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いつも行く古書店の片隅で、一冊の詩集とめぐりあった。

■ MEXICO CITY BLUES ( 242 CHORUSES )     Jack Kerouac    Grove Press      1959 5th edition

ジャック・ケルアックが生前に遺した唯一の詩集らしい。

メキシコ・シティは、彼の作品「路上( On The Road )」最終の地。
主人公ディーンのモデルであるニール・キャサディとともに、盟友バロウズ会うために
その街を訪れたケルアックは、この詩集を3週間で一気に書き上げたという。

まず序文にやられる。

" NOTE " と題されたその文章は、こんな風だ。

I want to be considered a jazz poet
blowing a long blues in an afternoon jam
session on Sunday. I take 242 choruses ; 
my ideas vary and sometimes roll from
chorus to chorus or from halfway through
a chorus to halfway into the next.

ぼくのことを日曜の午後のジャムセッションで、
長いブルースを吹きまくるジャズの詩人だと思ってほしい。
242のコーラスを演奏するけれど、
ぼくの頭の中はバラバラで、時々コーラスからコーラスへと跨がったり、
コーラスの途中から次のコーラスの途中へ転がったりするからね。


その「コーラス」を、一篇でも自分で訳してやろうと思ったんだけれど、単語自体はぜんぜん
難しくないのに、文字どおりパーカーのアドリブのようなその即興的な言葉の奔流
まったく歯が立たなくて、けっきょくは池澤夏樹の翻訳に頼る羽目になってしまったのだった。

■ ジャック・ケルアック詩集   池澤夏樹/高橋雄一郎訳   思潮社  19911225 初版

せっかくだから、一篇だけでも。

7th Chorus

He Who is Free From Arbitrary Conceptions
of Being or Non-Being

The Genius of the Elephant

The Destroyer of Elephant-Trainers
      by Death

The Destroyer of Elephant by Death
The Destroyer of Death
The Destroyer and Exterminator
      of Death

Exterminator of Being and Non-Being
Tathagata
The Essence Master
The Womb
The Manifestor
Man's Made Essence
Essence's Made Man
The Marker of Light
The Destroyer of Light

コーラス 7

存在と非在という気まぐれな概念に
惑わされない者

象の守護者

死によって
象使いを滅ぼし

死によって象を滅ぼし
死を滅ぼし
死を滅ぼし殲滅
  する者。

存在と非在を殲滅する者
如来
本質を司る者
子宮
顕現者
人間に作られた本質
本質に作られた人間
光を作る者
光を滅ぼす者


 "so I guess you could say we're a beat generation. (1948)"

ジャック・ケルアック(1922-1969)は「ビート・ジェネレーション」というコトバをつくった人だ。

youtubeのインタヴューなんかを見ていると、どうも20年代の " Lost Generation " を意識したと
おぼしいが、" Beat " は語義どおり " Beaten(打ちのめされた)" でもあり、" Beatitude(至福)"
でもあり、そしてなによりも Jazz の " Beat (彼の時代ならきっとBe-Bopに違いない)" への
共感からでたコトバのようだ。

社会の低層で、さまざまな迫害を受けながら自由でスタイリッシュな音楽をプレイする黒人たちに、
ハッピーでリッチでWASP的な価値観 -- american way of life にアメリカ史上はじめて NO ! と
いった白人の若者たちがシビれるのは、不思議でもなんでもない。

ただ「ジェネレーション」というのは、ケルアック独特の大風呂敷で、たぶん最初はムーブメントでも
なんでもなく、ギンズバーグやスナイダーやバロウズ、そして「路上」のモデル、ニール・キャサディ
といった仲間たちの内輪での楽屋話のようなものだったはずで、それを堂々と「ジェネレーション」と
名乗ってしまうところが、アメリカの若者のいかにも野放図なところだろう(とっても素敵だけど)。

そして痛快なことに世界は、この生意気な若者のケレンに、まんまとノッてしまったわけだ。


いまこうやって、ケルアックの詩を眺めたり、ビートのことを調べていると、60年代のアーティストの
作品の多くが、このムーブメントの影響を、強く受けていたことをあらためて感じさせられた。

なかでもディラン。

この本が出版されたころ18歳だったボブ・ディランが、ビート・ムーブメント、そのなかでもとりわけ
文学的だったケルアックに影響を受けたことは、その書誌をみると一目瞭然だ。

The Subterraneans  1953 -- Subterranean Homesick Blues  1965 ( Bringing It All Back Home )
Desolation Angels  1956  -- Desolation Row  1965 ( Highway 61 Revisited )
Maggie Cassidy  1953  -- Maggie's Farm  1965  ( Bringing It All Back Home )
On The Road  1957  --  On The Road Again   1965  ( Bringing It All Back Home )

細かなニュアンスはわからないけれど、この詩集を眺めていると、まるでディランの歌詞カードを
読んでいるように気になってくる、というかディランには、この詩集と同じバイブレーションを感じる。
1965年に発行されたディランの散文集 「tarantula」なんて、ヒッピーじゃなく、ビートニクの詩集ようだ。


アレン・ギンズバーグ 『吠える』
ウィリアム・バロウズ 『裸のランチ』
ジャック・ケルアック 『路上』

この3冊は、ビート・ジェネレーションの文学的遺産。


ケルアックが亡くなったのは、1969年、この年は、20世紀という時代の折れ目だ。

最後にテッド・ジョーンズという人のインタヴューと追悼詩を。

俺にとってポエジーは人生そのもの。俺がよく言う「野獣」と言う言葉は、野蛮ではなく、自由ってことなんだ。
ある日、フレッドマクダラーの企画につきあって、レンタビートニクっていうのをやったことがあった。
ジャックの「路上」を一冊、本棚に。メイラーの「ホワイトニグロ」呼んで自己を知れ。なんて調子かな。

自分の中では、日を追うごとに「路上」への評価が高くなった。
なにせひとつの世代全体が旅に出たんだぜ。
ケルアックとの最後のやり取りは、「地下街の人々」が映画になったころだ。
おれは身の回りの整理に追われていた。
ジャックは北アフリカに手紙をくれた。
俺が彼に送った詩は後にサンフランシスコ、シティライツ書店から出版された。

ジャックが死んだとき、おれはハーレムにいた。
ヴィレッジボイスが何人かに追悼の詩を依頼したもののだれも引き受けない。そこで読んだのが例の詩なんだ。
この詩は俺の本心。アメリカを疾走した偉大な指導者-ケルアック。

快感ひりひりっていう野蛮精神(ジャックケルアックを追悼して)

赤と黒の防水外套を着たジャック
ばらばらの浮浪者の中を駆けぬけていく
北アメリカの通りまた通り
着古した青いジーンズ  微笑一杯のくたびれたスウェーターを着たジャック
かっと頭にきたかみそりの刃みたいに
国を横切って走っていく
ジョーク一杯詰め込んだへなへなシャツ
とジャケットを着たジャック
真夜中メキシコシティ・ブルースを歌っていくおなじみの天使

黒人のヒップスターたちミュージシャンたちのまっただなかだ。

後に続くのはクールに快感ひりひりを
追い求める白人の一団
詩心を生きる人々 詩篇をあたえる人々

猛然 突進していく顔青ざめたリーダー

一世代に渡っての燃料だった人

やすらかに いまはもう

JKは ハローと言っている JCに
ジョン・コルトレーンにだ つまり


いろいろと読んだけど、このケルアックと同時代の人の詩がいちばん心に残った。


*

梅雨の本買記

湿気は本の大敵だ。
面陳で置いてある、水土書店のソフトカバーや雑誌は、端がめくれている。

そして雨で濡れたその皺は、決して元には戻らない。

ふだんめったにささない傘をさして、それでも本屋には行く。
雨の日には、雨の日の本があるはずだ。

そのとき会う本には、その時にしか会えない。

本買もまた、即興なのだ。

■ 白洲正子 私の骨董   白洲正子   求龍堂   19960415 第3版  ¥2,900

白洲見立ての骨董写真集。
そのほとんどが、いまも旧居「武相荘」にそのまま遺されているらしいが、
どの骨董にも白洲風とでもよべそうな、空気感が漂っている。

表情は、とても優しいのだが、よく見える人には、その厳しさが映るのだ。

■ 海まで100マイル   片岡義男/佐藤秀明   晶文社   19810920 初版  ¥3,000

片岡義男のサーフィンものにちょっと凝っている。
ハワイやカリフォルニアの波の写真と、あの乾いた文体。

それだけでもう充分と思わされてしまうところが怖い。

ちょっとやめられそうもない。

■ マティスデッサン 1936   クリスティアン・ゼルヴォス   岩崎美術社   19990528 初版  ¥4,800

ちょっと高かったけど、マチスのこのサイズ(B4+)のヌードデッサンは価値があるだろう。
しかもトリスタン・トゥアラの献詩、そしてマティス自らの装幀。

モノクロのデッサンを眺めていると、色をつけたくなってくる。
色鉛筆かパステルか。

■ ホワイト・ジャズ   ジェイムズ・エルロイ   文藝春秋   19960401 第1刷  ¥700

これはやっぱり買ってしまうでしょ。
2週間以上迷ったが、けっきょくコトバノイエの本棚に収まった。

LAの物語には、いつの時代のどんなもんだって興味があるのだ。
書いた人がイケてるなら。

■ 族長の秋   ガルシア・マルケス   集英社   19830608 第1刷  ¥1,000

読めるかなあ。
読むにはきっと体力が要りそうだ。

まあ、死ぬまでに絶対読むリストには加えておいてもいいだろう。

■ 風の変様体   伊東豊雄   青土社   19890428 第1刷  ¥2,500

トップランナーの若書き。
今から20年近く前の著書だが、もうすでにできあがっている。

年を重ねて前衛性が高まってくるのは、この人だけじゃなく誰しもがそうなのだ。
残された時間を考えると、妥協しているヒマはないんだから。

■ 現代住宅研究   塚本由晴+西沢大良   INAX出版   20040201 初版  ¥1,600

中身は面白そうだが、本が小さすぎる。

老眼は、君たちが考えているほど甘いもんじゃないんだ。

■ Keith Haring   GelmanoCelant編   Prestel   1997  ¥2,000

最中のころは、あまりぴんとこなかったが、こうやって時間がたって見直してみると、
その素晴らしさがよくわかる。
してみると、そのころはなにも素直に見ていなかったということか。

信州のキースへリング美術館に行きたい。

■ ヴァインランド   トマス・ピンチョン   新潮社   19981205 初版  ¥2,700

新著「Mason & Dixon」に手が出ないので、腹いせに amazon.。
読めるかどうかまったく自信はないが、もっているだけでちょっと安心する。

次は本番。

■茶の美学   谷川徹三   淡交社   19770130 初版  ¥2,400

俊太郎さんのお父さん。
美学という言葉がなんともアカデミック。

「身体の所作を媒介とする芸術」、こういってもらえると少しはわかった気になるけれど。

■ 草のちから 藁の家     INAX出版   20000612 初版  ¥1,400

■ 茶の湯の歴史   熊倉功夫   朝日新聞社   19900620 第1刷  ¥600

■ 片眼の猿   道尾秀介   新潮社   20070320 3刷  ¥400

■ ARCHITECTURE Drafting and Design Hepler and Wallach McGraw-Hill Book 1965 ¥1,500

■ 内田百閒 文藝別冊   河出書房新社   20031230 初版  ¥900

■ シーサイド・スタイル   D.D.セイクス   TASCHEN   2002  ¥1000

■ すぐそこの遠い場所   クラフト・エヴィング商会   晶文社   20001210 7刷  ¥900


再入荷、あるいはダブり

□ 風土   和辻哲郎   岩波書店   19691020 36刷  ¥500

□ 珠玉   開高健   文藝春秋   19900310 第3刷  ¥600

□ 日本のルネッサンス人   花田清輝   朝日新聞社   19751120 初版  ¥600

□ 人生は五十一から   小林信彦   文藝春秋   19999620 第1刷  ¥400

□ 普通のデザイン   内田繁   工作社   20070630 初版  ¥1,100

□ コルシア書店の仲間たち   須賀敦子   文藝春秋   19960120 第6刷  ¥750


*


野田の 水土書店 は、7月24日(土)まで、残り日わずかです。
7月17日(土)・21日(水)もオープンしていますので、ぜひ足をお運びください。

*
この2ヶ月間の感謝をこめて、最終日にささやかな Party を催そうと思っています。

■ 水土書店 謝恩 クロージング・パーティー

→ 7月24日 土曜日 PM4:00頃より
→ 野田 水土書店 in CUT the CORNER  (矢部達也建築設計事務所内)

自由参加ですので、皆様お誘い合わせの上、ぜひお越しください。

*

最近追加した「建築と戯れる。」のブックリスト。

http://kotobanoie.com/




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DVDを買った。
ひょっとしたらこのメディアをちゃんと購入するのは、はじめてかもしれない。

■ 気狂いピエロ PIERROT LE FOU      ジャン・リュック・ゴダール  1965

きっかけは、ランボオである。

この前手に入れた金子光晴訳のランボオ全集を眺めているうちに、ゴダールのこの美しい映画
のラストシーンに、ランボオの詩が印象的につかわれていたのを思いだしたのだ。

自分を裏切ったアンナ・カリーナ(マリアンヌ)を撃った ジャン・ポール・ベルモンド(フェルディナン)
が自らのアタマをダイナマイトで吹っ飛ばし、その爆発の炎と煙をロングショットで捉えたカメラが、
ゆっくりとパンして南仏の海をとらえる、彼方に青い空。

そしてその水平線にアンナ・カリーナの物憂げな声がオーヴァーラップする。

── 見つかった、
── 何が?
── 永遠が、
── 海と溶け合う太陽が。

ヌーベルヴァーグのアイコン、アンナ・カリーナ(named by ココ・シャネル)とジャン・ポール・
ベルモンドが、まるでボニーとクライドのように(映画はこちらの方が後ですが)、破滅に向かって
進んでいくありさまを、あのゴダールが彼一流の大胆なカットと乾いた視線で鮮やかに、そして
切なく描いている。

顔に青いペンキを塗って、あれだけ否定していたピエロとして死んでいくフェルディナンの死に際が、
とてつもなく愚かしく、そして心に沁みる。

「勝手にしやがれ(A bout de souffle)」とならんで、ヌーベル・ヴァーグの白眉とされる1965年の
この映画は、今見ても頭がクラクラするくらい刺激的だった。

もうひとつランボオで印象的なのは、1983年のサントリーの CF だ。

誰もいない砂漠、あるいは荒野の光景。
火を吹く大男、天使の衣裳をまとった幼女、ジャグラー、軽業師、イグアナ、そしてナイフ投げ。
フェリーニや寺山修司を連想させるサーカスの幻想的な映像に、ナレーションが重なる。

その詩人は、底知れぬ渇きをかかえて放浪をくりかえした。
限りない無邪気さから生まれた詩。
世界中の詩人たちが蒼ざめたその頃、彼は砂漠の商人。
詩なんかよりうまい酒をなどとおっしゃる。
永遠の詩人ランボオ。
あんな男、ちょっといない。

(produce by 杉山恒太郎 / art direction by 高杉治郎 / copy by 長沢岳夫 / music by Mark Goldberg)

17才のときパリ・コミューンの中で「酔いどれ船」を書き、19才で「地獄の季節」、そして恋人の
ヴェルレーヌとの別れ、21才で詩を捨てて放浪し、あげくアラビアで武器商人になり、37才で片足を
骨肉腫で切断され、妹だけに看取られながら死んでしまった早熟の詩人ランボオ。

ヴェルレーヌだけじゃなく、中原中也も金子光晴も小林秀雄もボブディランもパティスミスもボウイも
メイプルソープもウォーホルもピカソもダリもケルアックもバロウズもヘンリーミラーもアナイスニンも
ピカビアも、みんなこの夭折した天才の ROCK にシビれた。

カッコいいから、たとえようもなく。

母音

Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青、母音たちよ、
おれはいつかおまえたちのひそやかな誕生を語ろう、
A、無惨な悪臭のまわりを唸り飛ぶ、
きらめき光る蠅どもの毛むくじゃらのコルセット。

かげった入り江。 E、靄と天幕の白々とした無垢、
誇らかな氷河の槍、白い玉たち、繖形花のおののき。
I、緋の衣、吐かれた血、怒りにくるった、
あるいはまた悔悛の思いに酔った美しい唇の笑い。

U、循環期、緑の海の神々しいゆらぎ、
家畜の散らばる放牧場の平和、学究の
広い額に錬金の術が刻む小皺の平和。

O、甲高い奇怪な響きにみちた至高の喇叭
諸世界と天使たちがよぎる沈黙
―― おおオメガ、あの人の眼の紫の光線!

(粟津則雄 訳)

ランボオのこのサイケデリックで難解な詩に、アルコールや大麻やオピウムといった麻薬による
覚醒の記憶があることは間違いないけれど、そのコトバの一粒一粒には、十代の、それも才能の
ある者にしか視えない宇宙とのブルータルな交感がある。

どんな17才にだってそういう感性が宿る一瞬はあるのかもしれないけれど、それを奇跡ともいえる
タイミングで引き寄せることができるのは、選ばれた者にしかできないことだ。

ROCK に殉じた Janis Joplin や Brian Jones や Jimi Hendrix や Jim Morrison のように、
この19世紀のフランスの詩人 Arthur Rimbaud にも、STONE JUNKY の称号を与えてあげたい。

でも、ひょっとしてスタローンじゃないほうのランボオ(ジョン・ランボーも、実はランボオへの
オマージュだそうだけれど)なんて、もはや死語の領域かもしれないな。


*


■ 朝鮮とその芸術       柳宗悦   春秋社    19720520 新装版第1刷

「民芸」って柳宗悦さんの見立てのことじゃないのかと思う。

対象となるアイテムは庶民の日常具だけれど、それを道具本来としては捉えず、その無名性を
主調とする芸術として彼が見立てたものだけが、民芸と呼ばれる。

この朝鮮の芸術にしても、それをそのまま受け入れたんじゃなく、独自のフィルターをかけて、
彼が再解釈できたものだけを絶賛しているように思えてしかたない。

なんにせよ新しい美を発見したことは間違いないから、その功績は素晴らしいものだけれど、
その「美」がユニバーサルにならなかったのは、「見立て」を再構築して誰にでもわかるモノサシ
が造れなかった(造らなかった)からじゃないんだろうか。

柳さんが無印良品を見たら、なんていうんだろう。


■ MAGNUM DEGREES         phaidon Inc.     20031218

写真家集団マグナムの写真集、分厚い。

マグナムの一番の功績は、写真はアートディレクターや編集者のものではなく、それを撮った写真
家のものであるということを、インターナショナルなレベルで認識させたことじゃないかと思う。

ただどのムーブメントにもあることだけど、60年の歴史を経て、革新的集団がエスタブリッシュメント
になってしまったことが、ひとつのジレンマかもしれない。

世界の主要雑誌に掲載された報道写真がメインのこの写真集を眺めていると、そのまま20世紀の
クロニクルを見ているような思いにとらわれてしまう。

でもそれが必ずしもいいことだと断言できないところがアートの難しいところで。


■  ビートニクス   コヨーテ、荒地を往く     佐野元春    幻冬社   20070911 第1刷

佐野元春にあんまり興味あるわけじゃないけれど、ビートニクスはちょっと見過ごせない。

いまどきギンズバーグやスナイダーやケルアックに熱心なミュージシャンなんてちょっと変態的。

ビートは面白いけど、ピッピーはどうもあんまりっていうのが、この人の立ち位置なんだろうな。
そのへんがいかにも佐野元春っていう感じだけど、まあそれもアリかと思ったり。

「Kerouac His Hometown of Lowell」というジャック・ケルアックの生地を訪ねた短いドキュメント
のDVDが特別付録でついていました。

それにしても「ニュービートジェネレーション」っていったい誰のことなんだよ。


■ 打ちのめされるようなすごい本    米原万里    文藝春秋   20061130  第4刷

未読、でもチラ見だけで技量はわかる。

Amazonのレヴュワーたちのように、癌を患いながらも好きな本を読み続けることがそんなに凄い
ことだとは思わないけれど、書き手としてのこの人の手練は、この本のそこかしこに現れている。

書評ってけっきょくしっかりとした視点を持っているか、もっといえばものごとを自分の頭でちゃんと
考えられるかどうかどうかで評価が決まってしまうものじゃないかと思うけれど(新聞の書評なんか
を読んでいても、もっともらしくいい加減なことを書いている人がほとんどですから)、肝の据わった
女性は、男以上にブレないということがよくわかる。

いい書評の問題は、読まなくてもわかったような気にさせてしまうことと、読みたくて我慢しきれなく
なるなることを同時に読んだものに味わわせてしまうことだから、そういう意味では大合格。

タイトルはあまり気に入らない(ご本人が存命ならこんなタイトルにはなっていないだろう)が、
この本がそうなんだという編集者の気持ちはよくわかる。


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