<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0">
    <channel>
        <title>本買記</title>
        <link>http://www.kotobanoie.com/blog/</link>
        <description>http://kotobanoie.com/</description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2009</copyright>
        <lastBuildDate>Tue, 30 Dec 2008 22:46:43 +0900</lastBuildDate>
        <generator>http://www.sixapart.com/movabletype/</generator>
        <docs>http://www.rssboard.org/rss-specification</docs>
        
        <item>
            <title>gaze what you look at</title>
            <description><![CDATA[<form class="mt-enclosure mt-enclosure-image" mt:asset-id="153"><img class="mt-image-center" style="DISPLAY: block; MARGIN: 0px auto 20px; TEXT-ALIGN: center" height="402" alt="yamamomo2.JPG" src="http://www.kotobanoie.com/blog/yamamomo2.JPG" width="700" /></form>
<style type="text/css">
   body { line-height: 180%; }
</style>

<p><br />久しぶりに新刊を買った、というより買わずにいられなかったと言ったほうがいいかもしれない。</p>
<p><br /><strong>■　現な像　　杉本博司　　新潮社　　20081220</strong></p>
<p><br />前作「苔のむすまで」から3年ぶりのエッセイ集。<br />さらにamazonの巧みな計略に見事にはめられ、彼を特集したプチ写真集ともいえる写真誌も。</p>
<p><br /><strong>■　Photo GRAPHICA   vol.13 /2008 winter      MdN/インプレス    </strong></p>
<p><br />どちらも、金沢21世紀美術館での<a href="http://www.kanazawa21.jp/exhibit/sugimoto/">「歴史の歴史」展</a>にタイミングを合わせてのもののようだ。</p>
<p> </p>
<p>杉本博司は、日本人では数少ないインターナショナル・レベルのアーティストだ。</p>
<p>よく知られている写真だけでなく、古美術や建築にも造詣が深く（ニューヨークで10年も古美術商<br />をやっていたというから驚きだ）、その研ぎすまされた感性は、インスタレーション（漆喰塗りだけで<br />2年かかったというまるで美術館のような自邸！）や建築（直島の護王神社）にまで及んでいて、<br />写真家というよりは、現代美術の作家といったほうが正確だろう。<br /><br />成熟した大人の art piece<br /><br />彼の作品の最大の特徴は、コンセプチュアルということだろう。</p>
<p>たとえばデュシャンが、男性用の小便器をさかさまにして署名を施した「泉（1917）」という作品で<br />予言しているように、現代美術（モダニズム）が「見立て（メタフィジカルな制作という概念）」までを<br />包含していることは明らかで、彼のスタイルがことさらコンセプチュアルであることを強調することは<br />ないのかもしれないけれど、彼のメインフィールドである写真は、対象をどのように見るかという<br />「視点（camera eye）」そのものが表現のコアなんだから、コンセプチュアルであることはことのほか<br />重要な分野だと思う。</p>
<p>まして「ポストモダン時代を経験したポストモダン以前のモダニスト」を自認するこの人であれば、<br />コンセプトに忠実であるというモダニズムの基本概念が、「倫理」となって身体に宿っていても<br />不思議じゃない。</p>
<p><br /><strong>：　Dioramas ジオラマ　  1976</strong></p>
<p>「虚像でも、一度写真に撮ってしまえば、実像になるのだ」</p>
<p>あのホールデン・コールフィールドが、妹フィービーと待ち合わせをした（「この博物館でいちばん<br />良かったのは、すべてのものがいつも同じところに置いてあったことだ」と彼はいっていた）ニュー<br />ヨークのアメリカ自然史博物館に展示してある古生物や古代人のジオラマを実像であるかのように<br />（片眼をとじて）撮影したシリーズ。<br /> </p>
<p><strong>：　Theaters 劇場　  1978</strong></p>
<p>「映画一本を写真で撮ったとせよ」</p>
<p>アメリカ各地の古い劇場やドライブインを訪れて、上映中のスクリーンを上映時間の長さだけ露光し、<br />そのまま印画紙に焼き付けた。<br />とうぜんスクリーンは時間そのものを露光し光り輝く、そして画面には劇場の姿が露に投影される。<br /><br /><strong>：　Seascapes 海景　  1980 </strong></p>
<p>「原始人の見ていた風景を、現代人も同じように見ることは可能か」</p>
<p>「心理的タイムマシンに乗って世界中を旅をして撮った」という、まったく同じ構図のモノクロの海、<br />水平線が中央にある海の景色。　その海景の繰り返しが、眩暈と静寂を同時に呼び起こす。<br /><br /><strong>：　Architecture 建築　  1997</strong></p>
<p>「私は現代のはじまり（モダニズム）をその建築物から辿ってみることにした」</p>
<p>方法論は、無限の倍という焦点距離、物理的にあり得ない空間にピントが合ってしまうわけだから、<br />とうぜん被写体はボケボケに写る（「溶ける」と彼は表現している）。<br />優秀な建築は大ぼけ写真でも溶け残るのだという、本人曰く「建築耐久テストの旅」。<br />たしかにその写真には、夾雑物が取り除かれた建築の霊が映っているような感じさえする。<br /><br /><strong>：　In the Praise of Shadow 陰翳礼讃　  1998</strong></p>
<p>「蝋燭の一生を記録してみることにした」</p>
<p>闇の中の一本の和蠟燭が燃え尽きるまでを露光し、光の帯と影だけという写真の最小限のもの<br />だけを写し撮ったシリーズ、光は闇の投影にすぎない。</p>
<p><br />8 x 10 という写真の原形ともいえる大判カメラを駆使し、あるいは脳内のカメラをフルチャージして、<br />彼が捉えようとしてしているのは、いってみれば「時の移ろい」とでもいうべきものだろう。</p>
<p>幸せなことに、ぼくたちは彼が視た時間や光の残像を photograph として眺めることができる。</p>
<p><br />そしてこの新刊。</p>
<p>この本のあちこちに地雷が仕掛けられていることは、チラチラと眺めているだけでも感じとれる。</p>
<p>なかでも海面から30mのレベルの断崖に置かれるという、100m x 1レーンの水平線と一体化した<br />ガラスのプールは、液体に浸ることに快感を覚える人間の脳内のイメージ中枢をはげしく刺激する。<br />その細くて長いプールは、春分の日の日の出日の入りの方角に設定されていて、早朝泳ぐ者は<br />日の出ずる国を目指し、夕刻泳ぐ者は西方浄土を目指すというわけだ。</p>
<p>「古代の<a href="http://nire.main.jp/rouman/fudoki/35waka14.htm">補陀落渡海</a>のように身一つで異界を目指して渡る、そうした現代人が喪失してしまった<br />感性を呼び戻すための装置としてこのプールを想起したのだ。」<br /><br />あくまでコンセプチュアルなのだ。</p>
<p><br />こういう毅然とした刀剣のような本の話で、この年の掉尾を飾れるのもなかなかイイもんだと思います。</p>
<p>年末年始はこの本で愉しめそう。</p>
<p><br />それにしても冬の金沢、蟹と温泉と杉本博司、行きてー。</p>
<p><br />*</p>
<p><br />年末の本買</p>
<p>どういうわけかここにきてけっこう真面目な本が集まってきました。<br />ついつい読みやすいモノから手をつけていってしまうので、こういうのはどこまで読めるか、ですね。</p>
<p>掘り出しは、濱谷浩さんの写真集と内田百閒、<br />濱谷浩さんの作品集は、瀧口修造から開高健までの昭和の文筆家（學藝諸家）88人の肖像を、<br />ストレートな眼差しで撮ったもの、これもまた、写真表現の一面でしょう。<br />内田百閒は、この人のちゃんとした本が欲しいとずっと思っていたんで、この装幀の良い本の初版が<br />入手できたのはラッキー、タイトルがシブい。</p>
<p><br />■　絶対文藝時評宣言　　　蓮實重彦　　　河出書房新社　　19940215　初版</p>
<p>■　映画の構造分析　　　内田樹　　　晶文社　　20030615　初版</p>
<p>■　マルセル・デュシャン「遺作論」以後　　　東野芳明　　　美術出版社　　19900401　初版</p>
<p>■　世阿弥　　　瀧川駿　　　圭文館　　19620320　初版</p>
<p>■　17歳のための世界と日本の見方　　　松岡正剛　　　春秋社　　20070225　第７刷</p>
<p>■　滞欧日記　　　澁澤龍彦　　　河出書房新社　　19930205　初版</p>
<p>■　ヨーロッパの不思議な町　　　巌谷國士　　　筑摩書房　　19900830　初版第1刷</p>
<p>■　24365沖縄　　　24365沖縄研究会　　　集英社インターナショナル　　20060731  初版</p>
<p><strong>■　學藝諸家　　　濱谷浩　　　岩波書店　19830325　第1刷</strong></p>
<p>■　THE EARTH BOOK　　　スイッチパブリシング　　20081210　第1刷</p>
<p><strong>■　日沒閉門　　　内田百閒　　　新潮社     19710415　初版</strong></p>
<p>■　20世紀はどのようにデザインされたか　　　柏木博　　　晶文社　　20020210　初版</p>
<p><br />*<br /><br />ウェブサイト <a href="http://kotobanoie.com/book/listspotlight-tsuji.html">SPOT LIGHT ページの企画「コトバノイエの30冊」</a>の第2弾をアップしました。<br />建築家矢部さんに替わって登場いただいたのは、カジュアルウェアのプレミアムブランド<br />「<a href="http://www.bnb.co.jp/"> bru na boinne </a>」のデザイナー辻マサヒロさんです。</p>
<p>気鋭のデザイナー渾身のセレクションをぜひご覧ください。<br /><br /><br /><font style="FONT-SIZE: 1.25em"><strong><br />May peaceful New Year 2009 on you all .</strong></font></p>
<p> </p>
<p><br /> </p>]]></description>
            <link>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/12/gaze-what-you-look-at.html</link>
            <guid>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/12/gaze-what-you-look-at.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">books</category>
            
            
            <pubDate>Tue, 30 Dec 2008 22:46:43 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>strange overtones</title>
            <description><![CDATA[<form class="mt-enclosure mt-enclosure-image" mt:asset-id="152"><img class="mt-image-center" style="DISPLAY: block; MARGIN: 0px auto 20px; TEXT-ALIGN: center" height="403" alt="manhattan.JPG" src="http://www.kotobanoie.com/blog/manhattan.JPG" width="700" /></form>
<style type="text/css">
   body { line-height: 180%; }
</style>

<p><br />なんとも不思議なPOP感を持ったアルバムに出合った、それも2タイトル。<br /><br /><strong>■　<a href="http://www.everythingthathappens.com/">Everything That Happens Will Happen Today</a>     David Byrne &amp; Brian Eno     2008/8/18</strong></p>
<p><strong>■　Circus Money       Walter Becker      2008/6/10<br /><br /></strong>Amazonの森の中でたまたま出合ったCDだけれど、どちらもなんともいえない今日感に溢れている。<br />この2つの作品に流れている共通感をどのように表現したものか、ずっと考えている。<br />音楽のテイストはぜんぜん違うものなんだけれど。</p>
<p>かたや27年ぶりのコラボレーション、もう一方は14年ぶりのソロアルバムということで、それほど<br />目新しさはないけれど、どちらもロックのプロパーでは、一筋縄ではいかないミュージシャンとして<br />知られている。</p>
<p>どちらのアルバムも洗練された上質のプロダクションで、クオリティは高い。<br /><br /><a href="http://walterbecker.com/">Walter Becker </a>は、もうひとりの Steely Dan</p>
<p>かれこれ30年以上つきあってて思うけれど、Steely Dan のふたりはとんでもない偏屈野郎だ。<br />でもその偏屈が、きわめて都会的で凝りに凝った音として表現されるんだから、偏屈も悪くない。<br />じっさい1972年の「Can't Buy A Thrill 」に始まる彼らのキャリアに駄作はないし、そもそも<br />偏屈じゃない健全なアーティストなんて、魅力があるとも思えない。</p>
<p>このアルバム「Circus Money」は、その Steely Dan の目立たないほう（ギタリスト）が<br />今年リリースした2作目のソロアルバム、ファーストアルバム「11 Tracks Of Whack」が<br />1994年の発表だから、このアルバムは14年ぶりということになる。</p>
<p>その間ハワイで薬物中毒のリハビリ（ その合間にフェイゲンを含む何人かのアーティストの<br />プロデュース、そして Steely Dan のツアー ）をしていたというから、順調に（凝り性の人<br />らしくそれぞれたっぷり時間をかけてだけれど）作品を発表しつづけるもう片方の Steely Dan、<br />Donald Fagen と比べると、いかにも不器用だ。</p>
<p>アルバムのプロデュースは、Larry Klein （ジョニ・ミッチェルの ex-husbandだ）<br />単純計算でいくと、Steely Dan － Donald fagen ＝ Walter Becker となるわけで、バックが<br />「Everything must go」やフェイゲンの最新作と同じミュージシャンだから、まあ当たらずとも<br />遠からずだけれど、じっくり聴きこむと、かなり捻ったこの人独特の音の景色が視えてくる。</p>
<p>レゲエビートを基調にしたタイトなサウンドに重なる、なんともユルいベッカーの声。<br />なかでも「 Looking Upside Down 」という曲の、溶けていくような浮遊感のあるサウンドに<br />ノックアウトされて、一日に何回も繰り返し繰り返し聴いている。</p>
<p>不器用でハイセンスな NEW YORK のミュージシャンが造ったこの一曲を聴くだけでも、<br />このアルバムの価値があると断言する。</p>
<p>食べものでいうとブルーチーズとか豆腐餻とかそっち系、よく醗酵していてクセになる味なんだ。<br /><br /><a href="http://www.davidbyrne.com/　">Byrne</a> &amp; <a href="http://homepage1.nifty.com/sountolab/eno.htm">Eno </a>の作品は27年ぶり。</p>
<p>前作の「 <a href="http://bushofghosts.wmg.com/home.php">My Life In The Bush Of Ghosts（1981）」</a>は衝撃的だった。</p>
<p>エレクトリックなアフロ／ファンクビートに重なる意味不明のサンプリングとバーンの神経症的<br />なヴォーカル、そして同時期に発売されたトーキング・ヘッズの「Remain in Light」とのダブル<br />インパクトで、エスノロックなるジャンルが生まれ、新しい時代のダンス・ミュージックを予言した。<br />現代のヒップホップやオルタナティヴ・ロックといわれる音楽で、このふたつのアルバムの影響<br />を受けていないものはないんじゃないだろうか。</p>
<p>そして21世紀のこのアルバム。</p>
<p>もともとは、 re-master で再発売される「 My Life In The Bush Of Ghosts 」の 打ち合わせの<br />ためにロンドンに行ったバーンが、イーノのスタジオで彼がが造りためていた曲  "a lot of music<br />which I never formed into songs ( by Eno )" を聴いたことから始まったプロジェクトで（イーノ<br />にいわせると "dinner conversation" からなんだ" ということだけれど、実際には最近どんなこと<br />やってんの、じゃオレいっかい歌詞つけて唄ってみようか、てな感じだったんだろうきっと）、イーノ<br />がサウンドを、バーンが歌詞とヴォーカルという分業スタイルによって完成させたものだという。</p>
<p>全体の音のデザインは、イーノが2006年にプロデュースしたポール・サイモンの「surprise」や、<br />コールドプレイの最新盤「Viva La vida or Death And All His Friends」に近い。<br />このへんの感じ（ホワットした電子音のレイヤーによる浮遊感）が、おそらく最近のイーノのポップ<br />ソング（ ambient ではなく）へのアプローチなんだろう。</p>
<p>気になって「 My Life In The Bush Of Ghosts 」も聞き直してみたけれど、ベースやドラムじゃない<br />電子音の積み重ねでリズムの「うねり」を造りだすという構造自体が変わっているわけではない。<br />ただこのアルバムではその音の粒のひとつひとつに滋味のようなものが加わって、「球体の奏でる<br />音楽（by Kenji Ozawa)」とでもいえるような奥行きのあるプロダクションなっているのが特徴的だ。</p>
<p>ライナーノーツではふたりとも口をそろえてこの音楽を「 electronic gospel feeling 」と表現している。</p>
<p>イーノがいうように、このアルバムのサウンドが近年彼が魅かれているゴスペルという宗教音楽に<br />インスパイアされた音であることは間違いないし、その曲を聴いたバーンがそれを敏感に感じとって<br />いることも確かだけれど、じゃあこれがゴスペルかといわれると、じつはあまりそんな感じはしない。</p>
<p>けっきょくゴスペルといっても、その実質的な形態ではなく、「 Bush Of Ghosts」でアフリカンビートを<br />見立てたように、今日的なポップソングのベースとしてゴスペルのスタイルやニュアンスを見立てたと<br />いうことじゃないんだろうか。</p>
<p>バーンは暗喩の多い歌詞を造るひとだから、ブックレットの歌詞カードを読んでいても、イマイチ全体の<br />感じがよく掴みきれないんだけれど、この「ゴスペル」がキーワードになって、なんとなく宗教的な気配<br />（"Biblical allusions" と彼はいっている）が漂っているのはよくわかる。</p>
<p>アルバム全体の印象は、ひとことでいうと「 Talking Heads in 21st century 」っていう感じ。<br />Talking Heads はバーンのバンドだったんだって、あらためて思う。</p>
<p>デヴィッド・バーンは、じつはけっこう「家」好きだ。<br />78年発売のトーキングヘッズの2枚目のアルバム（ produced by Brian Eno also）も、「more songs<br />about building and food 」と名づけられているし、「Remain In Light 」には「 houses in motion」という<br />曲が、その次の「 Speaking in Tongues 」にもシングルカットされた「burnin' down the house 」なんて<br />いうファンキーな曲が収められている。<br />このアルバムにも一曲目に「 home 」という曲が入っていて、ジャケットや同封のブックレットのデザイン<br />を見ると、どうやらアルバムのコンセプトが「家」にまつわるもののようだ。</p>
<p>そしてなぜか1月23日のバーンのコンサートのチケットが手元にあったりするんだ。</p>
<p><br />このふたつのアルバム、センスはまったく違うけれど、どちらの作品にも漂うあてのない浮遊感は、<br />いかにも2008年的といえなくもない。</p>
<p>どちらかを選べといわれたら、Becker かな。<br />微かにだが、blues の匂いがするから。<br /><br />そういえばどちらのタイトルも、難しい単語じゃないのに意味がよくわからない。</p>
<p>「Everything That Happens Will Happen Today 」の everything ってなんのことなんだ？<br />「Circus Money」ってどんなお金なんだ？</p>
<p><br />*</p>
<p><br /><strong>■　<a href="http://www.idea-mag.com/cgi-bin/book/catalog.cgi?language=jp&amp;item=026">文字の美・文字の力</a>　　　　杉浦康平編　　　　誠文堂新光社　　　20081204　初版  </strong> </p>
<p>新古本。</p>
<p>中島英樹「文字とデザイン　TYPO-GRAPHICS」の流れでこんな本が見つかった、同じ出版社だ。</p>
<p>前にも書いたことがあるけれど杉浦康平さんの本は本棚でのインパクトが強くて、つい手に取って<br />しまうし、手に取ると必ず欲しくなってしまう、ちょっと高いんだけど。</p>
<p>この本は、アジアの図像のトップランナーが、読むものではなく書くもの「身体を動かして生み出す<br />もの」としての「漢字」に挑んだもので、これはもうタイポグラフィという枠を飛びこえたひとつのアート<br />と考えたほうがいいでしょう。<br />書でも活字でもない「文字（漢字）」の見立てはこの人でしかでき得ないスゴ技だと思います。</p>
<p>もちろん造本は最高、写真も文字も限りなく美しい。</p>
<p>「手足をのばし、声をのせて踊りだす文字。呪力あふれ,霊気をはなつ文字...人々が気づかぬ場所に<br />ひっそりと現れ,棲みつく文字は,思いがけないふるまいで,眼に見えない力をたぐりよせ,日々の暮らし<br />を活気づける。文字たちの予想を越えた変幻の妙,魅惑にみちた姿・形に眼をこらす... 」</p>
<p><br /><strong>■　マンダラ　出現と消滅　西チベット仏教壁画の宇宙　　　　西武美術館　　　19800719   </strong></p>
<p>流れはさらに続く。</p>
<p>1980年に西武美術館で開催された「マンダラ=出現と消滅」展の図録、もちろん杉浦デザイン。</p>
<p>密教のことをよくわかっているわけではないけれど、図像的にも哲学的にも曼荼羅には魅かれる。<br />どうも自分の魂の根源が、チベットの奈辺にあるような気がしてしかたないのだ。   </p>
<p>日々の暮らしで、神や仏とそれほど密接な関係をもっているわけではないけれど、仏教の美術や、<br />山や石にひそんでいるという八百万の神の存在には感じるところが多い。</p>
<p>この本に収められた様々な仏画や曼荼羅を眺めていると、空や海や大地といった自然から感じとる<br />漠然とした人の想いのようなものが、執念となってカタチを成したものではないかと思えてくる。</p>
<p>日々こんな画を壁にはって祈っていれば、「悟り」がひらけそうな気がするから不思議なもんだ。</p>
<p>とにかくわけのわからぬものはありがたい。</p>
<p><br /><strong>■　魂のいちばんおいしいところ　　　　谷川俊太郎　　　　サンリオ　　　19960310　9刷</strong></p>
<p>タイトル買い。<br />こういう言葉のデザインが、詩人が詩人たる所以なんだろう</p>
<p><a href="http://astore.amazon.co.jp/colorsquare-22/images/4387902663">ジャケット</a>のホックニーの絵（small interior, Los Angeles）もよく似合ってるし、大きさもいい。<br />珍しくイラストレーションの上に文字をのせている平野甲賀さんの装幀。<br /><br />詩には良いも悪いもありません、ただ感じるかどうかだけ。<br /><br />魂のいちばんおいしいところ</p>
<p>神様が大地と水と太陽をくれた<br />大地と水と太陽がりんごの木をくれた<br />りんごの木が真っ赤なりんごの実をくれた<br />そのりんごをあなたが私にくれた<br />やわらかいふたつのてのひらに包んで<br />まるで世界の初まりのような<br />朝の光といっしょに</p>
<p>何ひとつ言葉はなくとも<br />あなたは私に今日をくれた<br />失われることのない時をくれた<br />りんごを実らせた人々のほほえみと歌をくれた<br />もしかすると悲しみも<br />私たちの上にひろがる青空にひそむ<br />あのあてどもないものに逆らって</p>
<p>そうしてあなたは自分でも気づかずに<br />あなたの魂のいちばんおいしいところを<br />私にくれた</p>
<p><br />瑞々しさは、言葉の宇宙の宝もののひとつでしょう。<br /><br />*<br /><br /><font style="FONT-SIZE: 0.8em">a tiny trivia from WIKI<br />「Windows 95」の起動音「The Microsoft Sound」はイーノの作品だそうだ。<br />マイクロソフトからの依頼は「人を鼓舞し、世界中の人に愛され、明るく斬新で、感情を揺さぶられ、<br />情熱をかきたてられるような曲。ただし、長さは3.25秒」というものだったらしい。</font><br /><br /><br /></p>]]></description>
            <link>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/12/strange-overtones.html</link>
            <guid>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/12/strange-overtones.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">music</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 17 Dec 2008 00:33:23 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>better than i thought</title>
            <description><![CDATA[<form class="mt-enclosure mt-enclosure-image" mt:asset-id="151"><img class="mt-image-center" style="DISPLAY: block; MARGIN: 0px auto 20px; TEXT-ALIGN: center" height="425" alt="ticket2.JPG" src="http://www.kotobanoie.com/blog/ticket2.JPG" width="700" /></form>
<style type="text/css">
   body { line-height: 180%; }
</style>

<p><br />高村薫の住宅についてのコラム「家のつぶやき」は、予想していた以上に面白かった。<br />孤高ともいえる女流作家に、住宅のことを書かせた日本経済新聞の編集子のファインプレイだろう。</p>
<p>1200字26話のあちこちに慧眼が光る。</p>
<p>それは最初のコラム「景観」のこんな文章を読むだけではっきりとわかる。</p>
<p>「個々の建物と周辺の建物と自然を含めた〈景観〉という発想は、この国には最初からなかった<br />に違いない。（略）窓の外に見える風景が、個々人の暮らしの中にある程度のウエートを占める<br />ようにならなければ、住宅の成熟はなく、街としての〈景観〉が生まれることもない。」</p>
<p>また、かつて暮らした大阪千里にある集合住宅（団地）を論じて、欧米に比べての40年という<br />その寿命の短さを指摘し、</p>
<p>「メンテナンスの不備ではあるまい。たぶん建造物として、初めから住民が愛着を持つだけの<br />価値のないものだったことが、老朽化を早めているのだ。」</p>
<p>と見破っているのも、そうとうシャープな批評眼だ。</p>
<p>さすがに2クールにわたる連載の後半でやや息切れの気配があるのが残念だが、なにごとに対しても<br />真摯にとりくむ彼女の硬派ぶりにはあらためて感心させられるし、ストーリーのあるなしにかかわらず、<br />ブレることのないしっかりとした視点が、安心して読める文章の基点だということがよくわかる。</p>
<p>ベランダの当惑／年をとらない家／家屋の陰影／閑静な住宅地／マイホーム幻想／エゴを超えて</p>
<p>関西の人だけに、彼女が語るその風景になんとなく親しみを感じます。</p>
<p>/&nbsp;</p>
<p>某日、デザイナーのTさんに本を選んでいただいた。<br />矢部さんに続く「コトバノイエの30冊」第2弾のためのセレクションをお願いしたのだ。</p>
<p>天気のいい日曜の午後、遅めのランチをとりながらのセッションだったので、はじめはわりと<br />のんびりした気分だったんだけれど、挑むように本棚に向かうTさんの姿を眺めているうちに、<br />どんどんテンションがあがってきた。</p>
<p>少しずつ積み上がっていく予想もつかないタイトルを見ているのはとてもスリリングだったし、<br />選んだ本にまつわるあれやこれやをおうかがいした選後のインタビューもなかなか興味深い<br />ものだった。</p>
<p>なんであれ本を選ぶというのは自分の何かを晒すことでもあるし、あらかじめひとつのフィルター<br />をかけられた本棚からのセレクション（しかも冊数まで限定されて）なんてけっこうやっかいな<br />ことじゃなかったかと（無責任にも）思うけれど、選ばれた本たちのちょっと嬉しそうな佇まいや、<br />ひとつひとつのメッセージを整理していくうちに、全体の景色がなんとなく浮かんできた。</p>
<p>服のデザインをする人との本を介してのセッションができるなんて思ってもいなかったことだから、<br />これから作成するウェブページが、快くこちらの申し出を受け真摯に取り組んでいただいたTさん<br />に喜んでいただけるような、そして見ていただいている方に今感じているこのワクワクした雰囲気<br />がうまく伝わるようなものになればいいなと、あらためて期する次第。</p>
<p>Be looking forward to it !</p>
<p>でもホント、予想以上に楽しいセッションでした。</p>
<p>/</p>
<p>そしてまた某日、<br />ディランに続いてマーティン・スコセッシが撮ったストーンズの「 Shine a light 」を観た。</p>
<p>すでにDVDで発売されている映画を、封切りのシネコンで観るというのもちょっと微妙だけれど、<br />やはり大きなスクリーンで観るのは気持ちいいし、なんといっても音の迫力がちがう。<br />トレイラーを見ているとタダのコンサート記録のようにも思えたこの作品が、しっかりと練られた<br />上質の「映画」だったのはちょっと予想外だった。</p>
<p>さすがスコセッシ（ミックやキースと同世代の戦中派だ）、ただでは転ばない。</p>
<p>コンサートは素晴らしいものだった。<br />キースのテレキャスターの一撃からはじまるオープニングの Jumpin' Jack Flash には、<br />鳥肌ではなく、一瞬涙がでそうになった。</p>
<p>スコセッシは movie をわかってる。<br />ミックは camera をわかってる。<br />キースは rock をわかってる。<br />ロニーは stones をわかってる。<br />そしてチャーリーは stones そのものだ。</p>
<p>このスペシャルなコンサートは、わかってる大人たちの移動祝祭日だったようだ。</p>
<p>"のどが渇いたらシャンパンを飲もうぜ、トビたかったら reefer（マリファナ）をキメればいいさ"<br />なんていう曲（ <a href="http://jp.youtube.com/watch?v=1mujaxzs3X4">Champagne &amp; Reefer </a>by Muddy Waters) もプレイしていたが彼ら自身は <br />no dope（シラフ）のステージだった。<br />ストーンズといえばいつも dope のことが話題になったもんだけれど、今はそういうものからは<br />完全に解放されたようだ、キースのクリーンな眼を見ればそれがよくわかる。</p>
<p>生き残ったロッカーたち。</p>
<p>彼らがバンドを始めた頃、新しくて反抗的な存在だったロックが、すでに古い音楽スタイル<br />になっているということは、たぶん彼らもよくわかっている、でもこんな風に人の心を震わせる<br />ことができるんなら、スタイルなんてなんの意味もないよね。</p>
<p>けっきょくは、Blues の力かなと思う。</p>
<p>最高の一曲は、ミックがとても照れくさそうに「この曲を作った時、恥ずかしくて他人に歌って<br />もらったんだ（当時の恋人<a href="http://jp.youtube.com/watch?v=Jf9w2hJIqUk">マリアンヌ・フェイスフル</a>に贈った曲でした）」と呟いてはじまる <br />so sweet な「 <a href="http://jp.youtube.com/watch?v=LnxVszLuv3c">As Tears Go By</a>」、キースのメロウで、そして hip なアコースティックの12弦は<br />シブすぎて、今にもブライアンが降りてきそうだった。</p>
<p>ちなみに2006年の秋にブロードウェイの <a href="http://www.beacontheatre.com/about/history.html">Beacon Theater </a>という由緒ある劇場で開かれたこの<br />コンサートは、クリントン元大統領が自らの60才の誕生日を祝して主催したプライベートな（！）<br />ものだったそうで、もちろんご本人もヒラリー次期米国国務長官も、そして彼女の母親も映画に<br />登場、そしてこのコンサートのオープニングのMCは、なんとクリントン自身だったのだった。<br /><br />それにしても、ストーンズには NEW TORK CITY がよく似合う。</p>
<p><br />*</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ここ最近の本買の何冊かを<br /><br /><strong>■　人間失格　　　　太宰治　　　筑摩書房　　　19480725　初版</strong></p>
<p>ダザイの初版、しかも絶筆の「人間失格」と「グッドバイ」とは、ちょっとエキサイティング。</p>
<p>この小説「人間失格」はこの本が発行された年の「展望」の8月号で完結、本人はその6月に<br />逝ったんだから、その初出誌を見ることはなかったわけだけれど、文学誌の8月号の掲載<br />作品とその死によって中断された新聞小説が、臼井吉見の追悼あとがきを付して7月25日に<br />上梓されているそのスピード感は半端じゃない。その死に方がセンセーショナルなものだった<br />だけに、この本は話題作となり、当時としては大ベストセラーの20万部（おそらく紙を集める<br />のにそうとう苦労したんじゃないだろうか）を売り切ったそうだ。<br />今も昔もマスメディアの売れるものへの嗅覚はたくましい。</p>
<p>凡百の例にもれず、若いときに太宰作品のひととおりの洗礼を浴びているけれど、その含羞的<br />というか露悪的なデカダンよりも、ひとつひとつのフレーズの鮮やかさが心に残っていて、その<br />言語感覚は、今の世ならコピーライターとしても一家をなしていたのではないかという気がする。</p>
<p>「恥の多い生涯を送って来ました。<br />自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れました<br />ので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、<br />上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然<br />気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにする<br />ためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思って<br />いたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜（あかぬ）けのした<br />遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたの<br />ですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを<br />発見して、にわかに興が覚めました。」</p>
<p>ちなみに、英訳でのこの作品タイトルは、「No Longer Human（by Donald Keene）」</p>
<p>なるほど。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>■文字とデザイン　TYPO-GRAPHICS　　　　中島英樹　　　誠文堂新光社　　20080501　初</strong>版</p>
<p>確かにオリジナルフォント「 Nakajima Thin 」は美しい。<br />そして文字というものにこれほどまで執拗にこだわるデザイナーがいるのはとても心強い。</p>
<p>「日常にある風景写真であろうと、それが文字を感じるのであればタイポグラフィと呼んでいい。<br />文字の気配がすればそれはもうタイポグラフィである。」</p>
<p>これはもうメタフィジカルな文字表現至上主義といってもいいんじゃないだろうか。</p>
<p>「タイポグラフィ」というものへのモノサシがないので、作品の評価なんてとてもできないけれど、<br />インタビューで彼が言っている</p>
<p>「大事なのは『気持いいこと』を実現していくことなわけだから、例えばベジタリアンでもまずい食事を<br />我慢しているならエコじゃないんじゃないか。某大手自動車メーカーがエコを前面に出していますが、<br />本当の意味でエコを実践しているのは、フェラーリなんじゃないか、とか。なぜなら、フェラーリは捨て<br />られない車を作っているわけで、ゴミにならない。大量生産・大量消費のエコカーが本当にエコロジー<br />といえるのかって。」</p>
<p>という考えには大同意。</p>
<p>とにかくデザイナーの要諦は、まずゴミを造らないということでしょう。<br />ゴミのようなデザインのなんと多いことか。</p>
<p>坂本龍一のCDジャケット、ISSEY MIYAKEの広告、shu uemuraのパッケージなどはこの人の作品。<br />ジャケットデザインが原点だと彼はいっている。</p>
<p>けっこうROCKな人かも知れません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>■　やきもの談義&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;白洲正子／加藤唐九郎　　　　駸々堂　　　１9761020　初版</strong></p>
<p>言いたい放題だよ、<br />"窯ぐれ" 唐九郎（79才）と"韋駄天お正"こと白洲正子（66才）の対談。</p>
<p>「日本人の好み」「信長の魅力」「中国文化の影響」「芸術と恋愛」など、やきものだけでなく古今<br />東西の美をめぐるダイアローグで、さすがにお二人とも確固たる美意識をもっていらっしゃったことは<br />よくわかりますが、造る人と見立てる人の違いが最後のところではっきりと浮かび上がってくるのが<br />この対談のもっとも興味深いところでしょう。</p>
<p>唐九郎さんが、青山二郎のことを仁清のやきものみたいだと喝破しているのは痛快。</p>
<p>でもまあ年寄りは無敵だな。<br />こういうのを読むと早く年寄り（それも嫌われる年寄り）になりたくなってしまうんだ。</p>
<p><br /><strong>■　人間人形時代　　　　稲垣足穂　松岡正剛／杉浦康平　　工作舎　　　　19750101　初版</strong></p>
<p>足穂の作品集というよりは、松岡／杉浦作品ととらえるべきか。</p>
<p>稲垣足穂という稀有な文学素材、1975年発行の本に1975円という値段、杉浦康平による造本、<br />本の真ん中に穿たれたTarupholeという7mmの孔（マルコヴィッチの穴みたいだ）、執筆年もテーマ<br />も違う文章による3部構成。<br />スーパーエディターを自称するSeigow氏の、おそらく快心の一作ではないかと思いますが、70年代<br />という時代背景はあるにせよ、too much intention の感は否めません。</p>
<p>あからさまな作為は編集の敵ではないのか。<br />エディターのコアは、「やりすぎない」ことではないのか。</p>
<p>This production design&nbsp; is not hip.</p>
<p>もちろん足穂翁の作品は文句なし、<br />とくに幻といわれていた初期作品の「宇宙論入門」が読めるのは素晴らしいのですが。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>■　横尾忠則日記　一米七〇糎のブルース　　　横尾忠則　　　新書館　　　19691215　初版</strong></p>
<p>また買ってしまった横尾本、でもコイツはちょっとスゴイぞ。</p>
<p>「横尾忠則遺作集」という粟津潔編集の作品集を除けば、これが横尾さんの処女文集なのだ。</p>
<p>寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」なんかと共通するこの時期のポップな横尾デザイン。</p>
<p>1962/10/25から1969/11/05までの日記／エッセイ群は、60年代のクロニクルといってもいいでしょう。<br />横尾さんのアートの原点がここにあります（じつは今もあんまり変わってないように思うけど）。</p>
<p>「今、私がいちばん欲しいものは二糎米である。<br />あと二糎米で私の身長は一米七〇糎になる。<br />もし私の身長が一米七〇糎あったなら、私はどんなに大きな自信をもつことができたか知れない。<br />この本に集められた過去数年のエッセイは、すべて私の願望を表したものばかりである。」</p>
<p>期せずして1969年、初版・検印付きです。</p>
<p><br />*</p>
<p><br /><a href="http://www.kotobanoie.com/book/listmusic2.html">"読む音楽も面白い"のブックリスト</a></p>
<p><a href="http://www.kotobanoie.com/book/listmusic2.html"><br /></a>&nbsp;</p>]]></description>
            <link>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/12/better-than-i-thought.html</link>
            <guid>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/12/better-than-i-thought.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">a day in life</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 10 Dec 2008 09:46:54 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>searching for an answer</title>
            <description><![CDATA[<form class="mt-enclosure mt-enclosure-image" mt:asset-id="150"><img class="mt-image-center" style="DISPLAY: block; MARGIN: 0px auto 20px; TEXT-ALIGN: center" height="402" alt="yellowleaf.JPG" src="http://www.kotobanoie.com/blog/yellowleaf.JPG" width="700" /></form>
<style type="text/css">
   body { line-height: 180%; }
</style>

<p><br />とある美容室の本棚をつくらせてもらうことになった。</p>
<p><br />髪を切るというより、「少年マガジン」を読むためにいってた近所の散髪屋。<br />カットをしてもらうとき絶妙のタイミングで手渡されるパーマ屋さんの「女性自身」。</p>
<p>どちらも散髪のときのシーンとして心の中には残っていて、それはそれでなかなか捨てがたい情景<br />のような気はするけれど、その場にもっとちゃんとしたライブラリイがあっても楽しいんじゃないかと、<br />このブックショップをはじめたときからずっと思ってた。</p>
<p>一年前の「<a href="http://www.kotobanoie.com/blog/2007/12/unexpectedly-a-serious.html">unexpectedly a serious</a>（けっこう真面目に）」というエントリーでこんなことを書いている。</p>
<p>「そこに書かれている内容だけじゃなく、ブックデザインや組み合わせも含めたセレクションで、<br />そこに在ること自体がそのスペースやそのショップやその人の表現となるような本棚をデザインすること。</p>
<p>たとえば素敵なライブラリーのあるリゾートホテル、週刊誌や新聞だけじゃない歯医者さん、美しい装丁<br />の写真集が並んでいるブティック、エバーグリーンな随筆の置いてある輸入車ディーラー、付加価値や<br />差別化がマーケティングのキーワードとなっている時代に、本というものが（単にディスプレイとしてだけ<br />じゃなく）、そのひとつのマティリアルになることがあったっていいんじゃないだろうか。」</p>
<p>ホント、けっこう真面目にそんなことをずっと考えていて、この一年の間に、たとえばブックディレクター<br />なんていう人が<a href="http://www.mbs.jp/jounetsu/2008/10_19.shtml">TVで紹介</a>されたり（ちょっと悔しいけど）、また実際に「旅に持っていく本」のセレクション<br />をさせていただいたり、なんとなくひとつのラインが見えてきたような感じがしていた矢先の依頼だった。<br /><br />1200mmの3段、100冊ほどのセレクション、もちろん古本ばかりだ。</p>
<p>まず考えたのは、あまりマーケティングせずにおこうということだ。</p>
<p>最大限の効果を上げるために、そこにくるお客さんの年齢層や傾向を分析して、そういう人たちの関心の<br />高い分野にしぼりこんで展開するというのがプロモーションの基本だけれど、それでは教科書的すぎて<br />あまり面白くないし、だいいちふつうにある街の美容室にくるお客さんのための本なんて、コトバノイエの<br />ブックリストにあるかどうかもわからない。</p>
<p>かといってスペースが限られていて、ディスプレイ（背表紙だけじゃ図書館みたいだからやっぱり何冊かは<br />表を向けて並べたい）のことも考えると、あまり総花的なセレクションだと全体がボヤけてしまいそうだし。</p>
<p>まず小説ははずそう、<br />シチュエーションから考えると、どこから読み始めてどこで終わってもいいものというのがひとつのモノサシ<br />になりそうだから、物語は不向きだ。</p>
<p>大きくて重い本もちょっと。<br />家庭画報でさえ少し重く感じるみたいだから、大型のハードカバーや横長の写真集なんかはよくないだろう。<br /><br />ウダウダとこんなことを考えているうちに、とにかくふだんあまり馴染みのない本を手に取ることで、<br />ちょっとした非日常みたいなものを感じてもらえることができたら、それでいいんじゃないかと腹を括った、<br />あれやこれや頭の中で考えていてもしかたない、選ぶ本が表現なんだから。<br /><br />写真集・画集／詩集／旅の本／大人の絵本／上質のエッセイ／個性的な雑誌<br /><br />そんな風にして、この六つのセグメントができた。<br />そして選んだ本はこんな感じ。<br /><br /><strong>book list&nbsp;for Hair Salon Smile Seed&nbsp; （ extract )</strong></p>
<p>■　Hockney in California　　　　David Hockney　　　アートアート・ライフ編</p>
<p>■　波の絵、波の話　　　　稲越功一・村上春樹　　　文藝春秋</p>
<p>■　PUPPIES　　　WILLIAM WEGMAN　　　HYPERION&nbsp;&nbsp; </p>
<p>■　空に書く　　　　ジョン・レノン　　　筑摩書房</p>
<p>■　手紙　　　　谷川 俊太郎　　　集英社</p>
<p>■　やきものを買う旅　　　婦人画報社</p>
<p>■　近江路散歩　　　　司馬遼太郎ほか　　　新潮社</p>
<p>■　白州正子と楽しむ旅　　　　白州正子　　　新潮社</p>
<p>■　風の又三郎　　　　　宮澤賢治　　　羽田書店</p>
<p>■　哲学のえほん　　　植村光雄　　　PHP研究所</p>
<p>■　森の絵本　　　　長田弘　　　講談社</p>
<p>■　暮しの愉しみ　　　　向田邦子　　　新潮社</p>
<p>■　庭仕事の愉しみ　　　　ヘルマン・ヘッセ　　　草思社</p>
<p>■　ねこに未来はない　　　　長田弘　　　晶文社</p>
<p>■　ポートレイト・イン・ジャズ　　　　村上春樹／和田誠　　　新潮社</p>
<p>■　散歩のとき何か食べたくなって　　　　池波正太郎　　　平凡社</p>
<p>■　和楽　2001/11月号　　　　小学館</p>
<p>■　Arne　2006-9-15/No.17　　　　イオグラフィック</p>
<p>■　wallpaper&nbsp; december 1999　　　　a Time Warner Company</p>
<p>■　庭と花の手帖　2000年版　　　　暮しの手帖社</p>
<p><br />こんな本が美容室のウェイティング・スペースに置いてあったらちょっと楽しいと思うんだけど。</p>
<p><br />本の入れ替えを月単位でやっていくことになっている。<br />何回かやっているうちに、なにかもう少しはっきりしたものが、見えてくるんじゃないかと思う。</p>
<p>なんにしても、<a href="http://www.kotobanoie.com/blog/2008/07/it-will-take-for-a-while.html">it will take for a while</a>（10年早い）と思っていたことのひとつが実現したのはとてもウレシイ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>本買記ならぬ本選記の顛末、いろいろと難しい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://www.kotobanoie.com/blog/2008/07/it-will-take-for-a-while.html"></a>&nbsp;</p>]]></description>
            <link>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/11/searching-for-an-answer.html</link>
            <guid>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/11/searching-for-an-answer.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">books</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">kotobanoie</category>
            
            
            <pubDate>Sun, 30 Nov 2008 18:06:08 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>everything reminds you of something</title>
            <description><![CDATA[<form class="mt-enclosure mt-enclosure-image" mt:asset-id="149"><img class="mt-image-center" style="DISPLAY: block; MARGIN: 0px auto 20px; TEXT-ALIGN: center" height="402" alt="purple.JPG" src="http://www.kotobanoie.com/blog/purple.JPG" width="700" /></form>
<style type="text/css">
   body { line-height: 180%; }
</style>

<p><br />小説を読みたいと思った。<br /><br />年齢のあまり違わない知己の唐突な死や、ステージ4/余命2年と宣告されたという遠縁のことが重なり、<br />目の前の「死」というものにたいして、たとえば余命を宣告されたその人になにか本を届けようと考えたとき、<br />それは決して闘病記のようなノンフィクショ ンではなく、小説、それも時代を超えて読みつがれてきた<br />古典といわれる作品じゃないかと思ったからだ。</p>
<p>リアルな死を前にすると、ひょっとしたら「祈り」ってやつが唯一の救いなのかもしれないけれど、<br />「阿弥陀仏」や「Amen」ではなく、クラシックとよばれている文学作品（＝本）や音楽や絵画といった、<br />人が表現したものの中にこそ、生きることをポジティブに感じさせるパワーがあると、信じたい。</p>
<p>とはいうものの、あらためてそれが何なんだと考えると、正直なところよくわからない。</p>
<p>わからないままに本棚をさまよい、このタイトルにいきあたった。</p>
<p><br /><strong>■　何を見ても何かを思い出す　　　アーネスト・ヘミングウェイ 　　　新潮社　19930910　1刷</strong></p>
<p><strong>―　I guess everything reminds you of something<br /><br /></strong>それはほんの10分足らずで読みきれるスケッチのような掌編で、息子の小さな裏切りのエピソードを<br />シンプルな文体で綴ったモノローグだけれど、ひとの心のなかに否応なしに去来する空白（void）を<br />過不足なく、しかも繊細に描ききっていて、上質の文学だけがもっている抽象力があった。</p>
<p>一読するとそれは苦い記憶の物語のように思えるけれど、読み終えてしばらくたつと、<br />ヘミングウェイが巧妙に、愛するものの不在（＝死）というテーマを潜ませていることに気づく。<br /><br /><strong>remind = re-mind</strong></p>
<p>思い出させるこころ。<br />すべてのものがあなたに何かを思い起こさせる。</p>
<p>こうやって書きながら気づいたことだけど、死とは「ここにいない」ということだ。</p>
<p>あたりまえのように在ったものがある日突然どこかに消えてしまったとき、<br />遺されたすべてのものが、何かを思い起こさせる。</p>
<p>残されたものは、遺されたものによって、あなたが「ここにいない」ことに気づく。<br /><br />そう考えると「ここにいない」ことは、それほど淋しいことじゃないのかもしれない。</p>
<p>if something of me reminds you of something once in a while,<br /><br />それが旅であろうと、死であろうと</p>
<p><br /><strong>Memento mori</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>*</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>■　Abstract Reality　　　　デニス・ホッパー　　　光琳社出版　　19980903　初版</strong></p>
<p>デニス・ホッパーが写真集をだしてるなんて知らなかった。</p>
<p>「抽象的現実」、立体を映しているのに絵画のように平面的な写真たち。</p>
<p>Nikon28mmによる見立て。</p>
<p>まるで抽象画のような60葉の写真を、ホッパーは「禅のタブレット」といっている。<br />サービス精神の旺盛な役者のことだから、それはおそらく日本版に向けたメッセージだろうけれど、<br />静謐ともいえるその画像には、表現者としての自信のようなものが見てとれる。</p>
<p>撮ることも撮られることも同じアートなんだよ、なんて嘯いていそうだ。</p>
<p>できれば実物のその「tablet」を、オリジナルサイズの 14 x 9 inches で見てみたい。<br /><br />多才。</p>
<p><br /><strong>■　半眼訥訥　　　　高村薫　　　文藝春秋　　　20000230　第1刷</strong></p>
<p>笑わない人高村薫初のコラム集。<br />まだぜんぶ読んだわけじゃないけれど、目次を眺めているだけでちょっとウレシくなった。</p>
<p>文庫化にあたっての大改稿の秘密。<br />「家のつぶやき」というタイトルで一章を割かれた住宅論。<br />わたくしのなかの大阪と題する大阪弁論。<br />ルポルタージュ、そしてブラームスについて語ったエッセイ。</p>
<p>小説という緊張感のある舞台からこぼれ落ちた高村さんの「素」が垣間見えそうで。</p>
<p>読めば止まらなくなる、たぶん。<br /><br />硬派。</p>
<p><br /><strong>■　輝く日の宮　　　　丸谷才一　　　講談社　　　20030610　第1刷</strong></p>
<p>日本語の人の日本小説、2003年の朝日賞・泉鏡花賞受賞作。</p>
<p>「輝く日の宮」というのは、源氏物語の「桐壺」と「帚木」の間の失われた幻の一帖だそうです。</p>
<p>この本では女性国文学者を狂言まわしにして、源氏物語はもちろん、古今集、芭蕉、武蔵、学会など<br />日本文学や日本にまつわる様々な考察があり、あげく最後の章ではこの幻の一帖を自らが書き加えて<br />しまうところまで白熱、また、この本の7章のすべてを異なる形式、文体で描くという超絶技巧も見どころ<br />（読みどころ）のひとつでしょう。</p>
<p>エッセイであれ書評であれ小説であれ、よく推敲されたこの人の語り口には、成熟した大人の味わい<br />のようなものを感じます。</p>
<p>やはり文体こそが文章家の命なのかな。</p>
<p>軽みのあるエッセイが、個人的には好みです。<br /><br />円熟。</p>
<p><br /><strong>■　傷みのシャンデリア　　　　</strong><a href="http://www.yayoi-kusama.jp/j/information/index.html"><strong>草間彌生</strong></a><strong>　　　ペヨトル工房　　　19890110　初版</strong>　</p>
<p>79才現役、75才のヨーコ・オノとはきっと仲が良くないだろう。</p>
<p>貌はひたすらこわい、岡本太郎クラスの眼力。</p>
<p>実際の作品は直島の黄色い水玉カボチャ「南瓜」くらいしか観たことはありませんが、その印象は鮮烈。<br />モチーフによく使われる網の目や水玉の集合は、子供の頃から日常的に見えるものだったということ<br />ですから、なにか違うものが視えている異形の人としかいいようがありません。</p>
<p>「赤や緑や黄の水玉模様は地球のマルでも太陽のマルでも月のマルでもいい。形式や意味づけは<br />どうでもいいのである。人体に水玉模様をえがくことによって、その人は自己を消滅し、宇宙の自然に<br />かえるのだ。」</p>
<p>ペヨーテが由来というインディ出版社から発刊されたこの小説、気配からするとSMをモチーフにした<br />pornographic なラブ・ストーリー、「昔、ボニー＆クライド。いま、ギンコ＆トミー」なんていう<br />いかにも80年代的なコピーが帯にありますが、もちろんご本人や小説の内容とは関係ありません。<br /><br />異才。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>*</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>最近追加した<a href="http://kotobanoie.com/book/listjapan-new.html">日本美</a>と<a href="http://kotobanoie.com/book/listarchitecture-new.html">建築</a>のブックリスト</p>
<p><br /><br />&nbsp;</p>]]></description>
            <link>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/11/everything-reminds-you-of-some.html</link>
            <guid>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/11/everything-reminds-you-of-some.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">a day in life</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">books</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 22 Nov 2008 21:29:45 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>play it fuckin&apos; loud !</title>
            <description><![CDATA[<form class="mt-enclosure mt-enclosure-image" mt:asset-id="148"><img class="mt-image-center" style="DISPLAY: block; MARGIN: 0px auto 20px; TEXT-ALIGN: center" height="416" alt="cow2.JPG" src="http://www.kotobanoie.com/blog/cow2.JPG" width="700" /></form>
<style type="text/css">
   body { line-height: 180%; }
</style>

<p><br />承前</p>
<p>60's が続く。</p>
<p>ことさらこだわっているわけじゃないし、40年も前のことをウダウダ考えるつもりはないけれど、<br />「69」のことを書いている最中にボブ・ディランの刺激的な映画（NHKBSの再放送）を観てしまった。<br />流れというのは不思議なもので、始めてしまうと続けさまにコトが起こる。</p>
<p>この映像を見るとディランを抜きにして60'sのカウンター・カルチャーは語れないんだと、あらためて感じ入る。<br /><br /><strong>■　</strong><a href="http://www.apple.com/hotnews/articles/2005/08/no_direction_home/"><strong>No Direction Home</strong></a><strong>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; Bob Dylan / Martin Scorsese&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; <br /><br /></strong>2005年のマーティン・スコセッシの作品。<br />（もともとは Apple の提供で制作されたTVスペシャル、一番見たかったのはもちろん Jobs だろう）<br />昨年やっとオスカーを手にしたスコセッシは、「映画オタク（by 小林信彦）」であると同時にかなりの<br />ロック好きとしても有名な監督で、この映画のあとには、ローリング・ストーンズの 「<a href="http://www.rrm.co.jp/gs/Shine-A-Light-Pre.htm">Shine a Light </a>」<br />も撮っているし、旧くはザ・バンドの「<a href="http://jp.youtube.com/watch?v=nTWWvSvps_k">The Last Waltz </a>(1978)」 も彼の作品だ。</p>
<p>そういえば「The Last Waltz 」も、この作品と同じように一見モノローグにも思えるような本人への<br />インタヴューを交えながらコンサートの映像やエピソードを挿入していくという手法だった。<br /><br />この208分にもわたる長編はインターミッションをはさんだ2部構成で、前半はミネソタの音楽小僧だった<br />ロバート・ジンマーマンがどのようにボブ・ディランになったかということが、ディランにまつわる様々な<br />人たちへのインタビューに未発表のライブ映像を交えて克明に記され、後半ではフォークの王子様にまつり<br />あげられたディランが、どのようにグレて、ラジカルなロッカーに変身していったかということを、<br />英国ツアーの映像をコアに撮られている。</p>
<p>今まで定説とされてきたことがひっくり返るような面白いエピソードもいっぱいあるけれど、なんといっても<br />圧巻はエンディングの英国ツアー Newcastle (5/21/1966) での「 <a href="http://jp.youtube.com/watch?v=bqUFHEyu5hM">Like a Rolling Stone </a>」だろう。<br /><br />まさかこのコンサートの映像を見られるとは思わなかった。</p>
<p>ずいぶん昔から「 Royal Albert Hall 」というブートレグとして伝説にもなっていたパフォーマンスで、<br />テレキャスターをかかえたディランが「ユダ！（judas）」と野次をとばす観客に、「お前のいうことなんて<br />信じないよ（ I don't believe you） 」「 嘘つき野郎（You're lier） 」と毒づき、バックバンド（ The Band だ）<br />のほうに振り返って「でっかくいこうぜ！（ Play it fuckin' loud）」と声をかけてその曲をスタートする<br />シーンには思わず鳥肌が立つ。<br /><br />ROCKの原形。<br /><br />NO DIRECTION HOME というメッセージは胸にしみる。</p>
<p>How does it feel&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 　　　　&nbsp;&nbsp; どんな感じだい<br />How does it feel　　&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; どんな感じなんだい<br />To be on your own&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 独りぼっちになるのは<br />With no direction home　　　帰るすべもなく、<br />Like a complete unknown　　見知らぬひとのように<br />Like a rolling stone ?　　　　&nbsp; 転がる石のように<br /><br />アーティストであることの孤独と恍惚。</p>
<p>自分自身に立ち返れば人には帰る家などないし、<br />帰るところよりも行く先をもとめて歩きつづけることがアーティストの旅なんだろう。</p>
<p>それにしても、<br />前年1965年の英国ツアーのドキュメンタリー「<a href="http://jp.youtube.com/watch?v=PedxiosPF8U">Don't Look Back</a>」の野放図で傍若無人な明るさと比べると、<br />たった1年しか経っていないこのツアーの緊張感。</p>
<p>1965年のツアーがマリファナ的だとしたら、このツアーはLSDのようだ。</p>
<p>このツアーのすぐあとに、彼はトライアンフで事故を起こし、ウッドストックで2年間の隠遁生活をおくることになる。<br />でももし事故を起こしてなかったら、ジャニスやヘンドリクスのようにそのまま逝ってしまったんじゃないだろうか。<br />そう思えるほどに凝縮された輝きと憔悴が、この映像に刻まれている。<br /><br />このあとの42年が彼にもたらされたことを心から寿ぐ、生き残ることはひとつの価値だから。<br /><br />「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、<br />久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。（ 方丈記 in 1212 ）」</p>
<p><br />BGM ： " I Shall Be Released "&nbsp;&nbsp; by Bob Dylan&nbsp;&nbsp;&nbsp; Greatest Hits 2 version</p>
<p><br />*</p>
<p><br /><strong>■　幸福號出帆　　　　三島由紀夫　　　　桃源社　　　 19640925　初版</strong></p>
<p>この小説のことはよく知らなかったけれど、三島由紀夫の初版本それも著者印付を逃す手はない。<br />調べてみると初出は昭和30年の新聞連載で、この桃源社版の前にいちど新潮社から出版されているようだ</p>
<p>渋い紫色の地にシルバーの箔押しがとてもキレイな函、白地のクロスに金箔のタイトルが押された本。<br />この体裁がそのまま三島由紀夫といってもいいかもしれない。</p>
<p>オレンジの背表紙の新潮文庫で集中的に読んだ時期があった。<br />とにかくどんな作品でもきっちりと読ませてくれるので、読み始めると必ずハマってしまうんだけれど、<br />虚構性という か造りもの感が強すぎて、硬い話も柔らかい話もそのうちただの「ものがたり」としか<br />感じなくなってしまうのが、ちょっとツライ。<br />この人のリアルは、どこにあるんだろうと思ってしまうのだ。</p>
<p>本としての価値は充分。</p>
<p><br /><strong>■　MAKING CHOICES　　　 MoMA/Thomas &amp;Hudson　　　20000316</strong></p>
<p>MoMA on line の SALE で入手。</p>
<p>MoMA で2000年3月から9月まで顔際された「MOMA2000」と名付けられた企画展の図録と思われる。<br />図録といっても大型のハードカバーで、定価9000円のこの本が、いくらSALEとはいえ○○○○円とは、<br />破格としか言いようがありません。</p>
<p>1929年、1939年、1948年、1955年というアートシーンにとって節目の年の、絵画・写真・映画・<br />ポスター・建築 （模型）・プロダクトなどいかにもMoMAらしいコレクションが、カラー図版で掲載されている。</p>
<p>NEW YORK に行きたい、とても。</p>
<p><br /><strong>■　アンリ・カルティエ＝ブレッソン自選コレクション　　大阪芸術大学　　　20060310　第1刷</strong></p>
<p>大阪芸術大学には世界に4セットしかないブレッソン自選の写真コレクションが所蔵されているらしい。<br />そしてこの本にはそのすべてが掲載されている、つまりこれって究極のブレッソン本じゃないのか。</p>
<p>こういうことを買ってから知るのはすごく気分がいい、印刷もいいし。</p>
<p>ブレッソンの「決定的瞬間」の構成力の凄さについては、俵屋（京都芸大）のアーネスト・サトウさんが、<br />芸術新潮で見事に解説していた（実際は弟子であった森村泰昌の代演だったけれど）のを覚えている。</p>
<p>希代のライカ使いブレッソン自身が選りすぐったこのモノクロ411点の作品は、ひとことでいうと、<br />マチスやピカソやジャコメッティやコルビュジェやモンドリアンと同じ「モダニズムの美」だ。</p>
<p>同時代の精神というのが、やはりあるように思う。</p>
<p><br /><strong>■　陶芸の伝統技法　　　　大西政太郎　　　理工学社　　　19780605 第1刷</strong></p>
<p>趣味にせよ仕事にせよ、この本はやきものづくりを志す人にとって教科書のような存在だ。</p>
<p>陶芸の手法や技法に関しては流儀のようなものがあって、この人は京都流。<br />もちろん名古屋や九州方面の手法もちゃんと紹介されているけれど、道具にローカリティがあるのはしかたない。</p>
<p>どんな種目でもそうだけれど、先生につかず独学でやっているものにとって、こういう基本的なところを、<br />きちんと生真面目に示してくれる参考書の存在は無類にありがたい。</p>
<p>旧い本だけれど、焼きものの世界のスタンダードはそれほど変化しているわけではなく。<br />普通にやるならこれ一冊で充分の充実度、深まれば同著の「陶芸の釉薬」があります。</p>
<p>それにしても専門書はやっぱり高いな。</p>
<p><br />*</p>
<p><br /><a href="http://www.kotobanoie.com/book/listmusic-new.html">読む音楽のブックリスト</a></p>
<p><br />&nbsp;</p>]]></description>
            <link>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/11/play-it-fuckin-loud.html</link>
            <guid>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/11/play-it-fuckin-loud.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">hip</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">music</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 10 Nov 2008 00:05:49 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>nothing left to lose</title>
            <description><![CDATA[<form class="mt-enclosure mt-enclosure-image" mt:asset-id="147"><img class="mt-image-center" style="DISPLAY: block; MARGIN: 0px auto 20px; TEXT-ALIGN: center" height="417" alt="jump.JPG" src="http://www.kotobanoie.com/blog/jump.JPG" width="700" /></form>
<style type="text/css">
   body { line-height: 180%; }
</style>

<p><br />―　in the year 1969<br /><br />「アダマは、1960年代の終わりに充ちていたある何かを信じていて、その何かに忠実だったのである。その何かを説明するのは難しい。その何かは僕達を自由にする。単一の価値観に縛られることから僕達を自由にするのだ。」<br /><br />これがその時代に流れていた空気感。<br /><br /><strong>■　69 sixty nine &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;村上龍　　　集英社文庫　　　 20030607 第29刷<br /><br /></strong>村上龍で「69」だからアッチのことじゃないかと思ってしまうが、そうではなく、1969年の地方都市（佐世保）を舞台に、著者の分身である受験をひかえた高校3年生が巻き起こす「闘争と祭り」を綴ったグラフィティ、自らが「こんなに楽しい小説を書くことはこの先もうないだろうと思いながら書いた」と述べているようなポップ感にあふれた作品で、2004年には宮藤官九郎の脚本で映画にもなっている。<br /><br />1969年は、20世紀の折れ目だ。</p>
<p>その時にいくつだったかで、その後の way of life が天と地ほど違うだろう。<br /><br />その年、<br />人類がはじめて月の海に足跡を残した、<br />安田講堂が落城し、東大には入学生が一人もいなかった、<br />ニューヨーク州ウッドストック、Max Yasgur さんの農場で40万人のLove &amp; peace、<br />コカインで大金をせしめ、マルディ・グラ目指したイージー・ライダーは、南部の百姓に撃たれた、<br />ブッチとサンダンスのストップモーション、<br />すぎかきすらのはっぱふみふみ、<br />街の灯りがとてもキレイねヨコハマ、時には母のない子のようにだまって海をみつめていたい。<br />ビートルズ最後のコンサートは、アップルの屋上だった、<br />John &amp; Yoko はジブラルタルで結婚式を挙げ、アムステルダムで Bed-In 、<br />ストーンズでもっとも HIPだったブライアンの溺死、<br />オルタモントのフリーコンサートでは、Hells Angelsに黒人の若者が撲殺された、<br />ロングアイランドのケミカル・バンクに人類史上初めてのATMが設置された、<br />ジャック・ケルアックは飲んだくれて肝硬変で死んだ、享年47、<br />ニクソンと佐藤栄作が沖縄非核返還に同意、72年には沖縄が日本になった、<br />HIV エイズウイルス( &nbsp;imported from Haiti )がアメリカで初めて報告された、<br />武豊誕生、「武邦彦の息子ではなく、父のことを『武豊の父』と言わせてみせます」、<br />森高千里も同い年、<br />バウハウスの創立者グロピウスが亡命先のアメリカで亡くなった、<br />新宿西口広場でフォークゲリラたちが「友よ、夜明け前の」と唄った、<br />バイク事故での休養の後ナッシュビルでカントリーアルバムを録音したボブ・ディラン、<br />ナナハン・パルコ・ヤングＯｈ！！Ｏｈ！！、<br />広域重要指定108号事件の犯人永山則夫が逮捕され「無知の涙」を流す<br />コンピュータ・ネットワークの最初の通信がUCLAとスタンフォード研究所の間で交換された、<br />インターネットの初めてのメッセージは「log win」、<br />Led Zeppelin 登場、<br />3月30日、パリの朝、フランシーヌ・ルコントは自らの身体に火を放った、<br />全裸ミュージカル 「Hair」 on Broadway 、</p>
<p>まるでジェットコースターのような1年、何かが終わり、何かが始まった。<br /><br />どんな感じなんだろう、これだけのことが同時に起こった年に17才でいるのは。</p>
<p>そのとき高校生だった彼はフェスティバルに熱狂し、その余韻はおそらく30年後の今も身体の奥底に残っているだろう。<br />そのときその熱狂をうらやましく見ていた中学生は、そのうらやましさをずっと引きずっている。<br /><br />アダマが信じていた「何か」とは、ひとことでいえば「ROCK」だ。<br />1969年、ROCK は、単に音楽のジャンルではなく、atttude （個人が世界に立ち向かうときの姿勢）そのものだった。</p>
<p>そのことを、<a href="http://jp.youtube.com/watch?v=WISX2oSExIA">Janis Joplin </a>&nbsp;はこう歌ったんだ。</p>
<p><strong>freedom is just another word for nothing left to lose</strong>.</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>造反有理<br /><br /></strong><br />*<br /><br /><br />建築の本によく巡りあって住宅三昧。</p>
<p>探しているときはなかなか見つからないけれど、ぶらぶら歩いていると集まってくる。</p>
<p>そんなもんだ。<strong></strong></p>
<p><span class="Apple-style-span" style="FONT-WEIGHT: bold"><br /></span></p>
<p><strong>■　住吉の長屋／安藤忠雄　　　千葉学　　東京書籍　　　20080908　第1刷</strong></p>
<p>「サヴォア邸」「イームズ自邸」に続くヘヴンリーハウスシリーズ第3弾、あらためて原点の「住吉の長屋」。</p>
<p>著者である千葉学さんが、安藤さんといっしょにはじめてこの「住吉の長屋」を訪れて、「空間が想像していたよりも遥かに小さくて、実に心地いいスケールだった」と感じ、その理由を2階のブリッジの手すりが、1100mmではなく700mmだったことで写真を読み間違えていたからじゃないかと推測しているのは、いかにも建築家らしい観察。</p>
<p>プロの人たちにとっては、実施図面（青焼き）が掲載されていることがひとつの価値でしょう。</p>
<p>あえて古典ともいえる住宅を訪ねるこのシリーズは、人選や構成も的確で、確かな編集力を感じます。<strong></strong></p>
<p><span class="Apple-style-span" style="FONT-WEIGHT: bold"><br /></span></p>
<p><strong>■　建築と植物　　　五十嵐太郎編　　INAX出版<span class="Apple-tab-span" style="WHITE-SPACE: pre"> </span>　20081010　初版第1刷</strong><span class="Apple-tab-span" style="WHITE-SPACE: pre"> </span></p>
<p><span class="Apple-tab-span" style="WHITE-SPACE: pre"></span>鈴木一誌のブックデザインがなかなか。</p>
<p>単純に庭の本かと思っていたら、けっこう奥が深い。<br />確かに植物を広義に解釈すれば、素材であり、デザインであり、構造であり、すべてが建築と密接につながっている。</p>
<p>他者としての植物<br />建築の外部としての庭園<br />温室という建築的な装置<br />自然現象としての建築<br />アルゴリズムの可能性<br />博覧会の起源と始まりの建築<br />曖昧な空間のランドスケープ</p>
<p>技巧派（簡単なことをより難しく）の論客、五十嵐太郎さんの面目躍如の一冊。<strong></strong></p>
<p><span class="Apple-style-span" style="FONT-WEIGHT: bold"><br /></span></p>
<p><strong>■　住宅の手触り　　　松井晴子　　扶桑社　　20071120　初版第1刷</strong></p>
<p>「建築家が建てた幸福な家」の編集者松井さんの最新作。</p>
<p>中村好文さんの言葉「住まいへの愛着は手触りから生まれる」に触発された「手触り」というキーワードは、松井さんの住宅というものへの視点を見事に表していて、建築家と住宅と住み手の幸福な関係をうまく伝えてくれています。</p>
<p>批評というより取材。<br />こういう編集者がいなければ、建築家と建築家に家を建ててもらいたいという人が、つながれません。<strong></strong></p>
<p><span class="Apple-style-span" style="FONT-WEIGHT: bold"><br /></span></p>
<p><strong>■　住宅という場所で　　　　ギャラリー間編　　TOTO出版　　20021210　初版第1刷</strong></p>
<p>2000年に催された宮脇檀の展覧会に併せて行われたシンポジウムと「空間術講座09」という連続講演会をもとに、上記松井さんのご主人である植田実さんが中心となって編まれた一冊。</p>
<p>植田さんと原広司、隈研吾、青木淳各氏との対談、中村好文さんの「住宅巡礼」講演、妹島和代さんへのインタビューなどが掲載されています。</p>
<p>帯にある「住宅は建築の主戦場か」というコピーは、なかなか複雑なものを示唆しているんじゃないかという気がします。</p>
<p><br />*<br /><br />最近追加した　<a href="http://www.kotobanoie.com/book/listart-new.html">アート</a>　と　<a href="http://www.kotobanoie.com/book/listdesign-new.html">デザイン</a>　のブックリスト<span class="Apple-tab-span" style="WHITE-SPACE: pre"><br /><br /><br />&nbsp;</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>]]></description>
            <link>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/10/nothing-left-to-lose.html</link>
            <guid>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/10/nothing-left-to-lose.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">hip</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 31 Oct 2008 02:52:20 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>shuffle your shuffle</title>
            <description><![CDATA[<form class="mt-enclosure mt-enclosure-image" mt:asset-id="146"><img class="mt-image-center" style="DISPLAY: block; MARGIN: 0px auto 20px; TEXT-ALIGN: center" height="414" alt="flower7.JPG" src="http://www.kotobanoie.com/blog/flower7.JPG" width="700" /></form>
<style type="text/css">
   body { line-height: 180%; }
</style>

<p><br /> Mac Book に向かっているときは、 iTune で音楽を聴くことが多い。 <br /><br />新しくはじまった「genius」というリコメンド・サービスも面白いけれど、以前からあった「party shuffle 」という機能を、最近とても気に入っている。 </p>
<p>音源をライブラリに入れたのは自分自身なのに、ぜんぜん覚えのない曲が流れてくることがあって、これなんだったかなあとリストを見直すこともしばしば。もともと自分のセレクションだから、その中からピックアップされた音が心地よいのはあたりまえなんだけれど、予想外のオーダーで流されると、すごく新鮮に感じてしまうのだ。 </p>
<p>ひとことで言ってしまうと「セレクションの重層」、本棚（ライブラリ）からさらに別の視点でセレクションを重ねる「・・・が選ぶコトバノイエの 30冊」と同じようなコンセプトなんだけれど、それを「shuffle」と名づけて、ネットワーク上で軽々とやってしまうプログラムは、やっぱりちょっとしたもんだと思う。 </p>
<p>もちろん気に入った曲ばかり集めた  favorite tunes や様々なテーマを設定したプレイリストはいくつももっている。 <br />自分が聴く音楽の選曲を他の誰かに任せることなんてありえないし、その曲順だって自分が決めたものがいちばんだと盲目的に信じてきた。 （そのこと自体がちょっと out of date でもあるけど） </p>
<p>でも飽きるんだ、必ず。 <br />いくら自分の大好きな音楽だって、何度も聴きつづけると飽きる。 </p>
<p>考えてみれば、カスタマイズというのは、ある意味とてもナルシスティックな行為で、その濃度の高い自己完結は、やがて袋小路に入りこみ、とにきは破壊というところまでいきつく爆弾でもある。 <br /><br />shuffle の心地良さの理由は、軽い自己放棄ということだろう。 </p>
<p>作らないこと。 </p>
<p>田中小実昌じゃないけれど、「作ること」はやがて疲れる。 <br />すでに最初の大筋（セレクション）は自分で決めているんだから、そこから先はもう少しゆるくいきたい。 </p>
<p>自分が確かと思えるなにかに身を任すことで、おもわぬ快感がおとずれる。 <br />この自立したオートマティズムこそが、究極のクリエイティブかもしれないと思ったりする。 </p>
<p>意図したわけじゃないのに、そのときの風景や心象にフィットする曲がかかるのが、単なる偶然や deja-vu とは思えないのだ。 <br /><br />もうひとつ、shuffle で大きく変化したことがある。 </p>
<p>それは「アルバム」という概念を吹っ飛ばしてしまったことだ。 <br />iTune という新しいメデイアと shuffle という機能（コンセプトといってもいいかもしれない）は、音楽の単位を「一曲」にしてしまった。 </p>
<p>少し前、ポップ・ミュージックにも「アルバム」の時代というのがあった。 </p>
<p>もっとも象徴的なのが、コンセプト・アルバムとかトータル・アルバムとか呼ばれていた一連の作品。 </p>
<p>まずひとつの統一されたコンセプトが設定される。 <br />それはたとえば「Tommy」という三重苦の少年の物語であったり、「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」という架空のバンドのコンサートであったり、「Ziggy Stardust」という火星からやってきたスーパースターのストーリーだったり、あるいは人間の「狂気」というものにまつわる断片だったり。 </p>
<p>そのアルバムに収められるのは単なるよせ集めではなく、そのコンセプトに適った曲だけ。慎重に曲の順番が決められ、アートワークやプロモーションのツールもそのコンセプトに沿ってデザインされる。時にはそれぞれの曲が切れ目なく繋がっていて、それがまたコンセプト・アルバムであることを強調する。 </p>
<p>だから、聴くものはまずアーティストが発信するアルバムのコンセプトを理解しなければならない、もちろん曲の順番を変えることや自分の好きな曲だけを勝手に取り出すことなんて許されないし、できればジャケットや歌詞カードも見ながら聴くべきだ、なにしろアーティストがそういう風に造りあげた「作品」なんだから。 </p>
<p>POPがただ消費されるだけのごみ屑じゃなく、美を含んだものと認知されていたころの話。 </p>
<p>まあこれは極端な例だけれど、ジャケットのデザインも含めた「アルバム」という概念そのものが、多かれ少なかれそういう作品としての側面を持っていて、それが聴く側に一定の制約を与えていたのは疑いようのないことだ。そして、結果的にそうした制作サイドの思い入れを、ウザイとさえ感じてしまようになったのは、明らかにiTune - iPod のひとつの効能だろう。 </p>
<p>インターネットでの音楽配信（ほとんどが曲単位のものだ）は、確実に「アルバム」という形式を破壊し、iTune - iPodは、音楽へのアティチュードを聴き手中心のものへと導いた。 </p>
<p>制作者の意図とはなれたところでこのように音楽が消費されることが、良いことなのか悪いことなのかは正直よくわからないけれど、このJods の一撃によって、リスナーがより手軽に、そして快適に自分が聴く音楽をコントロールできるようになったことは間違いない。 </p>
<p>そして制作者もまた、リスナーのそういったアティチュードの変化を意識せざるを得ないわけで。 <br />近年になってコンピレーションやベスト盤が増加しているのは、おそらくそういったことなんじゃないかと思う。 <br /><br />iTune - iPod って、ひょっとしたら Steve Jobs の最大のビジネスモデルかもしれないと思えてきた。 <br /><br />ちなみに、今かかっている party shuffle のプレイリスト はこんな感じ。 </p>
<p>The Circle Game　　Joni Mitchell <br />Cantaloop　　US3 <br />Love Rescue Me　　U2 <br />Life　　Des'ree <br />Just Like Tom Thumb's Blues　　Neil Young <br />It Ain't No Fun To Me　　Al Green </p>
<p>たいへんけっこうなお手前でございます。 <br /><br />* <br /><br />天神さんの古本市に行った。 </p>
<p>少し前に<a href="http://www.kotobanoie.com/blog/2007/10/the-books-i-bought.html">四天王寺に行ったときの印象</a>もそれほど良いものではなかったし、古書狂いというわけでもないので、露天の古本市には、さほどそそられる感じはないんですが、やはり本のたくさん集まっているところというのは魅力的なわけで、自分自身に「仕入れのついで」などという言い訳をしながら、光に吸い寄せられる虫のように、やっぱりそこへ行ってしまう奴を、とてもいとおしく思います。 </p>
<p>収穫は、ほとんどナシ。 </p>
<p>これもまた、ひとつのもの狂い哉。 </p>
<p><br /><strong>■　微光のなかの宇宙 ― 私の美術観　　　司馬遼太郎　　　中央公論社　　19880610　再版</strong> </p>
<p>なんかいいタイトルだな。 </p>
<p>「美」というものの不思議さや儚さをうまく掴んでいる気がします。 </p>
<p>一連の歴史小説や評論で「国民的作家」といわれる司馬さんですが、美術記者だった時代を振り返った文章も珍しいし、本格的な美術論というのは、あまり見たことがありません。　 <br />同じタイトルで480部・43000円の限定本（中央公論社刊）を出版しているのも、華美を好まない司馬さんとすれば例のないことで、この本にたいする思い入れの深さが表れているような気もします。 </p>
<p>個人的には以前いちど買い逃して悔しい思いをしたことがある本なので、やっとめぐり合えていい気分。 </p>
<p>「物が沈黙のなかで創られる以上、創られてからも、ひたすら見すえられることに堪え、平然と無視される勇気を本来内蔵しているべきものなのである。（裸眼で）」 </p>
<p><br /><strong>■　旅。建築の歩き方　　　槻橋修編　　　　彰国社　　　　　20061230　第一版</strong> </p>
<p>原広司、山本理顕、石山修武、妹島和世、西沢立衛といった人たちへの旅にまつわるインタビュー。 </p>
<p>いわゆる建築のグランド・ツアーの話なんですが、この本だけじゃなく、他の本やネットで建築家の建築巡礼の話を見聞きするたびに、建築家って真面目な人種だなあって思います。 </p>
<p>対象が動かせるものじゃないから、行かなきゃ見れないというのはわかるし、見なきゃわかんないというのもよくわかりますが、だからといって、八十八ヶ所を巡るお遍路のようにサヴォア邸に行かなくてもいいんじゃないかと思ってしまうわけです、宗教じゃないんだから。 </p>
<p>著者は「原スクール」の人のようで、巻頭の原広司さんへのインタビューがいちばん印象的。 <br />ディスクリート、コラージュ、アンリアル、原広司っていう人は言葉を見つけるのがうまい人だなあと思います。 </p>
<p><br /><strong>■　一戔五厘の旗　　　　花森安治　　　　暮しの手帖社　　　19711225　第4刷</strong> </p>
<p>伝説の人。 </p>
<p>「暮しの手帖」の初代編集長（現在はCOW BOOKSの松浦さん）、オカッパ・スカートの奇人が遺した唯一の著作集。 </p>
<p>偏屈こだわりの人らしい造りの本で、あとがきによれば、本体は、写真はグラビア文字は活版、つまり2度刷りという手間のかかった印刷、函もグラビアの４色刷を校正機で一枚ずつ手刷りするという凝りようで、大判のソフトカバーに函をつけるという体裁もあまり見たことがありません。 </p>
<p>花森さんは、徹底して「庶民」を意識した人で、庶民の安らかな暮しをかき乱すよこしまなものを許さないということの象徴が、ぼろ布をつぎはぎした「一戔五厘の旗」だそうで、戦争中の有名な「欲しがりません勝つまでは」という愛国キャンペーンをディレクションしたことへの悔恨がこの「庶民」思想の原型になっているんじゃないかと思います。 </p>
<p>「暮しの手帖」はシビアな商品テストで有名な雑誌ですが、この本の中で花森さんはこんなふうに言っています。 </p>
<p>「商品テストは消費者のためにあるのではない、店に並んでいるものがちゃんとしたものばかりなら、かしこい消費者でなくてもじぶんのふところや趣味と相談して、どれを買うかを決めればよいのである。そんなふうに世の中がなるために、作る人や売る人がそんなふうに考え、努力してくれるようになるために、商品テストはあるのである。」 </p>
<p>広告をとらないこと、そしてそのことによって商品テストへのフリーハンドを得るというプロジェクト・デザインが、この花森さんと「暮らしの手帖」という雑誌の先駆的なところで、最盛期には90万部を売り切ったということですから、この本を懐かしく思うお母さんたちがたくさんいるはずです。 </p>
<p>日本でコンシューマー（消費者）という概念が定着したのは（したのか？）、この雑誌の功績が大きいんじゃないでしょうか。</p>
<p><br /><strong>■　あの猿を見よ ー 江戸佯狂伝　　　　　草森紳一　　　新人物往来社　　　　19841105　第1刷</strong> </p>
<p>「佯狂」とは狂気を装うことだそうです、つまり「アホの坂田」。 </p>
<p>中国では佯狂で世を逃れることが隠棲の方法としてポジティブに認知されていたそうですが、江戸の管理社会では、体制の安定を保つためにすべてを乱心として処分したんだそうです。その佯狂の実相やそのことによる悲喜劇が、この本では語られています。 </p>
<p>「太平もまたかたちをかえた乱世であることを、人は見逃しやすい。乱世にあって太平を願うのは、人情だが、いざ太平がやってきた時、やはり人の生理は、いらいらとなまぬるく疼き痛むのである。」 </p>
<p>20年以上も前の著作で、しかも江戸のこととして語られたことですが、管理社会のなかでがんじがらめにされたあげく、佯狂か狂気か定かでないものに落ち込んでゆく侍たちの姿が、昨今のいろいろな事件の犯人たちとオーバーラップします。 </p>
<p>でもたぶん、もうすこし深い。 </p>
<p><br /><strong>■　ぜんぶ余録　　　山田風太郎　　　角川春樹事務所　　　20010608　　第1刷</strong> </p>
<p>1996年に始まった風太郎さん最晩年のロングインタビューの完結編（1998.10～2001.1）。 </p>
<p>第1巻は1996.4～1996.12の 「コレデオシマイ」、第2巻は1997.1～1998.4の 「いまわの際に言うべき一大事はなし」。 <br />「コレデオシマイ」 は勝海舟の、「いまわの際に言うべき一大事はなし」 は近松門左衛門の最後の言葉。 <br />「人間臨終図巻」の著者である風太郎さんが気に入っていた臨終の言葉らしい。 </p>
<p>「ぜんぶ余禄」は自身の言葉、彼は昭和20年8月15日から先の自分の人生はすべて余禄だといっていた。 </p>
<p>2001年7月にパーキンソン症候群で亡くなる直前までのインタビューは、記録としても貴重なもので、編者の努力には最大級の敬意が払われるべきでしょう。 </p>
<p>それにしても、「次にまた日本は、原爆を落とされるよ。」とは何たる予言、ひたすらスゴイ。<br /><br /><br /><a href="http://www.kotobanoie.com/book/listmusic-new.html">読む音楽のブックリスト</a><br /><br /><br /></p>]]></description>
            <link>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/10/shuffle-your-shuffle.html</link>
            <guid>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/10/shuffle-your-shuffle.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">music</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">iPod</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">iTune</category>
            
            <pubDate>Fri, 17 Oct 2008 23:20:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>still water runs deep</title>
            <description><![CDATA[<form class="mt-enclosure mt-enclosure-image" mt:asset-id="145"><img class="mt-image-center" style="DISPLAY: block; MARGIN: 0px auto 20px; TEXT-ALIGN: center" height="403" alt="rustyvolvo3.JPG" src="http://www.kotobanoie.com/blog/rustyvolvo3.JPG" width="700" /></form>
<style type="text/css">
   body { line-height: 180%; }
</style>
<p>


</p><p><br />田中小実昌の映画エッセイを読んでいたら、どうしようもなく映画を見たくなった。</p>
<p><br /><strong>■　コミマサ・シネノート　　　　田中小実昌　　　　晶文社　　　  19781110　第2刷</strong></p>
<p><br />「木曜日、いなり寿司（五コ六十三円）を買って蒲田駅西口のパレス座に行く。どんな計算で<br />六十三円になり、いったい、一コいくらなのか、だいぶ考えたがわからない。キップ売り場には、<br />大人割り引き百五十円と書いてあった。『いま割り引き時間？』と、テケツの女のコにきいたら<br />『いいえ』という返事。とにかく百円玉を二つ出すと十円玉が五つかえってきた。こいつも、よく<br />わからない。」</p>
<p>まあこんな風にはじまるコミマサ・ワールドなんだけれど、「テケツ」っていうのがなんとも。<br /><br />1970年代の本だから、「カッコーの巣の上で」とか「愛の嵐」といった洋画から、大映や東宝の<br />プログラムピクチャーや日活ロマンポルノ、そしてそのころとしては前衛だったATG系の作品<br />まで、そうとうな数の劇場映画が、ノンジャンルで紹介されている。</p>
<p>引用した文章からもわかるように、それは映画批評というより、映画にまつわるたわいのない<br />日常や、映画へのアティチュードを、飄々と描いていくなかで、ひとりごとのようにその映画の<br />ことを語るという、いかにも「コミさん」らしいスタイルの映画日記で、たとえば三本立てとロード<br />ショーのどっちが得かとか、弁当をたべてから見るか見てから食べるかとか、暖房完備なのに<br />なぜ風邪をひくんだとか、例によってほとんどがとぼけた話ばかりなんだけれど、ときおり見せ<br />るシャープな批評眼とそのとぼけた暮らしぶりとのギャップに引き込まれて、ついつい読まされ<br />てしまうのだ。<br /><br />続けて読んだ「ぼくのシネマ・グラフィティ（ 新潮社 1983）」ではこんな風にいっている。</p>
<p>「世の中とおんなじで、映画でも、おもおもしさとか、感動の深さとかなんてことがいい作品の<br />尺度みたいにされている。しかしおもおもしさなんてバカでもできることなのよ。<br />また、バカはしつこいから、しつこくおもくする。それをまた、世間ではほめてくれる。<br />おもおもしくするのは、外部から重しをつければいい。ストーリイをおもくしたり、あれこれ、重し<br />をつける方法はいくらでもある。　だけど、かるさは、外部からではなく内部から、かるくならな<br />くちゃいけない。これは、なかなかできない。ただ、知的であることによって、精神的な自由を<br />得、かるくなることもある。バカには見えかったものが、スカッと知的だと、すんなり見えてきて、<br />どうってことはなくなるのだ。」</p>
<p>これもまた、いかにも田中小実昌的な（シャープなほうの）語り口。</p>
<p>これは「全員集合シリーズ」の渡辺祐介監督を評した文章だけれど、そのままこの人の、創作<br />のスタイルを表わしているように思える。<br /><br />あるいはまた、同じ本の中で、ウディ・アレンの「インテリア」を、「味なんてものもないみたいな<br />自制心の強い映画だ」と激賞し、こんなこともいっている。</p>
<p>「類型は甘い。　類型は、物語でこってり毛穴をふさぎ、みずみずしい息づかいがない。」</p>
<p>この「類型」っていうのは、つきつめてみれば「らしさ」っていうことじゃないかと思う。<br />そしてこの人の中にはいつも、いかにも「らしい」ことへの照れやためらいがあり、その小説<br />からは、小説がいかにも小説らしくなってしまうことへの「含羞」のようなものを感じる。</p>
<p>ニットキャップとサンダルというとぼけた風貌で新宿ゴールデン街をさまよい、小説らしくない<br />小説ばかりを残し、一貫して「作らない」ということに徹したこの人ほど、「類型」から縁遠く、<br />そして自制心の強かった作家はいないかもしれない。</p>
<p>静かに見えるけれど、じつは深いところで逞しく流れていたんだろうな。</p>
<p><br />近くのシネコンで、「テケツ」を買って見たのは、絵に描いたようなB級 hollywood movie 。<br />それでもスクリーンいっぱいに投影されるL.A.の茫漠とした遠景や、南カリフォルニアの<br />あっけらかんとした日常のディテールを眺めていると、心がすこし痺れる。</p>
<p>trip ― 集中してスクリーンを見ているのに、脳の別のところで別のシーンを見ている感じ。</p>
<p>絵画や音楽や本も、それぞれに独特のバイブレーションで、さまざまな感情をもたらして<br />くれるものだけれど、こんなふうな感じで心を揺さぶられるのは映画館の中だけなんだ。</p>
<p>シネコンじゃいなり寿司は食べられないし、名画座で三本立てを見る体力もないけれど、<br />あの暗がりの中で独りすごす2時間は、他のなにものにも代えがたい。<br /><br />映画館に行こう！<br /><br />*<br /><br />新しいものではありませんが、写真集がいくつか集まってきました。</p>
<p>ただ眺めるだけの本ですが、こういった小品があるのとないのとでは、本棚の暖かさが<br />違ってくるんじゃないかと思っています。</p>
<p>一点でもいい写真があれば、買いですね。</p>
<p><br /><strong>■　opentop STYLE　　　　GRAHAN ROBSON 　　　　　CHARTWELL BOOKS 1988</strong></p>
<p>an A-Z of Convertible Automobiles</p>
<p>同じ本を、英国の E-bay で見つけたら、こんなキャプションでした。</p>
<p>A Fabulous book all about the timeless classic covertable.<br />Hardback book with dust cover in good condition.</p>
<p>コンヴァーチブル、オープン、カブリオレ、ドロップヘッド、いろいろな言いかたがありますが、<br />屋根のないクルマは、自動車の「華」だと思います。</p>
<p>幌やトップを開けることによって、空が近くなり、風がちぎれ、景色が流れ去る。<br />自動車で、こんな風に一瞬にして非日常をつくれるのは、この車種だけでしょう。</p>
<p>この本には1966<a href="http://www.kotobanoie.com/photostock/opentop/alfaromeo.JPG">アルファロメオ・ジュリア</a>／1961<a href="http://www.kotobanoie.com/photostock/opentop/DS.JPG">シトロエンDS</a>／1969<a href="http://www.kotobanoie.com/photostock/opentop/daytona.JPG">フェラーリ・デイトナ<br /></a>といった名車といわれる53台のオープントップ・モデルの解説（英文）、スペック、そして多数<br />のカラー図版が載せられています。</p>
<p>どの車も工業製品としての美しさに溢れていて、自動車というものが、マーケティングよりも<br />機能美をより強く意識してデザインされたのは、この時代（1988年発行）あたりまでだったの<br />かもしれないと思います。</p>
<p><br /><strong>■　不測の事態　water fruit 　　　 篠山紀信+樋口可南子　　　　朝日出版社　19910315</strong></p>
<p>「いつの時代も最良の時間と場所でカメラを構えている」篠山紀信、面目躍如の一撃。</p>
<p>写真そのものはどうってことないですが、日本で陰毛を解禁させるきっかけとなった本で、<br />「ヘアヌード」という言葉も、たしかこの写真集と「Santa Fe」からじゃなかったかな。</p>
<p>日本大学芸術学部在学中に、超高級大型カメラの<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%95"> Linhof スーパーテヒニカ</a>を引っさげて、<br /><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3">ライトパブリシテイ</a>の面接に行き、名だたるアートディレクターたちの度肝を抜いて、見事<br />合格したという逸話は、この人のその先の姿を暗示している気がします。</p>
<p>じっくり腰をすえたいい仕事もいっぱいあるけれど、企画イッパツという仕事も同じくらい多い<br />ので、名声のわりに評価が定まらない写真家だと思いますが、いずれにしても「時代」という<br />ものに対する敏感なアンテナを持った人であることは間違いありません。</p>
<p>33才の樋口可南子は、はっとするほどの美形。<br />いわゆるヘアヌード写真集をだした人で、きちんと女優の仕事をしているのは、宮沢りえと、<br />この人くらいじゃないでしょうか。</p>
<p>最近はソフトバンクのおかあさんのイメージが強いですが、うまく時を重ねた人で（糸井さん<br />との結婚が大きかったのかな）、ひょっとしたらこのときより今のほうが魅力的かも。</p>
<p><br /><strong>■　PUPPIES　　　WILLIAM WEGMAN　　　　HYPERION  1977</strong></p>
<p>動物の赤ちゃんは、だれが撮っても不可避的に可愛いので、映像業界では反則アイテム。<br />でも、このワイマラナーという犬に関しては、この人の独壇場といってもいいかもしれません。</p>
<p>ワイマラナーは、とにかくその表情が哲学的、そして全体のフォルムもフォトジェニックです。</p>
<p>売れない現代美術の画家だった彼にとって、奥さんからおねだりされた子犬がエンジェル<br />だったようで、その子犬「マン・レイ」はヴィレッジ・ヴォイスを飾るほどの人気者（犬）になり、<br />さらに2代目の「フェイ・レイ」をモデルに、20 Ｘ 24インチの大型ポラロイド・カメラで撮った、<br /><a href="http://images.google.com/images?um=1&amp;hl=ja&amp;client=safari&amp;rls=ja-jp&amp;q=WILLIAM+WEGMAN+&amp;btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2">ウェグマンの作品</a>は、美術館だけでなく、ポスターやカードとなって人気を博しています。</p>
<p>そしてそのフェイ・レイの子供や孫たちがこの写真集の主人公。<br />写真がうまいことももちろんあるんですが、とにかく可愛らしいとしかいいようがありません。</p>
<p>この犬を飼っている人なら、必携です。</p>
<p><br /><strong>■　生きのびるためのデザイン 　　　ヴィクター・パパネック 　　　晶文社 　　　19740815 初版</strong></p>
<p>Design for the Real World : Human Ecology and Social Change</p>
<p>34年前の本ですが、この本で著者が語っている社会性を持ったデザインや、生態学的<br />デザインの概念は、今でもというか、今でこそ必要とされるものかもしれません。</p>
<p>インダストリアル・デザインと商業主義（お金儲け）の問題は、現代デザインにとっての大きな<br />テーマのひとつですが、ビジネスとの関係をどのようにプログラムしていくか、つまりどのように<br />デザインをデザインしていくかということが、決め手じゃないでしょうか。</p>
<p>1971年という時期の話なので、デザインを商品を売る手段としてではなく、巨大な「少数者」<br />たち ― 第三世界の人びと、病人、老人、身体障害者を救う倫理的な行為として考えようと<br />いうメッセージには、いかにも Whole Earth Catalog 的な理想主義のニュアンスを感じます。</p>
<p>「Human Ecology and Social Change」という方向性はもちろん有効だと思いますが、状況が<br />複雑に入り組んだ時代ですから、そういったことを実現するためには、より高度なアプローチ<br />が必要だし、なによりも、そういうビジネス・モデルをデザインできるプロデューサーの存在が<br />必要不可欠になるでしょう。<br /><br /><br /><a href="http://www.kotobanoie.com/book/listliterature-new.html">最近追加した 詩や小説やエッセイのブックリスト</a></p>
<p> </p>
<p> </p>]]></description>
            <link>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/10/still-water-runs-deep-1.html</link>
            <guid>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/10/still-water-runs-deep-1.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">movie</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 08 Oct 2008 22:57:38 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>no matter how sumptuous or humble</title>
            <description><![CDATA[<form class="mt-enclosure mt-enclosure-image" mt:asset-id="144"><img class="mt-image-center" style="DISPLAY: block; MARGIN: 0px auto 20px; TEXT-ALIGN: center" height="403" alt="sky2.JPG" src="http://www.kotobanoie.com/blog/sky2.JPG" width="700" /></form>
<style type="text/css">
   body { line-height: 180%; }
</style>
<p>

<br />秋日好天。</p>
<p>J.J.氏じゃないけれど、散歩していると思わぬ lucky にめぐり逢うことがある。</p>
<p><br />hhstyle というインテリア・ショップで、ルイス・バラガンの作品集を手に入れた。<br />それも 300 x 300mmの大型本を破格のバーゲンプライスで。</p>
<p><br /><strong>■　ルイスバラガンの建築</strong><strong>　　　斎藤裕　　　TOTO出版　　 20010701　第2版第2刷</strong></p>
<p><br />まずその鮮烈な色彩に、そして絶妙に計画された光と影に惹かれる、おそらく風もそよいでる。<br />でもじっとそのたたずまいを眺めていると、ただならぬ「奥行き」に気づく。</p>
<p>バラガンの建築は、祈りに近い。</p>
<p>リビングにあるプールの陰影が異彩を放つ<a href="http://www.kotobanoie.com/photostock/barragan/Casa_Gilardi.JPG">ヒラルディ邸</a> （Casa Gilardi）のフォトジェニックな空間<br />構成も素晴らしいけれど、なんといっても、86歳で亡くなるまでの40年という時を過ごし、今は世界<br />遺産にもなっているその自邸 <a href="http://www.casaluisbarragan.org/">la casa luis barragan </a>は、珠玉とでもいうべき作品だ。</p>
<p>大きな格子状の高窓から射し込む柔らかな朝の光に包まれる書斎。<br />庭の木々を通してフルスケールのガラス窓から変化に富んだ西陽が降りそそぐ<a href="http://www.kotobanoie.com/photostock/barragan/living.JPG">リビングルーム</a>。<br />すべて庭に向き、庭が最も美しく感じられる位置に窓が切り取られた寝室やダイニング。<br />周囲の喧噪や視線を彫刻的な壁で遮断し、空と自分だけが向かい合える<a href="http://www.kotobanoie.com/photostock/barragan/terrace1.JPG">屋上のテラス</a>。<br />メキシコの強い太陽を受けて、荒々しく生い茂る境界のない庭。</p>
<p>どのスペースも、ひたすら独り静かに暮らすことへの願いに満ちていて、家族の気配を微塵も<br />感じないストイックな空間なのに、厳しさではなく、穏やかさを感じるのがとても不思議だ。</p>
<p>「そこに身を置くと静寂のなかで生きる喜びを心から実感できる」 <font style="FONT-SIZE: 0.8em">（by 安藤忠雄）</font></p>
<p>ひたすらserenity（静謐）を希求し続けたバラガンの魂が、たぶんそこにある。</p>
<p><br />そして階段。</p>
<p>オブジェのように美しい階段。</p>
<p>どうしてこんなに心が震えるような階段が造れるんだろう。</p>
<p>敬虔な光にあふれる玄関ホールのゆるやかな<a href="http://www.kotobanoie.com/photostock/barragan/step1.JPG">溶岩の階段</a>は、天へのきざはしとしか思えない。<br />書斎の<a href="http://www.kotobanoie.com/photostock/barragan/step2.JPG">キャンティレバー</a>は、中空に浮かぶ不思議な乗りもののようだ。</p>
<p>この自邸だけじゃなく、この本に掲載されている建築のどの階段も、なんの変哲もないものばかり<br />なのに、まわりの光や色や空気感をとりこんで、原初からそこにあるような佇まいをもっている。</p>
<p>バラガンの階段だけを切とっていつまでも眺めていたいとさえ思う。</p>
<p><br />バラガンは、architect's architect だ。</p>
<p>メキシコにしか作品を造らなかったバラガン。<br />素朴なテクスチュアの壁を、花の色や空の色や大地の色に塗りつづけたバラガン。<br />天上からの官能的な光に、おそらく神を見ていたバラガン。</p>
<p>バラガン見立ての mexico 数寄、あるいはバラガン婆裟羅とでもいうべきか。 </p>
<p>バラガンの建築を見ていると、彼のなかでは、若き日にパリで浴びたモダニズムとメキシコ人<br />としてのアイデンティティとが、境界線なく交わっていることがとてもよくわかる。 </p>
<p>ルイス・カーンをはじめとして、この孤高ともいえる建築家を敬愛する建築家は少なくない。 
</p><p><br />馬好きとすれば、厩舎をアーティスティックにデザインできる建築家に、ひたすら脱帽です。<br /><br /><a href="http://www.barragan-foundation.com/">luis barragan official website</a></p>
<p> </p>
<p>*</p>
<p><br /><strong>■　雷鳴の頸飾り ― 瀧口修造に　　　　　書肆山田　　　19791210　初版</strong></p>
<p>シュルリアリスト瀧口修造の追悼詩集。</p>
<p>いい本だな。<br />佳い感じに時を重ねた古本がたまにあるけれど、この本はそんな一冊。</p>
<p>体裁、デザイン、タイトル、そしてその詩のクオリティ、本としての完成度も高い。<br />なかでも巻頭の、ミロが瀧口修造の名前を織りこんで描いた絵は、秀逸。</p>
<p>こんな追悼集をだしてもらえる詩人は幸せだと思います。</p>
<p><br /><strong>■　海図と航海日誌　　　　池澤夏樹　　　スイッチ・パブリシング　　19951215　第1刷</strong></p>
<p>作家の父と詩人の母をもつサラブレッド、池澤夏樹の書評集。</p>
<p>決して彼のいい読者ではないのだが、植田正治のジャケットと、そのタイトルに惹かれて。</p>
<p>本というものの役割を、「日々の糧と回心の契機」の混合だと、池澤さんは序文で言っている。<br />そりゃあそうなのかもしれないけれど、こういう風に硬質に迫られてしまうと、それはちょっと<br />いい子すぎるんじゃないのと、つい冷やかしたくなってしまう。</p>
<p>a little too square,   なんか音楽の趣味がぜんぜん違うような気がするんだ。<br /><br />最後の章、「寄港地一覧　あるいは九十九の小説」は、格好のカタログではあるけれど。</p>
<p><br /><strong>■　土星の徴しの下に　　　　スーザン・ソンタグ　　　 晶文社 　　19911220　第5刷</strong></p>
<p>ソンタグ ― 晶文社、しかもレア・アイテムとくれば、不見転です。</p>
<p>「私は今これをパリの小さな部屋で書いている。」という、鞘からそおっと刀を抜くような書きだし<br />から、アントナン・アルトーを中心にヴァルター・ベンヤミンやロラン・バルトやファシズムのこと<br />などを、彼女らしいシャープな語り口で綴っています。</p>
<p>「知性」を絵に描けばこのようになるのか。</p>
<p>訳者あとがきによれば「スーザン・ソンタグがこれまで書き得た最も見事な評論集」であるらしい。</p>
<p>本棚にあるだけで充分の一冊、これを書いた1980年はおそらく彼女のピークじゃないでしょうか。</p>
<p><br /><strong>■　詩人のノート ― 1974.10.4-1975.10.3 　　　田村隆一 　　朝日新聞社      19780920 第3刷</strong></p>
<p>詩人のエッセイを読むのは楽しい。<br />ひとつひとつの言葉の粒が立っているから。</p>
<p>田村隆一は詩人という言葉が似合う人だ。</p>
<p>丸谷才一によればこうだ。<br />「彼は、あるいは日記をつけるやうに、あるいは葉書を出すやうに、そしてあるいは冗談を言ふやうに<br />詩を作る。つまりここには、現代日本には珍しく、ライト・ヴァースの作者がゐることになる。」</p>
<p>いつも飲んでいるのに、あまり酔いどれな感じがしないのは、この人の都会的な人柄ゆえか。</p>
<p>引用されている詩がどれも素晴らしい。<br />詩人の選ぶ詩にはなんともいえない独特の味わいがあります。<br /><br />*<br /><br />BOOKS+コトバノイエ　1st anniversary の企画を開催しています。　chech it out !<br /><br /><a href="http://www.kotobanoie.com/book/listspotlight-yabe2.html"><strong>建築家矢部達也さんが選んだBOOKS＋コトバノイエの30冊<br /><br /><br /><br /><br /></strong></a></p>
<p> </p>]]></description>
            <link>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/09/no-matter-how-sumptuous-or-hum.html</link>
            <guid>http://www.kotobanoie.com/blog/2008/09/no-matter-how-sumptuous-or-hum.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">archtecture</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">barragan</category>
            
            <pubDate>Sun, 28 Sep 2008 03:12:16 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>if something happens twice</title>
            <description><![CDATA[<form class="mt-enclosure mt-enclosure-image" mt:asset-id="143"><img class="mt-image-center" style="DISPLAY: block; MARGIN: 0px auto 20px; TEXT-ALIGN: center" height="446" alt="trout5.JPG" src="http://www.kotobanoie.com/blog/trout5.JPG" width="700" /></form>
<style type="text/css">
   body { line-height: 180%; }
</style>

<div>&nbsp;</div>
<div>blog と称しながら、日誌でも日記でもないものを書き綴っている。<br /><br />RSS（ あるいは Atom ）というたいへん便利なシステムで購読（ちょっとへんな言葉だなあ）している<br />いくつかのブログを眺めていると、いわゆる日々の徒然を日記風にというのが主流で、みなさんたい<br />へんマメに更新していらっしゃる。<br /><br />日記風を読むことは、なんか覗き見の気配もあって、それなりに楽しいんだけれど、読ませる工夫の<br />ない垂れ流しのモノローグや自己陶酔に、辟易とすることもたまにあって（まあTVと同じで文句がある<br />なら見なきゃいいんだろうけれど）そういうことがあると、そんなことべつに公開しなくてもいいん</div>
<div>じゃないのっていう気分になってしまうのだ。<br /><br />逆にいうと、「垂れ流しのモノローグ」にならない日記風のブログを続けられる自信がないわけで。<br />それもほぼ everyday なんて驚異的としかいいようがない。<br /><br />なんか不思議なメディアだなあと思う。<br /><br />「書きたい」人がこんなにいたことも驚きだし、このたくさんの「書きたい」人たちは、このブログという<br />メディアができるまでどうしてたんだろう、そして「書きたい」人たちはこのまま書き続けるんだろうか、<br />などと思いつつ。</div>
<div><br />*</div>
<div><br />柳の下の2匹目の泥鰌かもしれない。<br /><br />「だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ」に続き、題名の長い本を手に入れた。<br /><br />こういうシンクロニシティーには、3回目まではつきあうべきだ、というのが経験則。<br />べつに合理的な根拠があるわけじゃないけれど、2度あることが3度あるのは統計学的な真実だ。</div>
<div><br /><strong>■　洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵　 　　洲之内徹　　　求龍堂　　20080610　初版</strong></div>
<div><br />小林秀雄から「いま一番の批評家は洲之内徹だね」と激賞され、青山二郎から「『芸術新潮』では、<br />洲之内しか読まない」とまで言われたエッセイ「気まぐれ美術館」。<br /><br />洲之内徹は銀座「現代画廊」のオーナーで美術評論家、1987年に亡くなったあと、彼のアパートメント <br />に残された146点の絵画が「洲之内コレクション」として宮城県美術館に収蔵されている。<br /><br />この本は、そのコレクションのカラー図版と、その絵にまつわる洲之内さんの文章からなる画文集だ。<br />　<br />「一処不在の私の、絵が故郷なのだ。」と語る無頼の人にとっては不本意な結末かもしれないけれど、<br />「盗んでも自分のものにしたかった」ほどに惚れ込み、「ともかく好きな画家、好きな絵だけを選び、<br />とくに人口に膾炙していない画家の発掘には、どんなところに出向いても交渉し、執拗な入手を果た<br />している（by 松岡正剛）」といわれたコレクションを目の当たりにできることは僥倖というべきだし、<br />その146点の絵画たちが、「気まぐれ美術館」や「帰りたい風景」の滋味深い文章とともにカラーで<br />掲載されたこの本は、muse からのプレゼントのようなものじゃないかと思う。<br /><br />洲之内さんのキュレイションは one and only 、それは「目利き」というより「偏愛」を感じさせる。<br /><br />個々に見ていくと、思い入れが強すぎてそれほどピンとこない作品もあるけれど、いわゆる批評から<br />一歩も二歩も深みのある文章が重ねられたとたんその絵は輝きだし、いわば画文一体とでもいうべ<br />き境地にはいったその作品は、画家の手を離れ、洲之内藝術と化す。<br /><br />「利行（長谷川利行）のタッチはひょろひょろしているようでひょろひょろでなく、へなへなのようで<br />へなへなでなく、形はでたらめのようででたらめでなく、利行独得の澄んだリズムを持ち、妖しく美しい<br />フォルムになっている。ところが偽作の利行は、利行らしく見せようとして、ひょろひょろを真似する<br />からほんとにひょろひょろになってしまい、でたらめを真似してでたらめになってしまう。そして、その<br />ひょろひょろとでたらめを利行だとおもっている人が、いつもその偽作に騙されるということになる。」<br /><font style="FONT-SIZE: 0.8em">（気まぐれ美術館）</font></div>
<div><br />この前のエントリーで書評のことを書いたときにも感じたことだけれど、批評のリアリティは作品への<br />「尊敬（＝愛）」からしか生まれてこないんじゃないかと思う。<br /><br />小林秀雄がこんな風に言っている。<br /><br />「いい批評はみな尊敬の念から生れている。これは批評の歴史が証明している。人を軽蔑する批評<br />はやさしい し、評家はそれで決して偉くならぬ。発達もない、創造もないのです。フランスにも <br />admirer, c'est egaler（敬服するとは匹敵することだ）という諺がある。」<br /><br />そしてさらに<br /><br />「真っ白な原稿用紙を拡げて、何を書くか分らないで、詩でも書くような批評も書けぬものか。例えば、<br />バッハがポンと一つ音を打つでしょう。その音の共鳴性を辿って、そこにフーガという形が出来上る。<br />あんな風な批評文も書けないものかねえ。即興というものは一番やさしいが、又一番難かしい。文章<br />が死んでいるのは既に解っていることを紙に写すからだ。解らないことが紙の上で解って来るような<br />文章が書ければ、文章は生きて来るんじゃないだろうか。批評家は、文章は、思想なり意見なりを伝<br />える手段に過ぎないという甘い考え方から容易に逃れられないのだ。批評だって芸術なのだ。そこに<br />美がなくてはならぬ。そろばんを弾くように書いた批評文なぞ、もう沢山だ。退屈で退屈でやり切れぬ。」<br /><font style="FONT-SIZE: 0.8em">（「座談／コメディ・リテレール　小林秀雄を囲んで」）<br /></font><br />とたたみかける。<br /><br />小説、つまりフィクションが少ないのがこのbooks＋コトバノイエの本棚の大きな特徴で、そうなると<br />いきおい画集や写真集といったアート本やエッセイや評論といったノンフィクションが多くなるわけだ<br />けれど、ほんとうの意味で、それ自体が美に昇華しているように感じる文章はそれほど多くはない。<br /><br />だからこそときたま出会う、この洲之内徹や小林秀雄や吉本隆明や白洲正子や植草甚一や澁澤龍彦<br />や色川武大や寺山修司（敬称略）の珠玉のような文章を心にしっかりと留め置きたいと思うんだ。</div>
<div><br />それにしても、いちどは「そこに美がなくてはならぬ」なんて言い切ってみたいもんだ。</div>
<div>&nbsp;</div>
<div><br />*</div>
<div>&nbsp;</div>
<div><br /><strong>■　仮往生伝試文　　　　古井由吉　　　河出書房新社 　　19981124 　再版</strong> <br /><br />この人のエッセイを読むためだけにJRAの「優駿」を買っていた時期がある。<br /><br />短編のような長編のような、随筆のような小説のような、そして現世のような来世のような、なにしろ<br />第一話にして平安時代の僧侶の往生伝とメジロラモーヌが同じ地平で語られるんだから、この本の<br />世界は、小説という形式でしかあり得ない壮大で、しかもメタフィクショナルな宇宙だ。<br /><br />試文と称してはいるが、作者はイメージ上の混沌や、生と死の往還の中から何か新しいものが生ま<br />れることを確信しているに違いない。<br /><br />読まなくてはわからない、が、読まなくてもわかることもある。<br /><br />この本は、濃いぞ。<br />&nbsp;</div>
<div><strong><br />■　Yanagi Design　　　柳工業デザイン研究会編 　平凡社 　20080825 初版第1刷<br /><br /></strong>柳宗理デザイン研究室のすべて。<br /><br 