世界の中心で、イエーッと叫ぶ



― words between the house and home








コトバノイエはワンルームだ。
「建築家はワンルームの建築によって記憶される」なんてカッコイイことを言うつもりはないけれど、ドアが玄関と風呂にしかない住宅は、ワンルームとしか言いようがない。

5間(9m)四方の平屋建て、風呂の部分だけがまるで「臍」のように飛び出している。 床面積が87平米足らずの住宅だから狭小といってもいいサイズだけれど、住んでいるぼくたちは、今のところそんな風には感じていない。
ただ、「住んでいる」とはいうものの、実のところ入居してからまだ一ヶ月足らずで、「暮らし」の実感とはほど遠く、なんとなく知り合いの別荘にでも滞在しているような気分で日々を過ごしている。
まさに resident といったところか。

住み慣れてしまえばすべてが当たり前になってしまうにちがいないから、この微妙な時期、幾分ホットな気分のうちにこのイエについて語ってみたい。

この住宅の設計者は、自称「好青年」Y氏である。
1965年生まれの40歳、経験値がそのまま商品価値となる建築家という職業においては、おそらく「洟垂れ小僧」といってもいい年齢だろうし、実際に豊富な経験を活かした老練な手法なんていうものをもっているようにはとうてい思えない。 そもそも相貌からして、丸坊主にGAPなんだから、おきまりのスタンドカラーのジャケットに身を包み、憂いを秘めた長髪の奥に野心的な瞳がキラリと光るといったいわゆる「建築家」のステレオタイプからは程遠い、しかもアート系でなく文学系、しかも生野区桃谷。
でもなんとなく気に入ってしまったのだ、その真っ直ぐさを。

クリエイターとクライアントのつながりは、技術力やセンスではなく、最終的には人間として信じられるかどうか(その底に「プロ意識」という大きな河が流れていなければならないのは言うまでもないが)だというのが、僕の考えである。  
そういう意味でかれの「素」は申し分ない。
もちろんフリーのクリエイターとして独立しているわけだから、充分にへそ曲がりで頑固ではあるのだが、彼のぶれることのない視線は、僕のようなやさぐれオヤジからみると、まるで天使のまなざしのように見えたのだ。

建築家は、この5間四方平屋造りの建物に「HAT」と称する深い軒をもったフラットな屋根をあたえた。
深い軒は、自然を活かす日本家屋の特徴とされていて、太陽の高度が高い夏は陽射しを防ぎ、冬は陽光を招き入れるなんていう立派な能書きはもっているけれど、建築家自らが「それ自体が家のエンベロープになるような」と語っているように、機能というより、彼の造形のコンセプトのひとつと考えるべきだろう。
プレゼンテーションのときに彼が持ってきてくれた模型にはダンボールが一枚乗っかっていたが、まさにそれをそのまま再現したような薄いフラットな屋根が、四角く低い建物の上に乗っかっている。
そしてアクセントとして、まるで「抓み」のようにその平べったい屋根からピョコンと飛び出た小さなペントハウス ― こいつは片流れだ。

造形そのものは、さほど大きなテーマではない。
一般的には造形こそがデザインであるかのように考えられているけれど、カタチというのはあくまでデザインの結果としてでてくるものであって、本来の意味でのデザインのプロセスの中には、造られたカタチというものは存在せず、ただ「在る」のみである。 そしてその「在る」ものをいかに掴まえるかということがデザイナーの本質だろう。
このHATも、建築家の頭の中で蠢いていたひとつのデザイン・コンセプトが、たまたま機会を得て姿を現しただけということだとぼく自身は思っているし、デザインを依頼するということは、結局はそういうことなんだろうと思ったりする。

ぼくがやりたかったことは、家を建てることではなく、architectとのセッションだった。
セッションとはすなわち、ひとつのテーマのもとにお互いが触発しあって something new を創りだすこと、である。

かねてからすべてを包括する立体デザインの極北と考えていた建築という世界において、「建築家」と呼ばれるプロのクリエイターと真剣勝負をするためには、ただのアマチュアでしかないぼくにとって、「クライアント」という立場に自分自身を置くしかないだろうなんて考えてしまったわけだ。
そしてそれは、ぼくにとってはまったく未知の領域で、だからこそけっこう面白いことのように思えた。

「コトバノイエ」は彼の命名による。
このプロジェクトが、お互いの「言葉」のやりとりによってカタチらしきものを探っていこうという試みであること、そしてその言葉が、「夢と現を振り子のように揺れ合う」と同時に、バーチャル(WEB)とリアル(現実の進行)が交錯する、といったメタフィクショナルな気分がこめられている。
「命名とは(自分ではなく)人がするものだ。」というのはかれの名言のひとつだが、絶妙のネーミングであろう。
まあ平たくいうと、コトバで建築をするという遊びを、ええ歳をしたオッサン2人で真剣にやってみよ、という話で、このコトバノイエは、あらかじめ建設されることを予定されていなかった建築物なのである。

そして、ぼくがそのコトバノイエのクライアント=施主ということになるわけだが、コトバがホントにカタチになるなんていう不埒なことを最初から考えていたわけじゃない。 
施主ははじめから施主なのではなく、施主になるものだと気づいたのもつい最近のことであり、自分が土地を買って、そこに家を建てて、家族と暮らしているなんていう今の有り様は、現実が妄想を追い越していったというしかない。
ぼくにしてみれば、空中に漂っていた妄想の断片が、ある日僕のところに突然舞いおりてきて、知らぬ間にカタチを成していたといった按配で、ぼんやりと根拠のない自信のようなものはあったけれど、自分自身の来し方をふりかえってみれば、それは「シュール(超現実的)」と表現してもいいくらいの状況である。




コトバノイエは本棚を構造体にしている。
そもそも日々増殖する本の始末がつかなくなったことが、家の建築を目論んだひとつの大きな要因でもあった。
施主であるぼくは、「壁画のような全面本棚」というコトバを建築家にリクエストした。 本好きの誰もが夢想するであろう壁面いっぱいの本棚のことである。

“私はどちらかというと、本の集合そのものをアート(私の「見立て」の作品)と考えて、ピカソや岡本太郎の壁画のような全面本棚をイメージしています。美的に本を並べるのもひとつの能力であるとしたら、(あるいは本が美しく見える書架をクリエイトする能力も)「美はそれを発見した人間のものである」ともいいますし、赤瀬川「トマソン」や、朝鮮の田舎の丼鉢を「高麗茶碗」に変えてしまった利休と同じように、本棚に本を並べることも、ひょっとしたら「美」にまで昇華してしまうかも、などと夢想している次第です。”

わがarchitectは、ぼくのこんな妄想を受けて、このようなコトバを発信してくれた。

「純度の高いコンセプトになるような仕舞い方はないだろうか。たとえば・・・本を構造にしてしまう!レンガを積むように、本を積んで壁をつくる。本の組積造。本造。ぜったい無理だな。ならば・・・構造にはなれなくても、家を構成するパーツの一部と考えれば・・・本を断熱材につかう!紙の断熱性能を正確には知らないけど、段ボールハウスってものあるし、ヘビーデューティな環境下で寒いとき新聞を身体に巻くなんて聞いたことあるような。でもこれだと本が傷むよな。水分すってしわしわになる。だいたい本がグラスウールの替わりになんてならんよな。
竣工写真なんかに造作の棚ができたまま写っているのってすごく寒々しい。棚なんかはそこに置かれるべきものが置かれて初めてできあがりなんだろう。書架などはまさにそうだ。そういう意味では壁面の書架に納まって背表紙を見せているだけで本は家(home)の一部になっているわけなんだろうけれど、そこよりももう少しモノとしての家(house)の方に、本の位置を寄せてみたいな。」 ( 2004/06/24 sketch1)

まだ、このプロジェクトが現実のものになるかどうかさえ定かではない妄想段階での話である。
これが現実にカタチとなって眼前にあらわれているのだから、妄想とは恐ろしいものだ。
また建築家の終始一貫した姿勢にも感心する。

この床から天井までの間仕切り(=柱)がすべて本棚という「本棚構造体」は、このイエのもっとも象徴的なところだろう。 素材はSPF材(北米産針葉樹材の総称-Spruce米唐檜・Pine松・Fir樅の略)、サイズは2x10 (ツーバイテン、本来的には2インチ=50mmの厚みで10インチ=250mmの巾という意味であるが実際には、38m x 235mm)の、一般にランバー材といわれるもっとも安価な輸入木材で、ふつうは構造材として壁の中に隠れてしまう素材である。 厚みがあって軟らかい材料なので本棚向きとは決していえないが、建築家はその厚みを活かし、見事に本棚を建築に融けこませてくれた。
ローコストを逆手にとった巧みなアレンジというべきであろう。

この構造体本棚は3タイプのモデュールで形成される。
主役である本のサイズをベースにした基本形の7段モデュール、レコードや大きめの冊子のサイズがベースの6段モデュール、そして玄関脇靴の収納のためだけに設けられた変形10段モデュール、棚板には共材を使用し、すべて固定されている。
この棚板を可動式にしないというのも、かれらしい潔いデザインだったが、さらに秀逸なのはこの3つのモデュールの最上段と最下段の高さをすべて同じレベルに揃えたことだ。
このことによって、同じ厚みをもったグリッドが、ひとつの共通のラインで端正にまとまった。
しかもそのグリッドには、「行灯」と呼んでいる照明器具(もっともシンプルな磁器モーガルソケット+ボール型白熱球という「素」の組み合わせである)がところどころに設置され、陰影というもうひとつのアクセントが付加されている。

この棚は、本やレコードだけでなく、生活の場では「しつらい」のスペースとして活用されている。
居間の棚には家族の写真やオブジェが、キッチンの棚には食器や調理道具が、ユーティリティールームにはタオルや石鹸や薬品が、スタディルームには子供たちの教科書や遊び道具が、それぞれのレイアウトで並んでいる。 それは収納というよりもディプレイとでも表現すべき光景で、家族のひとりひとりがこのオープンな棚を楽しんでいる。

そしてこの多彩な機能もまた、悔しいことに、建築家にあらかじめ宣言されている。 
ぼくの趣味である安土桃山文化にことよせて、「床の間」というコトバをセッションに投げ入れた時のことである。

「『床の間』という名の一畳分のニッチをつくることがいいのかどうかは、今の段階ではまだ留保しておくとしても、家の中のあらゆるところにディスプレイス ポットを拵えることは、ぼくの仕事の重要なひとつだと考えています。
もっともそれは、はいここですヨ、というような専用のスペースではなく、もっぱら兼用のスペースとして。ここはこんな風にも使える的な提供の仕方になると思います。
あらゆる入隅、ちょっとした奥行き。これらはすべてしつらいのためのスペースになると思っていますから、その意味では本棚なんかはまさにそれですよね。」

そしてその構造体をサンドイッチのようにはさむ床と屋根。

天井にはなにもつけない、というのが建築家の指針であった。
そしてそれは見事なまでに実体化されていて、照明器具さえもほとんどがブラケット、かろうじて居間とキッチンのペンダントのコードをつるすヒートンのみが、天井につくことを許された。
天地をさかさまにしても同じになるように、とひとりごとのようにかれが呟いていたのは知っているが、そのことの真意は未だにぼくには理解できていない。 ただ、このひとつのコンセプトを、さまざまな誘惑を排し、貫きとおす建築家の意志の強さは、あれもこれもと思いつきコンシャスになりがちな未熟な施主を、根源的なところに引き戻す役割を果たしてくれたのは間違いない。

そもそもローコストは、---はしないと決めることからしか始まらない。
欲望のダイエット ― すべてを根源から見直し、考えぬき、削ぎ落とし、残ったものだけで造られているからこそ純度の高いローコスト住宅になるのであり、何々のない暮らしを明確にイメージすること、つまり「ポジティブな否定」とでも呼ぶべき作業こそが、ぼくたちの「いい家」の始まりだったわけである。

だから普通の住宅に普通にあってコトバノイエにないものが、コトバノイエの考え方を良く表しているのではないかと思う。
クロスとよばれるビニールの壁紙やジプトーンなる化粧板、いわゆる仕上げ材は使わない。
住居における個室の意味、つまりLDK幻想やドアの存在そのものを根源的にみなおす。
カーテンはほんとうに必要か。
高い天井は、デザイン住宅のクリシェではないのか。
モニターつきのドアフォンは何のためにあるのか。

そもそもがコストという大きな制約のあるプロジェクトではあったが、そうであるがゆえに、住宅を構成するひとつひとつのパーツを元から見直して、ほんとうに必要なものかどうかを建築家としっかりと話し合えたことが、ホントにつかえるものだけがある簡素かつ端正な住宅になった大きな要因だと思っている。 

曰く、「何も足さない、何も引かない」。





妄想から現実への第一歩は土地探しから始まっている。

実はこのときにもうひとつ出会いがあって、彼こそがこの架空のプロジェクトを現実へと推し進めたエンジンといわなければならない。
A不動産のF氏である。
建築家と妄想の住宅のセッションを重ねる中で、ひょんなことから出合ったこのF氏が、このプロジェクトに投資してくれる奇特なスポンサー(ぼくにお金を貸してくれる銀行)を、いとも簡単に見つけてくれたのだ。

土地を探し始めてからわかったことだけれど、日本の住宅購入システムというのは、まさに「購入」のためのシステムであって、できあがったマンションや建売住宅を買うことにはそれはもう過剰といっていいくらい至れり尽くせりにできあがっているけれど、自分の住みたいところに土地を探し、自分の生活や美意識に合わせた家を造るという、ぼくからすれば至極あたりまえで根源的な家造りのスタイルは異端であり、異端者のための金融システムなんていうものは、この国には存在しないのだった。
つまり、店に並んでいる商品のようにすでにカタチに成っているものなら評価できるけれど、これから造るという(目に見えない)住宅やこれから探すといっている(見つかるかどうかわからない)土地になんかにはなかなかウチの金は貸せませんぜ、旦那、っていうことらしい。
まして、何の貯えも、特殊技能もない50のオッサンが相手ならなおさらである。
ただ、これにはオルタナティブがひとつあって、これがいかにも日本的な話なんだけれど、信頼できる業者や実績のある人からの紹介であれば難なくこういったことの諸々がスルーできてしまうのだ。
F氏はまさにそんな談合の国からの使者だった。

コトバノイエが架空ではなく、現実のプロジェクトになるためには、ここのところ(肥料問題とぼくたちは呼んでいたが)が突破できないと、どうしようもなかったわけだが、F氏の鮮やかな手際で、大手都市銀行との合意が瞬時に、そして至極ポジティブに、まとまってしまった。 しかも頭金不要、設計料や諸費用もまとめてという、貯えや計画性のないぼくにとってはまさに ”magic” としかいいようのないトリッキーな手法までも付加されて。
まあ結果として、このプロジェクトに対しての金銭的なリスクをぼくが個人的に背負うことになったわけだけれど、それはぼくの財布からそのお金が出ていくということじゃなくて、出資者がぼくの(あるいはそのお金で手に入れるであろう)何かを信用してこのプロジェクトにお金をだしてくれるっていうことで、うまくいけば(かなり高い確率で)すごく心地良い住まいができる、もしダメだったとしても、なんとか自分ひとりで始末がつけられる(はず)という二者択一だから、住宅を造ってみたいと願う人間にとって、ネガティブな答えのだしようがなかったともいえる。


はじめて土地を見に行ったのは、2004年8月26日、セッションらしきものをはじめて2ヵ月後のことである。
F氏からの情報が入り、建築家同行で何ヶ所かの宅地を見た。

これが、初めて土地を見に行ったその日に建築家に宛てたメールである。

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2004 Aug. 26 From K To Y

昨日は、残暑の中どうもありがとうございました。
なにしろ「不動産筆おろし」でしたので、ご同行いただいただけでも心強かったです。

土地のスペックや物理的条件に関しては全面的にお任せして、場に対する直感アンテナだけを、しっかり張っておこうと臨んだのですが、未だにあまり実感が湧いてこない、というのが正直なところです。

Reality flows. Reality bites.

おっしゃられていたように、どの場所もそれなりで、これでええやんか、という声と、そんな簡単に決めていいのかよ、という声が複雑に(でもないか)響き合っている感じです。

おそらくロケーションに対するモノサシがまだ定まっていない、というか、「肥料力」によってロケーションが決められてしまうという、不動産の原則(らしきもの)や、建売はあるのに宅地はないという理不尽に身体が納得していない、というかまあ、うつつ話に対する耐性がまだできていないんでしょうね。
まさにドンクサビビリ状態であります。

できるだけ楽しんで土地探しができるように、今の段階では、「悠々と急げ」という開高氏のコトバを胸にしまっておこうかなと思っています。

「人は如何にして購入する土地を決定できるのか。」
この哲学的テーマを私が身をもってドキュメントさせていただきます。

所有することよりも、創造(妄想)することが主眼で、「だけど幸せにはかないません(悦楽)」主義の私とすれば、architect に鋭く見抜かれているごとく、なしくずしに決めてしまいそうな予感がしないでもありませんが・・・。

K 拝
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そしてやはり、きわめてなしくずしに、コトバノイエにその敷地が出現した。
しかも90坪という当初想定していたものよりはるかに大きな面積の地面である。

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2004 Sept. 02 From K to Y

で、件の「素麺」の話なんですが、
今朝、F氏に、「アレでいこうかと思います」という電話をしちゃいました。

これって、
「関係ない人間にとっては小さな一歩だが、コトバノイエにとっては偉大な飛躍だ」
みたいな感じかもしれませんね。

たとえばこの後、I市S丘3丁目に東南角地35坪1200万円などという物件が出現したときに後悔しないか、といっ
たことが私自身の最後の確認項目でした。

また、あの場所に何回か通っているうちに、地面愛のようなものが芽生えてきましたね。
(単に見慣れただけやろ、という意見もありますが)
現役の畑があったということも(その雰囲気が)大きかったかな。
そして、何よりも、昨日の再訪で、「爽やかな風や光を、あるいは、優しさや懐かしさや暖かさを運んでくれる器」が
できそうだなと、じんわりと思えてきたこと、SやJやつれあいが、あそこに建つコトバノイエの庭で微笑んでいるシ
ーンが俯瞰で見えたような気がしたこと(幻覚か?コトバイエ神の仕業か?)が、いちばん大きな要因でした。

付き合っていただいた our architect に大感謝です。

「通信21」からの引用を。

>ロケーション(環境的要因)は、重要なポイントかもしれませんが、それこそ「輝くもののすべて黄金にあらず」で、
>すべて満足なん>てことがあろうとは思いませんし、そんなことがあったら逆にちょっと気持ち悪いですよね.。
>たぶん「よかったね」は、家という器に住まう人間の心の持ち方によることのほうが大きいのではないか思って
>います。

>「だけど幸せにはかないません」の主役はやはり人ですね。

>願わくば、「コトバノイエ」が、桃谷暮景や the place where I live with の優しさや懐かしさや暖かさの流れ得る器
>であらんことを、です。

「たった10日で決めてしもてもええんかい」という声も聞こえないではありませんが、決めたら素早く、というのが買
い物の原則だと思いますし、パパとしては、「これでいいのダ」ということにしておきます。
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土地というものを手に入れていちばん強く感じたのは、その存在感の強さだ。それは、この土地の私有というシステムそのものが、ぼくたちが今生きているこの資本主義社会の根幹をなすコンセプト(地球上に境界線が描かれているわけではないんだから、それは純粋な意味での「概念」である)だということからくるもので、手にした土地は絶対なくならない、逆にいうと、土地以外のモノはいつかなくなるという意識(共同幻想)が、現代のモノ社会(経済)をドライブさせているパワーの根源のようだ。 
そういえば敷地を探してあちこち見て歩いたときも、行ったところそれぞれになにか妙なパワーを、ぼくのアンテナが感じとっていて、それはたとえばいいセーターを探してあちこちのショップを巡っているときの気分とはまったく違う、なにか「念」のようなものの気配である。 先のメールでいみじくも表現されているように、土地というのは、物欲なんていうものをはるかに超えた、食いつく(bites)ようなリアリティ純度の高い商品だった。

ともあれ、西北の角地、305.78(実測288.90)平米という敷地が、プロジェクトに用意された。 2004年10月6日最初のメールを交わしてから4ヶ月後のことだ。

建築家にとっても僕にとっても、まず最初のとまどいは、予想以上に広い(広大といってもいいような)敷地が手に入ったということだった。 この土地に決めるときに、諸々の都合を排して「いい家が建てられそうな地面」というモノサシを盾に強引に決めてしまったわけだが、じゃあこの敷地に適った「いい家」ってどんなのよっていわれると、なかなか難しい。 今になってはっきりとわかるが、初めての買い物に実は正確なモノサシなんていうものは存在せず、なんとなく広いほうがプラニングの自由度が高いよね、なんていう実にいいかげんな理由で決めてしまったのが、このとまどいの根本的な原因である。



コトバノイエに2階はない。
それははじめからそういう風に意図されていたわけではなく、入手した敷地と資金とのバランスで必然的にそうなってしまったというべきだろう。
妄想の段階では、もし仮にこのプロジェクトが実現するにしても、肥料力から考えて入手できるのは狭い敷地しか考えられなかったし、地面が狭ければ建物は上に伸びていくしかないというのが建築家との暗黙の了解であった。 だからこそ「階段」という魅惑的なオブジェも、ひとつのデザインテーマとしてセッションの俎上にのせてはいたのだが、突如出現したこの敷地を前に、そういった「狭い敷地」を前提としたいろいろがすべて消え去ってしまったわけだ。 
ただ、敷地が思惑よりも広くなったからといって、資金事情が変わるわけはなく、建物そのものは狭小地予算のまま。 つまり、敷地は広いが、広い家を建てるだけの資金はない。
となると、資金に見合った広さ(狭さ)の家を、広い土地に負けないくらい力強くデザインしていくしかないわけで、実は密やかなアコガレでもあった「平屋」というものを、自分のものとなった敷地を眺めていくうちに、強く意識し始めていた。 もちろん同じ床面積の2階建てと比べると、ネガティブなポイントがいくつかあるということはわかっていたけれど、なんとなくチャレンジャブルな気持ちが自然に湧き上がってきたのだ。 実際にどの住宅雑誌を見ても、平屋が登場してくることはまれだし、平屋というと言葉のイメージとして老後の住まいというおかしな気配が強く漂っていることも、ぼくの反発心をじんわりと刺激した。

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2004 Oct. 14 From K To Y

肥料力と要望との必然的帰結とはいえ、デメリットをメリットに換えることこそがデザイン(ソフトワーク)の要諦だと思いますし、以前申し上げたように「かっこよくない(とされている)」ものを捉えなおして、きっちりre-designする、ということにも醍醐味を感じます。
あんまり誰もやらないんだったら、やってやろうじゃないの、っていう感じでしょうか。
また、平屋こそ(私の)家というものの原形ではないのか、という想いも変わりません。

カッコイイ平屋の家。

「カッコイイ」は、もちろんコトバノイエの文脈で、「カッコよすぎず、ダサすぎず、スカスカだけど、さりげなくシブイ」の意、例の苦肉のモノサシというやつなんですが、当面はこれで、と(勝手に)思っています。

K 拝
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プラニングの大筋がまとまったのは、年もおしつまった12月の末、建築家は模型を携えて僕たちのもとへ現れた。 この間の経緯は、「in process」としてすべて彼のwebsite上で公開されていたので、情報としては大まかには掴んではいたものの、小さいながらもいざ立体として見せられると、プレゼンテーションを受けるクライアントという立場よりも、初めてのものを見る戸惑いといったものが先に立ち、正直なところその場ではどういう態度をとったらよいものかわからなかった。 批評眼をもって冷静にこのファースト・プランを眺められるようになったのは、年が明けてからのことだ。

この建築プランに関して僕がもっとも強く意識したのは、個々のデザインや機能のことではなく、彼にまかせきってしまうかどうかということだった。 「おまかせします」というコトバがクリエイターにとって殺し文句であり、クライアントがまかせきる(能力を信じる)ことでクリエイターがその能力をフルに発揮するということは、経験的によく理解しているつもりだったが、いざ施主という慣れないポジションで自分の住む家のプランを目の当たりにすると、心がざわめいてしまった。 
アレモホシイコレモホシイ。
ホントニコレデイインダロウカ?
そんな想いの様々を「1st impression」としていったんは建築家に伝えはしたものの、それがはたしてほんとうに自分自身の願望であるかということさえ、だんだんわからなくなってくる。
しまいには「session」というキーワードさえ放り投げたくなりそうになる、オレノカネナンダカラ。
でもやはり、そういった万感の想いをこめて、「おまかせします」とだけいったほうがいいのだ、という結論に達した。
彼に決めてしまったのだから、彼に決めたのは自分自身なんだから。

I am the one who designate him for our architect.
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2005 Jan. 08  From K To Y

こんにちは

正月の茶室(心の)での瞑想から ―

年末にお渡しした 1st impression は、おっしゃるように生活者としての視点から、いわば「ウツツごと」からのメッセージでした。

実は以前にも同じような想いを余儀なくされたことがありました。土地を決めるときです。

よく考えてみると、家のことに限らず、私が ambivalent な気分に襲われるのは、いつもこの「ウツツごと」の取捨をどうするかという判断に迫られたときのような気がします。

この妄想と現実の衝突という永遠のテーマ(only for me ?)に直面するたびに、どちらかというと妄想サイドの「モノサシ」を設定することでやってきたように思います。(もちろんその結果、アチャーということも多々あったのですが、自分で決めたことだからというのが、その着地点になりました)

敷地の場合は、ご存知のように、けっこう苦心惨憺しながら、最終的には通勤時間や子供の学校のことを投げ捨てて、「イイ家が建てられそうな地面」という、まあなんともそれらしいモノサシで決めてしまったのでした。

そもそも ―
妄想オヤジとして「素麺」のことを考える、というのがこのセッションの原点ですから、今回の間取り(プラニング)のことに関しても、やはりそこに立ち戻るべきではないか、というのが、初風呂雑煮瞑想での私の想いです。

そういう意味では、すでに設計・監理契約締結直後の通信62で、「カッコイイ平屋の家」という苦肉のモノサシが、またその進化形として、通信64において「ちょっと不便だけど、なんとなく居心地のいい家」というコトバが、施主という立場を離脱した上で、宣言されていたのでした。

つまり、もっとシャープに(creativeに)考えろ、ということですね。

リアリティ方面からの波が予想以上に大きかったので、一瞬うろたえてしまいましたが、やっぱり戻るとこはそこしかないんだろうなあという感じです。

そういう風に考えると、図面や模型を眺める眼も微妙に変わってきて、ずいぶん気が楽になってきました。

もうひとつ、「捨てる勇気」ということを強く感じています。

クリエイターが捨てざるを得なかった something と同量の何かを捨てるという覚悟を、クライアントもまた持つべきではないか、ということです。
まあ平たく言うと、任せるから頼んまっせという気甲斐性なんですけどね。

とにかくこの場面では、ヤベさんが紡ぎだすリズムに乗って、ひたすら漂うというのがいちばん気持ち良さそうなんで、そうすること決めちゃいました。 もちろんディティールにおいて、リアリティと衝突する場面はこのあとも出てくるんだろうとは思いますが、このスタンスだと楽に取り組めそうな気がします。

というわけで、今の時点では、「身を委ねることの快感」方向に天秤は傾いています。
「ヨキニハカラエ」モードといってもいいのかもしれませんね。

黄昏ミーティング、どうぞよろしくお願いいたします。

K 拝
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コトバノイエは薄い膜のような塀に包まれている。
70mm巾の米杉(red cedar)が30mmという微妙な隙間で横のラインをつくって建物全体を取り囲んでいて、その総延長は約53mに及ぶ。 
この外壁が、建築家のスケッチに登場したのは、10月28日のことだった。
U2の「Vertigo」というカッコイイ曲をBGMにして、建築家のスケッチに、「箱のまわりを塀がまく―浸透膜」と力強く記されていて、「塀膜」というコトバが、コトバノイエの語彙にあらたに加えられた。
遮蔽のためでも、セキュリティーのためでもなく、ただテリトリーの境界線を示す結界。
そしてその塀膜の内側、建物に接して、「縁側風」と名づけられたウッドデッキが、フロアとまったく同じレベルで、建物を取り巻いている。 住んでいる僕たちにしてみれば、約15坪の増床と同じで、今日も小学生の次男がキックボードでその「縁側風」を走り回っている。
数字上の床面積の狭さを感じないのは、この内外感の曖昧なスペースに拠るところが大きい。

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三重の入れ子からなる。 
一番外は敷地境界線で線だけなので、モノとしては内側の二重の入れ子となる。
この形状がなぜ出てきたかいうと、前述の通り、敷地は広いが予算上建物は狭い。
そこで外にも住めるようにしたい。
ただし中庭をつくったり、ボリュームを複数に分けたりすることは基礎の増大につながり工事費があがる。
あくまで建物はコンパクトでないといけない。
(平屋で大丈夫かという問題はいまだ残るが)
自動的に内部化する外の空間は建物の廻りということになる。

このかたちは通常の庭である。
森の中ならこれでいい。
ただし住宅地では具合がわるい。視線の問題である。
ならばどうするか。境界線上に塀を建てるか。
それはやりたくない。基本的には開きたい、という大方針がある。

開きながら庭を内部化するためにどうすればいいか。

その答えとして(一気に飛躍するが)このかたちが出てきた。
これは、敷地境界線上の塀が内側に縮まったのではなく、
外壁の皮一枚が引っ張られて外側に延びた、と見なしたい。
シュールな表現をすれば、外壁材だけが拡大されて通気層が広くなった(壁厚が広げられた)、って感じだ。

したがって、塀(真ん中の入れ子)はみなし上の外壁であり、外壁(一番内側の入れ子)はみなし上の間仕切りとみる。

塀(みなし外壁)から見れば、この家は完全に開いている。
外壁(みなし間仕切)から見れば、この家は開いたり閉じたりしている。
開いたり閉じたり、の具合は塀(みなし外壁)の仕様によって実現される。

塀(みなし外壁)はブラインドとして、外壁(みなし間仕切)は窓として主たる役割を与える。
ここでもまた壁厚拡大の表現がぴったりあてはまる。ただし窓とブラインドの位置は逆転しているが。
塀(みなし外壁)と外壁(みなし間仕切)の双方にできたスペースを縁側と表記している。
もちろん既製品の縁側を想定していたわけではなく、模式図を書いたときに縁側に似ているから便宜的につけたわけだ。すなわち、縁側風、である。

言うまでもないが、この縁側風がおいしいことになってないといままでの能書きが台無しなる。
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「外メシ」というのが、このコトバノイエのもうひとつのテーマでもあった。
オープンエアの食事を日常的に行えること、そのためには内と外の境界線を曖昧にすることが必須であったともいえる。 この「塀膜」と「縁側風」という考え方は、その暮らし方への願望をかなえただけでなく、広い敷地のなかの小さな家という、資金力に規定された、ともすればネガティブになりがちな条件設定を、プラスの要素として捉え直すことのエンジンにもなった。
そしてフロアから天井まで伸びるペアガラスを装着した誂えの木製建具は、このローコスト住宅の唯一の贅沢といってもいいアイテムだが、この建具も「見立て上の間仕切り」として、内外の融合というコンセプトの一翼を担っている。
引っ越ししてきたのがとても寒い時期だったので、なかなか試すことができないでいるが、暖かくなればこの建築家の目論見は威力を発揮しそうである。

コトバノイエのコアは納戸である。
家族の衣類がすべて出したままにしておけるクローゼットが欲しい、というのが数少ない家内の要望であったが、建築家は「遠心力バター空間」というコンセプトで、この問題を見事に解決してくれた。
中心のないドーナツ型の間取りのそのヴォイドにこの納戸が位置し、食う寝る遊ぶ勉強する洗濯するといった生活の機能が均等な力加減で取り巻く。
ひとことでいうと律儀なプラニングである。
そしてその律儀さは、デザインのスタイルなどでは決してなく、かれの人間性そのものの表出であり、住宅のプラニングとしてそれを素直に表現できることが、クリエイターとしてのかれの資質なのだろう。
プレゼンテーションの段階では、一瞬とまどいさえ覚えた間取りではあったが、住みはじめた今になってその着眼の確かさを感じさせられている。

人間も年を経るとほんとうの simplicity ということがよくわかってくようだ。
若いということは抽斗の数が少ないということだ。
そして年を経るごとに抽斗は増えていくんだけれど、そうなってみるともっと削ぎ落としたいと思ったりする。 抽斗が少ないことはけっして弱点ではなく、実はパワーの源なんだと、抽斗が多くなってからしか気づかない。




つづく


廻っている。
1周30歩足らずの納戸の周りをなぜか廻っている。
朝起きたとき、夜寝る前、考え事をしながら、電話をかけながら。
建築家がいみじくも「遠心力バター空間」と名づけたとおり、ちびくろサンボの虎のように。

なんにせよ、できあがったものが今の自分の甲斐性や感性や生活をすべて表しているわけで、「施主」の醍醐味は、実はそういった自分の姿があからさまに見えることではないのかと思ったりもする。


さらにつづく