ボブ・ディラン、ドアーズといったアーティストやその楽曲のセレクションは、使い捨ての商品としてではなく、同時代を生き残った人だけに語れる " narrative(物語) " に満ちている。

60才のロッカーが造った魂のアルバム 「Twelve」 は、間違いなく2007年のベスト・アルバムのひとつだと思う。

 

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□ Screen tests / Portraits / nudes      Gerard Malanga   Steidl  2000      ¥2,800     ORDER from here

□ ポッピズム      アンディ・ウォーホール  リブロポート  19920405  初版    ¥3,000   ORDER from here

□ ぼくの哲学      アンディ・ウォーホール  新潮社  19980830  初版    ¥1,800    ORDER from here

□ Twelve (CD)    Patti Smith  COLUMBIA   2007    ¥1,500    ORDER from here

 

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